深呼吸
- 2023/03/31 23:30
- Category: ひとりごと
さよなら3月。あっという間だったね、と空に話しかけた。嬉しいのは明るい空。気が付けばどの樹の枝にも新芽がついて、枝葉を風に揺らしながら春だ春だと唄っている。居間の窓の前に枝を広げる栃ノ木は何か先を急いでいるかのよう。つい最近新芽をつけたと思えば立派な葉を茂らせ、そして蕾までつけた。週末は花が咲くだろう。もっとゆっくりでもいいのにと思うけど、栃ノ木は何時だって急展開なのだ。急展開しないのは私の生活、私の人生。そしてそれでいいと思っている。昔は色んなことがしたくて急ぎ足の生活をしていたけれど、もうそういうのは辞めた。深呼吸しながら一瞬一瞬を堪能しながらがいいと思うようになった。そうすることでどんな小さなことにも喜びを感じ取ることが出来るから。そして感謝をすることも出来るから。自分ひとりの力ではないよ、周囲の小さな助けがあってならではのことなのだよ、ということは時間と気持ちに余裕がないと辿り着くことが難しいと知ったから。長年かけて辿り着いた自分スタイル。他の人達とちょっと違うが、それが自分らしいと思う。
金曜日の夕方。最近寄り道ワインをしていない。理由は特にないけれど、寄り道ワインよりも散策のほうが愉しい、そんなところだろうか。食料品市場界隈を見て歩いたり、美しい店のショーウィンドウを眺めたり、本屋の店先を眺めたり、旧ボローニャ大学の美しい回廊の下を歩いたり。私の愉しみは安上がりだ。ただ歩いているだけで愉しくて満足できるのだから。そのうち軽装になったらば、そのうち素足でモカシンシューズを履くようになったらば、いつもの店に顔を出してみようと思う。そうして店主や常連たちと爽やかな白ワインなどを頂きながら軽快な話をするといいと思う。今はひとりの散策がいい。何となく、ひとりで居るのがいいと思う。
そういえば私は昔からひとりが好きだった。日本の頃からそうだった。友人との時間も好きだったし、知らない人とも誘われれば愉しく時間を過ごしたけれど、ひとりの時間はもっと必要だった。私は何となく変わった感じの人だったと思う。周囲の人達もそんな風に言っていたけれど、私にとって其れは一種の褒め言葉だった。人と違うこと。
昔、アメリカで付き合いのあった写真家のシャロンは、私によく似た感じの人だった。あえて言うなら私よりもう一回り変わった類の人で、彼女は変わった人間でありたいと思っている人だった。自分だけの世界観を持っている人で、だから彼女が口を開くと聞いたことも無い言葉が次から次へと出てきて私たちを驚かせた。ありのままの自分でいいのだと私に言ってくれたのはシャロン。素のままの自分で居なさいよと彼女が私に言った時、ああ、彼女は私を見透かしていると思ったものだ。肩の荷が下りた気がした。そして肺の奥まで空気が入り込むのを感じた。まるで初めて深呼吸をしたみたいに。シャロン。もう20年近く会っていないけれどどうしているだろう。彼女が今も彼女らしく生きていればいいと思う。私もそれなりに私らしく生きているように。
朝の通勤路にある紅い芥子の花の群。それはとても美しくて横を通り過ぎるたびに感嘆する。実に春らしく、実に欧羅巴らしい風景。うちにあった小さい油絵によく似ている。そうだ、あの絵はいったいどこへ行ってしまったのだろう。引っ越しを繰り返すうちに行方が分からなくなってしまった。銀のブローチのように見つかればいいけれど。