忘れてしまいたくないこと
- 2016/04/30 17:08
- Category: ひとりごと
4月にボローニャの街中で雪が降ったこともある。だから4月は油断がならないことを何度聞いたことだろう。1991年の4月のことだったらしい。4月でもアペニン山脈辺りでは稀に雪が降ることがあっても、ボローニャ市内で降るなんてことはあってはいけない。既に25年も経っていると言うのに、4月なのに寒いじゃないかと言うたびに、その話が誰かの口から零れる。人々の記憶から4月の雪のことが消えるまで、もう少し時間が掛かるらしい。
最近わかったことがある。いつか忘れてしまわないように、書き留めておこう。
私が彼女に出会ったのはアメリカに暮らし始めて一年くらいの頃、1992年のことだ。それは私の貯金が底をつきそうになって日本に帰ろうと思った数か月後のことだった。手持ちのお金は少ないし、仕事探しも難航していて、日本に帰るお金があるうちに腰を上げようとしていた頃、仕事に就いた。知人が仕事を紹介してくれたのだ。それでアメリカ生活を続けることが出来た。つつましい生活をしながら仕事と勉強を続けていたが、私は決して辛いとは思わなかった。それでも私は此処にいる。私が好きで好きで棲みついたこの街に居るのだ。その気持ちは私に沢山の勇気とエネルギーを与えてくれた。傍から見たら大変そうに見えたかもしれないけれど、私は何時だって喜びにあふれていた。私は友人ふたりと一緒に暮らしていたが、そのうちのひとりが部屋を出ていくと言うので新しい入居者を募ったところ、電話をしてきたのが彼女だった。若くて太陽のような笑顔を持つ日本人。自分の美しさを知らないのは彼女だけと思うくらい、彼女は自分に自信が無かった。私も友人も、それから部屋を出ていくハンガリー男性も、一目で彼女が大好きになった。其れほど彼女は魅力的だった。男性ばかりでなく、女性までも魅了する気持ちの良い魅力を持っていた。
彼女が私達のところに入居して2か月と少し経つ頃、私の誕生日がやって来た。仕事を終えてくたくたになってアパートメントに帰って来たら、彼女が少しお洒落をして待っていた。誕生日おめでとう。もし予定が無いならば、カフェ・ジャクリーヌで夕食をしないか。そんな感じのことを彼女が言うので、別に何も予定はないし、誕生日の日くらい外で夕食を楽しむのも悪くない、と普段は切り詰めて外に夕食を楽しみにいくなんてことは無いけれど、彼女の誘いに乗って再び外に出た。11月の少し肌寒い空気に肩をつぼめながら、ずっと歩いた。カフェ・ジャクリーヌはイタリア人街の細い道に面して存在する、この街ではなかなか名の知れたスフレの店だ。彼女がこの店を選んだのは、以前一緒に店の前を歩いた時、何時かこの店で食事をしたい事、何年も前から憧れていること私がガラス越しに中を覘きながら話したからだ。店は混んでいた。店の人は予約で一杯だと言って一旦私達を断ったが、ふと思いついたように小さな席を見つけたのか設けてくれたのか、兎に角私達は運よくテーブルに着くことが出来たのだ。葱のスフレの美味しかったこと。シャンパンの美味しかったこと。私の人生の中でこれほど楽しかった誕生日は無い。それは憧れの店に行ったからではなくて、貧乏生活をしていた時代のひとつ輝く星のようなもので、そして一番の理由は彼女と一緒だったからだ。翌年には私達はアパートメントの契約を解消してばらばらになった。でも私達は同じ街に暮らしていたから、時々カフェで待ち合わせなどをして、やはり良い友達であるには違いなかった。彼女が日本に帰って、私と相棒がボローニャに引っ越してきて、彼女が結婚して夫と共にトロントに暮らすようにるまで、一体何年経過したのだろう。そして驚くほど年月が経ったころ、私が彼女を訪ねると、彼女の夫がどれほど彼女が私の訪問を喜んでいるかを教えてくれた。それは私にとっても同じことだった。何年経っても私達が、あの頃と同じように話せることを。私達を繋ぐものは手紙だったが、次第にメールを使うようになり、しかし誕生日になると必ず彼女が電話をくれた。そしていつも言うのだ。ねえ、また一緒にカフェ・ジャクリーヌへ行けるかな。その一言は、彼女もまた、あの日のことをまだ忘れないことを示していた。
数年前、地上では輝く太陽のような存在だった彼女が、もう手の届かない、夜空に輝く月になった。彼女の不在を思い出すたびに、大きな葛藤を味わった。どうしてこんなに苦しいのだろう。どうしてこんなに苦しいのだろう。あの日から私はずっと考えていたけれど、最近やっとわかったのだ。彼女にとってはどうだったか、今になっては知る由もないけれど、私には、多分、今までの人生の中で一番大切な友だった。こんな簡単なことが今頃になって分かった。このところ、元気がなくて思い悩んでいる私は、夜空を見上げながら彼女が言いそうな言葉を探し求めている。
もしあの時、私がアメリカを去っていたら、彼女と会うことは無かっただろう。アメリカを去らずに済んだのは知人が仕事を紹介してくれたからだ。そしてもっと後になって相棒と出会ったのも、あの時、アメリカを去らなかったからと言うしかない。どれも偶然なんかじゃない。ひとつひとつが不思議な形でつながっているような気がする。運命なんて簡単なひと言では片付けられないような。
少しづつ、少しづつ、私は自分を修正しているのだと思う。急がず、ゆっくり前に進んで行けばいい。