ピアスのこと
- 2025/01/03 20:12
- Category: bologna生活・習慣
あっ。ふいに思い出して声を上げた。それを耳にして駆け付けた相棒。どうしたんだい、と心配そうにして。私は今日になって思い出したのだ、ウィーンのニューイヤーコンサート鑑賞を忘れたことを。あんなに愉しみにしていたのに。あんなに毎年観ているのに。と言っても勿論テレビ中継だけど、ボローニャに暮らしている私には、これが精いっぱいのことである。相棒も忘れていたらしい。相棒もまた、毎年元旦のこのコンサートを愉しみにしているひとりなのだ。此れを鑑賞すると、それがたとえテレビを通じてであったとしても、ああ、新年だなあと実感して晴れ晴れとした気分になるのである。それを忘れてしまうなんて、私達はいったいどうしてしまったの? しかも今年はイタリア人のリッカルド・ムーティが指揮者を務めるとのことだったのに。彼も80歳を過ぎて此れからどれほど彼が指揮するコンサートを鑑賞出来るだろうと思っていたところだから、逃したくなかった。来年は忘れないように、カレンダーに書き込んでおこう。
うちの猫は最近寝てばかりいる。私が仕事の日は帰宅するとまるで犬のようにピタリと横に張り付いて私とともに家の中を歩きまわるが、休暇中は全然である。呼んでも来ない、寝てばかり。なのにお腹は空くらしい。まあ、私も例えば体調不良で寝込んでいてもお腹は空くから、そんなものか。
12月の終わりに開けたピアスの穴。2日間ほど朝起きたら左耳の後ろが血だらけになっていて怯えたが、昨日辺りからいい感じになってきた。痛みもなければピアスをしている実感もない。つまりいい感じに落ち着き始めたということだろう。
33年前アメリカで、ショッピングモールの安いアクセサリーの店で店員にして貰ったピアスは、開けた時から痛みがあって何時まで経っても痛かった。周囲の人達はそんな経験はないらしく、一緒にピアスを開けた友人だって少し経ったら何も感じなくなったのに。気にし過ぎなのかもしれないなんて思って、気づかない振りをした時期もあったけど、やはり痛みと炎症が酷くて諦めてしまった。私にはピアスは合わないのだ、とあれ以来私はピアスのお洒落を諦めたのだ。
33年の歳月が私の肌を強くしたのか、それともピアスをしてくれた店のあの女性が上手だったのか。勿論衛生面でも完璧な店ではあったけど。駄目だったらまた塞いでしまえばいいだけさ、なんて結構後ろ向きな気持ちを持ちながらピアスに再チャレンジしたけれど、今度はきっとうまく行く。上手くいくに違いない。
昔駄目だったからと完全に諦めることはないことを、今回のピアスで気が付いた。私は多々そういう風に考える癖がある人間なのだ。一度失敗しているから、もうやらない。もしかしたら2回目はうまく行くかもしれないのに、やってみる前に諦めてしまう。よく考えたら今迄にそんな風にして諦めてしまったことが幾つもある。あれも、これも、勿体無かったと今思う。今年は乗り越えてみようと思う。そういう自分の癖や習慣を乗り越えてみようと思っている。ああ、この年齢になっても学ぶことばかりだなあ。
兎に角、この調子でピアスがいい感じに落ち着いたら。誕生日祝いにダイヤモンドのピアスを頂きたい、と相棒に頼んでおいた。こういう希望ははっきりしておくのが良いと思う。言わないで察して貰おうなんて、日本でいう以心伝心なんて、この国には存在しないのだから。
長い冬の休暇も残り3日間。愉しい時間はあっという間に過ぎていく。