午後も5時を回った頃、外が暗くなりだした。テラスに出てみると頭上に分厚い黒い雲が立ち込めていた。夕立だろうか。そんなことを思いながら急に懐かしい気持ちになった。子供の頃のこと。私は夏が大好きで半袖を着る季節になると居ても立ってもいられないほどわくわくした。待ちに待った夏なのだ。そんなことを子供心に思いながら、全開した窓から流れ込む風でレースのカーテンが寄せる波のように膨らんだりしぼんだりするのを眺めながら、机の前に腰を下ろして遠くに暮らす友達に手紙を書いたものだ。ところが暫くすると雲行きが怪しくなり、空が暗くなり風が吹き始めたと思うや否や、驚くほどの強い雨が降り始める。どの国でも夏には夕立がつきものだけど、そして様々な呼び方がある訳だけど、私は夕立というこの美しい響きが大好きで、それが一番この雨にぴったりくるように思うのだ。雨が降り始めたらしい。乾いた地面が雨に濡れて放つ、土の匂いがする。私は其れを胸いっぱいに吸い込みながら、今のこの瞬間を昔のように窓辺で夕立を眺めることが出来ることを、心から嬉しく思う。
今日は早めに起きて旧市街へ行った。涼しいうちに楽しもうと。旧市街に着いたのは大半の店のシャッターがまだ閉まっている時間だった。その分人が少なくて、その分首元を撫でる空気が涼しかった。私は朝が好きだ。朝の散策が大好きだ。ところが朝寝坊も大好きで、必ず決まった時間に起きなくてはならぬ平日ではない週末ともなれば、何時までもぐずぐずとしているのが好きなのだ。そんな私が朝が好きだ、朝の散策が好きだと言うと相棒がお腹がよじれるほど笑うのだけど、しかし本当なのだから仕方がない。暫く歩くと店のシャッターが上がり始めた。まだ6月だと言うのに多くの店が割引を始めている。不況のせいだ。全く売れないよりも割引をして少しでも多く売りましょう。そんな気持ちが込められているようだった。店先を時々眺めながら歩く。暫く体調が宜しくなかった分、今日の散策が飛び切り楽しく思えた。ふと思いついてガンベリーニに入った。私は幾つかの小さな菓子と飲み物を注文してカウンターの傍らで待っていた。すると横に随分お歳を召した、と呼ぶのがぴったりくるような身奇麗で上品な老女が横に立った。淵の太い大きな眼鏡、上品な装いに大きなイヤリング。髪は美しく整えられていて、何処から見ても旧家の大奥様であった。60年代のイタリア映画に出てくるような。若かった頃は大層美しくて周囲の男性たちを悩ませたに違いない、そんな感じの。店の人が彼女と話を始めた。彼女は明日から休暇でボローニャを留守にするとのことだった。1週間や1ヶ月ではない。9月中旬までの3ヶ月間だと言う。コルティーナに休暇用の家があるの。そう言いながら注文したカッフェを飲み干して、歳をとるとボローニャの暑さが堪えてね、と言って笑った。彼女は多分長年この店に毎朝立ち寄る常連に違いない。店に居たすべての従業員が、Buona vacanza(良い休暇)と言って彼女を送り出した。昔と言っても戦後の、映画に出てくる豊かな資本家や貴族は単に映画の中だけではなかったのだ、と私は彼らのやり取りを横目で眺めていた。店を出ると強い日差しが照りつけていた。さあ、今日の散策はこの辺で終わり。続きは来週のお楽しみ。自分にそう言い聞かせて旧市街を去った。
夕立は期待したほど雨が降らなかった。にわか雨。多分そんなところだろう。
追記:心配した盲腸炎の疑いが晴れました。皆さんのご心配とお心遣い、深く感謝いたします。