さよなら、7月。

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7月最後の日。なかなか蒸し暑い一日だったが、夕方遅く雨が降って益々湿度が上がった。例えば肌がべたつくような感じ。こういうのが苦手な私は決して亜熱帯、熱帯雨林の国には暮らすことが出来ないだろう。運が良かったのは家に帰っていたことだ。遠くで雷が鳴り響くと案の定猫は床を這うように退散して姿を消した。そうして降り始めた雨。地面の匂いが立ち上り、私を遠い昔に連れて行こうとした。雨に濡れて立ち上る地面の匂いは私の子供時代、思春期の記憶につながるのだ。何の心配もなかった子供時代。大好きな男の子と手を繋いで歩いた思春期の頃。そういうことをこの匂いで思い出すのだから、記憶というのは不思議なものである。そのうち雨がやんで空が晴れたら虹が出た。久しぶりの虹だった。そして暗くなると満月を明日に控えた美しい月が姿を現して、きっとうまく行くよと言っているように思えた。小さな上手くいかない色々があるここ数日溜息のひとつもついてしまうが、月が空から応援してくれていると思えば何とかなる。そうだ、きっとうまく行く。

バスの中から旧市街の様子を見て驚いたのは個人商店が軒並み休暇に入ったことだ。木曜日の午後でもないのに何処もがシャッターを下ろし、四角い張り紙を残していた。バスの中からは読むことが出来ないけれど、恐らく何時から何時まで夏季休暇、なんてことが書かれているに違いないのだ。花屋も宝石店も下着屋もバールも。その先のクリーニング屋も自然薬局も衣料品店も。まるで申し合わせたようにシャッターが下ろされているのには驚いた。景気が良い証拠なのか、それともその反対なのか。多分景気が良いのだろう、そういうことにしておこう。
ところで行きつけのクリーニング屋も先週末からひと月の休暇に入った。先週金曜日に頼んでおいたものを引き取ろうと仕事帰りに立ち寄ったら、閉店時間でもないのにシャッターが下りていて驚きだった。電話を掛けてみたら、用事があって店を提示より早く閉めたのだと言う。当惑する私に店の人が提案した。クリーニング屋の隣のバールに預けておくから月曜日に来たら、と。そんな話前代未聞で耳を疑ったが、バールの店主をよく知っているらしく、大丈夫、大丈夫とのことだった。それで今日、仕事帰りにバールに立ち寄ってみた。あのー、クリーニングを引き取りに来たんですけど。恐る恐る言う私に店主らしき男性は一瞬呆然として、居合わせた客も呆然として、実に気まずい空気が流れた。ほら、こういうことになると思った。そう思いながら自分の名を述べると、ああ、シニョーラ、あなたでしたかと言って店の奥から私の名が大きく書かれた白い袋をとってきてくれた。そのまま受け取って店を出る手もあったけど、全然関係ないバールが隣の店に頼まれて預かりものをしてくれたのは親切以外の何物でもない。それで冷たいものを注文することにした。桃のジュースに炭酸水を注いで貰ってごくごく飲んだら涼しくなった。代金を払って店を出ようとしたら、もう私の名を覚えてしまったらしい店主と客が別れのあいさつと一緒に私の名前を大きな声で言うのには参った。平凡な苗字なのだ。覚えて貰って嬉しいような、恥ずかしいような。まあ、嬉しいことにしておこうか。

さよなら、7月。素敵な7月だったと思う。あえて言うならもう少し、涼しいほうが良かったな。明日の朝にはこんにちは、8月。いよいよ夏季休暇を目の前にして、私の心は舞いあがる。




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夏だなあ

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7月もあと少し。明日には7月が終わってしまう。昼間の日差しは射るように強く、路に落ちた影の濃さに驚きながら、ああ、夏なんだなあと思うのだ。平日の昼間は職場に籠っている私にとって、週末は喜び。家に居てもテラスに出たり眺めたりと外の空気に触れることが出来るし、気が向けば外に出ることもできる。自由が喜びなのかもしれない、つまり。そしてこの自由も、自由にならない時間があるからこそ嬉しいことを私は知っている。26年前の秋のはじめにローマの仕事を辞めてボローニャに帰ってきてからの4年間は定職につけなくて自由時間ばかりだった。あの4年間のことは正直言ってあまり覚えていない。覚えているのは自由である喜びを嚙みしめることがなかったことだ。だから仕事を続けられる、なんだかんだ言いながらも大抵のことは乗り越えながら。

最後の帰省は3年前だったと思い込んでいたが、もう4年前のことであることに先日気が付いた。驚き。そうか、もうそんなに月日が経っていたのかと。途中でコロナがあったから、すっかり計算が狂ってしまったらしい。今年の夏は帰って来るのかと母に訊かれたのは春の始まりのことだったと思う。ううん、今年は帰れない。私はそう短く答えたけれど、母はどんな気持ちだっただろう。昔から、母は帰っておいでと言わない人だった。だからそれほど娘を恋しくないのだと思っていたが、言わないだけだと気が付いたのは10年ほど前のことである。その証拠に久し振りに娘の顔を見る母の表情は嬉しそうで、私がイタリアに戻る時の母は言葉にこそしないけど寂しげだから。
今日はあまりに汗を掻いて、それほどの暑さでもないのに汗を掻いて疲れたので、頭の中に浮かんだ鰻の蒲焼で心がいっぱいになった。ああ、鰻。鰻と言えば必ず思い出すのは父方の親戚。私達があまりに小さい頃は家族みんなで、姉が中学生になると私とふたりで電車を乗り継いで遊びに行った。親戚の家の近くには注文を受けてから鰻を焼く美味しい店があって、私達が到着する日の夕食は必ずそれだった。こんな美味しいのはあなた達の界隈には手に入らないでしょう、というのが叔母の口癖で、母はそれを言われるのをとても嫌いだったようだけど、事実だから仕方がない。店先で、可愛い姪っ子たちが遠くから遊びに来たから飛び切り美味しのをお願い、と叔母が言っていたのを思い出す。あのセリフ。いつの間にか私に沁みついた。食料品市場や青果店の店先で桃やメロンを注文しながら、飛び切り美味しいのをお願いと口からついて出る時、あはは、あの日の叔母と同じだといつも思う。お願いされる側は決して嫌な気はしないらしく、腕によりをかけて美味しいのを調達してくれるのだから、叔母には良いことを教えて貰ったと思っている。8年くらい前、目黒の展示会を見に行ったついでに叔母が暮らしていた大岡山という街に立ち寄った。20年も前に叔母たちは他界していて立ち寄る家もないけれど。街並みは随分変わっていたが、小さな店が連なる様子は昔のままのような気もした。駅前にあった、父と母が必ず足を止めて手土産の果物を購入した青果店も鰻を焼く店もなかった。当たり前かもしれない。もう何十年も前の話なのだから。でも残っている此の街の空気が嬉しかった。兎に角あの鰻の蒲焼を超えるようなものには未だに出会っていないけど、それでいいと思っている。叔母が注文してくれた美味しい鰻の蒲焼の記憶を大切にしたいと思っている。それは姉も同じらしい。何年か前の夏に姉と川越に鰻を探す遠足に出掛けた。蒸し暑い日で、時々雨が降って、遠足にはあまりよくない日だった。私達が古い小さな鰻屋さんに飛び込んだのは店の小さな窓から鰻を焼くいい匂いと煙、そして今どきあまりない木造一軒家だったからだ。その店の造りはどうやら小江戸と呼ばれるこの街の特徴らしかった。店の奥さんに鰻を焼くのに時間が掛ると言われて昔のことを思い出した。叔母が贔屓にしていた店もまた、時間が掛るから他の店をぐるりと回ってから頼んでおいた鰻を引き取りに行ったものである。暫く待って出された鰻の蒲焼の美味しかったこと。大岡山の鰻みたいだと言って姉と子供のように喜んだものだった。
来年はきっと帰省しようと思う。自分の為にも家族の為にも。そして誘ってみようと思う。何処かに美味しい鰻を食べに行かないかと。だけど日本がどんどん遠くなっている。航空券があまりに高くて。

昼寝をした。子供の頃から昼寝が好きでなかった私は、如何に眠くても如何に疲れていても昼寝出来なかったのに、この夏は昼寝をするようになった。週末の午後の習慣になりつつあり、それを相棒は喜んでいるようだ。こんな暑い季節は午後に少し眠ると言いと長年私に言い続けてきたが、私がそれを行動に起こしたことは一度もなかったから。どうした心境の変化なのか知らないけれど、多分身体が要求しているからに違いなく、それを私も良いことだと思っている。但し寝起きた後が宜しくない。起きた時の口の中の苦々しさは朝の起床時とは異なるもので、頭がはっきりしないのも朝とは異なるものである。これさえなければと思うけど、多分これが昼寝というものに違いない。何しろ私は昼寝の初心者。昼間に身体を横たえて眠れるだけでも良いとしよう。空を見上げれば大きな入道雲。夏だなあ。




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夏の記憶

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数日続いた爽やかな気候は終わりらしい。今日は夏らしい気候が戻ってきた。それでも午後に吹く風はねっとりと肌に纏わりつくようなものではなく、さらさらと剥き出しになった腕や肩を撫でて通り過ぎていく。有り難いことだ。少し前のあの息もできないような熱風が戻ってきたらどうしようかと思っていたから。いつの間にか暑さに弱くなった。それから汗を掻くと湿疹に悩まされるようにもなった。昔にはなかったこと。私の身体が年齢とともに変化している証拠。

7月ももうすぐ終わり。近所はとても静かで、多くの人が既に休暇に出掛けているのが分かる。休暇が始まっていない人も週末は海や山に出掛けているのだろう。私は猫は家に居て、窓から飛び込んでくる蝉の声に耳を傾けている。静かな土曜日が必要だった。来週の今頃は休暇先に到着している筈で毎日歩き放題だから、今週末はのんびりと深呼吸をしながら過ごしたいと思っている。先週末植え替えた茗荷は枯れることなく元気にしている。微風で茗荷の葉が揺れるたびに思い出すのは、32年前の夏のことだ。
アメリカで生活したいと4年間願い続けていた。母が反対しても行くと決めていたから準備は密かに始めていた。でも、反対を押し切っていくのは寂しいと思っていた。だから、母が其れもいいと思うと言ってくれた時の喜びは大きかった。そうして見せた私の渡航準備に母は驚いたものだった。母にとってひとりでは何もできない娘の私が、こんな風に色んな手続きをひとりで進めていたのだから。8月の渡航日を控えて7月は家に居た。少しでも家族と一緒の時間を過ごそうと思って。私が思春期を過ごした家。2階には姉と私の部屋があり、そしてミシンの部屋があった。縫物が好きな母が存分に服を縫うことが出来るようにと作った部屋だったが、一番使ったのは私だった。裁縫の知識がない私だった。すべてが自己流で、店先や誰かの服を見て気に入ると、型紙を作り、生地を手に入れて縫った。そんな私の姿を母は眺めながら、案外どんなこともこんな風に自己流に生きていく娘なのかもしれないと思ったそうだ。あれほど好きだった裁縫を辞めたのはどうしてだっただろう。その代わり昔母がそうしたように、知り合いのご婦人に服を縫って貰うようになった。布団屋を営むご婦人。布団屋なんてのは時間が沢山あってね、と仕事の合間に知り合いから頼まれる服を縫っていた。ご婦人に縫って貰った夏のドレス、どちらも膝小僧が出る丈で、生地は母と一緒に選んだ。小さな薔薇の模様の紺色の生地は華やかでエレガントだった。それから橙色の格子模様は若々しくて若い私にぴったりだった。仕上がりは上等で、縫って貰った私は勿論、縫ってくれたご婦人も大喜びだった。それをアメリカに持っていくと話すとご婦人はますます喜んだ。田舎町の一軒家。広い居間はキッチンに続いていて、風通しを良くするために開け放ったキッチンの扉の先で茗荷の葉が揺れていた。父と母が其処に植えた茗荷。夏の午後はこの光景を思い出す。私が思春期を過ごしたあの家は20年ほど前に売られてしまった。広い庭に生える夏の草をひとりで綺麗にするのが大変で、との母の言葉に反対することはできなかった。姉は結婚して家を出ていたし、父は他界したし、私は飛び出したきりだし。それでよかったのだと今は思う。私は残った記憶を大切にすればいい。

今日はゆっくり。ひとつづつ考える習慣を最近身に着けた。平日はあれもこれもが同時進行で頭の中の整理が難しいから、週末くらいはひとつづつ。ばたばたして折角の夏の休暇でダウンしてしまわぬように。外に出ずっぱり、社交が大好きで活動的だった頃の自分が見たら、今の私は静。でも動いていないわけではない。ただ深呼吸しながらゆっくり動いているだけだ。




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愉しいことを考えてみよう

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今朝は飛び切り涼しかった。17度。7月下旬にしては驚くほどの涼しさで、思わず開いていた大窓を閉めた。と言ってもそれが嫌な訳ではなく、寧ろ大歓迎。動いても汗を掻かない気候とは、なんて素敵なのだろうと、今日は幾度もそえらに感謝した。涼しい風が麻の緩いブラウス風船のように膨らませたかと思えば、さーっと抜けていく。汗を掻かない快適な気候。できればしばらく続いてほしいと思う。

今日はちょっと落ち込んだ。私は人に頼まれたりお願いされると大抵のことは文句も言わずに受け入れる。自分が困らない程度のことなら文句を言う必要はないと思うし、相手がそうして欲しいならば協力すればいいと思うからだ。だけど。今日はちょっと思うところがあった。いつものようにお願いされて、あれ?もしかして彼女ならば大丈夫、と思われているのかな、なんて。困ったときは私にお願いすればいいなんて思われているような気がして。信頼とか人望というよりは利用されているのかも、なんて。
こういう残念なことに直面している時は愉しいことを考えるのがいい。例えば10日もしないうちに始まる夏の休暇のこと。休暇先での予定はまだ決まっていない。いつもの如く、行ってから考えるのが私流だ。今のところざっくりと、散策と美術館、カフェとエノテカ、そんな風に考えている。それを知った周囲の人はあははと笑う、実に私らしいと。いつもは旅に出る前日の晩に簡単に準備をするけれど、今年は今週末に少し準備を始めてみようと思う。そうしたら気分が盛り上がって残りの数日をわくわくした気分で過ごせるかもしれないから。

ところで猫は感づいているようだ。少ししたら私が家を留守にすることを。大丈夫。たった一週間のことだから。それに相棒が残るから。決してあなたを独りぼっちにはしないから。




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涼しさ

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夕食後の片付けを終えてからテラスの植物に水をくべるのが日課だ。少し前まではその時間になっても30度を下らず、地球はいったいどうしたのかと嘆いたものだけど、今日はとても涼しくて25度。快適という言葉はこんな晩の為に使うのだなあと思った。10年前までは夏ともなれば山の友人のところにばかり行っていた。標高500メートル程度ではあるが確実にボローニャ市内よりも涼しくて、空気も澄んで気持ちが良かったからだ。夜空の下で頂く夕食は格別だった。何時までも終わらぬ夏の夜の食事。それは何時か読んだ小説の一行にも似ていて、ずっと続けばいいににと思った。それほど好きだったのに、いつの頃からか山に行かなくなった。それぞれの生活スタイルが変わったからで、それは仕方がないことというよりも、それもアリだと言うことだ。山は好きだ。ただ、ボローニャに暮らし始めてから長年山に通ったから、今は街の生活を楽しもうと思っている。

このところ仕事帰りに毎日旧市街に立ちよっているのには理由がある。来週は寄り道しているどころではないからだ。来週5日間働くと待望の夏の休暇。その前に済ませてしまいたい事があるから、寄り道などしている場合ではないのである。それで先週、今週と旧市街に寄って、結構愉しくやっている。今日は涼しくて寄り道日和だった。バスが旧市街に入ってすぐに下車したのは、ジェラートを食べたくなったからだ。衝動的に、である。暑い日よりも涼しい日にジェラート。案外そういうのが好きだ。いつものジェラート屋さんはこのところ大変混みあっているが、今日は奇跡的に先客がふたりしかいなかった。小さいのを注文して一番奥の小さなテーブル席に着いた。ここに座ると店を見渡すことが出来るから、最近此処にばかり腰を下ろす。と、店で働く若い女性に声を掛けられた。あと30分で仕事が終わるのよなんて言って。彼女も来週の土曜日には休暇に入るらしく、今からとても楽しみだと明るい笑みを放った。彼女の笑みはとても明るくて優しいといつも思うが、今日のは格別だった。彼女と知り合って1年くらいたっただろうか、互いに名前しか知らないが、今日は彼女が私に電話番号をくれた。彼女の休暇先と私の休暇先の情報を、帰ってきたら交換したいということで。私は自分のを教えなかったから、私が初めにアクションを起こさねばならぬと言うことになる。どんな情報を提供すればいいのか分からないけれど、まあ、休暇から帰ってきたら気軽にメッセージでも送ろうと思う。元気?休暇は愉しかった?そんな感じに。
ジェラート屋さんを後にしてポルティコの下を暫く歩いた。涼しい夏の夕方にポルティコの下を歩くのはなんて気分が良いのだろうか。この感じ、忘れていたなあ、と思った。そしてバスに乗って家に帰る前に食料品市場界隈のイタリア人おじさんの青果店でネクタリンとメロンを買い求めた。おじさん、美味しいネクタリンある? シニョーラ、僕のネクタリンはどれも美味しいよ。食べ頃のを選んでね、固いのは嫌いなのよ。そんな話をしながら、伯父さんはじっくり美味しいのを5つ選んでくれた。それからメロン。意外と安くて驚きながら勘定を済ませて袋を受け取ったら、重い。ずしりと重くて、参った。年々重いものが持てなくなっている。いや、重いものを持つのが嫌いになっているだけかもしれなかった。
おじさんが選んでくれたネクタリンは夢のように美味しかった。これは明日にでも立ち寄っておじさんに礼を言わねばなるまい。今年は桃がいまひとつと世間の人が言っていて、おじさんもまた今年の桃はねー、と言っていたが、ネクタリンはとても良い。ということでこの夏は大好きな黄桃、白桃のかわりにネクタリンを堪能したいと思う。いやあ、それにしてもおじさん、選ぶのが上手で驚いた。

あと8日働くと夏季休暇。これを嬉しくない筈がない。休暇のために働いているわけでないけれど、休暇が働くエネルギーの源のひとつであることは間違いない。少なくとも私に関しては。




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