待ちに待った土曜日に雨が降ると少し辛い。もっとも昨日は北の方からモデナ辺りまで雨の予報が出ていたし、夜11時を回った頃にばらばらと霰か雹でも降ってきたのかと思うような音を立てて大粒の雨が降り落ちてきたのだから心の準備はちゃんと出来ていたのだけど。しかし目を覚まして窓の外の様子を窺うまでも無く、眠りのかなで雨降りを知った時の失望感といったらなかった。今日は是非散歩を楽しみたいと思っていたのである。そんな雨のせいで家に篭ることになった。外を歩く人はいないらしく、人の声ひとつしない。案外良いものだ、そんな一日も。と、思いがけず静かな雨の日を楽しむことになった。昼過ぎに思い出した。先日ボローニャ旧市街を歩いていた時に急に雨が降ってきた、其の時に思い出したことだ。
小雨が降ってきたので私は急いで身をポルティコの下に隠した。頭だけをひょいと外に出す。雨雲を見上げながら自分の小さな変化に気がついて、小さな笑いを抑えることが出来なかった。もっと前の私は、こんな小雨を素敵だといって傘も差さずに雨の中を踊るように歩いたのに。何時から私はこんな風になったのだろう。勿論それは健康上の理由もあるのかもしれなかった。近年、私の扁桃腺は酷く敏感なのである。そんな扁桃腺を刺激しない為に私は寒さや疲れ、ストレスに異常に気を使っているのだ。雨に濡れない、というのもとのうちのひとつなのかもしれなかった。私が雨の中を躍るように歩くようになったのはアメリカに暮らしていた頃知り合ったアンバー(琥珀)という名の少女がきっかけだった。彼女はクリスタル(水晶)と言う名の母親と年上の兄と私が暮らすフラットの下に住んでいた。メキシコ人の血が混じった彼女は一際輝いていた。確か10歳にもなっていなかった筈だ。近くのミッションスクールに通う彼女が学校の友達と歩いて帰ってくると近所の誰もが声を掛けた。可愛いアンバー。アンバーの可愛さは外見だけでなくて性格や考え方も子供らしくて素直で可愛かったから、近所の誰もが愛しい妹、娘、孫のように可愛がった。ある夕方雨が急に降り出した。シャワーと言うのがぴったりの、言うなれば天気雨のようなものだった。すると彼女は突然家から飛び出して雨の中でふわふわと踊り出した。母親が、アンバー、風邪を引くから家に戻りなさい、と言うと、もう少し、もう少しと言いながら楽しそうに踊り続けた。彼女は雨が好きらしかった。その後私は彼女が雨の中で楽しそうに踊っているのを何度も見かけた。私は勿論彼女ではないので踊ることはしなかったが、彼女がどうしてあの雨を楽しんだのかをその後分かるようになった。天の恵み。神様からの贈り物。そんな感じがした。それで傘も差さずに雨の中を踊るように歩くようになった。あのフラットに暮らしていた頃、私の家に友人が頻繁に立ち寄った。特に夕方7時頃、鍋にたっぷり湯を沸かして、今まさにパスタを入れる瞬間になると呼び鈴が鳴った。窓の隙間からソースのいい匂いがしたのだろうか。入れ替わり立ち代り違う友人達が家に来るが、何故かいつもそんな時間帯であった。それで大抵友人が加わっての賑やかな夕食になった。今思えばあの頃の私の生活は時間に全く自由だった。今の生活とは白と黒ほどの差がある。自由だけど不安定な生活だったあの頃と、安定しているが枠に嵌った今の生活。どちらが良いかは別として、あの時間の流れが時々懐かしくて堪らなくなる。
一瞬のことだったにしては随分沢山のことを思い出したものだ。外の雨は止んだが、濡れた地面は乾く気配もない。其のうち夕闇がやって来て、じっとりと暗い夜になるのだろう。さあ、そろそろ支度をしようか。今夜は友人の家で夕食会だ。美味しい食事に合う、ヴェネト州の白のスパークリングワインと美味しいお菓子を持って行こう。こんな長い夜のじっとりした季節にだってそれに合った生活の楽しみ方があるのだ。小さなことも楽しいと思える人間でありたいと久し振りに思い出して、それを忘れなかったことに感謝した。