眠れぬ夜

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ヨーロピアンカップの準決勝戦。イタリアがドイツに勝つとは多分誰も思っていなかったに違いない。うちには今夜の試合に向けて朝から緊張する人がひとり。緊張と興奮でコントロールが上手くいかない、といった感じの年上の人。サッカーのことになると驚くほど熱くなる、典型的なイタリア人だ。その彼ですらイタリアが、まさかドイツから勝利をもぎ取るとは、そして決勝戦にたどり着くことになるとは思って居なかったらしく、だからなのか、今朝に輪をかけたような興奮で大変だ。不況でよい話のない最近のイタリアだから、こんな楽しいこと、嬉しいことがあるのは良いことだ、と思う。うちの興奮する人も顔一杯に笑みを湛えている。見ているとこちらまで嬉しくなってくるような大きな笑顔。それにしても、夜も11時を回っていると言うのに外は大変な騒ぎ。車がクラクションを鳴らして道を行き交い、人々が腕を肩を組んで広場で国家を歌う。ラッパを吹き鳴らす者も有り。家の窓から国旗をはためかす者有り。小さな子供が居る家は困っているに違いない。私だって。ああ、今夜は眠れそうにない。


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一枚の葉書き

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友人からメールを貰った。もうすぐボローニャに帰るから、と言う内容だった。ボローニャに暮らし始めた当初からの付き合いの、しかし長いこと彼女がボローニャを離れているために滅多に会うことが出来ない友人だ。ボローニャっ子の彼女のことだから、ボローニャに休暇で帰ってくる数日間に会いたい人が沢山居るに違いない。果たして私と会う時間を繰り出せるのか疑問であるが、声を掛けてくれたのだから案外期待してよいのかもしれない。彼女の娘と息子も一緒だろうか。美しい青いガラス玉のような瞳を持った彼女の娘。そしてくりくりとした黒い瞳の笑うととんでもなく可愛い、だけど大変な泣き虫だった彼女の息子。私がボローニャに暮らし始めた頃、彼らはまだ小さな子供で、私たち3人は手をつないで歩いたものだ。私は時々彼らのベイビーシッターを頼まれてしていたからだ。ふたり姉弟は仲がよくも好みが随分違っていた為に私は時々困った状況に陥ったものだが、私が困っているのを認めるや否や必ずどちらかが折れて助けてくれた。あなたが居なかったら私たちはどうしたら良いの? と父親の帰宅と入れ違いに帰ろうとする私にしがみつく子供たちを見て、僕が居るじゃないか、と父親が妬たことがある。私たちはとても仲良しで、何時だって楽しい遊びを見つけ出して一緒の時間を上手い具合に過ごしていたから、その途中でひとり抜けてしまうのが彼らにとっては残念だったに違いなかった。ベイビーシッターをしない日も私たちはしばしば会った。例えば夏の夕方の、旧市街に暮らす彼女の両親の広い庭でのアペリティーヴォ。大人たちがワインを楽しみ、子供たちが庭を駆け回った。何時までも明るい夏の夕方の、其れは楽しい、何時までも色褪せない大切な思い出。あれから十何年が経ち、私が年月と共に変化しているように子供たちも心身ともに成長しているに違いない。彼らもボローニャに帰ってくるだろうか。あの頃そうしたように、ぎょっと抱きしめてあげたい。もう小さな子供ではないのだから嫌がるかもしれないけれど。久しぶりにひらりと届いた一枚の葉書きのようなメールが、私をこんなに喜ばせていることを、友人は知る由もない。


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ツバメがすいすい

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近頃のボローニャ旧市街は週末ともなると部分的に車両侵入禁止である。バスの路線が変更したりと不便なことも勿論あるけれど、暑い夏に車の交通量が少なくなること、つまり空気が少しは軽くなると言うものだ。ボローニャに暮らし始めた当初、古い型のバスの運転席の前方に時々両手大の丸いボードが掲げられた。私はそれに書かれている文字が気になってならなかった。それにはDOMANI SMOGと書かれていて、イタリア語が話せない私にだってその意味くらい解った。明日はスモッグ。私は其れを指差しながら相棒や知人、居合わせたバスの乗客とDOMANI SMOG!と驚いたものだ。こんな風にして車の交通量を減らすのは、即ちボローニャに存在する人々の健康を守るひとつの手段なのであろう。先日仕事帰りに相棒の仕事場に立ち寄った。つまり一緒に帰りましょう、と言う訳だった。相棒の仕事場は旧市街から家に帰る途中にあるから、時々そんな約束をする。その仕事場の近所に大きな大きな猫が居る。抱き上げたことはないが少なくとも10KGSはあるのではないだろうか。動作も緩慢で歩く姿が滑稽なだけでなく、単に座っているだけでも何となく笑いを誘う猫である。猫は飼い猫で名前があるに違いなかったが、私も近所の人も、そして近くにある小学校に通う子供たちもGattone(大猫)と呼んでいた。大猫と私は相性がよく、私が来る気配を感じるなり、とろりとろり歩み寄ってきて、にゃ(こんにちは)、と私に声を掛ける。ところがどうだろう、先日は私に目もくれない。それどころか空を凝視しているのだ。何を見ているのだろうと空を見上げてみるとツバメ達がすいすいと空を飛びまわっていた。まるで水の中を小さな魚たちが気持ち良さそうに泳いでいるかのように。どうやらこの春生まれた小ツバメ達に親ツバメが飛び方を教えているようだった。大きなツバメを先頭に数羽の小さなツバメ達が続いて飛ぶ姿はこの季節の風物詩のようなもので、そんな季節なのかと私は小さな感動を覚えた。大猫はどんなことを考えているのだろう。猫の本能でツバメを獲得したいと思っているのか、それとも気持ち良さそうに飛び回る彼らを羨ましく思っているのか。もしかしたら私同様に今年もまたそんな季節になったのかなどと思っているのかもしれない。私はそんなことを思いながら、ひょっとしたら案外似たもの同士の大猫がちょっぴり愛しく思えたのだった。昨日旧市街を歩いていたら、ツバメの大群を発見。朝の涼しい空気で青が際立つ空の下を大きな群れを成して同じところを行ったりきたりする彼らを眺めていると沢山のエネルギーを感じて、不思議とわくわくどきどきした。何時か彼らの姿が消え去る頃には、ボローニャに真夏がやってくる。


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朝が好き

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午後も5時を回った頃、外が暗くなりだした。テラスに出てみると頭上に分厚い黒い雲が立ち込めていた。夕立だろうか。そんなことを思いながら急に懐かしい気持ちになった。子供の頃のこと。私は夏が大好きで半袖を着る季節になると居ても立ってもいられないほどわくわくした。待ちに待った夏なのだ。そんなことを子供心に思いながら、全開した窓から流れ込む風でレースのカーテンが寄せる波のように膨らんだりしぼんだりするのを眺めながら、机の前に腰を下ろして遠くに暮らす友達に手紙を書いたものだ。ところが暫くすると雲行きが怪しくなり、空が暗くなり風が吹き始めたと思うや否や、驚くほどの強い雨が降り始める。どの国でも夏には夕立がつきものだけど、そして様々な呼び方がある訳だけど、私は夕立というこの美しい響きが大好きで、それが一番この雨にぴったりくるように思うのだ。雨が降り始めたらしい。乾いた地面が雨に濡れて放つ、土の匂いがする。私は其れを胸いっぱいに吸い込みながら、今のこの瞬間を昔のように窓辺で夕立を眺めることが出来ることを、心から嬉しく思う。
今日は早めに起きて旧市街へ行った。涼しいうちに楽しもうと。旧市街に着いたのは大半の店のシャッターがまだ閉まっている時間だった。その分人が少なくて、その分首元を撫でる空気が涼しかった。私は朝が好きだ。朝の散策が大好きだ。ところが朝寝坊も大好きで、必ず決まった時間に起きなくてはならぬ平日ではない週末ともなれば、何時までもぐずぐずとしているのが好きなのだ。そんな私が朝が好きだ、朝の散策が好きだと言うと相棒がお腹がよじれるほど笑うのだけど、しかし本当なのだから仕方がない。暫く歩くと店のシャッターが上がり始めた。まだ6月だと言うのに多くの店が割引を始めている。不況のせいだ。全く売れないよりも割引をして少しでも多く売りましょう。そんな気持ちが込められているようだった。店先を時々眺めながら歩く。暫く体調が宜しくなかった分、今日の散策が飛び切り楽しく思えた。ふと思いついてガンベリーニに入った。私は幾つかの小さな菓子と飲み物を注文してカウンターの傍らで待っていた。すると横に随分お歳を召した、と呼ぶのがぴったりくるような身奇麗で上品な老女が横に立った。淵の太い大きな眼鏡、上品な装いに大きなイヤリング。髪は美しく整えられていて、何処から見ても旧家の大奥様であった。60年代のイタリア映画に出てくるような。若かった頃は大層美しくて周囲の男性たちを悩ませたに違いない、そんな感じの。店の人が彼女と話を始めた。彼女は明日から休暇でボローニャを留守にするとのことだった。1週間や1ヶ月ではない。9月中旬までの3ヶ月間だと言う。コルティーナに休暇用の家があるの。そう言いながら注文したカッフェを飲み干して、歳をとるとボローニャの暑さが堪えてね、と言って笑った。彼女は多分長年この店に毎朝立ち寄る常連に違いない。店に居たすべての従業員が、Buona vacanza(良い休暇)と言って彼女を送り出した。昔と言っても戦後の、映画に出てくる豊かな資本家や貴族は単に映画の中だけではなかったのだ、と私は彼らのやり取りを横目で眺めていた。店を出ると強い日差しが照りつけていた。さあ、今日の散策はこの辺で終わり。続きは来週のお楽しみ。自分にそう言い聞かせて旧市街を去った。
夕立は期待したほど雨が降らなかった。にわか雨。多分そんなところだろう。


追記:心配した盲腸炎の疑いが晴れました。皆さんのご心配とお心遣い、深く感謝いたします。


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あなたのしたいこと

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予想どうりだった。ボローニャは急激に暑くなって、ボローニャ市内よりも常に3度ほど涼しい丘の辺りですらこの暑さだから、旧市街は35度近いのではないだろうか。こんな暑さの日は丘に暮らしていることを感謝する。冬はむやみに雪が降るので感謝の気持ちをすっかり忘れているけれど。最近カレンダーを眺めるのが好きだ。あと7週間もすれば待望の夏の休暇だからだ。その間にいくつかの楽しい約束や用事がちりばめられていて私にしては多忙な7週間になるであろう。忙しさにかまけて用事を忘れてはいけないと、カレンダーにひとつひとつ書き込みながら、ふとペンを握る手を止める。こんな風にして用事をこなすことが出来るのも、人との約束が出来るのも健康ならではのことなのだ。私はここ数日の間ずっとそんなことを考えていて、元気になったら生活の基本となる部分を見直さねばならぬと思い始めた。例えば食生活や睡眠時間、人間関係、そして仕事との付き合い方。自分のための時間の保ち方。いつの間にかバランスが悪くなっていたのだろう。こんなに天気の良い毎日なのに家でぐずぐずしているのがもどかしくも、私にはそんな時間が必要だったのかもしれないとも思う。昔、アメリカで私にはこんな知人がいた。友人と呼ぶにはあまり付き合いはなく、しかし単なる知人と呼ぶほど淡白な間柄でもない。多分私たちは互いに好意を持ちながらも程よい距離を保った友人と知人の間くらいの仲だったのだ。彼女は私より少し年上だったと思う。はっきり訊いたことはなかったけれど。彼女の考え方はとても大人びていて私はそれを彼女の素敵な部分だと思っていた。彼女は太い黒ぶちの四角い眼鏡を掛けていた。其れは彼女が自ら作り出した彼女のイメージだった。女であることでハンディを感じるのが嫌だったのか、それとも女であることで有利になるのが嫌だったのか、兎に角彼女は実にシンプルで素っ気ない外観だった。彼女は繊細で優しい、思いやりのある性格だったから、彼女を知る人は皆、彼女の中身と外観のギャップを感じずには居られなかった。ある日私は彼女とふたりでお喋りをした。ふたりで話をしたことは其れまでなかったと思う。彼女は写真を撮る人だったから荷物の中には常にカメラが納まっていて、ふとした瞬間になにか気になるものが目の中に飛び込んでくるとカメラを取り出して写真を撮った。と、彼女は私に訊くのだ。あなたのしたいことってなあに、と。私は滅多な人にはその手の話をしないのだけど、彼女の質問に誘われて告白すると、彼女は笑みを浮かべながら深く頷いた。其れはいいわね。何をしたいか自分で分かっている人はとても幸運。大切にしなさいよ。彼女は私の目を覗き込みながらそう言うのだった。あの言葉。私はあの日から忘れたことは1日だってない。彼女が私に贈ってくれた宝物のような言葉。あれから19年。未だに実現できないけれど、私の大切なもの。自分がしたいこと、言い換えれば夢だろうか。いつか其れが実現したら私は真っ先に彼女の知らせたいと思いながら、一体いつの日になるのだろうと途方にくれる。8月でも夕方になると涼しい風が吹いてスカーフやジャケットが必要なあの海の町で彼女と出会ったことを思い出しながら、ボローニャの暑い夏に引き戻される。夏はこれからが本番。夏を存分楽しむためにはまずは元気にならなくてはね、と我に言い聞かせながら今も痛む盲腸の辺りを掌で覆うのだ。


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