丸いふわふわ

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金曜日の朝は眠い。特に昨日は昼からずっと頭痛だったから、眠いに加えてしんどかった。でも、何処かが悪いわけではない。此の不安定な気候のせいだ。今朝は快晴で雨が降る予報はない。だから眠くてしんどいけれど、気持ちはとても開放的だった、何しろ金曜日。夕方には週末モードに入るから。ところがところが、昼から雨が降り出した。それも酷い雨脚で、窓ガラス越しに眺めながら、なんてこった、と呟いた。これが本当に5月最後の日なのかと。飛沫を上げながら降る強い雨を眺めていれば、溜息が零れてしまうのも仕方がないというものだ。

今朝、ひな鳥を見つけた。丸いふわふわのひな鳥がアスファルトの上にうずくまっていた。すぐ近くの樹の上には親鳥らしき鳥が居て、ひな鳥をじっと見守っていた。多分ひな鳥は木から落ちてしまったのだろう。車の往来が多いアスファルトに置き去りにする気にはなれなくて、樹の下の草むらに置いてその場を去った。昼に様子を見に行ったらひな鳥は草むらから出てきた。足を怪我していた。それで知人と鳥を保護する団体に連れて行ったらば、ひな鳥は生まれて8日目、体重は87グラム、種類はカケスであることが分かった。保護団体の女性が両手で包む上げるとびっくりするほど冷たかったらしい。48時間が山場だと言うから、泣きそうになった。もしそれを乗り越えたら、元気になるまで其処に居て、飛べるようになったら野原に放つのだそうだ。私と知人はそうなることを願いながら、ひな鳥とさよならした。樹から落ちた小さな命。そんな簡単に無くなって欲しくない。生きているのは人間だって鳥だって同じなのだから。頑張れ、頑張れと思いながら家路についた。

散々雨が降ったから、折角上がった気温が下がった。明日がどうだろう。25度なんて素敵な予報が出ているけれど。軽快に散歩をしようと思っているから、空よ、よく聞いて頂戴、明日は雨降りは駄目よ。




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甘い匂い

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今日は少し薄着で出掛けた。素肌に襟ぐりの広い薄手のシルクコットンは、涼しくて気持ちが良かった。勿論風が吹いた時の為にストールとジャケットは欠かせないが、しかし流石に5月も終わり。寒がりの怖がりの私も、随分薄着になった。来週は6月。半袖姿にチャレンジしようと思っている。

昼間、外に出たら花の匂いがした。甘くて強い匂い。知人と何処で花が咲いているのだろう、なんの花だろうと首をかしげたが、此の匂いは知っている、馴染みのある匂いだと思った。職場を出て歩いていたら、その謎が解けた。菩提樹の花だった。職場の近くの通りには菩提樹が街路樹として植えられていて、その匂いがそこいらじゅうを満たしていたのだ。そして私が馴染みのある匂いだと思ったのは、家のテラスの横に大きな菩提樹の樹があるからだ。私の菩提樹がどれ程私を癒してくれるか。私の菩提樹、なんて呼んでいるが、実は階下の庭の菩提樹だ。私は其れを幸運と思っている、というのは秋になれば葉が落ちて、階下の住人は毎日落ち葉掃除に精を出さねばならないからだ。私は落ち葉掃除などせず、菩提樹を存分鑑賞することが出来る。これを幸運と呼ばずに何と呼ぼうか。
子供の頃、菩提樹の樹に憧れていた。とてもヨーロッパ的な印象の樹だと思っていた。シューベルトの菩提樹に聞き入りながら、意味の分からぬドイツ語の言葉に耳を傾けながら、私は菩提樹を目にする日を夢見た。だからイタリアに住んで、此れは菩提樹と誰かに教えて貰った時、泣きたいほど嬉しかった。光に輝く菩提樹の葉。風に揺れてさわさわ音を立てる菩提樹の枝。今の家に住もうと決めたのもテラスの横に菩提樹があったからと言っても過言ではない。
今年は何時までも暖かくならず、菩提樹の花が咲く季節であることを忘れていた。それは相棒が燕が飛び交う季節であることを忘れていたのによく似ている。季節の感覚が狂っていた私達は、こんな形で季節を思い出すのである。
それにしても菩提樹の花は何て匂いが強いのだろう。

今日は昼からずっと頭痛だった。酷い頭痛で薬を飲んだのに止むことはなかった。気候のせい。何処かで雨が降っていたせい。此の不安定な気候を乗り越えれば初夏。すぐ其処まで初夏が来ている。




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いい場所見つけた

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テラスのジャスミンが今頃になって満開。もう5月も終わりだと言うのに。他所のうちのジャスミンは4月終わりには咲いていたと言うのに、うちのジャスミンは先週咲き始めた。それにしても見事である。これほど沢山花を咲かせたのは初めてのこと。それに触発されたのか、既に花を咲き終えた別の種類のジャスミンが再び咲き始めた。面白いと思う。植物同士で刺激し合っているようで。今、うちのテラスは緑で沢山。茗荷の葉も負けてはいない。この調子で今夏も沢山茗荷を収穫できれば良いと思う。

昨冬12月に相棒から貰ったカード・クルトゥーラ。これがとても活躍している。ボローニャの多くの美術館、博物館に無料で入場出来る、若しくは割引になるカードである。このカード、一年有効で25ユーロだった。ひとつひとつの入場料はそれほど高くはないのだ、ボローニャは。けれど、気に入ると幾度も足を運ぶ性格の私は、12月以来あちらに3回、こちらに2回と言った具合で、かなり利用している。25ユーロはとっくにクリアした、という私の言葉を相棒は喜んでいるようだ。これから暑い季節になると、ますます利用が多くなる。館内は大抵涼しくて、気持ちが良いものだから。それに夏場は街を脱出する人が多いから、ボローニャの美術館、博物館は思いのほか空いているのである。これがフィレンツェのような街だとそうはいかない。一年通して旅行者が多く、数多くある素晴らしい美術館は何時だって訪問者で一杯なのだから。
先日、中世博物館に遂に足を運んだ。何故今まで行かなかったと言えば、この博物館の開館時間が微妙であること、そしていつもながら何時でも行けると思っていたからなのである。さて、中に入ってみて驚いたのは年配の人が沢山働いていることだった。60歳前後の係員が沢山居て、そしてとても礼儀正しく親切である。外国人にはゆっくりの口調で英語で話しかけてくれる。私もまた、見るからに外国人だから、英語で話しかけられたけど、イタリア語でどうぞと私が返すと、ああ、よかった、ならばもっと上手に説明が出来ますと言うので、私達は顔を見合わせて笑った。小さな部屋が沢山あって迷路のようだった。ある部屋に入ると壁にごつい大きな石が埋め込まれていて、不思議な雰囲気を醸し出していた。それをまじまじと眺めていたら後ろから声を掛けられた。年配の男性係員だった。あまり近寄らないようにと注意されるのかと思えば、此れはオリジナルの壁でね、とのこと。私が関心を持って眺めていたので、説明をしたくなったらしい。あの穴はどうしたのかと訊く私に、この建物は要塞だったこと、あの穴は周囲の様子を監視するための穴だったことを教えてくれた。こんな調子でどの部屋で鑑賞しても係員が話しかけてきて、実にユーモアで温かい、中世博物館であった。訪問者の少ない中世博物館。ストレスが溜まった時に気持ちを休めるのに丁度良い場所だと思った。いい場所見つけた。多分此処にも数回足を運ぶことになるだろう。

こんなに良い天気だったから、今日は雨に開放された一日と思っていたのに、夕食中に雨が降った。それも結構な降り方。熱帯雨林地方によくありそうな雨だった。私の知人が樹のある所に雨が降る、樹は雨が必要だから雨が近寄って来るのだと言って私を笑わせたものだけど、最近、成程、そうかもしれない、と思うようになった。それを土台にして考えるなら、この雨は家の周囲にある栃ノ木、アカシア、菩提樹の為の雨なのだろうか。ならば雨に有難うと言うべきなのかもしれない。




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時代の流れ

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最近夕方になると雨が降るので今日もそんな天気になるのだろうと思っていた。そのために雨に濡れても平気なスニーカーを履いてきた。準備万端だった。ところがところが思いがけず明るい夕方になって、真っすぐ帰るのが勿体無くなり旧市街へ行った。旧市街をぐるりと囲む環状道路から街の中心の2本の塔までの道をバスが通らなくなって随分と発つ。そのせいで通行人も減り、この通りに面して連なる小さな店は商売あがったり。しかしそれも季節が良くなるにつれて歩く人が多くなった。少しこの界隈の活気が戻ったように思っているのは、私ばかりではあるまい。この通りの中頃に、古い小さな店がある。店の名前は写真の家。昔、まだデジタルカメラなど存在しなかった頃、この店に足を運ぶ人は多かったに違いない。私が写真を撮り終えたフィルムを持ち込んで現像して貰ったように。今は閉まっていることが多く、店の行き詰まりをうっすら感じる。時代の流れ。フィルム写真を撮るのが好きな私も20年ほど前からデジタル化しているように、多くの人がフィルムカメラを使わなくなっただろう。淋しいと思う。今は旬の事柄も時代が移り変わる中でこんな風に置き去りにされてしまうのだろうか。世の中とはそんなものだと割り切るのは、少し残念だと思った。

夕方の空に燕。そしてに日の暮れが近づくと蝙蝠。まだ少し涼しいけれど、初夏。ボローニャの一番良い季節到来。




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好きな街がある

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雨の降らない月曜日。月曜日はやはり雨など降らないほうがいい。それでなくても週明けはいつもの生活リズムに戻るのに苦労するのに、雨など降ったらどうしようもない。術を失くす、そんな言い方が似合う。午後、気温が上がって少し汗ばんだ。もっともそれは私のことで、周囲の人達はとっくに汗ばんで半袖姿である。皆より一歩も二歩も遅れている、多分それが私なのだ。それでよいと思っている。背伸びして皆に合わせるのは私らしくないと思う。私は私。私らしく行こうといつも思っている。

昨日からヴィエンナのことばかり考えている。ヴィエンナを初めて訪れたのは、15年以上も前のことだ。8月のことで、ブダペストに行く前に立ち寄った。2,3泊したはずだ。そして列車に乗ってブダペストへ行った。あの時の印象がとてもよくて、そのあと12月に再び訪れた。そしてその印象が大変良くて、また。そんな風にして私は多分5,6回ヴィエンナに行っている筈だ。もう良いのではないか、充分ではないかと周囲の人は言うけれど、少し経つとまた恋しくなる。私とヴィエンナの関係は言葉に表すことが出来ない不思議な関係。美術館が好きだ。それから街並み。街並みは何処を見ても目新しく、イタリアにない色合い、形、印象、音を見つけては感嘆の溜息をつく。それほど好きだけどヴィエンナのカフェの店員だけはどうしても苦手。もし私がドイツ語を話す客ならば、もう少し対応が異なるのだろうかと思う。イタリアでは探しても見つからない、素っ気ない口調の店員が、それがヴィエンナらしいのかもしれないけれど。昨夏は私の好きなクンストハウスが改装修復工事か何かで閉まっていた。其処を訪れるのをいつも楽しみにしていたから、残念だった。多分それが不完全燃焼の原因に違いない。私はまたもやヴィエンナに行きたい病にかかっている。この夏はアントワープ、来夏は日本へ。ヴィエンナが割り込む隙間は今のところ、ない。でも私は知っている、そんなことを言いながら多分小さな隙間を見つけて飛行機に飛び乗るに違いないことを。
好きな街がある、行きたい場所があるのは幸せ。私にとってヴィエンナは、そんな場所。

小雨が降り始めた。アスファルトが黒く光っているに違いないが、それを照らす月が不在の晩だ。やはり雨が降ってしまった月曜日が、私の気持ちを重くする。




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