錆色
- 2011/12/30 23:49
- Category: bologna生活・習慣
12月に入る前にいつもの店でシルクのスカーフを購入した。いつもの店、というほどの常連ではないけれど、扁桃腺もちで襟元が冷えるとあっという間に熱を出してしまう私だから、カフェと本屋の次くらいに足を運ぶことの多い店と言っても良い。店は大通りと並行して走る、所謂路地という場所に面してあって、流行者を置く店でない理由から若い人達が次から次へと流れるように入る店ではない。私にしても長いこと店の存在に気がつくことがなかった。その理由は誰もが店の前を素通りしていくことや、ショウウィンドウが道に面してあるわけでもなく、奥まった場所にある店の扉に興味をそそられるまでに長い時間が掛かったからである。私がその店に気がついたのは、犬のせいだった。店で飼われているらしい犬が店の扉からそろりそろりと脱出する様に出会って、あら、あんた、ひとりで散歩に出かけようとしているんじゃないでしょうね、と話しかけたところで店の中から店主が飛び出してきて犬の名前を呼んだ。すると犬がくるりと身を翻して私の後ろに隠れたのだ。あっ、ずるいなあ。店主と私が同時に同じ言葉を発したので私達は思わず声を上げて笑った。それで店に入ってみようと思ったのだ。店はインドシルクを扱う店で、スカーフやストール、それから創作衣服を狭い店内に並べていた。元々スカーフの類が好きな私だ。興味が芽生えて丹念に品定めした。そしてひとつ購入した。シルクなのに驚くほど安かった。また来るからと言って店を出たが、次に戻ったのは翌冬のことだった。ところが店主である彼女は私を見るなり顔をパッと明るくして、あら、こんにちは、最近犬はいい子にしているのよと言った。彼女はあの日のことを今でもよく覚えているようだった。犬もあの日のことを思い出したらしく、寄り添ってきて愛嬌を振舞った。前に購入したのがとても重宝したので、同じようなので色違いを購入した。それが二回目。それから何を買うでもなく何度も足を運んだ。店主である彼女はアルゼンチンから20年ほど前にイタリアにやって来たこと、あの頃は外国人があまり居なくて居心地が悪かったこと、外国語を話す人は殆ど居なかったので直ぐに通訳の仕事をえたこと、しかし本当にしたかったのはそんな仕事ではなくてアーティスティックなことであったこと。彼女はまるで大きなダムから水が流れ出すような勢いで、ある日私にそんな話をしてくれた。それは私が長くボローニャに居る事を知ったからなのだろう。随分前のまだ外国人が少なくて話す相手もあまり居なくて心細い思いをしたに違いない彼女は、外国人同士にしか分からない共通の何かを私の中に見出したのだろう。彼女はまるで随分前からの知り合いのように私に話しかけるのだった。そんなことからまた会う回数が多くなった。それで12月に入る前のこと。私はこの暗い季節にパッと明るい奇麗な色のスカーフが欲しくなって店を訪ねた。シルクと言っても色んな重さのものがあって、私はその中から手応えのある重さのものを選んだ。色は・・・と物色していると彼女がその中からひとつ手に取った。こんな色があなたには似合う。そうして首に巻いてくれた。奇麗な色。熟した赤ワインに良く似た、しかし何処か違う色。何という色なのだろうと思案していると、彼女が教えてくれた。錆色よ。錆色? そう、錆色。濡れた金属をそのままにして置くと出来るあの錆とは随分違うが錆色という響きが私はとても気にいって、それを購入した。あれから幾度も人に訊かれた。奇麗な色、何ていう色なのかしら。私はまるで100年も前から知っていたみたいに自慢げに言う。錆色よ。錆色? そう、錆色。あの日私と彼女がそんな会話をしたみたいに。
昨晩、ギンズブルグの本を読んでいた。Lessico Famigliareのまだ始めの方のページで、読み出したばかりの。その中に見つけた。una giacca di lana colore ruggine…錆色のウールの上着。ああ、錆色だ。きっと錆色とはイタリアでは昔からあった表現のひとつなのだろう。私はギンズブルグの文章と自分の持ち物に小さな共通点を見つけて嬉しくなった。そうだ、今度彼女に会ったらば、この話をしてみよう。