che sfiga.
- 2007/07/31 21:52
- Category: bologna生活・習慣
私のテラスには"金のなる木"という名の植物がある。何年も前に貰ったその植物をそうとも知らずに育てていたが、この春友人が遊びに来た時に教えてくれた。これは金のなる木。そう彼女が言った時、とても良い物を所有している気分になった。彼女の家にもあるらしい。結婚式のお祝いに誰かから貰ったものだそうだ。何たって金のなる木だし、大切にしなくてはね、と互いに目と目で約束をした。実に単なる名前なのだが気持ちというのは不思議なもので、とってもツイテイル気分になった。昨日のボローニャとその近郊は夕方らか夜にかけて強い風が吹き荒れた。異常に乾燥していた為に塵という塵、埃という埃が舞い上がり、道行く人達は顔を覆いながら歩かなければならなかった。家に戻ると28個ある鉢植えのひとつだけ、がっくりと倒れていた。それは何と私の大切な金のなる木ではないか。他に倒れそうな鉢植えが沢山あるにも拘らず、どうしてこれに限って倒れてしまったのか。実を言うとこれが初めてではない。数週間前に大風が吹いた夕方もこれだけが倒れているのを見つけて全くがっかりしたのであった。倒れた姿があまりにも惨めだったのでporta sfiga (不運を招く)だなあ、と呟いて慌ててporta sfortuna と言い直したのを覚えている。sfiga もsfortuna も意味は同じ"不運"であるが前者は俗語でいわゆる乱暴な言葉なのである。同じ意味でも俗語とそうでない言葉の類は他にも沢山あってその場に応じて使い分ける。私の周囲のイタリア人は外国人の私が俗語を使うと眉をしかめることが多いので、なるべく家の外では使わぬように努めているのである。テラスはうちの中同然だが、上の住人に聞こえるとやっぱり体裁が悪いのである。早速このことを例の友人に伝えると、彼女の金のなる木は何と腐ってしまったと言う。・・・それは大変なsfiga・・・慰める術もなかった。さて、昨晩はその倒れていた鉢植えを哀れに思いながら複雑な心境で起こして、もう倒れないでね、と語りかけたにも拘らず一分と経たぬうちに今回は私の目の前でゴトリと音をたてて倒れた。che sfiga(何という不運)! 今回ばかりは体裁など考える暇もなく、大きな声で言い放った。涼しい7月の晩に私の言った言葉が大きく響き渡った、ような気がした。