洒落者

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今朝は車のガラスが凍っていた。零下4度の世界。それも以前に比べれば断然暖冬で、これがこの冬初めての凍結。山の方に行けばもっと凍り付いているに違いないが、ボローニャでは此のくらいでも寒い寒いの大騒ぎだ。朝の通勤途中に見た、霜が降りた野原。路上駐車が一般的なボローニャ市内のことだ。凍ったガラスと葛藤する人々を横目に通り過ぎていく。大寒。多分これが過ぎると寒さが緩むのかもしれない。そうであればいいと思う。冬自体は嫌いではないが、寒さが身に沁みる、そんな年頃だから。

この冬は本当に買い物をしていない、と自負している。唯一欲しかったものはサイズが合わず断念。それ以降は旧市街のウィンドウを愉しむばかりである。ウィンドウショッピングとはよく言ったものだ。見ているだけで愉しくなる。相棒とアメリカで出会った頃、、彼はアイショッピングなんて言葉を使っていた。面白い言い方だと思いながら、成程と思った。最近の私はまさにアイショッピングなんて言葉が相応しく、財布は鞄の奥底に仕舞い込んで引っ張り出すことはあまりない。一番興味深いのは、男性向けのセレクトショップ。男性のお洒落とは仕立てたジャケットや上質な革で縫いあげた靴だと思っていた私はとても古かったようだ。男性のお洒落は奥深く、感心するばかりである。少し前にフィレンツェでPITTI UOMOがあったけど、その時期にボローニャでも洒落者たちを多く見た。彼らは遠目でも飛びぬけているのだ。例えば帽子。例えばジャケット。一般人が選ばないような色形のそれらは私の心を掴んで離さず、理由もなく近くを歩いてみたりしてたっぷり愉しませて貰った。女性のお洒落もいいと思うが男性のお洒落は更にいい。アメリカに居た頃の相棒は洒落者だったけど、イタリアに来たらそういうことに関心が無くなったかのようで、実は残念に思っている。革のジャケットに白いシャツ、そして黒いネクタイなんかして。足元にモカシンなんか履いていたから、周囲の人達の目を惹いたものなのに。ああ、残念だなあ。

ところで明日で1月が終わりって本当?




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春の訪れを告げる

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今日の寒さは頬を切るような痛い寒さだった。いつも元気な青年が身体を冷やして体調が悪くなるほどの寒さだった。しかし外気が当たらぬ日向に佇むならば春のようにポカポカした日差しで、私はトカゲのようにずっと其処に佇んだ、そんな昼休み。明日も天気が良かったら、日向に佇んで太陽を充電しようと思っている。

先日旧市街を歩いていたら、魚屋の近くの花屋さんの店先に猫柳を発見。ボローニャで猫柳に出会うとは思っても居なかったから、釘付けになった。春の訪れを告げる植物と言われているそうだ。そして自由という意味があるらしい。銀色の猫に似ていた。日本に居た時には猫柳を気にもしたことがなかったのに、可笑しなことだと思った。そのうち桃の花が店先に並ぶだろうか。そうしたら一枝買い求めたいと思う。日本を感じる植物に魅力を感じるようになったのは、それだけ私が故郷を恋しく思っているからなのだろう。

こんな寒い日は赤ワインがいい。という私に、君は寒くなくても赤ワインじゃないかと相棒は言う。あはは。彼はよく分かっている。伊達に長く付き合っているわけではないらしい。




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匂い

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午後になってようやく薄日が差したボローニャ。日曜日というのに今朝は霧が濃くて、窓の外を眺めているだけで寒く感じた。そもそも昨晩の霧の濃さ。近年あまり霧が出ないこの界隈で、一寸先が見えないほどの濃霧に驚いたものだった。丘の町ピアノーロに暮らしていた頃は、こんな濃霧が当たり前だった。朝、丘の細い道を下ってボローニャ市内に向かう時も、夕方遅く帰宅する時も。それからあの頃は交友関係に忙しく、週に幾度も夕食に出掛けたものだが、帰り道は濃霧で先が見えず、夜中に怖い思いをしながら帰ってきたものだった。ピアノーロの生活を辞めてボローニャに暮らし始めたのは今から約11年前のこと。もう随分昔のことに思えるようになった。私は今の家が好き。狭いながらも自分らしく生活できるこの空間が好き。濃霧に鬱々することもない、そう思っていたから、昨晩の濃霧には不意打ちを食らったような気がした。薄日とはいえ、太陽の光がもたらす喜びは大きい。少なくとも私には、太陽の光はポジティブの象徴なのだ。

私は好きだと飽きることなく使い続けることが出来るタイプの人。例えばコートにしても、スカーフにしても、靴にしても。それから食事なども同様で、フィレ・ミニョン。ヒレ肉を厚く切った小振りのステーキのことであるが、此れを火で炙って貰ったのをシンプルに頂くのが好きで、それなりの良いレストランで食事をするときは大抵それを注文する。肉の品質や焼き具合で店の善し悪しがすぐわかる一品と言っていいかもしれない。何処へ行っても同じものを注文することについて、相棒も友人達も呆れた顔をしたものだが、最近は慣れたもので、君は勿論フィレ・ミニョンだね、というようになった。兎に角飽きるまで続くこの注文。これが私の性格をよく象徴していると相棒は言う。
飽きるまで使うことのひとつに香水がある。今使っている香水は一体何瓶目だろうか。4年前に出会って、それからずっとそればかり。今では相棒まで使うようになった。此の匂いに出会えたのは幸運だったと思っている。ボローニャ旧市街を歩いていると、時々香水の瓶を手に、行き交う人に香水をサービスする女性に出会う。化粧品店の前である。いいえ、と断る人も多いけど、関心を持って細い紙に香水を吹きかけて貰う人も多く居る。私はその後者で、取敢えずどんな匂いか知りたいタイプなのである。昨年秋のこと、用事があって速足で歩いていた夕方のことだ。割と大きな化粧品店の前の道端で若い女性に呼び止められた。新しい香水とのことだった。訊ねてみたらモーダのデザイナーの名前だった。トム・フォード。へえ、香水もあるのね。そんなことを彼女と話しながら、香水を吹きかけた細い紙を貰い、とにかく急いでいたから礼を言ってその場を去った。鼻に近づけて匂いを嗅いだがぴんと来なかった。それで無造作に鞄の中に放り込んで、用事を済ませるために先を急いだ。用事を済ませてバスに乗って家に帰る途中。鞄を開けた途端に感じの良い匂いが舞い上がった。好みの匂いだった。いい匂い。そう言ったのは横に立っていた男女だった。シニョーラ、此れは何て言う香水なの?と訊かれて困った。ええと、旧市街の店の前でこれを貰ったのよと鞄の中から香水が沁みた紙を取り出して見せた。トム・フォードらしいわよ。彼らは、ああ、という顔をして私に匂いが染みついた紙をせがんだ。これを持って店に行くのだという。どうぞ、と言って私はバスを降りた。降りた後に後悔したのは、確かにいい匂いだったからだ。あれを店に持っていって香水を買い求めることも出来ただろうに。すべて後の祭り。それでも翌日に店に行けばどの香水だったか追及できたかもしれないけれど、何しろこういうことに腰が重くて今に至る。とても私らしいと思う。あの匂いにもう一度で会えたらいいと思いながら、店に行くのを先延ばしにしているのは、多分今現在、使っている香水に満足しているからだろう。まあ、いいさ。そんなことを思いながら、バスの中に居たあの男女は、香水を手に入れただろうかと思う。いい匂いに出会えるのは幸運。運命みたいなものだから。

ヴェネツィアの謝肉祭は昨日から始まったそうだ。美しい仮面を被り、美しいドレスを纏い、優雅に歩く人々。ヴェネツィアならではの幻想的な世界。この時期は混みあうので一度も足を延ばしたことがないけれど、謝肉祭の様子を一度この目で見てみたいと願っている。いつかきっと。




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優しい人

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昨日の朝、路上に停めてあった車のフロントガラスや窓が凍っていた。それほど気温が下がった記憶はないけれど、吹きっさらしのこの界隈ではガラスが凍るほど寒かったのだろう。寒い一日になる予感がした。果たして寒い一日になった。そして夕方になると陰鬱な色になり、久し振りに霧が出た。昨日の晴天が夢だったように思えた、そんな陰鬱な夕方だった。だから今朝もそんな風だと思っていたら、快晴。土曜日に相応しい青空、そして眩しいほどの日差し。勿論気温は1度だけれど、なんと気持ちの良いことか。週末は朝寝坊するのが好きだけど、今朝は髪の手入れの日。眠い目をこすりながら起きて、簡単に身支度して家を出た。

まだ10時にもならぬ時間の冬の旧市街は人が少なく、いつもは店の外に列ができている精肉店もパン屋も静かなものだった。パン屋の棚には大きなパンがぎっしりと並べられていて、客を待っているかのように見えた。これもあと3時間もすれば殆ど売れてしまい、空っぽの籠だけが並んでいることだろう。髪の手入れの時間まで少しあった。それで七つの教会群広場に立ち寄った。此処もまた、まだ人が少ない。昼前には多くの人で賑わうに違いなく、人混みが苦手な私には閑散としたこの時間帯が丁度良いと思った。広場に何処かで見た事があるようなご婦人がいた。他人かもしれないが、よく似ている。誰だっただろうかと思いながら思いを巡らせていたら思い出した。
昨夕バスの停留所に居たご婦人によく似ていた。彼女は私と同じバスを待っていた。1時間に3本しかない、割と不便な路線のバス。最近私は目と鼻がアレルギーらしく、とても痒い。それで小さなくしゃみを3つして鼻をかんでいたら、彼女が私をじっと見ているような気がした。さて、なんだろう、と顔を上げると彼女は私の横を通り過ぎて後方の男性に声を掛けた。彼女が見ていたのは私ではなく、後方から歩いてきた盲目の男性だったのだ。車の通りが激しいからと言いながら彼女は男性の腕をとり、大通りの横断歩道を一緒に渡ると、ここから真っすぐ歩道を歩いて行くといい、と説明して戻ってきた。戻ってきた彼女も私も、ずっと男性の行方を目で追った。ちゃんと到着できるだろうかと。きゃ。彼女は小さな悲鳴を上げた。あの門が閉まっているなんて。開いている筈の門が閉まっているなんて。どうやら男性は農家直営のワイン販売所に行きたかったらしい。男性が固く閉じられた門を手で探りながら困っている様子が遠目にもわかって心苦しかったが、今まさに私達が待っていたバスが向こうの方に姿を現したのだ。さあ、どうする。私は葛藤したが、彼女は迷わず横断歩道を渡って男性の元に駆けていった。彼女はもう一度男性の腕をとり、ゆっくりと歩き始めた。その様子を私は乗り込んだバスの窓から眺めながら、私には出来なかったことを彼女が迷わず実行したことに感嘆していた。このバスを乗るために長々と待っていた彼女は、また更に20分待たねばならない。でも彼女は迷わず盲目の男性を選んだ。時々そんな人が居る。迷わず助けの手を差し伸べる人。いうのは簡単だけど行動に起こすのは何と難しいことか。何時か私もそんな人になれればいいと思う。彼女の様子を眺めながら、努力したいと思った。
あのご婦人と男性はあれからどうしただろうか。ちゃんと目的地にたどり着いただろうか。いつか停留所でご婦人と一緒になることがあるならば、声を掛けてみようと思うる。私はこんな感じの人が大好きだから。優しい人が大好きだから。

髪の手入れをして貰って気分上々。とても丁寧な仕事をして貰って有難く思ってる。歳を重ねるのは嫌ではないが、自分メンテナンスに時間と費用が掛かる掛かる。でも、それでもいいと思っている。綺麗にしておくことで気持ちよく生活できるなら、こんな安上がりなことはない。

隣の家に2匹目のチワワがやって来たのはこの冬のことだ。一匹目のチワワ、シャネルは気が強くていつも吠えているが、2匹目は穏やかな性格で吠えることを知らないくらい静かだ。8か月の仔犬。昼過ぎに家に帰ってきたら庭で偶然はちあわせて、はじめましての挨拶をした。ピンク色のダウンジャケットを着ているのには呆れたけれど、とてもよく似合っていた。可愛いチワワ。外に出るのが好きだそうだから、天気の良い日は会う事があるかもしれない。うふふ。愉しみがひとつ増えた。その愉しみがチワワだなんて知ったら、家の猫は怒るだろうなあ。




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桜餅の話

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晴天の今日は気温も10度まで上がり、1月にしては上出来だった。ボローニャの冬は寒いものと決まっているから寒いのは仕方が無いとして、太陽、太陽の光に恵まれることが大切なのだ。それももうじき17時という頃になると急激に冷えて、駆け足で夜に向かう。でも、今迄と違うのは、晴れた日の夕方の空はほんのり明るいこと。それに私がどれほど勇気づけられているか、空はちっとも知らないだろうけど。

元旦に母と話をしたら、不意に桜餅の話が出た。何故桜餅の話になったのかは分からないが、恐らく耳が遠い母は、私が桜餅を食べたいと聞こえたのだろう。高齢なのである。急に桜餅の話になって困惑したものだけど、何しろ母が愉しそうだったので追及せずにその話に乗った。私が日本で生活していた頃は、季節ごとの和菓子を愉しんだものだ。購入するのは店の前を素通りできない私だった。近所に昔からある小さな和菓子屋さんの草餅もよかったが、駅からすぐ其処の家族経営の和菓子屋さんのきんつばも素晴らしかった。それから駅からかなり歩く店の栗蒸羊羹。きりなく思い出すことが出来るのは、私が和菓子を愛しているからだ。
私が年頃になった頃、母宛に象彦展の招待状が届いた。それは象彦という漆塗りのギャラリーで東京麹町にあった。何故母に招待状が届いたのかは分からないが、母は父と姉、私を伴って麹町へ行った。想像していたよりもずっと興味深く、父も母も、そして姉も私も美術館鑑賞するようにして歩き回った。そして家に花を飾るのが好きな母が鶴首の美しい花瓶を買い求めた。それが像彦との付き合いの始まりだった。その象彦展だが外に出る前に茶室でのもてなしがあるのだ。其処で出されるのが点てたばかりの美味しいお茶と小さな美しい和菓子。京都の鶴屋吉信の和菓子だそうで、私は其処で頂いた桜餅の虜になった。だからあれは2月か3月のことだったのだろう。季節の和菓子はその時期にしか頂けないものだから。多分母はあの日のことを今も覚えているのだと思う。美味しかったからと言って、帰りに鶴屋吉信に立ち寄って、家で頂く菓子をいくつか購入したことも。それから半年ごとに招待状が届くようになった。父は時々。私と姉は何時も母と。美しい漆塗りの芸術品を眺めるのが好きだったから。そして母は行くたびに、何か美しいものを家に置くために購入して。あれからもう随分の年月が経ったけど、母は今も大切にしているだろうか。まだ家にあるのなら、ひとつ分けて貰えないだろうか、なんて。
それにしても桜餅。次は何時頂けるのかしら。

暗くなる前の夕方の空に黄色い月を発見。夜中のうちに満ちた月。この美しい月に沢山の人が気付いていればよいと思う。




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