ご挨拶

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新しい一年の初日は、いつも記憶の箱から引っ張り出すことがある。25年も前のことだけど記憶は鮮明。と、ずっと信じていたけれど、最近は記憶の糸が巧みに交差して、困ったことになっている。
アメリカに暮らし始めて予想していなかったといえば嘘になるけれど、言葉の壁にぶつかって悶々とした毎日を送っていた。思えば特別英語が得意だったわけでもなければ、アメリカに暮らすにあたって言葉の準備をしてきたわけでもなかったから、当然というべきかもしれなかった。何とかなると思っていたのは若さのせいだっただろう。今の自分ならばもう少し慎重に行動したに違いない。兎に角悶々とした毎日を周囲の人達は距離を持って見守っていたようだ。いよいよ一年が終わるという日の晩も遅く、ダウンタウンに暮らす友人のアパートメントに行ったのは、街の中心のスクエアで行われるカウントダウンの為だった。どんな混雑か予想もしていなかったスクエア。山ほどの人に埋もれながら新年を迎えて、誰が持ってきたのかわからぬシャンパンを分けて貰って、知らない人達が抱き合って祝って、終いには一緒に行った友人とはぐれてしまった。居間ならあんな大騒ぎの場所には行くまい。でも、あの時の私は、何か吹っ切るような大騒ぎが必要だったのだろう。清々した気持ちで歩いていたらはぐれた友人の後姿を見つけて、やった、やったと後ろから抱き着いたものだ。それから年越し蕎麦などをご馳走して貰って家に帰ったのは夜中をとっくに過ぎてからだった。新年の昼、私は友人達に連れられて誰かの大きな家に行って、上階の大きなテラスにアマンダが居て、清々した気分で、もう怖がらない、間違うことを怖がらないで恥ずかしがらずに話すことにしたという私の報告にアマンダは自分のことのように喜んでくれて、幾度も抱き合ったものだ。ほら、ピアスもしたのよ。そう言って見せた私の耳朶は少し赤く腫れていて痛そうだったようだ。怖くて耳に穴など開けられない気持ちを打ち破ることが一年の締めくくりにしたかったから、友人に幾度も本当に穴をあけるのかと確認されながら坂道を下って大きな店に入ったのだ。穴をあけるのなんてほんの一瞬だった。済んでみたら、何だこんな簡単なことだったのか、と長いこと怖がっていたのが可笑しく思えた。そんな風にして開けたピアスの穴だったが、少し腫れて赤くなっていた耳朶は、いつの日か炎症が引いて、そしてまた腫れての繰り返しで、5年も経たぬうちに穴が塞がってしまったけれど。体質に合わなかった、というのが結果だけど、それは忘れがたい体験のひとつで、もう塞がった穴の後を触ると若かったあの時の自分を思いだして、ふふふと笑みが零れる。
乗り越えるものが沢山あって目が回りそうだったが、良く考えてみたらあの頃ばかりではない、今だって小さなあれこれを乗り越えながら、小さなチャレンジを繰り返しながら生活している。それでいいのだ、と思う。何もかもが安定している生活など、今の私には退屈だ。そういう生活は私がもっと歳を取って体力的にも精神的にも楽に生活したくなった時の為に取っておけばいい。


日が少し長くなった。17時を過ぎても空がぼんやりと蒼い。その蒼い空に限りなく満月に近い月。新しい年の始まりに相応しい真珠色で、窓辺にたたずんで感嘆の吐息を漏らす。何が嬉しいって、健康に暮らせること。毎日の食事が美味しいと思えること。それから自分がしたいことを続けることができること。時には喧嘩をしながら相棒と、長く一緒に居られること。怖がりの猫が元気で淋しがらないこと。それから私を取り囲む人達が幸せであること。

A Happy new year.
私の小さな願い。新しい年もすべての人達が幸せで、笑顔の絶えぬ一年となりますように。今年もお付き合いお願いします。




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喜びの日

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Merry christmas for all of you.
すべての人に温かい喜びあふれるクリスマスがありますように。




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ありがとう、ありがとう。

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一年最後の日。いつもより早起きした。早起きと言っても、大して早い訳ではない。冬休みに入ってからというもの、我ながら自堕落と思う程のんびり起床しているから、今朝は人並みの時間に起きたと言ったほうが正しいだろう。しかし其れでも相棒に、今日は早いなと言われたので、気分は早起きだった。数日前に箱買いしたシチリア産のオレンジを絞るのが最近の朝の習慣。テラスで保管しているものだから、冷たいこと冷たいこと。オレンジはうっかりすると腐ってしまうし、かと言って頻繁に店に買いに行くのも面倒だし、冷蔵庫には入れたくないい。それで冬場は天然の冷蔵庫と称してテラスのテーブルの上に置いているのだ。朝晩は零度、最高気温とて10度に達さないのだから、果物や野菜を保管するのに丁度よいと言う訳だ。ゆっくり朝食を楽しみ、、ひと通り家のことをして外に出た。

今朝はとても寒かった。今までとは少し違う。多分低気圧が近づいているのだろう。ひょっとしたら冷たい雨が降るのかもしれなかった。バスに乗って旧市街へ行った。タバコ屋さんでバスのマンスリーパスを購入したり、薬屋さんに立ち寄ったり、途中でいつものバールでカッフェをするのも忘れずに、そして其の足でフランス屋へ行った。今日はワインを頂く予定は無い。お礼と挨拶をしたかったのだ。今年はフランス屋に世話になった。美味しいチーズやワインがあるとこっそり耳打ちして貰ったり、パリに行くときには面白い情報を分けて貰ったり、そして年末にきて気前よくご馳走して貰ったり。その分私も此処で買い物をしたりワインを頂いたりしている訳だけど、それにしたって感謝なのだ。ありがとう。ありがとう。店主と挨拶を交わして店を出た。次は本屋さん。二本の塔の下にある本屋。此処に来るのは久しぶりだった。このところ旧ボローニャ大学の並びの本屋にばかり足を運んでいたからだ。理由はない。多分そんな気分だっただけだ。探していたのは子供用の本。1月1日生まれの友人の小さな男の子への贈り物。友人が眠る前に読んで聞かせたらよいのではと思って、ねずみが月を食べると言った題名の絵本を選んだ。店の女性に訊いたら、きっと子供が喜ぶわよ、と言っていた。私は子供の頃、母に本を読んで貰った思い出がある。ごく小さな時から、母が眠らない私の枕もとで本を毎晩読んでくれた。泥んこハリー。しろいうさぎ、くろいうさぎ。この二冊は私の気に入りで、何度も何度も読んで貰ったが、それでも飽きずにまた読んで貰った。そうした習慣は今も続いていて、好きな本は何度でも読む。私の本棚にはそんな気に入りの本が何冊もあって、30回以上読んでいるだろうか。他のを読んではこれを読みたくなり、そしてまた他のを読んではこれを読む。その都度、感じることが微妙に違って、だからまた読みたくなるのだろう。兎に角そうした子供時代の思い出があるので、私は子供に本を贈りたいと思ったわけだ。

最後の日は忙しくなると思ったが、思いのほかのんびりとなった。さあ、これから今年最後の夕食。食事の開始は22時の予定だ。そうして新年を迎えたら、ほっと胸をなでおろして優しい眠りに就く。良い一年だったと思う。ありがとう、ありがとう。それもこれも私を取り囲む人々のおかげ。そんな私は幸せ者だ。


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新しい朝

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素晴らしい晴天。こんな天気に恵まれた新しい年の初めの日。幸運としか言いようがない。此処では新年を迎える瞬間こそ大騒ぎだが、目を覚まして迎える一年初めの日は特別なこともなく、ごく普通に、穏やかに時間が流れていく。しかし其れもまた幸運。一年前のきょうは最悪のヘルスコンディションだったことを思えば、そして一日熱でうなされていたことを思えば、このごく普通の一日は神様の贈り物にさえ思えてくる。

隣の家族は明け方前に家を出てボローニャ空港へと向かったようだ。話によれば2週間のキーウェスト滞在だとかだそうで、地味に過ごす私達を酷く驚かせてくれた。天気に恵まれれば小麦色に焼けてボローニャに帰ってくるだろう。上階の家族は皆家に居るようだけど、そのうち山の家へと発つだろう。私と相棒は何時もボローニャ。でも、こんな風にして皆が何処かへ行って留守なので、大騒ぎしても文句を言われることもない。いや、それにしたって私達は、もう大騒ぎするような若さやエネルギーはあまりないのだけれど。

海の向こうに暮らす母と、姉の家族に電話を掛けた。新年のあいさつを電話で交わすのは、もう23年もの習慣だ。言葉を交わせば、遠くに暮らしていたって私達は家族なのだと再確認できるから。そうしていつものようにイタリア式の朝食をとり、身支度をして、家の片付けをする。私の元旦はそんな風で華やかなことは何ひとつない。多分来年も、再来年も同じ。でも、健康ならば其れでいいのだ。健康。今年は一年健やかに過ごしたいと思う。体も心も。感謝を忘れないようにして、穏やかに暮らす。此れが目標だ。

Buon anno. (明けましておめでとうございます。)

雑記帖に立ち寄ってくださる沢山の方に感謝。皆さんに恵み溢れる新しい一年がありますように。これからもお付合いお願いします。


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大切な日

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新年を迎えるというのは気持ちが良いものだ。つい数年前までは大晦日の晩を友人知人達と賑やかに過ごしたものだけど、此処何年かは家から離れることが出来なくなり相棒とふたりで過ごすようになった。何となく寂しい気分を拭えないが、それにしても昨晩は穏やかで楽しい大晦日となった。私が用意するでもなく、相棒がするでもなく、ふたりで一緒に遅い夕食を準備した。色んなものをほんの少しづつ。豪華な食事ではないけれど、自分達の手を掛けたものばかりをテーブルに並べて静かにお喋りをしながら楽しんだ。途中で映画も見た。リスボン・ストーリーだ。相棒に見せたいと思っていたが機会がなくて、これを手に入れてから4年も経ってようやくふたりで見ることが出来た。この少し独特な味わいの映画を案の定相棒は楽しんだようで、久し振りに私達の間でリスボンの風がそよいでいる。そうしているうちに零時を迎えてシャンパンの栓を抜いた。Auguri! Auguri! ( おめでとう! おめでとう! ) そんな風に何度も言葉を交わして肩を抱き合って祝った。遠くの何処かから花火の音がした。何処かの誰かが私達の新しい一年を祝ってくれているかのように聞えた。新年から晴天とは何て素敵なんだろう。この青空も話しによれば今日限りで明日には雨雲が広がるそうだが、それにしても一年の始まりの日の晴天は運が良いとしか言いようがない。起きて直ぐに日本の家族に電話をした。いつもは電話代が高くつくといけないからと言って私が掛けた電話を早々に切ってしまう母も、遠くに暮らす娘の元気な声を聞いて嬉しいようだ。姉のほうも色んな話をしてくれて、私達が子供だった頃と少しも変わらず仲の良い姉妹であることを確認した。どちらも大変なご機嫌で、私まで嬉しくなってきた。新しい一年。よく考えれば昨日の延長なのだけど、こんな小さなけじめを大切にするのも宜しい。小さなことを大切にしながら、こつこつと歩んでいこう。時には一歩下がって客観的に見る目を失わないようにしながら。それが今年の目標。
この大切な日を皆さんと共有できることに有難う。今年も時々この場所で思いや言葉を交わすことが出来ますように。
Felice Anno nuovo.

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