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今日は思いがけず空が晴れた。夕方の空は青く高く、散らばる白い雲が美しくて空を眺めながら歩いていたら、足が穴に嵌って転びそうになった。危ない危ない。歩くときはやはり前を歩いて歩くのが良い。兎に角秋空と呼ぶにふさわしい今日の空のせいで、私は日本を恋しく思った。

仕事帰りに大型店に買い物に立ち寄った。不気味なくらい空いていたが、すぐに分かった。値上げ。どれもこれも値段が上がっていた。いよいよ物価が沸騰して、嫌な世の中になりそうである。必要なものだけを籠に入れて会計を済まそうと思ったところ、背後にがたいの良い髭面の男性が大型へちまのような南瓜を抱えて私の後ろに並んだ。それがなかなか良い色合いで形も興味深かった。それをじっと眺めていたら彼と目が合ったので訊いてみた。それは観賞用なのか、食用なのか。すると彼は、えー?と目を丸くして、勿論食用だと答えた。そしてシニョーラはこれを家に飾ったりするのかと訊くので、そうよ、なかなか感じの良い南瓜だから飾るのもいいと思うと答えたら、彼は大変感心したらしく、もうひとつ欲しくなったと言って再び野菜売り場に吞み込まれていった。少し飾って悪くなる前に料理に使う。昔アメリカに居た頃、相棒と私はそんな風にしていた。見極めが大切。腐らしてはいけない、鑑賞もするが必ず食する、これが私達のルールだった。ボローニャでもそれをやっていたが、数年前うっかり腐らせてしまい、それが残念で飾らなくなった。勿体ないことをしてしまった。南瓜も無念だったに違いない。先日色鮮やかな小さな南瓜たちを見つけた。完全に観賞用の南瓜たち。家の中がパッと明るくなりそうな、ユニークな形の色鮮やかな南瓜たち。数個購入して家の中に置いてみようか。花の代わりに南瓜とは、少々色気がないけれど。

明日の夕方は旧市街でポルチーニ茸を探そうと思っている。見つかったら飛び切り良い赤ワインの栓を抜いて秋の味覚に乾杯。これから冬までこんな乾杯を沢山したいと思っている。




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普通とか普通でないとか

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妙なことになった。9月とは、本来爽やかで素敵な気候なはず。なのにこの暗さは如何に。折角の週末が台無しと言うよりは、折角の9月が台無しと言うのが正しいと思う。涼しいのはいいとしても、雨が降ったりやんだりの鼠色の空は9月には似合わない。これを挽回するような青空を残り数日に得ることが出来ればいいけれど。

アメリカに居た頃、それからボローニャに暮らすようになってからも、出歩いてばかりいた。それから友人たちを招いての食事会。呼ばなくても友人たちが家に来たアメリカ時代とは違い、ボローニャでは私と相棒が自ら人を招いた。そういうのが楽しかったからだろうと、その頃の気持ちを想像する。今は生活スタイルが随分と変わった。もう人を招いての賑やかな食事会も企てないし、誰かの家でも華やかな食事会に行くこともなくなった。それは人間関係が途切れたとか世間から隔絶したというよりは、もともとの自分に戻っただけなのだと思っている。オリジナルの自分。私はもともと独りが好きだった。昔と今の自分が違うのは、今の自分は独りの時間が好きだけど、かといって人と話をする時間も好きなことだ。だから何かの機会に誰かとカフェで一緒になって長々と話をするのは嫌いではないし、行きつけの店のカウンターに座って店主や常連客と小一時間話に花を咲かせるのも嫌いどころか好きなほうだ。年を重ねてそういう楽しみも知ったと言えばいいかもしれない。それともそういうことも大切だと気が付いたからかもしれない。兎に角近年の私は一頃のような社交から離れて、自分自身を見つめなおしたり本当にしたいことに時間を注ぐようになった。だから世間の人から見たら変わった人に見えるかもしれないけれど、やっと自分らしくなった、本来の自分を取り戻しつつあるだけ。祝ってほしいほど、喜ばしいことなのである。
幼少時代の私は、外を走り回るのも好きだったが、絵を描くのが好きだった。色が好きだったと言ってもいい。だから大人から、これなあに、と紙の上に描いたものを訊かれたものだった。幼稚園の先生は母に言ったそうだ。この子は絵ばかり描いている異常児。昔は人と同じことをしない子供をそう呼んだのだろうか。しかし母は、この子は異常でもなんでもなく、絵が好きなだけだと言って私を縛り付けることなく自由にしたいことをさせてくれた。私はとても運が良かったと思う。もう少し大きくなると絵に加えて文章を書くことに夢中になった。父の影響だったと思う。小説を書きたいと言いながら昼間は働き夜は子供たちが纏わりつき、週末は子供たちにせがまれて散歩に出て、父がせいぜい出来た好きなことと言ったら日曜日の午後に庭の植物の手入れくらいだった。だから真っ新の原稿用紙の束は手つかずで、子供たちが触るのを禁止されていた万年筆もタンスの一番上の引き出しの中に眠ったままだった。その原稿用紙を私が使うようになったのは10歳の頃だ。住み慣れた街から田舎町に引っ越しして、そんなことがきっかけで書くようになった。今の私はどちらからとも離れている。それがいいとか悪いとかは自分でもわからない。でも、したい気持ちが蘇った。そういう気持ちが大切だと思っている。
今まで長い道のりを歩いてきた。したいことばかりしてきた私が、これから本当にしたいことをしようと思うなどと言ったらば、母も姉も、それから空へと発った父だって、開いた口が塞がらないに違いないけれど、色んなことをして、経験して、やっとわかった。ぐるりと一周して原点にたどり着こうとしている。それが私がずっと探し求めていた答えなのだと思っている。
普通とか普通でないとか。人は良く口にするけれど、それが一般的か一般的でないかを意味するならば、私は普通の人間でなくていい。一般的な人間は他の人達に任せておこうと思っている。

明日はもう月曜日で、週末は風が吹き抜けるように過ぎていく。それにしても冷える。暖かくして、今夜は早く寝てしまおう。




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吉報は突然やってくる

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今週も無事に仕事を終えて週末の始まり。金曜日の夜は嬉しすぎて頭が混乱した。と言うと変な奴だと相棒は笑うが、忙しかった分だけ開放感が大きくて、どうしたらよいかわからなくなるのだ。数日前から始まった冷え込み。昨日は最後の悪あがきで気に入りの麻のジャケットを着て出たが、中には薄手のコットンセーターを着こんだ上に、首には襟巻を巻かねばならなかった。朝の気温は9度。日に日に気温が下がっていく。

目を覚ませば曇り空の朝。いつ雨が降り出しても不思議でなく、ああ、今日も冷え込むのだろうと思いながら窓を開けて驚いたのは、なんと、家の中よりずっと温暖。慌てて家中の窓を開け放ち、暖かい空気を取り込んだ。今日はどんな一日。最近良いことがあまりなくて萎んでいる私は何か良いことはないかと、探す毎日。どんな小さなことだっていいと思いながら、探している。
旧市街へ出かけようと思ったところで雨が降った。ほんの一瞬ですぐに止んだが、気持ちが萎えてしまった。それに今日は雨降りの予報が出ているから、多分こんな風ににわか雨が幾度も降るに違いなく、雨が苦手な私は家にいるほうが良かろう、と心を決めた。そうだ、とクローゼットの中の整理を始めた。もう夏物は必要ないだろうから。半袖シャツも麻のブラウスも、薄手のコットンパンツもショートパンツも。その代わりに長袖シャツや薄手のセーター。それから首にぐるぐると巻き付ける大判のストールや襟巻、そしてシルクのスカーフ。手の届かない場所にあったこれからの季節のためのジャケットやコートも引っ張り出して作業が済んだら驚き溜息が出た。クローゼットの中が暗い。夏に愛用した黄色やグリーン、ピンクや白といった軽快な色合いが姿をひそめ、暗い色ばかりになった。毎年秋冬はこんな暗い装いをしていたのかと思ったらもう一度溜息が出た。今年は買い足すものはないと思っていたけれど、明るい色がひとつくらいあるとよいかもしれない。それは衣類でなくてもいいと思う。例えばショートブーツ、例えば小さな鞄、例えば革の手袋や帽子。
こうしてクローゼットの中の整理をしていると猫は心配になるらしい。何が起きたのか。何かこれから起きるのか、と。ううん、大丈夫。私は何時もあなたと此処に居るからと言いながら背中をなでるとようやく落ち着き、喉を鳴らしながら私にしがみつく。猫は可愛い。この猫は特別可愛い。
家に居る日はいろんな物事が視界に飛び込んでくる。家の中のこともそうだけど、テラスの様子もそう。金木犀はあと数日でいい匂いを放つだろう。小さな薄緑色の蕾を幾つもつけて、準備万端。隣の柚子の樹は小さな青い実をつけて以来成長がなく、今年は収穫を望めそうにない。そういう年もたまにはあるさと思いながらも、残念感はぬぐえない。それから茗荷は見事な茂りぶりだが、ついに収穫がなかった。実、と私はずっと呼んでいたが、あれは茗荷の蕾らしい。茗荷は本当に神秘的。根っこを植えた初めの年は蕾が付かないこともあると聞いていたから覚悟はしていたが、ああ、それにしても残念、と水遣りでえぐれた根元の土を指で平らにしたところ、小さな何かが指に引っかかった。あっ。指で掘ってみたら茗荷の蕾だった。ひとつはコロンとした大きいもの、もうひとつは痩せっぽちの。指先で器用にねじってもぎ取り鼻を近づけてみたら懐かしい匂いがした。これは吉報。吉報はある日突然やってくる。昼に蕎麦を茹でた。私は蕎麦が大好きなのである。収穫したばかりの茗荷を刻んでのせたら、格別の風味で、いつもの蕎麦が特別な蕎麦になった。こんな時期に茗荷が収穫できるとは想像もしていなかったが、人間にも色々いるように茗荷もいろいろなのだろう。何をしてものろい私に相応しい、のろまな茗荷。似た者同士なのが可笑しかった。それにしても茗荷が元気を連れてきた。外は小雨で薄暗いが、いい土曜日になったことは間違いない。

あと数日で9月が終わるなんて。つい最近9月になったと喜んでいた気がするけれど。残りの9月を堪能したいと思っている。





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美味しい街

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日に日に冷えが増す。今朝の冷え込みは格別で、しかしそれにしても、と思ったら居間の窓が開いていた。寒い筈だ。何しろ12度なのだから。開けっ放しにした犯人は調べがついている。相棒だ。何故だか彼は夜に窓を開けたがる。寝る前に閉めてくれたらよかったのに。そう思いながら窓を閉めたが冷え切った居間は何時まで経っても寒いままだった。同じ人間だが相棒と私は体温が随分違う。これは男性と女性の違いか。それもとイタリア人と日本人の違いか。これは永遠の謎で、解けなくてもあまり問題のない謎である。それにしても猫も寒かったと見えて、家の中を歩く私の足に身を寄せて共に歩く。寒かったね。うん、寒かった。私たちはそんな会話をしながら朝食の準備をした。

昨日食料品市場で桃を購入した。食べ頃の美味しいのを6つと注文したが、店の人は首を横に振った。もう桃は終わりの時期だから、シニョーラが納得いくようなのはないんだよ。そういわれたがやはり桃が欲しい。それで3つに減らして、ある中からいいのを選んで貰った。
21年前の今頃の時期に、私はナポリへ行った。私は常々ナポリへ行ってみたいと思っていたのだ。ナポリ中央駅から列車に乗ってプローチダへの高速船がでる小さな港のすぐ近くに宿をとった。少しでも中央駅から遠い場所に居たかったし、少しでも海に近い場所に居たかったからだった。小さなホテルで、受付には女好きのイタリア男性がいて参ったが、部屋は悪くなく、そしてやはり何よりも、歩いてすぐに海があるのが嬉しかった。この辺りは旅行者が少なくて本当に良かった。それから近所に古いパン屋があり、そこに朝早くから街の人達が買いに行く様子が興味深かった。皆、焼き立ての長く角ばったパンを抱えて出てくる。それはこの街特有のパンでずっしりと重く、中は柔らかく外側はパリパリ。ほんの少し酸味のあるものだった。いい匂いが店の外にも溢れていた。それからその先の歩道には移動青果店があって、私はそこで美味しい桃を手に入れた。私がボローニャから来たと知るなり店主は言ったものだ。こんな美味しい桃はボローニャにはないだろう。確かに、ホテルで桃に齧り付いたら、あまりに美味しくて笑いが止まらなかった。夏の桃の季節にだって、こんな美味しいものは食べたことがなかった。翌日青果店へ行ってまた桃を買った。おじさんの言う通り、本当に美味しかった、と桃を称賛するとおじさんは言ったものだ。桃だけじゃない。ナポリの果物も野菜もイタリアで一番さ。どの街の人も自分の土地の生産物を自慢するものだけど、この件に関しては全く本当だと思って大きく頷いた。あの店、どうしただろうか。今も美味しい桃が手に入るのだろうか、ナポリでは。雑然としていて物騒で、道は汚れていてどうしようもないけれど、だけど人情があって情緒があって美味しいナポリ。私は案外好きだ。

夕食の後に桃を食べたら、確かにもう、旬は過ぎているようだった。店の人も言っていたけれど、これからは林檎、林檎がいい。ポルチーニを探そうと思っている。涼しくなっくてこれからは、料理も食事も楽しい季節。
 



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独り言

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急に夏が終わった。もう日差しも夏のものではないし、何しろ空気の匂いが違う。半袖シャツに麻のジャケットを着て家を出た。少し前なら暑苦しくて到底できなかった装い。その麻のジャケットだって、あと10日もすれば季節はずれに思える筈だ。今朝の冷え込みは12度で、もう少し暖かいジャケットにしようかと思ったくらいだから。でも、昼間は20度を超えるから、軽装をもう少しだけ楽しみたいと思っている。麻のジャケット、丈が短めのカラーパンツ、足首を出してモカシンシューズを履いて。

日が暮れるのがめっきり早くなって、仕事帰りの寄り道時間が少なくなった。同じ19時でも空が明るいとまだまだ時間があると思うのに、空が暗いと早く家に帰らなくてはと思うのは何故だろう。でも日没時間のせいばかりではあるまい。ここ2年ほど、私は寄り道が少なくなっているのだ。それは言い換えれば家で料理をすることが多くなったということで、そして家にいる時間が楽しいということでもある。だから決して残念ではなく、こういうのも悪くないと思っている。
先日、久し振りに元フランス屋の店主の新しい店に足を運んだ。夏の暑い時期はワインをあまり頂かない私は、店から足が遠のいていたのだ。だから店に入るなり店主が驚きの声で迎えたものだ。シニョーラ、元気だったんですか。私は勧められるままにカウンターの席に腰を下ろし、互いの夏の話に花を咲かせた。ひとり知らない客がいた。いや、前の店で見た事がある。確か見かけより若く、店主の幼馴染だ。ということは私と同じ年齢で、いやああ、彼と私が同じ年なのかと一瞬落胆してしまうほど老けている。見かけによらず地に足をつけて生きている彼は自力で切り開いたビジネスで成功を収めているらしく、感心な人だった。イタリアには親からの資産を受け継いで、それを運用して生計を立てている人は案外いるが、彼のように親からの何かがあるわけでもなく、試行錯誤と努力で富を得る人は多くない。彼の話は興味深く、同じ年でも彼のように何かを築く人もいれば、私のように国を転々として手の中には一掴みの何かしかない人もいるのだなあと思った。まあ、私はそんな人生を自分で選んだわけで、縛られずに割と自由にやってきたから、私の選択の自由と生活の自由を羨ましいと思う人も、世の中にはひとりくらい存在するに違いない。そういえば前の店で会った時は店内に置いてあったジュークボックスから古いアメリカの音楽が流れるなり、皆で一緒に歌ったっけ。あれ、シニョーラこの歌知っているの?勿論よ、私は12歳だったもの。そう答えて、ひょっとして何年生まれ?なんて話になって、なーんだ、同年齢なんだねと互いに驚いたものだった。私は彼をずっと年上だと思っていたし、彼は小柄な東洋人の私を年下と思っていたから。
ところで話をしているうちに1970年代後半に流行ったモーダの話になった。彼らがこうしたことに関心があることに私は驚き、そして思い出したのだ。ああ、彼らはイタリア人だった、美意識に関しては一枚上手の人達だった、と。
家に帰ってきてクローゼットから取り出した服。母から譲り受けた70年代後半の白と黒のシルクのジャケットだ。当時は流行っていた大きな肩パッドを取り外して、畏まった場所に出るときに着たいと思った。母のジャケット、大切なジャケット。でもクローゼットの中に眠らせておくのはかわいそうだから。今年の冬はお洒落に行こうではないか。

怖いほど外が静かな夜。みんな何をしているのだろう。





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