仕立て屋さんに立ち寄った

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昨夜は満月だったが、夕方から雨が降り始めて止まなかったから、遂に月を見ることが出来なかった。始めは亜熱帯地方に降るような雨だった。スコール。そんな感じの雨。それがいつの間にか夏の初めによくあるような雷を伴う雨になり、夜遅くには静かで心休まる雨になった。窓を開けるとヒンヤリした空気が流れ込んで、火照った肌を癒してくれた。それにしても何と沢山の消防車が走り回ったことか。話によれば局地的に雨が降り洪水になった地域もあるらしく、そのために消防車が往来していたとのことである。雨はなかなか止まなかったけれど、満月はついに見ることが出来なかったけれど、洪水を思えば何とも幸せなことだろう。そして、今日も夕方に雨が降るのかと思えば、どうやらそうでもないらしく、だから一瞬掛けたお月様を今夜は堪能しようと思う。

仕立て屋さんに立ち寄ったのは、丈を詰めるためだ。今年はもう少し短めに着こなしたいパンツがあって、旧市街のいつもの店に持ち込んだという訳だった。相棒などは、そのくらいの丈詰めはしなくたって同じだよ、というけれど、私はそうは思わない。例えばコートの袖の長さがピタリとしていないと、まるで借りてきた他人のコートのように見えるの同様、パンツもまた丈の長さは大切だ。特に夏物は、その一瞬の長さで軽快に見えたり爽やかに見えたり、反対に野暮ったく見えたりもするものだから。店に立ち寄るのは12月以来だった。冬のコートを全体的に上手に直して貰って、それを最後に店が冬の休暇に入った、それ以来である。だから5か月ぶりに顔を見せたら、店の夫婦が喜んでくれた。試着室で持ち込んだパンツを履いて、ほら、丈がね、と説明すると、女主人は頷いて、そうそう、こんな感じの方がいい、と言って小さな針で印をつけた。彼女のセンスは確かだ。彼女と知り合えて本当に良かったと思う。と、あら、お腹が大きい。それとも単に太ったのだろうか。いや、この丸さは、きっと。何か新しい良いことがあったのではないかと訊ねてみたら、やはり身籠っているらしく、長時間ミシンの前に座っているのが辛いのだ、と彼女は言った。12月が臨月らしく、だから2か月くらい店を閉めなければならないだろうと言う。2か月! たった2か月でいいのかと驚く私に、無理かしらねえ、と彼女は言った。彼女をあてにしている人が私を含めて沢山居るから全く嬉しい話だけれど、ちょっと無理なのではないかと言うと、店の存在を忘れられてしまうのではないか、それが心配なのだと不安な笑みを浮かべた。こうした店は、こういう問題があるのだと、こんな時に気付く。大丈夫、大丈夫、みんなあなたのことを待っていること間違いなしだからと勇気づけたが、やはり心配はぬぐわれないようだった。だから、まずは元気な赤ちゃんを産むこと、その後のことは後から考えましょうと話をまとめて店を出た。誰にも心配事がある。でも健康が一番。それ以外のことはなるようになる。元気だったらどんな状況にも立ち向かえる。思い悩むのはよそうよ。それよりもストレスを溜めないで楽しくいこう。相棒と私は、いつの頃からか、そんな風に考えるようになった。

もうじき21時だと言うのに空が明るい。向こうの空に浮かぶ入道雲が薔薇色だ。明日も良い天気になるのだろう。5月の終わりに、実に相応しい。




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美しい人達

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穏やかな週末。少なくとも私は骨の髄まで酸素が行き渡っているような感じがする。何時も忘れがちな深呼吸を朝から幾度しただろう。良い証拠。これは良い証拠である。身体の力をすっかり抜いて、のんびり過ごす週末。必要だったと思う。

先日、旧市街の食料品市場界隈を歩いていた時のことだ。その界隈には不釣り合いな感じの創作アクセサリーなるものを置く店の前で足を止めた。この店の前はどんな店だっただろうかと頭をひねるが、全く記憶にないのだから、案外、地味で活気のない店だったのかもしれない。2軒並ぶ魚屋の筋向い、サラミ屋と青果店の間という、まさに食料品に溢れた場所に構えた小さな店だ。奥行きもあまりない。店の中はうす暗くて、よく見えないが、シンプルな内装だ。創作品は金を使ったものが多く、既製品とは違うユニークな表現で私の関心を大いに引く。ウィンドウに並ぶものはごく少ない。もしかしたら店の中に入れば、客の関心に合わせて抽斗の中から出てくる仕組みなのかもしれないと思いながら、ウィンドウが変わるたびに、足を止めて鑑賞するようになって、もう数年になる。誰が作っているのだろうか。そしてどんな人が身に着けるのだろうか。店の中に客が入っているのを見たことはないが、つぶれる様子もないので、良い客がついているに違いない。一度美しい形の金の指輪が飾ってあった時は息を飲んだ。こんな感じのをずっと探していたから。けれども勇気がなくて店に入らなかったのは、手の出ぬ価格がついているだろうと、安易に想像できたからだ。資金もなく、冷やかしで入るのはあまり好きではない性格だ。だから何時も私はウィンドウの観客。私にはそのポジションが丁度いい。と、店の前を離れて歩き始めたところで、素晴らしくカッコイイ3人組を見た。初めに目に入ったのが真ん中に居た女性。背丈は180センチはあるだろうと思われる、明るい栗色の髪を後ろにひとつに纏めて小さなお団子にしていた。色白の美人さん。長い首、長い手足。着飾る必要などないと言うかのように、シンプルな色でシンプルな形の装いをしていた。その両脇にはやはり長身の男性。彼らも大変こざっぱりした清潔な装いだった。そのシンプルさが酷く洒落ていた。シンプル、シンプルと言うが、仕立ての良いものを身に着けているのは明快だった。肩のラインの美しさや、素材の良さは選び抜かれた感じがあった。兎に角雑誌から飛び出して来たような3人組で、行きかう人々の視線を浴びていた。羨望の視線、感動の視線。どのようなものを身に着けたら自分の魅力を引き出すことが出来るか知っている人達。若しくは、どんなものが自分に似合うかを知っている人達。私などは開いた口が塞がらなかった。何しろ目の前から彼らが歩いてくるのだから。彼らは明らかに外国から来た人達で、察するに北欧かドイツかオランダ辺りの人達。根本的な骨格の違いに脱帽だった。何かの仕事でイタリアに来たフォトモデル達、若しくはその手の美しい職業につく人達かもしれない。そんなことを考えていたら、3人組があの店の前で足を止めた。長身をかがめてウィンドウに見入って、目を見開いて皆で顔を見合わせて、そして中に入っていった。発見。あの店に人が入ったのを初めてみた瞬間だった。彼女のような人には、あの店の創作品がよいだろう。着飾らない分だけ装飾品が映えるというものだ。それにしてもいいなあ、あの店にいとも簡単に入っていくなんて。

晴れた日は空が夜になっても明るい。だからついつい帰り時間が遅くなり、その流れで夕食時間が遅くなる。明日からまた一週間が始まる。どんな一週間になるかは自分次第。肩の力を抜いて行こうと思う。




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猫のこと

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連日素敵に晴れているボローニャ。日射しは既に夏同然だけど、吹く風が爽やかで、人々に初夏の喜びを与える。昔、この時期にサンフランシスコから引っ越して来た当時の私には、兎に角涼しい街からやってきたと言う理由から、ボローニャのこの気候を真夏のようだと思ったものだけど、今の私には分かる、これはまだ夏ではなくて、初夏、単なる始まりであることが。初夏とは何と心地よい響きなのだろう。足取りが軽くなるし、心も何処かへ走って行きそうな軽快さだ。これと言ってよいこともない毎日だけど、空が明るいこと、薄手のシャツ一枚で過ごせること、足首をむき出しにして素足で靴を履けることなど、小さい喜びが実に安易に見つかる。それから仕事帰りの寄り道。ジェラート屋さんに立ち寄ることも。空を飛び交うツバメの様子を眺めながら、テラスに座って冷えたワインを頂くことも。テラスに咲く花たちが、良い季節になったことに歓喜している。少し前まですっかり枯れて再起不能と思われていた植物たちが、知らぬ間に小さな緑の芽を出して私と相棒を喜ばせてくれる。強いなあ、とは相棒の言葉。それに耳を傾けながら、私もそうでありたいと思った。

初めて猫を飼ったのはアメリカに住んでいた頃のことだ。私が相棒と友人のブリジットが暮らすフラットに転がり込み、そして相棒と結婚するとブリジットが丁度空いた隣のフラットに越していったすぐ後に猫はやって来た。近所に住んでいた大工さんが何処かへ引っ越して行く時に、猫は取り残されてしまったようだ。地上階から2階のテラスまで続く木製の階段を使って上がって来たのだろう。兎に角、うちとブリジットのフラット裏の扉を繋ぐ共同のテラスに猫はやって来た。明るい午後のことだった。まだ子猫で、みゃーみゃーと小さな声で鳴いていた。それはまるで、扉を開けてよ、と言っているかのようだった。初めに扉を開けたのは私だった。そしてその気配に気づいたブリジットが扉を少し開けて顔を出すと、ああ、あなた、猫を家にいれたら出ていかなくなるから気を付けなくてはいけないわ、と私を窘めた。彼女は相棒が猫を好まないことを知っていて、情がうつる前に忠告した方がいいと思ったようだった。事実、以前猫か犬をと提案した私に相棒は酷く冷たく、動物は駄目だ、の一点張りだった。それにしても小さくて、痩せっぽちで、お腹が空いているのは一目瞭然だった。気を付けろと言ったくせにブリジットがキッチンから猫の好きそうな食べ物を持ってきて食べさせると、猫は満足したように階下に降りていった。それから少しの間、猫はやってこなかったから何処かの家に迎え入れて貰ったのかと安心していたが、ある相棒が居る晩に猫はまたやって来た。小さな鳴き声が長く続いて、お腹が空いていることは明快だった。扉を開けてもいいかと訊くと相棒は駄目だと言う。家にいれたら出ていかなくなる、と言ったので、ああ、ブリジットが言ったのは恐らく同じようなことがあった、猫の鳴き声に扉を開けようとした彼女に相棒がこんなことを言ったのだろうと思った。そう言われても猫はよそへ行こうとしない。お腹が空いているのだから、牛乳くらい飲ませてあげてもよいのではないかと文句を言う私に負けて、牛乳だけ、と相棒は言って私達は裏の扉を開けた。開けたが猫は中に入ってこなかった。私が小さな皿に牛乳を注いで床に置くと、猫はようやく中に足を踏み入れて牛乳の皿に顔を突っ込んで舐めはじめた。夢中になって牛乳を舐めていたが、不意に頭を上げて私達を見た。その瞳に涙が沢山溜まっていて、その幾つかがぽとりぽとりと床に落ちた。あれほど動物は駄目だと言っていたのに、初めに猫を抱き上げたのは相棒で、初めにこの猫をうちに迎え入れようと言ったのも相棒だった。僕の心にタッチした、とか何とか言って。なんだかんだ言って、彼は情がうつりやすく、優しいのだ。そしてアメリカの生活を引き払ってボローニャ移る、暫く定まった住居がないであろう私達のために、私達のフラットを引き継いだ友人が猫をルームメイトとして受け入れた。この広いフラットにひとりではあまりにも淋しすぎると友人は言って。それは私達にとっては感謝してもしきれない友人の善行だった。それから長いこと私達の生活に猫が居なかった。置いてきてしまった猫のことを思うと、とても別の猫のことを考えることが出来なかったからだ。それが、今の家に住んで、やっと居心地の良い場所を得たと気持ちが落ち着くと、猫を飼いたいと思うようになった。それに、ずっと友人と一緒で幸せだった置いてきた猫が、数年前に15歳の高齢で空の星になったからかもしれない。今うちに居る猫は、数年前に猫保護の会から引き取ってきた猫。生まれてすぐに箱に入れてガソリンスタンドに置き去りにされていたらしい。だから猫は箱の中に入るのが好きだとよく耳にするが、うちの猫は箱の中が大嫌い。それから車の音も大嫌い。ガソリンスタンドに置き去りにされた時の悲しい思い出が染みついているのかもしれない。そんな猫を見て、いつかそうした悲しい記憶が消えてしまえばいいのにと思う。猫は気まぐれで我儘だと世間ではよく言われているけれど、人間だってかなり気まぐれで我儘一杯だと思う。私などが良い例た。母や姉、相棒に訊けばすぐわかることだ。気まぐれも気まぐれ。思い付きの人生だし、我儘も我儘、昔も今も、これからも、変わることはないだろう。だからなのか、猫と私は気がよく合うと猫を抱きながらそう思う。

今夜はボローニャ旧市街を取り囲む環状道路のすぐ近くの教会で、コンチェルトがあるらしい。素晴らしいオルガン奏者によるものだと聞いて是非行きたいと思うものの、どうにも都合がつかない。それにしてもその場所が、私達がこの街に引っ越してきたばかりの頃に毎日のように車で前を通っていたあの教会だと知って、とても懐かしく思った。あの教会なのか、と。そして此の教会で行われるコンチェルトの知らせが、まるで、あの頃の気持ちを思いだせ、初心を取り戻せ、と言っているかのように思えた。今の自分が方向違いの道を歩んでいないかどうか、暫く考えてみたいと思う。




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格好よくいこう

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火曜日は雨で始まった。想像するに雨は夜中に降り始めたらしく、朝起きて窓の外を眺めたらば既にじっとりと地面が濡れていた。起き抜けに窓の外を眺めるのが私の習慣で、いつの間にか相棒や猫の習慣となった。しかし彼らの場合は単に外を見るだけで、私のようにこの雨が一日続くのだろうかとか、雨で幕開けの一日は思いやられるとか、そんなことまでは考えないらしい。実に外を眺めるだけだ。それを私は羨ましく思う。何故なら私はいつだって起き抜けの雨に浮き沈みして、実に面倒臭いのであるから。子供の頃からそう。多分これからも変わらない。

旧市街の小路を歩いていて、目に留まった、ショーウィンドウ。チェックの木綿の服。昔、私が好んで着ていたような。着心地が抜群に良くて、自分らしくいられそうな服。だらりと長く着るのではなくて、膝上10センチか15センチで着るのがいい。
子供の頃は母が姉と私の服を縫ってくれた。こんな感じのがいい。こんな色のがいい。丈はこんな感じで、後ろはこんな風で。私達はいろいろ注文して、母は一生懸命考えながら作ってくれた記憶がある。母は自分の服を知り合いの仕立て屋さんに頼んでいたから、時には母にくっついて行き、母が持ち込んだ生地が余りそうだと分かると、残りの生地で私の分も作って貰った。母と揃いの生地。でも母の服とは違う印象の服。あの頃から私は生地とか、素材とか、そう言うものに大変興味をもつようになった。だから母にくっついて生地屋さんに行くのは兎に角楽しくて仕方がなかった。子供だった私には生地屋さんが埃っぽくて仕方がなかった。それは決して店が埃まみれだったわけではい。布地を選んでこれを何メートルと母が注文すると店の人が大きな良く切れる布地専用の鋏でじょきじょき切ってくれるのだが、その時に糸くずが落ちてくるのだ。それが子供の私には埃っぽく感じたという訳だ。多分、子供にだけ感じられることで、母や店の人にわかるまい。私が十代になると私は自分で服を縫うようになった。自分で型紙を作って自己流に縫って。生地屋さんで生地を選ぶのも、型紙や縫う作業も大変楽しかったし、それ以上に自分が身に着けて外を歩くのが嬉しかった。誰も同じ服を着ていない。オリジナルだ。その熱もいつか覚めて、私は服作りをしなくなった。時間的な問題よりは、パッションを失ったと言ったらよかっただろう。なのに店先で気に入った服を見つけては縫製が良くないとか、生地の素材が良くないとか、ボタンの趣味が悪いとか、気になってならぬ。ならば自分で縫えばいいではないかと自分に問うが、私にはもうそのパッションはこれっぽっちも残っていなかった。そういう訳で気に入った服を見つけても、なかなか手を出せない。その代わり良い素材で丁寧に作られたものだと、忘れることが出来なくなる。幸か不幸かここ最近は、気に入るものが見つからない。これでよいような気もするし、残念な気もするし。それでこのチェックの服は、自分好みだが流石に手が出ない。若い人に譲ることにしよう。しかしこんな革のジャケットと合わせるなんて考えてみたこともなかった。格好いいなあ。こんな装いにはどんな靴が合うのだろう、素足にモカシン、それとも素足に先のとがったシンプルなパンプス、はたまたスニーカーと言うのもありか、などと思いながら店の前に佇んでいたら、背後に長い髪がくるくると巻いた若い女性がふたり立って、格好いいわねえ、ちょっと店に入ってみようよ、と言って店の中に吸い込まれて行った。そうか、やはり格好いいのだな。自分で着ることはないけれど、何だか嬉しくなって足取り軽く歩き始めた。美しい服も好きだけど、格好いいのがいい。何時までも格好いい女性でありたいと思う。

長いこと、心の中に抱えていた心配事に一区切りがついてほっとしたら、どっと疲れが出た。ストレスフルだったことは気付いていたが、此れほどのストレスだったとは、と驚いている。疲れがナイアガラの滝のように身体の外に流れ出ていくのを感じる。出るだけ出てしまえばいいと思う。今は辛いけれど、そのうち疲れから解放されて元気になるに違いないから。テラスのジャスミンの花が咲く頃には、きっと。




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突風

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樹の枝が揺れている。ジャスミンの細い蔓もゆらゆら揺れる。天気はいいが風が吹く。しかし其れもうちの辺りだけに限ったことかもしれない。2年前の夏、日本へと発った日は風がとても強かった。真夏の真昼間で、いつもなら窓を開け放っておきたいところだったが、遂に家中の窓を閉めなければならなくなった。迎えの車が到着して、乗りこむなり言った。今日は風が強いから飛行機は大丈夫だろうかと。すると運転手が笑いながら、シニョーラ、風がこんなに吹いているのはこの辺りだけですよ、と言った。事実、旧市街へと向かう大通りを走り始めて少しすると街路樹は微動もせず、道を行きかう人達のスカートの裾やシャツすらも風に揺れていなかった。もう20年以上も前に読んだ本の中にスパッツァ・ヴェントという名の土地があると書いてあった。何処にも風は吹いていないのにその土地だけはいつも風が吹いていると書かれていたが、私が暮らすこの界隈もそうした風が良く吹く場所なのかもしれないと思ったものだ。

スパッツァ・ヴェントとは、履き出す風、一掃する風と訳すと良いだろうか。突風みたいなものに近いかもしれない。兎に角いきなり吹いたかと思うと、其処の在ったものを吹き飛ばすような強い風のことだ。私がそんな風の名前を知ったのは、宮本美智子さんと言う女性が綴った本だった。本を購入したのは表紙の絵が美しかったこと、そして、此れからイタリアに引っ越しをするという時期だったから。本の内容はイタリアのトスカーナで休暇を過ごした家族の日記みたいなものだったから、関心を持ったのは言うまでもない。しかし一番の理由は、彼女という怖いもの知らずで鉄砲玉のようで、ひたすら前向きな人が好きだったからだ。子供の頃から本が大好きで、大人になるまで本当に沢山の本を読んだ。ジャンルは様々で、そのひとつが彼女が書いたエッセイだった。彼女がアメリカに飛び出して行った話は面白かったが、こんな突拍子な、奇抜な考えを持つ人、行動ととる人なんて本当に存在するのだろうかと思ったものだ。しかしそれも、十代の頃に読んだ桐嶋洋子さんの話を思えば、そんな人が存在しても決して不思議ではない、そうだ、人間は異なった考えを持っていて当たり前なのかもしれない、と思うようになった。私がまだ、アメリカへ行きたいと思い始める何年も前の頃のことだった。私が彼女に影響されたのかどうかは、実のところ自分でもわからない。ただ、確実なのは、自分が周囲の人と同じでなくてもよいのだ、足並みそろえて生活する必要などないのだということに気付くきっかけになったことだ。それは自分の解放であり、自由を手にした鳥のような気分だった。それから私は怖いものが少なくなった。人と考えが異なっていることで、周囲の人達がどう思うかを気にしなくなったからだ。ひとりが好きな当時の私の怖いものとは、周囲の目だったから。そして怖いものが無くなって自由を手にした鳥のような気分になっても更に窮屈に感じ始めた時、丁度見つけた居心地の良さそうな場所、アメリカへと飛び出した。逃避だったかもしれない。でもそれでも構わなかった。彼女の本を初めて読んでから何年も経った頃、美しい表紙の彼女の本を本屋で見つけた。鉄砲玉だったような若い頃の彼女とは違う、豊熟な文章だった。それを私は残念とは思わず、人間は少しづつ変化していくもの、成長、と前とは異なったことを教えて貰った気分だった。突き進むばかりでなくて、受け止めることも勇気のひとつ、と。本には突風の話が書かれていて、その突風は若い頃の彼女のようだと思った。それにしても、そんな風が吹く場所なんてあるのかしらと思っていたが、私が住む界隈も、一種そんな場所ではないか。なんだ、なんだ、ボローニャのスパッツァ・ヴェントだな、と。

突き進むばかりでなく、立ち止まってみることも、振り返ってみることも悪くない。目の前にある好ましくないことを一時的に受け入れることにしても。色んなことをしてみて初めて解ることもある。長い年月をかけてようやく解り始めた。




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