さよなら9月
- 2017/09/30 13:43
- Category: bologna生活・習慣
今日も晴天。天気の良い日は気分もよい。恐らく誰もがそうに違いないけれど、天気に左右される私などは、空が高くて明るいだけで小さなつまらないことは帳消しになってしまう。もう半袖シャツを着ることはないと思っていたのに、まだよい気候は続くようだ。今日は、自転車レースがあるらしく、近くの丘へと続く道を通過するらしい。時間は分からないが、恐らくもう直に違いない、と言うのが近所のクリーニング屋さんの情報だ。だから、その時間帯は通行止めになって大変ないことになるから、気をつけなさいよ、とのことだった。気を付けなければならないのは明日10月1日もそうだ。ローマ法王がボローニャを訪問するからである。1997年に当時法王に就任していたGiovanni Paolo2世がボローニャに来て以来のことであるから、20年ぶりということになる。バスの運路が変更になったり、通行止めになったり、私服のセキュリティが街中に置かれて、まるで息を潜めるようにしてその瞬間を待っている。いつもはガタガタで整備されていない道も、ローマ法王が通るからと、すっかり新しいアスファルト舗装で綺麗になっている。ローマ法王の訪問で街がきれいになったそれを、バスの窓から確認して、思わず笑ってしまったのは私だけではないらしく、方々から驚きの声が上がった。それにしても、”Papa Francesco a Bologna. “とバスに乗っていると幾度もアナウンスされるために、すっかり脳にインプットされてしまった。遂に夢にまで出てくるようになった。しかし、それも明日が終わればアナウンスされることもなくなり、脳も平常に戻るだろう。
数日前、仕事帰りに旧市街を歩いたのは、いくつかの小さな用事を済ます為だった。その合間にジェラート屋さんに立ち寄り、いつもは覗くこともない界隈を冷やかし歩いて、小さな秋を沢山見つけた。Piazza Aldrovandiという場所は、私にはなじみが深いくせに、かと言って頻繁に足を運ぶこともない。言うなれば、Via San VitaleからStrada Maggiore,、そしてVia Santo Stefanoへと近道したい時に歩く界隈なのである。だからこの辺りに馴染の店がある筈もなく、通りに沿って並ぶ小さな店の人が、私の顔を見て挨拶をすることもない。そんな店のひとつの花屋さん。花屋さんの店先に置かれた大きな箱の中に小さな艶やかな、色とりどりの形の違う南瓜を見つけた。これを見かけると秋を感じるのは、アメリカに暮らしていた頃、近所のオーガニックの店先に9月中旬になると南瓜たちが並んでいたからだ。髪の短い金髪のフランス人女性と、スケートボードで街中のどこにでも行ってしまうアメリカ人男性が雇われている店だ。店に行くとふたりのどちらかが必ずいて、ちょっと長話になった。本当の意味でのHarvestという言葉を知ったのもその頃だった。直訳すれば収穫物だが、郊外の畑で収穫された穀物に感謝する気持ちが、人々がその言葉を発するときに含まれているような気がした。あの頃は見るもの聞くものがすべて新鮮で、そのひとつがHarvestで、店先に並ぶ南瓜たちだった。週末、車で郊外に足を延ばすのが好きだった。街にはない自然、金色に揺れる木の葉、高く青い空。アンティークのマーケットを見て回ったり、ワイナリーに立ち寄って奮発していいのを2本ほど購入したり。私も相棒も今より24年も若くて、楽しいことしか知らないような良い時代だった。花屋さんの店先の小さな南瓜を眺めながら、そんな遠い昔のことを思いだして苦笑した。もう戻ることのない時代。記憶だけが輝いていて、それでよいのだと思った。ひとつ2ユーロだそうだ。高いのか安いのか、私にはわからない。でも、今度旧市街に行ったらば、4、5個購入しようと思う。家の中にも小さな秋。相棒はそれを見て、昔のことを思いだすだろう。
今日で9月が終わりだなんて。私の9月はどうしてこんなに駆け足だったのか、思い返してみても分からない。唯一分かるのは、あっという間だったにしても楽しかったことだ。やはり9月は素敵な月で、終わってしまうのは少し寂しい。