予感

ボローニャの町は少し前まで重苦しい暑さだった。だから店先が一足先に秋冬物にかわっているのを見ては、もう秋冬物かと驚くと同時に暑苦しいなあ、と思ったものだ。こちらは額に汗を掻きながら歩いていると言うのに、コートだのジャケットだのと暖かそうなものばかり並んでいるのだ。私のような人も居るけれど、先取りが好きな人も居るのかもしれない。そうだ、私の女友達はお洒落で先取り派。彼女だったら暑くたって店先に関心を持って眺めるのかもしれない。と、足を止めてウィンドウを覘いてみるがやはり暑苦しくて長くは続かない。ところが昨日から急に涼しくなって、俄かに秋物が気になりだした。肩のラインが美しくて大好きだけど遠くから見る度に体がカッと暑くなる思いをしたあの店の秋冬物ウィンドウ。近いうちに立ち寄ってみよう。ひゅーっと拭きぬけた冷たい風にシャツの襟を立て、剥き出しになった腕を抱えた。今年の秋は早くやって来る予感がした。

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8月最後の日曜日

8月最後の日曜日。それで夏が完全に終わってしまう訳ではないしイタリアの学校の夏休みはまだまだ続くけど、これで一段落つく、そんな感じがするのだ。昨日の夜中に降った僅かな雨で空気が澄んでいた。おまけに空気がひんやりしていてとても気持ちの良い朝だった。そんな日曜日に私と相棒は山の友人から昼食の誘いを受けた。バーベキューだ。友人特製秘密のソースに漬け込んだ肉を庭でジュウジュウ焼くのだと言う。そう言われて誘いを受けない人は居ない。予定の入っていない日曜日なら特に。肉を焼くにちょうど良い火をおこして焼きあがるまでに小一時間掛かるらしい。その時間を目掛けてくるようにと友人は言った。友人との付き合いは長い。しかし友人が近年付き合いだした彼女は皆と一緒の付き合いがあまり好きでないらしく、そういう訳で友人と会う時間も少なくなっていた。だから貴重なのだ、友人とのこんな時間は。それがバーベキューならば特に、なのである。山は日差しが強かったが、風が吹いていてひんやりしていた。空には無数の白い綿雲が浮かんでいた。雲はまるで船のように、風に押されて右から左へと流れていった。何処かでこの風景を見たことがあるような気がして、ああこれがデジャヴという奴なのだな、と雲を目で追いながら考えた。山で見る空はいつも美しいが、今日のは格別だった。訳あって暫くワインが飲めない私は、それでも気分が華やかになるようにとスパークリングウォーターで皆と乾杯した。8月最後の日曜日のために乾杯。素敵な空に乾杯。肉が焼きあがるなり齧り付いた。美味い。友人の特製秘密のソースは本当に美味い。秘密だから尚更美味しいのかもしれなかった。友人が用意していた庭先で採れた真っ赤なトマトとオリーブオイルとオレガノのサラダ。太陽の匂いがしてきそうなくらい赤かった。しかしこれも訳あって暫く食べられない私は、無花果の木に熟したのを幾つも見つけて捥いで食べた。いわゆる特別なご馳走はないが、無農薬の捥ぎたてを頂けるのは紛れもなくご馳走だ。焼きたての肉を頬ばることにしたって。互いの夏の休暇を報告しあったり、こんな事があった、あんな事があったと日常の話をしたり。楽しい時の時間とはどうしてこんなに早く経ってしまうのだろうか。近くの教会が5時の鐘を鳴らしたのを機に私達は腰を上げた。8月にしては涼しすぎる空気から身を守るように車に飛び乗った。夏はもう終わりだろうか。いいや、もう少し居残って欲しいね。最後にそんな言葉を交わして友人の山を後にした。うん、確かに夏にはもう少し居残って欲しいね。心の中で何回も繰り返した。

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肩を撫でる風

休みの日なのに早起きして家を出た。休みの日と言うのに色んな用事があったのだ。最近ボローニャ旧市街を頻繁に歩き回っている。良いことだ。それが私の疲れとストレス解消法のひとつなのだから。安上がりで簡単。そうでなければ長続きしないと言うものだ。あれをして、これもして、とボローニャ旧市街のを歩き回っているうちに、何かの拍子に思い出した。私と姉が子供だった頃、世の中には週休二日制なんてものはなかった。母は私達を育てる為に仕事をしていなかったが、家で洋裁と和裁と編み物を近所の人に教えていた。そして父は勤勉な外で働く人だった。音が真面目で手を抜くことが出来ない性格だった。それから優しい人だったから周囲の人に気を使い、人一倍疲れたのではないかと思う。兎に角父は月曜日から土曜日の昼まで働いていた。土曜日の午後のある時間に駅の前で待っているとハンチング帽を被った父が駅から出てくるのを知っていた私は、時々父をびっくりさせようと思って駅の前で待ち伏せした。案の定、小さな私がひとりで駅まで来て待っていたことに父は驚き、そしてとても喜んでくれた。嬉しいなあ。そう言って父は私の手を取って楽しむ為に歩くかのようにゆっくりゆっくり歩きながら色んな話をした。学校のこと。友達のこと。自転車のこと。庭に咲いたくちなしの花のこと。金魚のこと。十姉妹のこと。庭に穴を掘って逃げてしまった亀のこと。父は面倒臭がらずにそんな話を聞いては色んなことを言ってくれた筈なのだが、それがどんな言葉だったのか思い出すことが出来ないのが全く残念だ。父の唯一の休みは日曜日と祝日だった。父がゆっくりと過ごすことが出来る唯一の日だったが私と姉はそんな風には考えず、私達が父と一日中過ごせる唯一の日だと考えていた。朝8時になると私達は父の寝床へ行き、お父さん、お父さん、朝の散歩に出かけようよ、と眠っている父をゆすって起こした。父はごそごそと起きだすと私達を連れて散歩に出た。特別な行き先はなかった。大抵市役所の方に向って歩いていった。途中にある幾つもの広場でやっている催し物に立ち寄って、幾つもの公園に立ち寄ってブランコに乗り、二時間ほど掛けて大きくぐるりと歩いて家に帰った。私と姉にとってそれが日曜日の楽しみだと知っていた父は、今思えばもう少し眠っていたかったに違いないが、文句のひとつも言わずに私達がそれに飽きるまで何年も付き合った。夏の夕方は長くて私達はとても家でじっとしていることが出来なかった。いつもなら友達に誘われるなり家を飛び出して行く私達も休みの日は特別で、父や母と庭いじりをしたり母が仕立ててくれた揃いのワンピースを着て少し遠くまで足を延ばした。私達家族はとても仲が良かったのだ。そんなことを思い出したのだった。夏も終わりの頃になると夕方の風が涼しくて気持ち良かった。風が肩を撫でる度に子供ながらも夏が通り過ぎようとしているのを感じだ。
昼間の暑さが嘘のようだ。昼も3時を回った頃からボローニャ郊外の町ピアノーロの空に黒い雲が流れ込み、雨が降りそうな気配になった。さあ、降るかな、と思ったが結局雨は降らず、しかし近郊の山で振ったらしく気持ちの良い涼しい風が吹き始めた。涼しい風。年月は経ったがあの頃と同じように夏の終わりの風が私の肩を撫でていく。

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張り紙

町を歩いていて気になるもの。それは石畳の石や並べ方だったり建物の壁の色だったり、古いが手入れされた扉や変わった形の窓枠だったり。それから裏道であればそんな道を敢えて選んで歩く人々にも関心があるし、強い日差しの創作物である光と影のあり方にしても。ただ歩いているように見えても実は色んなことを観察しながら考えているのだ、人間は。もしかしたら人に連れられて歩いている犬達も観察しながら何か考えているのかもしれない。この路面は歩きにくいとか。夏の町は人も車も少なくていい感じであるとか。そうだ、皆何かしら考えながら歩いているのだ。私がボローニャに限らず何処の町へ行っても気になるのが張り紙だ。張りたてのものも気になるが張ってあった名残も凄く気になる。先日ボローニャ旧市街を歩いていたらこんなのを見つけた。一体何の張り紙だろう。それにしてもこんな所に張るとは。何しろこの建物は外の壁が岩のようにぼこぼこしていて一見廃屋風だけど歴史を辿れば結構な由緒のある建物だ。何もこんな所に張らなくても良かったのではないか、と思うのだ。幾つもあるイタリア人男性の顔は若いのか若くないのか分からない。私風に言えば70年代のイタリア映画によく出てくるような、サッカーや女の子達に夢中の小型バイクに乗って町をビュンビュン走っているような男性達。その下にはまた別の張り紙があり、その下にはまた別の。張っては剥がし、張っては剥がし。こんな所に張り紙は宜しくないとは思うけど、今風でない髪型の男性達が前を通る女の子達に声を掛けているかのようで全然憎めなかった。

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真夏に見た夢

昨日からいつもの生活に戻った。いつもは日に焼かない彼女たちも程よく日焼けして出社した。いつも日に焼けている彼らは驚くほど色が濃くなって出社した。よい夏の休暇だったようだ。誰の顔にも息抜きをしてきたよ、と書いてある。しかし3週間休んだ後の社会復帰は簡単そうで案外難しいものだ。きっと誰もがそう感じているに違いない。ボローニャの街に人が戻ってきた。何処の海で焼いたのか、恐ろしく奇麗に焼けた長い手足と美しい背中をアピールするような装いで歩く女性が多く、街行く男性達が立ち止まって観察している様子をあちらこちらで見かける。女性たちはそれを賞賛と受け取っているらしく、嬉しそうな表情で前を通り過ぎる。実にイタリア的な情景で、見ていて楽しくなる。夕方、ジェラート屋さんに立ち寄った。旧市街から少し行ったところにある小さな店だ。店というよりは小屋に近い感じだが、店先に並んでいるジェラートは奥の部屋で作っている自家製で格別だ。だからこんな小さな小屋みたいなジェラート屋さんなのに客足が耐えることがない。週末の午後などは店先に人だかりが出来て待つこともあるけれど、待つのが嫌いな人達も黙って順番を待つ。有名な店ではない。でも一口食べればよい材料を使って丁寧に作られたものであることがわかる。その上、安いくて気前が良い。ボローニャで一番とは言わないけれど私自身の中では5本指に入る高得点のジェラート屋さん。店主の女性は太陽のように快活で素敵な人。彼女のご主人は奥でジェラートを作っているので滅多に姿を見せないけれど、なかなかの洒落物で雰囲気のある色男だ。と、彼女に言ったらとても嬉しそうな顔をした。多分彼女もそう思っているのだろう。その彼女が今日はとてもお喋りがしたい気分らしく、私の注文したジェラートを気前よく盛りながらこう言った。今年の夏は変だわよ。そう言って此処3週間くらいのことを話し始めた。道を走る車もなければ道行く人も居ない。幾ら8月だってこんなに街が空っぽになったのは初めて見たわ。ほら、あなたが旅行に行っていた頃よ、と言うので彼女の情報通に驚きながらうんうんと頷いた。成る程、私が感じたボローニャの街の印象は決して気のせいではなかったようだ。やはりこの夏は異常なほどに人が少なかったらしい。そのうち店が混んできて、私は彼女に小さく手を振って店から離れた。9月になればすっかり元に戻り、真夏に見た夢と化すのだろう。

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