さよなら、8月。

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ここ数日の間、雨が降る降ると脅かされている。単なる脅しではなく、実際、昨夕は結構まとまった雨が降ったし、夜中知らない間に雨が降っているようだから、単に脅しとも言えないけれど。しかし、そういう訳で私は洗濯ができなくて、ああ、困ったものだと、一杯になった洗濯籠を眺めては溜息をつくのだ。もともと私は洗濯が好き。これは母親譲りであろう。そんな私だから、数日洗濯ができないのが苦痛なのだ。節水、節電を推奨されている世の中だから、これでいいんだよ、君、と相棒は言うけれど。そうそう、そのエネルギーの節約はイタリアばかりでなく欧州全体の深刻な問題。テレビをつければそんな話ばかり。ストレスが溜まると言ったらない。真冬でも室温設定は19度にとか、家電を使うのは夜の時間帯にとか。勿論それらの助言は最終的には私たち消費者が目が飛び出るほど高額の請求書を受け取らない為である。これらのエネルギーの価格沸騰で多くの人が商売を畳もうとしているらしい。ヴェネツィアのホテル。ガラス細工の工房。陶器工場。それから。それから。こういう報道を耳にするたびに、私は何とも言えぬ苦悩に包まれるのだ。

今日はバスの乗り継ぎが抜群で、家に早く帰ってきた。それでいつもは土曜日にしか立ち寄れぬクリーニング屋さんへ行き、頼んでおいたものを引き取りながら話をしていたら、女主人の口からとんでもない言葉が飛び出した。10月31日を最後に店を閉めると言うではないか。もう隠居生活をしてもおかしくない彼女ではあるが、先日まだまだ働くと言っていたから、この店は暫く安泰、私は当分クリーニング屋さん難民にはならないと安心していたというのに。えっ。と言葉を切って口をつぐんでしまった私に彼女は言った。もう疲れてしまってね。それはそうだろう、70歳くらいだから。洗濯したりアイロンかけたり、とにかく一日中立っているのだから。でも、その背後には光熱費の沸騰が絡んでいるのではあるまいか。そんな予感を抱えながら、私は彼女に気の利いた言葉もかけられずに、店を出た。家に帰ってきてようやく実感がわき、あれこれ考えた。店を続けるには値段を上げなければならないだろう。そして値段が上がれば客は離れていくのだ。女主人は考えて考えて決断したに違いない。元気な限り仕事を続けたいと言っていた彼女。疲れたのは身体ではなく気持ちかもしれない。大手のチェーン店のような低価格は設定していないけれど、丁寧な仕上がりで大好きな彼女の仕事。確かにこのところ値上げが続いて持ち込む量を減らしていたが、最後のふた月、たっぷり働いてもらおうと思う。9月の終わりには夏物をすっかり預けて、来夏のために綺麗にして貰おうと思っている。そうして最後の日を迎えたら、花束を持っていこうと思っている。
それにしたって今後はどうしたらいいの。彼女のような丁寧な仕事をしてくれる人、どこかに居ないかなあ。

さよなら、8月。今日で8月は終わり。気持ちが一区切りついたような、名残惜しいような。良い9月になればいいと思っている。




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自由思想

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週末にたっぷり休んだから、元気に新しい一週間を始めた。多くの人が休暇をお終いにして通常の生活に戻った今朝は、久し振りに交通渋滞になった。中には昨晩街に戻ってきた人もいるだろう、早々に渋滞にはまってうんざりしているに違いなかった。久しぶりに見る知人たちは感じよく日に焼けて明るい笑顔。良い休暇を過ごしたことが聞かなくても解った。休暇中に、ましてや旅先で体調を崩して寝込んだ人なんて私くらいだろう。まあ、そんなことから健康の大切さ、元気の有難さを改めて知ったのだから、全く無駄ではなかった筈だ。
たっぷり3週間休んだから、もう月の終わりである。いつだって月の終わりは公私ともに忙しいのに、この8月は桁外れに忙しい。どうやってこれを切り抜けようかと今朝から私の頭はフル回転。結局たどり着いたのは、何とかなるさ。そう、真面目にやっていれば何とかなるさ。

若い頃に飛び出して、したいことばかりしてきた私は、気持ちの年齢が止まりがちで、長い間、日本を飛び出した年齢で長いこと止まっていた。そんな人、他にはいないだろうと思っていたが、大変身近なところに居た。相棒のことだ。私より10歳年上の彼だが、彼もまたボローニャを飛び出した年齢で長いこと止まっていたひとりである。それだから相棒とアメリカで知り合った頃、あまり年齢差を感じなかったと言ったら、友人たちは飽きれながらも大笑いしたものだった。彼と私の哲学は根本的なところで異なっていると思っているけれど、友人たちが似たもの同士だと私たちのことを呼ぶのは、案外的を得ているかもしれない。
ストレートに言えばいい加減、よく言えば自由思想で愉しいことを追う相棒。互いに無いものに惹かれたのだとばかり思っていたけれど、そういえば昔の私もそんなだった。あまり先のことは考えなくて、今日を満たすことで精いっぱいだった。あまりに現実的で地に足をつけて生活することばかり考えるようになったのは、ボローニャに来たからなのだ。そうする必要があったと言うべきかもしれない。正直言ってアメリカでは自分を外国人と感じることはあまりに少なかった。何しろあの国では、そして特に私が居た街では、そんなことを感じる必要がなかったからだ。誰が私をじろじろ見るでもなくて。ところがボローニャに暮らし始めて私は急に外国人になった。外国人、特に東洋人が珍しかった時代に来てしまった私だ。何をしても多くの目が見ていて、ことあるごとに外国人て奴はと言われ、それがとても嫌だった。店に行ってもろくな対応をして貰えない。どうして。それって人種差別じゃない? 私はそう思っては此処に来たことを悔やんだものだった。そのうち分かった事がある。見るからに外国人でも、きちんとした装いで、堂々とした態度で、大きな声できちんと話をすると丁重に扱って貰えること。例えば煙草屋さんで郵便切手を買うだけにしても。今のボローニャは随分変わった。外国人も沢山居れば、東洋人は全く珍しくなくなった。だから私が通過したことを体験する人は少ないに違いなく、それを悔しいなあと思うよりは、良かったという思いである。あんな嫌な思いをするのは、私ひとりで十分。とにかくそんなことをしているうちに、私はガードが固くなり、自分を守るために昔の自由志向の自分を小さな箱の中に詰め込んで箪笥の奥にしまい込んでしまったのだ。自分が自分でないみたいだと時々思っていた。自分に魅力を感じないと言ったら言い過ぎだろうか。本当の自分は何処へ行ってしまったのかと、私は時々当惑して。方法がわからない。本当の自分を思い出す方法。取り戻す方法。
紐解く鍵は突然見つかるものだ。先日偶然耳にした曲は、80年代初期に私が好んで聴いたタイプの曲で、心が躍った。調べてみたら驚いたことに2020年の曲だった。時代や流行は繰り返すというけれど本当なのだ。繰り返す時代。私も。もうガードを緩くしてもいいと思う。誰に何を言われたっていいと思う。そろそろ私らしくで生活したいと思う。今の時代のボローニャならば、それは可能だと思うから。自分を辞める必要はないのだ。音楽や時代と同じように、私も繰り返せばよいだけなのだ。溢れだす本当の自分、もう止める方法が見つからない。
妙な人と言われるのが誉め言葉だったのは、アメリカに居た頃の私。人と同じで居たくないと思っていた。変わっているも誉め言葉で、ユニークも誉め言葉だった。目立たない海辺の一粒の砂になりたいと思うようになったのはボローニャに来たから。でも、もうこういうの、辞めようと思っている。

8月も数日で終わり。旧市街の店先のジャケットが暑苦しく見えなくなってきた。季節が移り替わろうとしているのを感じた今日。今夜は妙に静かだ。皆疲れたのだろうか、久し振りにいつもの生活に戻って。外を走る車も少なければ、開け放った窓から聞こえる声もない。聞こえるのは虫の声。そんな夜もたまにはいい。




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我儘娘

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明るい日曜日。雨が降ると言っていたが、これは外れるに違いない。生温い、緩い風。射るような太陽の日差し。多くの人が街に戻ってきて、外は昨日までと打って変わって賑やかである。やあ、帰ってきたんだね! まあ、あなた真っ黒になって! そんな明るい声が開け放った窓の外から聞こえてくる。みんな明日から仕事らしい。みんな普通の生活に戻るらしい。

先日、日本を出て31年が経った。アメリカで暮らしたいと思って飛び出したあの日、私を送り出した母はどんな気持ちだったのだろうと、これほど長い年月が経って初めて考えた。最寄りの駅に着くと母は車から降りることもなく、体には気を付けてと短く言って家に帰っていったのが、とても母らしかった。
私が学生を終えると母はすぐに私を独り立ちさせるべく家から出した。親元から離れて自分の力で生活することを学ぶようにと。母は私がアメリカに飛び出すことを長らく反対していたが、しかし、あなたはひとりで暮らすことも覚えたからと言って最後は背中をぐいと押してくれた時は、あのひとり暮らしがこんな形で役に立つ日が来るとはと、驚き、そしてあの日、母が私を家の外に放り出したことを感謝したものだった。私は大人になっても籠の鳥のように母に守られていた。母は私を外から守りたかったと同時に、別の形で私を守ってくれたのだと思う。親から離れて自力で生活できる娘になるようにと。あの頃の私は若くすべてが可能だと思っていた。夢は夢で終わらせないで実現するもの。そんな風に考えていた私は、前向きで力強く、しかし多分家族のことを顧みない我儘娘だっただろう。
アメリカへと飛び出したくせに数年後にはボローニャに暮らすようになった。予定が狂った訳で、苦悩した時期もある。波に乗れないどころか沼にはまったような生活に降参して、相棒を残して日本に帰ろうと本気で考えたことが一度ある。それを留まらせたのは母の、あなたは我儘すぎる、の一言だった。母は何も解っていないと私は憤慨したものだけど、あの一言がなかったら、もし母が帰っておいでなどと言っていたらば、私は今此処には居ないだろう。母は私を守るために、冷たい突き放すような一言で私を守ったのだと思う。だから今私がボローニャで相棒と一緒に居るのは、勿論私と相棒の努力の賜物だけど、母の冷たくて優しい一言、それを忘れてはならぬと思っている。
アメリカに飛び出そうと思っていた頃、しかしこれ程長く日本を不在にすることになるとは思ってもいなかった。長い年月が経ったものだ。何の実りもなくても時間は過ぎていくのだと呟きながら、あははと笑いが零れたのは、単なる我儘娘だった私が、少しは強くなった証拠かもしれない。

予定は狂ったが、ボローニャに来てよかったと今は思っている。そう思えるまでに長い時間がかかったけれど、それもまた自分らしいと思っている。




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親切

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嵐が来そうな気配である。それは前々から囁かれていたことだけど、今朝の快晴、穏やかな風を見た途端に、すっかり忘れてしまったのだ。だから今朝は近所のクリーニング屋さんに預けたものを引き取りに行って、それからやはり近所の食料品市場に桃を買い求めに足を運んだ。

食料品市場といっても開いている店はたったの一つで、だから沢山の客が待っていた。明日は日曜日だし、土曜日の午後は店を閉めるから、客が集中するのも無理がないというものだった。ようやく順番が回ってきて、美味しい食べ頃の桃を7つ、という私に店の人はくすりと笑った。普通客は黄桃をいくつとか、そういう注文の仕方をするが、私の場合は桃ならネクタリンでも白桃でも黄桃でも構わない。大切なのは食べ頃で美味しいことなのだ。通い始めた頃はこういう言い方をする客に店の人は当惑したものだけど、今は耳が慣れたようで、はいはいと言いながら袋に詰めてくれる、くすりと一瞬笑いながらも。桃のほかにもトロペア産の玉葱とダッテリーニトマトを注文したら、大きな袋に一杯になった。近頃は値上がりが著しいから、やれやれ、いったい幾ら請求されるのかと思っていたら、10ユーロにもならず、拍子抜けだった。店の人が言うには、先日の一件があるからだそうだ。
先日の一件というのは、私が食料品市場の入り口で歩くのがしんどそうな老女に声を掛けられたのだ。シニョーラ、お願いだから私のために林檎を2つとバナナを2本購入して頂ける?と言うのである。老女は心臓に手を当てていて、まるで心臓に問題があるような様子だった。私はそれで青果店に行き、自分の買い物のついでにあの老女のために林檎とバナナを2つづつと入口に立っている老女を指さすと、店の人は目をかっと見開いて言うではないか。シニョーラ、あの老女は放っておきなさい。頭がオカシクなっていて毎日此処にきては客に買い物を頼むのだけど、有難うどころか文句を言って、杖を振り上げて怒って、面倒なことに巻き込まれること間違えなしだから、と。それを聞いて残念に思った私は、親切も難しい世の中になったと店の人に言ったら、店の人は首を左右に幾度も振って、そのとおりだ、親切が難しい世の中になったのだと言って、買い物を終えた私があの老女と鉢合わせにならぬようにと、私を店の裏口から出してくれた。帰り道は複雑な心境だった。だいたい老女はどうしてそんな風になってしまったのだろう。さて、店の人はそのことをよく覚えていたようで、今日の買い物のうちの幾つかはおまけだと言った。あれから店の人も考えたのだそうだ。親切が難しい世の中について。それがどうして今回の買い物のおまけに繋がったのかは幾ら考えても解らないが、店の人曰く、親切なシニョーラ、とのことだった。有り難くおまけをして貰って家に帰ってきた。袋から取り出した桃のいい匂いなこと。大きな黄桃が5個。ネクタリンが4個。ダッテリーニトマトを半キロ。トロペア産の玉葱が4個。親切なシニョーラなんて呼ばれる筋合いはないけれど、随分お得な買い物だった。

降り始めた雨。午前中とは打って変わっての暗い空、そして遠い雷。植物は喜んでいるだろうか。乾いた地面も喜んでいるだろうか。私の火照った肌は涼しい空気を喜んでいる。この夏は少し暑すぎたようだから。少し涼しい週末を本を読んだりして堪能したいと思っている。




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乾杯

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昨日の心配をよそに、今日は元気に早起きした。正直のところ早起きに自信がなくて、それが心配で心配でよく眠れなかったのだが、とりあえず寝坊することもなく、遅刻もせずに仕事に行けただけでも良いと思う。休暇明け早々の遅刻はあまりにも格好悪いから。21日間も仕事から離れていたから、波に乗るのに苦労した。パスワードは忘れているし、ソフトウェアの操作の仕方も忘れていたし。あはは、我ながら凄いな、と笑いながら、しかし満足だった。何故なら休暇中は仕事からすっかり離れる、それが私の哲学だから。体調を崩して散々だったけど、この忘れ具合だと仕事からすっかり離れて気分転換をしたのだろう。

仕事帰りに旧市街へ行った。気に入りのジェラート屋さんはまだ休暇中で、気に入りのカフェも休暇中。彼らが戻ってくるのは9月の5日だそうで、まだ10日も先だと知ってがくりと肩を落とした。ところで此のジェラート屋さんはこの夏は特に外国からの客が多いと店の人が言っていたけれど、長い夏季休暇を知らずに訪れてがっかりした旅行者が多かったに違いない。9月に店を開けたら、今度は地元客がメインになるだろう。旅行者はやはり4月から8月が多いのだから。それは私にとっては少し嬉しい。もう少し静かで落ち着いたボローニャに戻ること。人混みや混雑が苦手な私には、地味なボローニャが似合っている。
旧市街は半分夏物、半分秋冬物。昼間はまだ30度にも上がるし、まだ夏季休暇の人達もいるというのに秋冬物だなんてと思うけど、モーダの世界は待っていてはくれないのだ。ショーウィンドウを眺めて、あら素敵なんて言って店に吸い込まれて買い物をする人もいるのかもしれないと想像しながら、自分はまだまだ秋冬物に心を向けることはできないと思い、ふふふと笑う。所詮私はモーダの世界の人間ではないのだ。秋冬物は10月になってから考えればいいなんて持っているのだから。

それにしも夜になるのが早くなった。夕食時はもう真っ暗で、月の姿のない今夜は特に暗く感じた。それにしたって金曜日。仕事に戻って気分もいい。お祝いをしよう、と相棒とスパークリングワインの栓を抜いた。久しぶりにワイン。夏場はワインを避けていたが、もうそろそろ良いだろうと思って。金曜日の晩に乾杯。穏やかな週末の始まりに乾杯。




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