余裕

年が明けて以来、急に仕事も私生活も忙しくなった。先週から今週に掛けての忙しさは尋常でなく、それでも乗り越える必要に迫られれば人間なんでも出来るのだ、と改めて知らされた数日間であった。多分、何年も前の私だったらこんな忙しくて刺激的な毎日を喜び好んだに違いない。そうだ、5年前の私はいつも刺激を求めていたではないか。でも、そんなことも過ぎてしまえば夢と同じで今は刺激よりも時間的余裕を絶対的に支持する私は、ここ数日の忙しさで体力的にも精神的にも相当参ってしまった。いつもなら疲れた疲れたと呟きながら即刻家に帰るであろう私が、昨日はまだ薄明るい空に誘われて金曜日でもないのに旧市街へ足を運んだ。目的などなかった、ただいつもと違うことをしたかっただけだ。うんざりするほどの交通渋滞に大いに嵌りながら私の乗る14番バスは旧市街に入ってゆく。いつもと同じ道、いつもと同じ風景。でも詰まらなく見える。何で旧市街に来てしまったのかな、思いながら2つの塔の近くでバスを降りた。目的もなくただぶらぶら歩いて、早くも春物が飾られた店のディスプレイを次々に見て歩いただけだ。いつものカフェに入ろうとしたら凄い混雑で一瞬のうちに入りたい気持ちが萎えた。気分がこんな時は小さなことすら思い通りにならないことが多い。来なければ良かったと思いながら急ぎ足でPiazza Maggioreを横切ったとき、あっ、なんて美しいんだろう、と足を止めてぐるりと周囲を見た。夜になろうとしている1月の広場はクリスマスの時期とはうって変わって人は数えるほどしかいなかった。中世に建てられた宮殿やお屋敷、市役所や教会には黄色い明かりが灯されて、そうでなくても魅力的なそれらを更に美しく見せていた。30分もそうして周囲を眺めていたように感じたが実際はたったの5分も経っていなかった。そして思った。美しいものを美しいと思えることは大切。そんな心の余裕を失ってはいけないよ、と私を取り囲む景色達が教えてくれているようだった。さっきまでモノクロにしか見えなかった街のそこここが急に色帯びた。店のショウウィンドウもエノテカのガラス窓も道行く人達の装いも。そんな当り前のことに今更ながら気が付いたのがちょっと恥ずかしくも嬉しくなって、今夜はお祝いをしようと通り掛かりの店でワインを買った。

家族で楽しむ

先週から冬らしい日が続いていて寒さが苦手の私には辛い毎日。しかしこの寒さならではの連日の晴天は有難く、寒いのも何のそので街中の広場で遊ぶ家族あり、郊外に出かける家族あり。例えばpiazza s.stefano。天気の良い日にはここに子供や犬連れの人達が集まる。車が入り込めないのは勿論のこと、広場の前にはバールなどもあり便利なこともあり好んで来る人達が沢山居る。私が昼休みの為に閉まるs.stefano教会から出て来た時も、ある家族が犬も交えたひとときを楽しんでいた。どうやらこの近所に住んでいるらしい。通り過ぎる人々がみんな挨拶を交わしていく。それともここの常連で自然と知り合いになったのかもしれない。そんな楽しそうな家族の向こう側に警察の車が2台停まっている。この近くにボローニャ出身のRomano Prodi首相が住んでいるからだ。彼が首相になった後、彼の家をめがけて大きなデモ行進があったからなのか、それともこうした政治家の家周辺は大抵こんな風に警察に守られているものなのか分からないが、こんな良い雰囲気の界隈に警察の車(6人乗りの車に6人の警察官が乗っている)が2台も停まっているのは、感じが良くないなあ、と個人的には感心しない。あ、でも子供の誘拐が多いイタリア、子供連れの家族にとっては心強いことなのかもしれない。ひょっとして警察が居ることをみんなは喜んでいるのかな。

オリーブの樹

数日前ボローニャ旧市街を歩いていたら、あれ、何だかいつもと違うな、と感じだ。ここはvia monte grappa。人や車が忙しく往来するvia ugo bassiと平行して走るこの道は、のんびりしているのでぶらぶら歩くにも急いでいる時に疾走するのにも便利な通りだ。さてこの道にはひとつ教会があり見た目が大きくて目立つ、しかしこれと言って特徴のない外見なので未だ関心を持ったこともないし教会の名前すら知らない。つまり私にとってはこの道を歩くときに存在こそ認めているが目もくれない教会、なのだ。その教会の前を通過した際に何か感じた。何だろう。それは入り口の前に置かれたふたつのオリーブの樹の鉢植えだった。ただそれだけだったがこの教会の印象を良くするには充分だった。理由は私はオリーブの樹が大好きだからだ。オリーブの樹のぼんやり白い緑色が好き、そして樹が醸し出す平和感が大好きだ。果たしてオリーブの樹を見て平和を感じる人が私以外に居るのかどうかは分からないが、この樹を見るとほっとする。ああ、そういえば復活祭にはオリーブの枝を家に飾る習慣があるし、平和の白い鳩もオリーブの枝を口にくわえているではないか。やはり平和の象徴なのだ。写真を撮ろうとカメラを構えたところ、通りがかりの若い女性が後ろから声を掛けてきた。何か面白いものでもあるの?うん、オリーブの樹がね・・・と私のオリーブ考をちょっと話してみたところ、彼女も、そうよね、オリーブの樹は心が休まるのよね、と言った。もう少し話しをしたかったが互いに急いでいたこともあり、じゃあね、と言って直ぐに別れた。庭を持たない私は大きなオリーブの樹を植えることは出来ないが、いつか生活空間が許す限りの大きさのオリーブの樹を家に置いてみようと思っている。

冬日のフィレンツェ

少し前から月に一度フィレンツェに行くのが習慣になった。5年間通勤した街フィレンツェに仕事を辞めてからもこんな風に頻繁に行くようになるとは想像してもいなかったが、5年の間に培った人間関係から今もこんな風に足を運ぶ。そういう人間関係があることを私は嬉しく思っている。そう言いながらも今日のように寒い土曜日の朝にいつも通り早起きして電車に乗って行かなくてはいけないのはとても辛い。電車を待つのも辛かったし窓から見えるイタリア小アルプスが霜や雪で白くなっているのを見るのも寒々しくて辛かった。そしてフィレンツェの街もいつも以上に冷え込んでいて顔の肌がちぎれるようだった。でもそのおかげで空気が澄んでいて空の青かったこと!陽射しをさえぎる雲ひとつなく気分は上々、相変わらず混雑しているフィレンツェの街を元気よく歩き回った。こんな風に天気が良いと何故か足を運びたくなるところがある。San Lorenzo(サン・ロレンツォ)教会だ。この教会の中を訪ねたことは未だにないが教会を取り囲むようにして立ち並ぶ市場の更に外側から眺めるのが好きで、よく昼休みに足を運んだのだ。特別美しい訳でもない、けれども見ているとほっとする光景なのだ。市場で売られているものはどれも似たり寄ったりだが経営不振になることなく、どの店も商売が成り立っているのだから感心だ。これらの店を冷やかして歩くのはもしかしたら面白いかもしれない、しかし傍から見ているとスリやジプシーが沢山いて危険度も満々なので私は遠慮している次第だ。Duomoとは目と鼻の先だが雰囲気は断然庶民的で情緒がある界隈だ。いつも昼休みに通ったpane e vinoと言う名の小さな店は今も大繁盛で、常連達と店主のジャンニの会話に耳をそばだてて聞くのは本を読むように面白い。その後は美味しいお菓子とカフェを求めて斜め前に店に行く。腹ごしらえしたら昼休みも関係なく開いているハンドクラフトに店に入ってあれこれ物色し、その近所の伝統工芸の店をガラス越しに覗き見る。建物も皆古いものばかりで壁の装飾や木製の彫刻が施された重い扉を見て歩くのもよい。迷路のように延びる小道を歩き回るのはとても面白いので夢中になって歩いていたら、うっかり知人との約束の時間に遅れてしまった。

ミモザ

私が花アレルギーとは知らずに知人のお父さんがミモザの花をお裾分けと言って持ってきた。何やら南フランスに行ったらミモザの花が美しく咲いていたので持ち主に分けて貰ったのだそうだ。それを娘にお土産に持ってきた、そのついでに私にも、と言う訳だ。その気持ちが嬉しかったのと冬の真っ只中に見るミモザの黄色がとても魅力的だったから、花アレルギーのことはこの際忘れて有難うと喜んで貰い、部屋の角っこの高い位置に飾った。イタリア女性はミモザの花を好む人が多い。3月8日の女性の日には男性や子供達がお母さんや職場の女性、身近な女性達にミモザの花を贈る習慣があるので、その好イメージが理由かと思えばそれだけではない。ミモザは長くて暗くて寒い冬の後に訪れる光溢れる春の象徴なのだ。そうじきこの辺りの花屋の店先もミモザで飾られることだろう。イタリア女性は男性から花を貰うのが大好きだ。もしかしたら世界共通かもしれないが、イタリア女性は花を貰って喜びを表現するのも大変上手い。そしてもうひとつ、イタリア男性は花を贈るのがとても上手。テレもしないで普通の顔して花を贈るのだ。長年人生を共にしてきた老夫婦にしても時々旦那さんが小さな花束を買ってきて奥さんを喜ばせているのを見ると、自分まで幸せな気分になってくる。

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