人間付き合い

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風の吹く日曜日。しかし寒いわけではなく、春の生ぬるい風がボローニャの隅々にまで行き渡るような感じ。風に乗って大きなくもの大群が幾つも通り過ぎていく。雨雲ではない。初夏に良く見かけるような入道雲で、眺めているだけでわくわくする。日本のゴールデンウィーク気分である。私の覚えている4月の終わりは、何時だってこんなご機嫌な快晴だった。私が思春期の頃、アメリカ東部のロースクールに通う学生たちの装いが流行っていた。きちんとしていながきちんとし過ぎていないのが魅力だった。私と姉はそんなのがとても好きで、そんな服装で一緒に出掛けたものである。ロースクールに通っているわけでもないのにね、と言いながら。4月の終わりには少々早い半袖姿の私たちは、そんな格好では風邪を引くからという母の声を背に、逃げるように家を出たものだ。案の定午後の4時も回ると腕が冷たくなって、母の言うとおりだったと反省するのである。懐かしい思い出だ。多分姉はもう覚えていないだろう。

昨冬くらいから土曜日になると6人が集まるようになった。時間はいつも夕食時で顔ぶれは同じ。主催者は大抵一番若い女の子で、女の子と言っても既に32歳だが、真っ直ぐの長い黒髪の前髪をちょきんと短くした彼女は、女性というよりも女の子と呼ぶほうがぴったりだ。シチリアの血が流れるボローニャ生まれの彼女はゆっくりと話す。初めは外国人の私のためにそんな風に話しているのかと思ったのだが、其のうちそれが彼女の癖であることが分かった。性格も話し方ものんびり。彼女がたとえ怒っても、全然怒っているように聞こえない。私は其れを彼女の素敵な部分であると思っている。ところで私たち6人は皆異なった性格の持ち主で、好みもまた様々だ。別に珍しいことではないけれど、其の違いは驚くほどで、よくもまあ、そんな6人が毎週土曜日に好んで集まっているものだと笑ってしまうほどなのだ。其の中にヴァレンティーノという男がいる。私にあんた扱いされているが実は幾つも年上で、あんたなんて呼んでいる場合ではない。しかしそんな風に呼びたくなるには理由があって、大きな子供みたいな人なのだ。彼は釣りが大好きで、週末になるとフェッラーラ県の小さな港に止めてある自分の船に乗り込んで釣りに繰り出す。大抵恋人も一緒。恋人は釣りには全然関心はなく、船の寝椅子に横たわって海の太陽を一身に浴びながら本を読むのが好きらしい。そんな彼女をよそに彼は釣りに没頭する。誕生日やクリスマスのプレゼントは何がいいかと訊けば、釣り具と答え、宝くじで誰かが50万ユーロ当てたと聞けば、自分にそんな幸運が舞い込んだらば新しい船に買い換えるのになあ、と言う。3ヶ月も仕事を休んでふたりで大きな休暇を楽しみたいと横で夢見るように答えた恋人をよそに。思うに私の周囲に今まで釣り好きは居なかったようだ。そんなこともあり、釣り好きの彼の存在が実に愉快で、毎週土曜日に彼と彼の恋人がああでもないこうでもないと釣りのことについて語るのが面白くてならない。先日は大きなマグロを収穫しかけたらしい。しかし兎に角大きくて、もう少しと言うところで逃がしてしまったらしい。大きいってどのくらい大きいの?と訊ねる私たちに、其れは其れは自慢げに答えるのだ。70キロくらいの大物だったのさ。でも、何しろアシスタントが力不足で、泣く泣く逃がしてしまったのさ。力不足なアシスタントといわれた恋人もとても残念だった様子である。でもこの無駄な贅肉のない美しい女性がマグロの収穫の力になれと言うほうが無理な話であった。ああ、それにしても人間付き合いは面白い。自分の哲学からは考えられないような人が居ることを、私はとても嬉しく思う。皆同じだったらつまらないに違いない。みんな違うから良いのだ。それにしても私があんた扱いしている其の彼に、君は本当に変わっているなあ、と言われた私は複雑な心境なのである。私が変わっているのか、彼が変わっているのか。この件については追求しないほうが良いに違いないと思う今日である。


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よく歩いた道

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数日前、バスの窓から外を眺めていたら美しい藤の花を見つけた。藤棚なんてものは無く、橙色の朽ちかけた古い建物の壁に寄りかかるように育った藤の樹。その建物と同じ位の歳だとしたら、藤は65歳くらいだろうか。ごつごつとした骨ばった腕のような枝を四方八方に伸ばして、美しい花を咲かせていた。その様子は誇らしげと言ったらぴったりくる感じだった。昔は藤の花を、何て日本らしいと思っていたが、ある日から欧羅巴らしいと思うようになった。いつか鑑賞したフランス絵画に描かれた藤のせいだ。あの藤は見事で、夢の世界へと私を連れ込んでいったものだ。あの日から、藤を欧羅巴らしいと思うようになった。

今日は昼まで眠った。先週から酷く炎症している奥歯に対抗するために強い薬を飲んでいるからだ。薬の効果は抜群で炎症は治まりつつある、が疲れが酷くてたまらない。今日は祝日なので思い切り眠ることにしたのだ。昼まで眠っても身体は疲れていたが奥歯の機嫌が宜しい。近いうちに長い付き合いのある親知らずに別れを告げることになるだろう。歯医者がそう言っていたから。歯を刺激しないようにぬるめのカフェラッテを淹れて簡単な朝食をとった。今日はイタリア解放記念日。外は妙に静かで、行き交う車も少ない。皆何処へ言ってしまったのだろう。週末にかけての4連休で遠くまで足を延ばしているのかもしれない。そういえば最近、小旅行をしていない。折角の良い天気だ、日帰り旅行でも楽しみたい。しかし折角の良い天気も、昼過ぎでは仕方ない、とちょっとバスに乗って旧市街へ行くことにした。バスの終点まで待たずに少し手前で下車したのは、単なる気まぐれだ。人通りの少ない路地で暢気な散歩でもしてみようかと。実際人は居なかった。一体皆何処へ行ってしまったのか。歩きながら思い出した。2年前のこの祝日に、同じ通りを歩いたこと。あの日も天気が良くて、ひと気の無い路地を歩いた、皆何処へ行ってしまったのだろうと思いながら。2年前と違うのは、国民のこの祝日に実に対する気持ちが冷静になりつつあることだ。多分、戦争を通過した世代が少なくなりつつあるからだ。イタリアが解放されたとラジオで報道されたときの感激を味わった世代が少なくなっているからだ。2年前に町のあちこちに貼られていたこの日を祝う張り紙は何処を探しても見当たらず、ほんの少し淋しく思った。歩きながら藤の花を探したが何処にも無く、これもまた少し淋しく感じた理由だったかもしれない。探しているものが見つからない。それは肩透かしをされていると言うよりも、そっぽを向かれてしまったような、そんな時の気持ちに似ている。いつの間にか友人家族の家の前に来ていた。全くの偶然だった。窓でも開いているかと思えば、日除けが堅く閉じられていて家族皆で何処かに出掛けているようだった。娘家族が暮らすロンドンへでも行っているのかもしれない。そんなことを思いながら家の前を通り過ぎた。ボローニャに暮らし始めた頃よく歩いた道。友人の子供たちの手を引いて、よく歩いた道。この辺りは絶対変わらないと思っていたのに、予想が外れてこの辺りもまた他の界隈同様にめまぐるしく変化している。変わらないのは小さな埃っぽい骨董家具の修復屋と隣の食品店、斜め前の驚くほど小さな手作りパスタの店。それ以外は私の知らない店になった。角を右に曲がるとこの辺りでは有名なジェラート屋があり、暖かい気候に誘われて人々が吸い込まれていく。青林檎とチョコレートが美味しいので有名で、この2種類は油断すると直ぐ売切れてしまう。それにしてもこの店は閉店時間が決まっているのにジェラートが売り切れると店を閉めてしまう。初めて店に行った日がそうだった。まだ閉店時間じゃないのに!とショックを受けていたら店の奥から人が出てきて、すみません、売り切れたので店を閉めましたとわざわざ言いに来てくれたものだ。だからこの店には日中に行くのが良い。それにしても繁盛していて良いことだ。一瞬ジェラートを食べたくなったがふと奥歯のことを思い出して、駄目駄目、と首を振りながら前を通り過ぎた。

ああ、それにしても天気がよいこと。空気が暖かくて気持ちの良いこと。特別嬉しいことも無ければ楽しいことも無いけれど、幸せな気分で歩いた。イタリアが解放されたあの日も、こんな穏やかな天気だったに違いない。そんなことを思いながら。


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記憶

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久しぶりに姉からメールが届き、世間は春の連休が真近でうきうきしていると書かれていた。そういえばもう直ぐゴールデンウィークである。そんなことを考えていたら私たち家族が暮らしていた家の裏手の広々とした空き地が5月近くになると白いつつじの花が咲き誇って美しかったことを思い出した。それでそんなことをメールに書いて送り返したら、そんな昔のことを良く覚えているわね、と姉が驚いた。昔のことと言っても20数年前のことである。それどころか私にしてみれば、あんなに美しかった白いつつじの大群を姉は忘れてしまったのかと逆に驚いたものである。美しくないものは忘れてしまいがちだけど美しいものは何時までも心に残る。そういうものではないだろうか。私は姉から送り返されたメールを読みながら、それでは姉は覚えていないに違いない様々なことを思い浮かべた。例えば牡丹庭園を散歩したことや、私たちがまだ東京に暮らしていた頃の、私がまだ小さな子供で小学校へいくか行かないころに母に連れられて私たち3人で新宿御苑へ行ったことなど。それらは20年どころではなく更に遡った昔の思い出だけど、私は今でもよく覚えている。生まれて初めて見た大輪の牡丹の花が貴婦人のように美しかったこと。閉園真近だからと入園を断られたのを母が頼みに頼んで新宿御苑に入れて貰ったこと。その後で疲れたとか言ってぐずった私を宥めるために高野フルーツパーラーに連れて行ってもらったこと。そうだ、あの頃の母は新宿が好きで伊勢丹や高野によく足を運んだものだ。母が好きだったのは新宿であり、銀座だった。東京に生まれ育った母だったから、それはごく自然なことだったのかもしれない。私は母が大好きだったが、父のことも同じくらい好きで、他界してもう何年も経つ父との思い出を忘れてしまわないようにと、時々眠りに着く前に思い出すようにしている。そんなことを知ったら父は喜ぶだろうか。それともそんなことでもしなければ忘れてしまうのかい、と立腹するのかもしれない。人に優しい父のことだ、思い出してくれて有難うというに違いない。父は、そんな風に、人に感謝する人だった。私はそんな父を持った幸せな子供だった。姉からのメールで色んなことを思い出して嬉しくなった。それにしてもあの広々とした空き地は今でも存在するのだろうか。白いつつじの花の大群は今も保たれているのだろうか。あの家は父が他界するとひとりでは広すぎるからと言って手放してしまった。夏の草むしりが大変だからとか、家の手入れが大変だとか。私が思春期を過ごした家。もうあの家に帰れないと思うと少し淋しいけれど、それも時代の流れのひとつ。私の素敵な時代の記憶としてとっておけば良い。


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雨降り土曜日

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空がかち割れるような音がして目の前の女性が小さな悲鳴を上げた。ひゃっ。そしてそれが大きな雷音であることが分かった途端、もう一度、今度は先ほどよりももっと大きな雷の音が響き渡った。私は店の中にいて目の前にいる女性はつい先ほどあったばかりの店主だった。此処は旧市街のVia Santo Stefano。いつもならバスでさっと通り過ぎてしまう辺りにある小さな店で、何時の頃からかバスの窓の中から店の入り口を眺めては一度入ってみようと思うようになった。間口の狭い、うなぎの寝床のように奥の深い店。そんな印象だった。ワインを扱う店であること以外は何も分からなかったが、一杯飲み屋のような感じでもなければ、酒屋さんでもない。それだけは入り口の印象で理解が出来た。今日、この辺りを歩いていたのは全くの偶然で、単に歩く元気が残っていたからというしかない。そうだ、もし歩き疲れていたら、いつものようにバスで通過していたに違いないのだ。それでこの店の前に来たので中に入って軽い食事でもしようと考えたが、どうやら休憩時間に入るらしかった。時計を見たらもうじき3時だった。成程、それなら店が閉まっても仕方が無い。とまた来るからと店から出てきた店主に挨拶をして立ち去ろうとすると、まあ、そんなことは構わないの、ゆっくりしていくといいわ、と閉めかけていた扉を大きく開いて招き入れてくれた。店主が読み上げた幾つかのメニューから私は一番簡単に出来そうなものを選び出し、そして其れに合いそうな地元の赤ワインを注文した。暫くして食事が出てくると、店主は待たせてしまってごめんなさいね、何しろ注文を受けてから作るから、と詫びた。そしてゆっくりどうぞと言い残して奥に姿を消した。予想通り店はうなぎの寝床風で、しかし狭いと感じさせないモダンでシンプルな作りだった。其の空間はイタリアらしくなく、ひょっとして店主はアメリカに暮らしたことがあるのではないだろうか、と思わせるような自由で客を干渉しない雰囲気に満ちていた。私は30分ほど居座っていたようだ。勘定を済ませながら店主の休憩時間を蝕んでしまったことを詫び、そして先ほど思いついた質問をしてみた。彼女はアメリカに暮らしたことはなかったが、私がそんな質問をした理由を述べると、店がそんな雰囲気になっていることを大変喜び、嬉しいわ、有難う、と言いながら私の手を両手で包み込んで強く握った。私たちには女性であることとボローニャに暮らしていること以外、何の接点もない。しかし接点など不要なときもある。現に私たちは店に招きいれてもらってから勘定を済ませるまでの間に互いに好感を持ち合い、互いの名前を呼び合うようになったのだから。今月末には店で詩人の集まりがあるらしい。詩人の集まり? 驚く私に店主は嬉しそうに頷いた。どうやら店はこんな人達にも好まれているらしい。私たちはまた近いうちに会うことを約束して別れた。店の外に出ると雨。そういえば先ほど大きな雷が鳴り響いていたっけ。水飛沫をたてるほどの強い雨に路面が煙っていた。折角の週末に雨。しかし温かい雨。何か楽しい予感のする、今までとは違う雨。空を見上げると雲の向こう側の太陽が透けて見えた。良い季節になったものだ、雨ですらこんなに楽しいなんて。


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スカーフを巻いて

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驚くほど空の明るい水曜日。朝は何時だってほんの少し怠惰で憂鬱。目覚まし時計にたたき起こされて渋々ベッドから抜け出すのだが、空が明るいと少しなりとも気分が軽い。今日もよい天気になりそうだ。さあ、起きよう。などと思えるのは全く幸運なことである。単純な性格に生まれたことを私はとても感謝している。カッフェを淹れて牛乳を沸かす。いつもと何の変わりのない朝食だが、窓の外が明るいと食欲も湧いてくるものである。白いコットンのセーターにシルクのスカーフを首に巻きつけて家を出た。

スカーフはこの先週末に衝動買いしたものだった。ボローニャ旧市街を歩いていたら、あら、こんなところにこんな店が、と足を止めたのだ。懐かしい感覚の店。別に古臭いわけではなくレトロな感じなわけでもない。私がアメリカに暮らしていた頃に足を運んだ店に似ていたのだ。お決まりのものはなく、店主が好きで集めたものばかりが置かれている店というと丁度良く、ブランド物はひとつもない。値段はどれも手頃なものばかり。でも、決して安物ではない。店主と客が共通の好みをシェアする店、そんな匂いのする店。あの頃の私ときたら、何しろ夕方吹き始める海からの風が冷たかったから、冬であろうと夏であろうとスカーフなしでは外に出ることができなかった。さっぱりしたシャツにジーンズなんてシンプルな姿に、他の人が持っていない柄のスカーフを探し出しては首に巻きつけた。すると何となく洒落ていて街を歩いているとしばしば知らない人に呼び止められたものだ。素敵ねえ。そんな風にして。貧乏だったけどスカーフだけは沢山持っていた。どれもシルク製だったけど、どれひとつ高価なものはなかった。其れでよかったのだ。身分相応。そんな風に思っていた。さて、そんな懐かしい感じのする店は昼休みだった。私が散策する時間は大抵昼どき。だからいい店を見つけても中に入れないことが多い。私は小さなショーウィンドウに額を近づけて中をそっと覗いた。店内は狭く置くに小さな机があった。そこの店主が腰を下ろして、書き物をしたりするに違いない。それとも本を読んだりするのか。何しろ大通りに面しているわけではなく、人が多く行き交いするでもないこの辺りだ。客が入らない時間帯もあるに違いなく、暇な時間には本を読むこともあるだろう。そんなことを考えていたら右手に人が立った。店主だった。店主というには驚くほど若かった。手に鍵の束を持っていたのであなたの店かと訊いたらば、そうなのよ、中に入りますか、と彼女がいうので、それではと私は中に入ることになった。夏時間が始まったから今日辺りから昼休みなしにしようと思っていたのだが、ちょっと昼食に出かけていたと店主は話し始めた。私は話に耳を傾けながらあれこれ眺め始め、其のうちスカーフに目を留めた。魅力的な緑色のシルクのスカーフ。小さな白い羽毛の柄が沢山ついていて、ふわふわした印象が素敵だった。緑色に惹かれたが店主が首に巻きつけてくれたら印象が変わった。私の顔色に合わなかった。多分色白さんが似合うに違いなかった。すると店主が別のを手に取った。ねえ、これ。見た感じ地味だけど、首に巻くと印象が変わる筈。そう言って其れを私の首に巻きつけてくれたところ、店主の言うように其の地味な感じは肌の色や黒髪の近くに来ると印象を変え、ひと目で気に入った。薄手のシルク。肌触りが良くて、こんなに気に入って12ユーロ。支払いを済ませると店主は私のシンプルな装いが華やかになるようにと美しくスカーフを巻きなおしてくれた。私たちは暫くお喋りをして、また来るからね、また来てね、と挨拶を交わし、硬い握手をして別れた。

衝動買いしたスカーフはあの瞬間から私の二番目の気に入りになった。一番目は母が若い頃に愛用していた70年代の黄色とオレンジ色が交じり合った不思議ながらのスカーフで、いつもなら二番目はそのほかの諸々なのだけど、衝動買いの地味目のスカーフがそれらを追い抜いて二番目の座を獲得した。つまりかなり気に入っているということだ。ところで私が気に入ったのはこのスカーフだけではないようだ。あの小さな店も、あの若い店主とのお喋りも。


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