休みの日なのに早起きして家を出た。休みの日と言うのに色んな用事があったのだ。最近ボローニャ旧市街を頻繁に歩き回っている。良いことだ。それが私の疲れとストレス解消法のひとつなのだから。安上がりで簡単。そうでなければ長続きしないと言うものだ。あれをして、これもして、とボローニャ旧市街のを歩き回っているうちに、何かの拍子に思い出した。私と姉が子供だった頃、世の中には週休二日制なんてものはなかった。母は私達を育てる為に仕事をしていなかったが、家で洋裁と和裁と編み物を近所の人に教えていた。そして父は勤勉な外で働く人だった。音が真面目で手を抜くことが出来ない性格だった。それから優しい人だったから周囲の人に気を使い、人一倍疲れたのではないかと思う。兎に角父は月曜日から土曜日の昼まで働いていた。土曜日の午後のある時間に駅の前で待っているとハンチング帽を被った父が駅から出てくるのを知っていた私は、時々父をびっくりさせようと思って駅の前で待ち伏せした。案の定、小さな私がひとりで駅まで来て待っていたことに父は驚き、そしてとても喜んでくれた。嬉しいなあ。そう言って父は私の手を取って楽しむ為に歩くかのようにゆっくりゆっくり歩きながら色んな話をした。学校のこと。友達のこと。自転車のこと。庭に咲いたくちなしの花のこと。金魚のこと。十姉妹のこと。庭に穴を掘って逃げてしまった亀のこと。父は面倒臭がらずにそんな話を聞いては色んなことを言ってくれた筈なのだが、それがどんな言葉だったのか思い出すことが出来ないのが全く残念だ。父の唯一の休みは日曜日と祝日だった。父がゆっくりと過ごすことが出来る唯一の日だったが私と姉はそんな風には考えず、私達が父と一日中過ごせる唯一の日だと考えていた。朝8時になると私達は父の寝床へ行き、お父さん、お父さん、朝の散歩に出かけようよ、と眠っている父をゆすって起こした。父はごそごそと起きだすと私達を連れて散歩に出た。特別な行き先はなかった。大抵市役所の方に向って歩いていった。途中にある幾つもの広場でやっている催し物に立ち寄って、幾つもの公園に立ち寄ってブランコに乗り、二時間ほど掛けて大きくぐるりと歩いて家に帰った。私と姉にとってそれが日曜日の楽しみだと知っていた父は、今思えばもう少し眠っていたかったに違いないが、文句のひとつも言わずに私達がそれに飽きるまで何年も付き合った。夏の夕方は長くて私達はとても家でじっとしていることが出来なかった。いつもなら友達に誘われるなり家を飛び出して行く私達も休みの日は特別で、父や母と庭いじりをしたり母が仕立ててくれた揃いのワンピースを着て少し遠くまで足を延ばした。私達家族はとても仲が良かったのだ。そんなことを思い出したのだった。夏も終わりの頃になると夕方の風が涼しくて気持ち良かった。風が肩を撫でる度に子供ながらも夏が通り過ぎようとしているのを感じだ。
昼間の暑さが嘘のようだ。昼も3時を回った頃からボローニャ郊外の町ピアノーロの空に黒い雲が流れ込み、雨が降りそうな気配になった。さあ、降るかな、と思ったが結局雨は降らず、しかし近郊の山で振ったらしく気持ちの良い涼しい風が吹き始めた。涼しい風。年月は経ったがあの頃と同じように夏の終わりの風が私の肩を撫でていく。