ピアスのこと

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あっ。ふいに思い出して声を上げた。それを耳にして駆け付けた相棒。どうしたんだい、と心配そうにして。私は今日になって思い出したのだ、ウィーンのニューイヤーコンサート鑑賞を忘れたことを。あんなに愉しみにしていたのに。あんなに毎年観ているのに。と言っても勿論テレビ中継だけど、ボローニャに暮らしている私には、これが精いっぱいのことである。相棒も忘れていたらしい。相棒もまた、毎年元旦のこのコンサートを愉しみにしているひとりなのだ。此れを鑑賞すると、それがたとえテレビを通じてであったとしても、ああ、新年だなあと実感して晴れ晴れとした気分になるのである。それを忘れてしまうなんて、私達はいったいどうしてしまったの? しかも今年はイタリア人のリッカルド・ムーティが指揮者を務めるとのことだったのに。彼も80歳を過ぎて此れからどれほど彼が指揮するコンサートを鑑賞出来るだろうと思っていたところだから、逃したくなかった。来年は忘れないように、カレンダーに書き込んでおこう。

うちの猫は最近寝てばかりいる。私が仕事の日は帰宅するとまるで犬のようにピタリと横に張り付いて私とともに家の中を歩きまわるが、休暇中は全然である。呼んでも来ない、寝てばかり。なのにお腹は空くらしい。まあ、私も例えば体調不良で寝込んでいてもお腹は空くから、そんなものか。
12月の終わりに開けたピアスの穴。2日間ほど朝起きたら左耳の後ろが血だらけになっていて怯えたが、昨日辺りからいい感じになってきた。痛みもなければピアスをしている実感もない。つまりいい感じに落ち着き始めたということだろう。
33年前アメリカで、ショッピングモールの安いアクセサリーの店で店員にして貰ったピアスは、開けた時から痛みがあって何時まで経っても痛かった。周囲の人達はそんな経験はないらしく、一緒にピアスを開けた友人だって少し経ったら何も感じなくなったのに。気にし過ぎなのかもしれないなんて思って、気づかない振りをした時期もあったけど、やはり痛みと炎症が酷くて諦めてしまった。私にはピアスは合わないのだ、とあれ以来私はピアスのお洒落を諦めたのだ。
33年の歳月が私の肌を強くしたのか、それともピアスをしてくれた店のあの女性が上手だったのか。勿論衛生面でも完璧な店ではあったけど。駄目だったらまた塞いでしまえばいいだけさ、なんて結構後ろ向きな気持ちを持ちながらピアスに再チャレンジしたけれど、今度はきっとうまく行く。上手くいくに違いない。
昔駄目だったからと完全に諦めることはないことを、今回のピアスで気が付いた。私は多々そういう風に考える癖がある人間なのだ。一度失敗しているから、もうやらない。もしかしたら2回目はうまく行くかもしれないのに、やってみる前に諦めてしまう。よく考えたら今迄にそんな風にして諦めてしまったことが幾つもある。あれも、これも、勿体無かったと今思う。今年は乗り越えてみようと思う。そういう自分の癖や習慣を乗り越えてみようと思っている。ああ、この年齢になっても学ぶことばかりだなあ。
兎に角、この調子でピアスがいい感じに落ち着いたら。誕生日祝いにダイヤモンドのピアスを頂きたい、と相棒に頼んでおいた。こういう希望ははっきりしておくのが良いと思う。言わないで察して貰おうなんて、日本でいう以心伝心なんて、この国には存在しないのだから。

長い冬の休暇も残り3日間。愉しい時間はあっという間に過ぎていく。




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哲学

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新年2日目はもう普通の日。慣れているとはいえ、やはりしっくりこない。新年を迎えた初々しい気分はもう存在せず、多くの人がごく普通の生活に戻るのだ。もっとも冬の休暇中の人達はホリデーシーズン気分は多少ながら残っているけれど。

晴天は今日までと聞いてバスに乗って旧市街へ行った。特に用事もないけれど、こんな晴天の日は外を歩くのが愉しいと思って。それに私はバスの年間パスを持っている。此れをフルに活用しない手はないのである。きっと旧市街は空いているだろうと思っていた。何しろ向こうからやって来た旧市街に向かうバスが異様に空いていたから。こんなのは実に久し振り。夏の休暇を終えてからというもの。どのバスも混みあっていて辟易していたのである。そうして旧市街に入るなり、私はバスを降りた。ポルティコの下を歩こうと思ったのだ。いくつかの店は休暇中だったが、多くの店はいつも通り開いていて、4日に始まる冬のサルディに向けて準備に忙しそうだった。イタリアのサルディには一応ルールがある。定価を変えてはいけないこと。返品交換も受け付けること。定価を変えてはいけないというのはつまり、定価を高く設定して割り引くする店があるからだ。そういう店が昔は結構あった。但しいつも行く店の定価は知っている客が多く、そうしてはひと悶着あったものだ。それから割引だから返品交換は受け付けないなんて店が昔は結構あったけど、商品に不備、欠陥があるのに返品交換が出来ないのかと、これに関しても色んな問題があった。それで今はちゃんとルールが定められている。果たしてどれだけの店がそのルールに従うかは知らないけれど、少なくとも客にも文句を言う権利があり、あるべき場所に泣きつくことも出来るから安心だ。
と、通りかかった店の店員が割引価格を書いているのが目に入った。へええ、今日から割引を始めるの? この店はなかなか良いものを置いているセレクトショップ。冬の初めにショーウィンドウに飾られていた美しいカシミヤコートが忘れられなくて、店に入ってみることにした。訊けば割引対象外とのこと。あら残念なんて言いながら一応コートを見せて貰ったのは、割引をしてくれなくてもかなりのお買い得価格がついていたからだ。見た目は艶やかだし、襟のステッチが手縫いなのも宜しいが、手触りが違うようだし、それに重い。これカシミヤじゃないでしょうと言ってみたら、勿論カシミヤよ、だってほら、ロロ・ピアーナの高級生地を使っているのだからと、店の人が多少憤慨しながらコートの内側に縫い付けられたロロ・ピアーナのタグを見せてくれたけど、ほら、ヴァージンウールと書いてある。どうやら店の人はロロ・ピアーナだからカシミヤと短絡的に思い込んでいたらしい。私は見せてくれたことに丁重に礼を言って店を出た。だけど内心興ざめだった。あの店はなかなかいいと思っていたのに、商品知識はあまり無いようだから要注意と。だから買い物は慎重にしなければならぬ。そして消費者は知識を持っていなくては。そのうえで納得して得るならば多少予算オーバーでも価値がある。これが私の買い物哲学。
旧市街は思っていたより混んでいた。旅行者が多いようだ。特にグループの旅行者。ライセンスを持つボローニャの観光ガイドがマイクを持って説明しているのを耳を澄まして聞いてみたら、ドイツ語だったりフランス語だったりと、なかなかインターナショナル。きっと彼らはこの後、何処かで美味しいのを頂いて、其の後フィレンツェへと行くに違いない。ボローニャの街は小さな面白い事があると私は思っているけれど、大抵半日で切り上げて他の街へと流れていく。まあ、ボローニャとはそういう街だ。到底フィレンツェやヴェネツィアにはかなわない。それでいいと私は思う。私は静かなボローニャが好き。

今夜は星が見えない。あの分厚い雲の向こうに隠れている星。明日は雨が降るかもしれないという予報は、案外当たるのかもしれない。




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自分が自分でいられる年

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静かに幕を閉じ、穏やかに幕を開けた新しい年。新年。なんて良い響きなのだろう。子供の頃は年賀状が届くのが愉しみだった。そういう時代に子供だった私は運がよかったと思う。とても平凡な生活、だけど小さな愉しみと小さな社交がごく当たり前のように存在して、それを喜べた時代。だから大人になってもこんな風だ。小さな愉しみを見つけては嬉しくてたまらない。
昨夜は年が明けると同時に丘の方で美しい花火が上がった。あの辺りはあまり知られていないがちょっと豊かな界隈で、街の生活を好まない人達が古い建物を修復して長閑に暮らしている。色とりどりの打ち上げ花火。日本の夏に上がる打ち上げ花火に比べたら全然小振りだけど、私は感謝しているのだ、うちのテラスからあの打ち上げ花火を毎年眺められることを。例年ならばもっといろんなところで打ち上げ花火が上がるのだが、今年は予算の都合なのか何なのか、何処にも花火は見当たらない。だからあの丘の方の打ち上げ花火が見れてよかった。新年の喜びがあの花火で更に華やかなものになったから。

今朝目を覚ましたら青い空。新年早々ついていると思った。連日晴天とは言え、新年の晴天には意味がある。幸先がいいというのか、それとも出だし好調というのか、兎に角ポジティブな気分である。だけど片頭痛だ。恐らく昨晩栓を抜いたシャンパンのせいだ。とても美味しかったけど、原因はシャンパン以外に考えられない。シャンパンは華やかで美味しいけれど、そして特別感があって大好きだけど、例えシャンパングラスに一杯だけでも翌日に頭痛が起きる。これに気づいたのはもう30年も前のことだけど、そうと知っていながら新年を祝うのはシャンパン以外には考えられぬ。だから我慢我慢。そのうち治るに違いない。思うに私は安上がりの人間だ。シャンパンで頭痛を起こす私は新年以外にシャンパンを欲しがらないから。その分赤ワインに投資しているから差し引きゼロかもしれないけれど。

今年はいつ帰ってくるのと訊いたのは、姉だった。毎年恒例の新年の電話で、色んなことを話してさあ切ろうというところで、姉が訊いた。夏は休暇が長いから夏を考えているけれど、兎に角航空券が高い。冬は来月辺りに購入すれば若干手頃な値段で手に入るかもしれないけれど休暇が短い。悩ましいところだとこちらの事情を説明したら、姉は言った。いつでも帰りたい時に帰ってくればいい、私達は何時でも歓迎するから。
糸の切れた凧のように日本を飛び出してアメリカへ行き、その足でイタリアに来てしまった私は、正直言って親不孝者だ。そして恒例の母のあれこれを姉に託している私は、姉に全く頭が上がらない。だけどいつも言ってくれる、いつでも帰っておいでと。
帰る場所のある幸せ。若い頃は自分を過信して夢を追い続け後ろを顧みる余裕もなかったけれど、今は思う、見守ってくれる人が居たから出来たことだと。父はもういないけど、母が居て姉が居て、そして姉の家族が居て、いつも私が帰って来るのを愉しみにしてくれる、それを私は幸せと呼んでいる。そして、この幸せに気付くことが出来たことに感謝なのだ。
歳を重ねて昔の若さも元気も手放してしまったが、手に入れたことが沢山ある。家族の有難さ。周囲の人の存在の有難さ。そういうことに気づけたのは本当によかったと思っている。

新しい年を迎えて色んなことを考えている。大小さまざまな旅をすること。色んな人に会うこと。どんな事があっても考えすぎずに、何とかなるさとやり過ごせるようになること。何時も自分が自分でいられること。それからそれから、一番大切なのは健康。身体も心も健康で居たいと思う。

私達にとって喜びと希望に満ちた一年になりますように。今年もお付き合いお願いします。




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一年の終わりに

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ゆっくり行こうと思っても毎日が目くるめく過ぎてゆく。カレンダーも最後の1日間が残っただけで、晩零時にはびりびりと破って捨てられてしまう。日本ではどうだったか覚えていないけど、イタリアでは古いカレンダーはそんな風にして新年を迎える儀式のように破られてしまうのだ。アメリカもそうだった。初めて迎えた新年の午後、ダウンタウンを歩いてみたら、カウントダウンの残骸があった。自分も友人と広場に駆け付けてカウントダウンをして大騒ぎしたから、その残骸はまったくもってのことだと思った。知らない人がシャンパンの栓を抜き、周囲の人達に振舞い、知らない人同士抱き合って新年を祝った。あれは私にとって最初で最後の大騒ぎだった。あんな大騒ぎや混乱、人混みは一生に一度で充分。だけど良い思い出であることは確か。あの晩街にでて良かったと今でも思っている。その足で高層ビルが立ち並ぶビジネス街へ行ってみたら、小さくちぎられた紙が辺りに散らばっていた。仕事納めをを祝うように、紙をちぎって窓からばら撒いたに違いない。そういうのをハリウッド映画で観たことがあったけど、ああ、あれは映画だけの話でなく本当にそんなことをするのだなと思ったものだ。今年の私と相棒は静かに過ごす。今年を綺麗に閉じるために心穏やかでいたいから。

今日は私の箪笥の中を整理した。それは衣類の箪笥ではなくて、書類や小物、自分が大切にしているものをしまう、横幅僅か60センチほどの、高さだって160センチあるかどうかの箪笥。足は玉葱のように丸く、エミリア特有の骨董家具だ。1800年代のものだ。修復したそれを相棒がうちに持ち帰ったのはかれこれ17年ほど前のことで、一目惚れした私が勝手に自分の箪笥などと名前を付けて使っている。私が心底気に入るものは少ないが、これはその数少ないもののひとつなのである。毎年大晦日の午前中に中を整理する。古い書類は小さく破いて、そして不用品、どうしてこんなものをとっておいたのかと首を傾げるようなものたちを、どんどん黒い袋の中に突っ込んでいく。そんなことをしていたら不審な封筒を発見。中を見て驚いた、50ユーロ札が3枚も入っているではないか。うーんと唸りながら思いを巡らす。恐らく日本に帰省した時に用意した小遣いの残りだろう。兎に角大変気分がいい。そもそも自分のお金であるが、何か得した気分である。そしてもうひとつ見つけた封筒。此れは母からの便りで、宛先は私がアメリカからボローニャに移ったばかりの頃の住所が書いてあった。だから30年ほど前に受け取った手紙だ。中には便箋が3枚。初めの二枚は母からの便りで、3枚目は父からだった。老いて目が悪くなったのだろう、字が大きくて、下手だった。それを見ながら笑うのは、私の字が下手なのは確かに父譲りだと思ったからだった。読んでいるうちに涙でいっぱいになった。心を打つような文が書かれている訳ではなく、内容はごく普通のことだったけど、父から受け取った初めで最後の手紙だったから。色んな所に引っ越しをして、色んなものが行方不明になったのに、これだけは無くさなかった。ちゃんと私の傍にいた父からの手紙。そう思ったら泣けてきた。そういうことだ。
幾度も作業が中断されながらも、随分のものを処分して箪笥の中がすっきりした。これでよし。これで準備が出来た。
そうしたら思い出した、ヤドリギを手に入れるのを忘れていたこと。それでコートを羽織って近所の花屋でひとつ購入。小振りのものだけど、大丈夫。大切なのは今晩ヤドリギが家の中に吊るしてあることなのだから。

今夜の夕食は相棒が料理番。いつもより遅い21時過ぎに始まる今年最後の晩餐。メニューは何かと聞いてみたら、それは企業秘密なのだそうだ。あはは、何その企業秘密って、と笑いながら、嫌がらずに料理してくれることを有り難いと思った。

今年は色んな事がありました。ひと頃挫けそうだったけど、乗り越えることが出来たのは周囲の人達の応援と、ブログを読んでくれる人達の存在です。この機会にありがとうの言葉を贈ります。そして綺麗に一年を閉じることに感謝です。皆さんに沢山の恵みがありますように。




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計画

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冬至から10日が経ち、陽が暮れるのが少し遅くなった。冬至の頃は16時38分、そして今日は16時43分。調べてみてがっかりした。たったの5分遅くなっただけだった。まあ、こんな風にして陽は長くなっていくものだ。Piano piano (ゆっくりゆっくり)とイタリア人はよく言うけれど、まさにそれ。急がずにゆっくり行けばいい。

今朝目を覚ましたら酷い頭痛がした。昨晩から少々不調ではあったけど、こんなに酷い頭痛になるなんて。しかしそれも相棒がバールから持ち帰った大好きなパステリーと淹れたてのカッフェラッテをたっぷり頂いたら、治ってしまったのだから大したことではなかったらしい。
今日も快晴。晴天の神様が絶好調らしい。この調子で行こう。起き抜けの頭痛のせいで遅くなったが、バスに乗って旧市街へ行った。今日は計画を実行するのだ。旧市街の真ん中でバスを降りると、路地を渡りながら北の方へと歩いた。最近足が遠のいていた界隈。以前はアペリティーヴォに来たり、その近くのトラットリアに手打ちのタリアテッレを堪能しに来たりしたものだけど、もう2年くらいご無沙汰。ご無沙汰した理由はない、単に足が向かなかっただけ。そんな界隈に敢えて来た。ひと月くらい前に思いついて情報収集をしたところ、此処がいいらしい。同僚も、そして美容院で働く男性も利用しているそうだから。私はピアスをしたいと思って此処に来た。しようと思った立派な理由がある。私の装いはシンプル。髪はショートでほぼ変化がない。それが好きなのだから問題はないのだけれど、何か輝くものが欲しくなった。輝くものというよりは、華のあるものと言ったほうが良いかもしれない。ショートヘアからちらりとイヤリングが見えたらいいなあ、と思って街の小さな宝石店に立ち寄ったのは11月の終わりのことだった。イヤリングが欲しい、クリップタイプの。そう言う私に店の人は頭を横に振った。注文を受けて作ることは勿論出来るけど、高価なイヤリングは落とした時に残念過ぎるから薦められないと店の人は言った。そういう客が多く居るらしい。だから店にはクリップタイプのイヤリングはなく、あの美しいのも、この素晴らしいのも、皆ピアスだった。そして店の人は言うのだ。ピアスの穴あけは怖いかもしれないけれど、一度開けたら色んなイヤリングが愉しめるから考えてみる価値ありと。そんな話をして店を後にしてから、私はずっと考えていたのだ。ピアスの穴、あけようかなあ。
33年前。アメリカに暮らして初めて迎えた大晦日の日、私は同居人と一緒にショッピングモールへ行った。彼女がピアスの穴をあけるから一緒に来ないかと誘ってくれたからだ。本当は彼女は怖かったのだ。だからひとりで行く勇気がなく、私についてきて貰いたかったのだ。私は興味本位でついていったというよりは、なあに、することがなかったのだ。店に行くと彼女は震えあがってしまったが、私はふと思いついてピアスの穴をあけてみようと思った。え、本当? 大丈夫? なんて彼女が心配する横で私は穴をあけた。痛かったけど怖かったけど、それを乗り越えたら何でも大丈夫になるような気がして。ピストルなようなものを使って、ものの30秒と掛からず、ピアス代も含めてたったの5ドルだった。それが私の初めてのピアス。但しその後が宜しくなかった。2年くらい頑張ったけど、炎症を繰り返して穴を塞いでしまった。それから33年経ってもう一度ピアスをするかどうか、ずっと考えていたけれど、駄目ならまた塞いでしまえばいいだけ、今年のうちにしてしまおう、と思って今朝店に行ったという訳である。刺青とピアスの店だ。店の存在はずっと前から知っていたが、まさか自分がこの店の扉を押すとは夢にも思っていなかった。年末だもの、空いているだろうなんて思っていたら先客が6人もいて暫く待った。まずは話を聞いてみようと思った。前に穴をあけたが炎症して塞いだことなどを含めて、色々聞いてみたところ、なかなか良さそうだった。全てのものが消毒されていることなども含めて気に入り、じゃあ、お願いしますとなった。何しろ店に来る人達は一様に若いから、じゃあ、お願いしますと話が運ぶと、ちょっと驚いたようだった。分かる分かる。私だってこの年齢になってピアスに再チャレンジするなんて思っていなかったもの。それで話の通り、すべてが消毒されていて、なかなか良い店だった。勿論痛かったけれど、店の人に痛い? なんて訊かれたら、うん、痛いなんて子供みたいで言えなかった。ふたつ開けてピアス代と消毒液までいただいて75ユーロ也。33年前の5ドルを考えるとびっくりするほど高いけど、何しろ33年前のこと。それにこれだけ消毒に気を使っている店のことだ、この値段が妥当というものだ。兎に角計画を実行した。それが大切。しかも年内に。今年は色んな事があってかなり参っていた私だが、これで全てゼロになった。もう後ろは振り向かない。今日の私、そして明日の私。

こんな晴天の日は星空が素晴らしい。今夜の星空は更に美しく、星が零れ落ちてきそう。次のクリスマスにこんな星のような小さなダイアモンドのピアスを贈って欲しいと相棒に言ったら、えっ、と返事に困っていたけれど。




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