心に響く
- 2012/01/30 05:11
- Category: bologna生活・習慣
私にとって金曜日とは、とてもじゃないけど真っ直ぐ家に帰る気分にななれない日である。一週間存分に働き、家に帰れば家のことがあってめまぐるしい毎日を上手く乗り越えてきた自分へのご褒美の日と言っても良く、それだから夕方に友達と待ち合わせしてみたり、相棒といつものバールに立ち寄って時間を気にすることなく人々と話をしたりワインを頂いたりするのである。それなのにこの金曜日は急に家に人が来ることになり、大急ぎで家に帰らなければならなかった。がっかりだった。けれども昨年末から一日も早く来て欲しいとお願いしていた修理屋さんだったので、仕方が無かったのである。大急ぎで家に帰ると直ぐに修理屋さんが来て20分もすると完了して帰っていった。時計を見たら19時にもなっていなかった。いつもの私ならこの時間に改めて外に出掛けるのは面倒臭いと思うのだけど、この日に限ってはまた外に出たくなって相棒とふたりでいつものバールを目指した。このバールはボローニャ市内のあるので帰ってきた道を逆戻りすることになる訳なので、そうまでしても行きたかったのはどうしてなのだろうと不思議に思いながら。しかもこんなに寒い晩に。バールは混んでいた。金曜日だからだった。金曜日は私同様に一週間お疲れ様とバールに立ち寄る人が多いのである。カウンターへ行くとジーノが居た。今でこそ彼の名前を知っているが長いこと私はトリュフの名人と呼んでいた。彼が若かった頃、つまり50年も前のことだけど、アペニン山脈でトリュフを収穫して一旗上げたからだった。ジーノは多分80歳くらいで独り者だ。たぶん昔に連れ合いを失って、それ以来独りなのだと思う。これは単なる私と相棒の想像で本当のところはわからない。知り合った頃は彼が話すボローニャ語がわからなくて、彼も私が話すイタリア語がわからなくて、互いに何度も聞き返さねばならなかった。それがいつの間にか互いの話し言葉に耳が慣れて聞き返すことも無くなった。私たちの共通点はトリュフが好きなこと、犬が大好きなこと、それから個人的なことに踏み込むことなく尊重しあう精神だ。ジーノはカフェイン抜きのカッフェを頂いているところだった。彼はこの直ぐ近くに住んでいて、夕食を済ますとこうしてこのバールでカフェイン抜きのカッフェを頂くのが日課なのだ。チャオ、ジーノ、と声を掛ける。すると、金曜日だからきっと来ると思った、金曜日だから赤ワインがいいんじゃないか、と彼が言う。私は頷いて店の人に赤ワインを注文した。その隙に彼が自分が注文したカッフェと私の赤ワインを支払おうとしたので、年金生活者に奢って貰うなんてとんでもないことだと言わんばかりに私が手で遮ると、彼は嬉しそうに笑って言った。だって僕らはよい友達なんだから。つまり友達なんだからたまには奢りたいんだよ、と言うことらしかった。この言葉は私の胸に深く入り込んだ。嬉しかった。私は彼の単なる知り合いだと思っていたから。単によく見かける東洋人、くらいの。感動したのは私だけではなかった。それを耳にした店の人も、周囲に居た人達も。何故ならジーノは今まで誰に奢ることも無かったし、友達と呼ぶ相手も居なかったからだ。後からそんなことがあったことをその場に居なかった相棒に報告すると、目を丸くして驚いた。友達かあ。いいな、君は彼の友達に昇格したんだね、と。そう、昇格したのだ。友達ってなんて良い響きなのだろう。心に響く言葉。昔、彼は犬を二匹飼っていたそうだ。その犬たちと山にトリュフを採りに行ったらしい。今は犬の居ない独り暮らし。だからバールや道で犬を見掛けると目を細めて優しい笑顔になる。犬はいいぞ、主人に忠実なんだ、と言って。犬も彼の犬好きがわかるらしく、尻尾を振って足元に絡みつく。いつか、そう、いつの日か私が犬を飼うことになったらば、一番先に彼に犬を紹介することにしよう。だって私たちはよい友達なんだから。温かい気持ちになった金曜日の晩だった。