さよなら、8月。
- 2022/08/31 21:26
- Category: bologna生活・習慣
ここ数日の間、雨が降る降ると脅かされている。単なる脅しではなく、実際、昨夕は結構まとまった雨が降ったし、夜中知らない間に雨が降っているようだから、単に脅しとも言えないけれど。しかし、そういう訳で私は洗濯ができなくて、ああ、困ったものだと、一杯になった洗濯籠を眺めては溜息をつくのだ。もともと私は洗濯が好き。これは母親譲りであろう。そんな私だから、数日洗濯ができないのが苦痛なのだ。節水、節電を推奨されている世の中だから、これでいいんだよ、君、と相棒は言うけれど。そうそう、そのエネルギーの節約はイタリアばかりでなく欧州全体の深刻な問題。テレビをつければそんな話ばかり。ストレスが溜まると言ったらない。真冬でも室温設定は19度にとか、家電を使うのは夜の時間帯にとか。勿論それらの助言は最終的には私たち消費者が目が飛び出るほど高額の請求書を受け取らない為である。これらのエネルギーの価格沸騰で多くの人が商売を畳もうとしているらしい。ヴェネツィアのホテル。ガラス細工の工房。陶器工場。それから。それから。こういう報道を耳にするたびに、私は何とも言えぬ苦悩に包まれるのだ。
今日はバスの乗り継ぎが抜群で、家に早く帰ってきた。それでいつもは土曜日にしか立ち寄れぬクリーニング屋さんへ行き、頼んでおいたものを引き取りながら話をしていたら、女主人の口からとんでもない言葉が飛び出した。10月31日を最後に店を閉めると言うではないか。もう隠居生活をしてもおかしくない彼女ではあるが、先日まだまだ働くと言っていたから、この店は暫く安泰、私は当分クリーニング屋さん難民にはならないと安心していたというのに。えっ。と言葉を切って口をつぐんでしまった私に彼女は言った。もう疲れてしまってね。それはそうだろう、70歳くらいだから。洗濯したりアイロンかけたり、とにかく一日中立っているのだから。でも、その背後には光熱費の沸騰が絡んでいるのではあるまいか。そんな予感を抱えながら、私は彼女に気の利いた言葉もかけられずに、店を出た。家に帰ってきてようやく実感がわき、あれこれ考えた。店を続けるには値段を上げなければならないだろう。そして値段が上がれば客は離れていくのだ。女主人は考えて考えて決断したに違いない。元気な限り仕事を続けたいと言っていた彼女。疲れたのは身体ではなく気持ちかもしれない。大手のチェーン店のような低価格は設定していないけれど、丁寧な仕上がりで大好きな彼女の仕事。確かにこのところ値上げが続いて持ち込む量を減らしていたが、最後のふた月、たっぷり働いてもらおうと思う。9月の終わりには夏物をすっかり預けて、来夏のために綺麗にして貰おうと思っている。そうして最後の日を迎えたら、花束を持っていこうと思っている。
それにしたって今後はどうしたらいいの。彼女のような丁寧な仕事をしてくれる人、どこかに居ないかなあ。
さよなら、8月。今日で8月は終わり。気持ちが一区切りついたような、名残惜しいような。良い9月になればいいと思っている。