檸檬色

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9月が駆け抜けていく。まるで風のように。この風は色にしたら檸檬色。爽やかで眩しくて快活な。夏季休暇から戻ってきて始まったいつもの生活は思いのほか感じることが沢山あって、どうなることかと案じていたが、何ごとも成るようにしかならないのだ。でも諦めなかった自分を褒めようと思う。後ろ向きになりかけた自分を振り立たせて、たった一歩だけにしても前に進む勇気を失わなかったことを褒めてあげたいと思う。これからも続く私の小さなチャレンジは考える時が遠くなるけれど、取敢えず前に前に進んでいこうと思う。檸檬色の9月が、そんな気持ちにさせてくれた。有難う。

ボローニャでも有名なセレクトショップが古い建物の一角から場所を移して久しい。もう少し人通りの多い場所に店を構えることになったからだ。それで以前店があった場所は長いこと空っぽだった。理由は恐らく家賃。この場所が安いことを街の誰もが知っているから。それにしてもいつまで経っても空っぽで荒み始めた頃、モダンアートギャラリーがオープンした。目新しくて興味深いが客の気配はなく、あらあらと思っていたところようやく人が入り始めた。アーティストが手掛けた作品だ、ちょっとセーターや財布、靴を購入するように買い物できるものではないけれど、商売が成り立つことを知っている。ボローニャには見かけは普通だが豊かな人が数多く住んでいるのだから。彼らの関心の的は昔はダイヤモンドよりも骨董品、若い世代に交代した今は、ダイヤモンドよりも芸術。そういう考えを持つ彼らを私は好きだ。ダイヤモンドもいいけれど、人が手掛けたものは尊いと思うから。

それにしても月曜日なのにこんなに疲れていてどうしよう。それもこれもバスのせいだ。バスがちっとも来なくて、帰宅に散々時間が掛かった。唯一の慰めは赤ワイン。夕食にグラス一杯の赤ワインで身体も心もリセット。本当に、単純な性格でよかったと思っている。




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日焼けにグレーヘア

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秋晴れの日曜日。青空に浮かぶ白い雲の様子は、まるでルネサンス時代の風景画のようだ。穏やかで優しい。トスカーナの丘あたりへ行くとこうした空を見ることが多いが、ボローニャの街中で、うちのテラスからこんな空を眺められるのは珍しく、思いがけぬ褒美を貰ったような気分である。だから今日はカーテンを開け放っている。陽が差し込むのを防ぐため、周囲からの視線を防ぐためにカーテンをどの窓にも掛けているけれど、今日は特別、美しい空を眺めたいから。
今年は茗荷の収穫が思うようにいかず、数えても10個ほどにしかならぬ。昨年の豊作は夢だったかのよう。まあ、それもこれも根分けをしなかったせいだから、茗荷にごめんなさいと言うべきか。身から出た錆。この諺はこんな時に使うのだろう。それでも本日昼食用にひとつ収穫。よく研いだ包丁で摘みたての茗荷をサクサク刻むのは喜び。時々砥石で研いだり、使用後は直ぐにすすいで布で拭いたりと手間が掛かるこの包丁ではあるが、その切れ味は類い稀で、料理を面倒臭いと思っている私が自ら進んで料理をするようになったほど。料理人でもなければ料理好きでもない私が包丁に投資するなんて当初は相棒も私も笑ったけれど、いやあ、此れは本当に手に入れて良かった。

今日も素晴らしい晴天だから、旧市街は賑わっているに違いない。昨日、髪を切って店を出たその足で、少し路地やポルティコの下を歩いた。もうじき17時という時間帯で、街中がリラックスモードでよい感じだった。もうじき9月もお終い。来週には10月を迎えるのだと思いながら、本屋の店先を眺めたり、カフェのテラス席で寛ぐ人々の横を通り過ぎたりしていたら、向こうに素敵な人を発見。其れほど背が高いわけでもないし、スタイル抜群という訳でもない。日焼けした肌にグレーヘアを小さくまとめて。歳の頃は確実に70歳を超えていて、もしかしたらもうじき80歳に手が届くのではないかと思われるその女性だが、姿勢が良くて、彼女の装いが人々の目を惹いた。一目で見てブランドのものと分かるものはひとつも身につけていないのが、特によかった。明るいグレーの薄手のセーターを素肌に被り、こなれた白いパンツを履いて、ウエストを茶色の革のベルトを締めて。ただそれだけなのにどうしてこんなに品が良く見えるのだろう。私ばかりでなく、通り過ぎていく老若男女が振り替える程、九月の終わりに相応しい爽やかな演出だった。
年々歳を重ねている。健康で歳を重ねられるのは有り難いことと思いながらも、歳を重ねることが全く嫌でないと言ったら嘘になる。でも、時折こんな人を街で見つけると、歳を重ねても素敵でいられる人は沢山居るのだと教えられ、勇気づけられるのだ。それにしても彼女の素敵さの秘密は何だったのだろう。日焼けした肌? 綺麗にまとめたグレーヘア? それともぴんと伸びた姿勢? 今度見かけたら声を掛けたいと思っている。それほど彼女が素敵かを褒め称え、そして彼女のお洒落の秘密を聞いてみたい。

窓を開け放っていたらいい匂いが家の中に流れ込んだ。金木犀の匂いは勿論だけど、他に美味しくて香ばしい匂い。もしやポルチーニ茸。近所の誰かがそんなご馳走を頂いているかもしれない。うーん、ポルチーニかあ。景気がいいじゃないか。シーズンが終わってしまう前に、ポルチーニを購入しようと思う。そしてポルチーニのパスタなんて夕食にして、勿論美味しい赤ワインの栓を抜いて。美味しいものは生活を豊かにしてくれるのだから。




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迷信

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週末の快晴は空からの贈り物。ここ数日風が強く奇妙な天気が続いているが、今日も同様に風が強い。此の強い風が雲を向こうへ向こうへと追いやってくれるのならば、有難い風。此の強い風が私の金木犀の花を散らせたりしないだろうか、折角の柚子の実を落としたりはしないだろうかと心穏やかではないけれど、今のところ散ることもなければ実が落ちることもない。

昨晩遅く、聞いた事もない大きな音がした。居間のソファに転がっていた相棒が飛び起きる程の音。嫌な感じがした。胸騒ぎのする音だった。私達が猫を見に行って何ごともないことを確認してから家の中を見回って突き止めた其れは、バスルームの壁に備え付けられた大きな鏡だった。鏡が力尽きたかのように壁から外れて陶製の流し台に落ちたのだった。運よく角がほんの少し欠けただけだった。もし鏡が割れていたら。そんな事があってはならない。鏡を落として割ったらば、その家に7年間の不運が降りかかると言われているからである。それが単なる迷信であろうと知っていても、しかしこの大きな鏡が割れていたら、私は泣いていたに違いない。そして凹んでしまうのだ。私はそういうことに大変弱い人間だから。それを知っている相棒が直ぐに言った。大丈夫、割れなかったから、僕らは運がいいんだよ。
兎に角気分が悪いのでその鏡は処分することにした。力尽きて壁から落ちてしまうような鏡には、さっさと家から出て行って貰おうではないかと相棒と私の意見が一致したからである。
昔、ボローニャから丘の町ピアノーロの家に引っ越した時、クローゼットの扉一面の大きな鏡が割れた。相棒の友人が引っ越しの手助けをしてくれたのだが、うっかり手が滑ってのことだった。悪気があったわけではないし、何しろ大きくて重いものだ。そういう事故が起きても不思議ではない。だから私達は大丈夫、新しい鏡をつけるからと言ってやり過ごしたものだけど、内心私は心穏やかではなかった。不吉な予感がした。
世の中にはいろんな迷信があって、例えば黒猫を引っ張り出すこともあるけれど、私は黒猫に関しては問題がない。寧ろこんな可愛いのを不吉のシンボルにするなんてとんでもないと思っていて、黒猫が居ると抱き上げてぎゅっと抱きしめてあげるのだ。可愛い猫ちゃん、大丈夫、私が守ってあげるからと。但し鏡は宜しくない。鏡だけは宜しくない。
今日は午後に髪の手入れに行き、家に帰ってきたらバスルームに新しい大きな鏡を発見。相棒が用意してくれた私好みの、上の方が大きくカーブしていて、分厚くて重みのある良い鏡。前の鏡よりずっと感じが良くて、雰囲気のある大きな鏡が壁にかかっていた。この鏡に替えるために、前の鏡は力尽きて落ちた、そう思えばいい。決して嫌なことではないのだ。こんなにすぐに鏡を取り付けてくれたのは、私が多少ながら昨晩のことを引きずっていることに気づいた相棒の、思いやりだったと思う。有難うと言う私に相棒は照れながら言った。こんな感じのいい鏡が手に入って、僕らは運がいいんだよ。

それにしても髪が綺麗になって気分爽快。綺麗にカットして貰って、此れからひと月気持ちよく過ごせそうだ。今秋の手持ちの衣類はジャケットにしろ何にしろ新しいものはひとつも無いけれど、髪が綺麗になっていれば素敵でいられると思う。素敵な秋は素敵でいたい。今日の私はそんな風に思っている。




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眼鏡

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昨夜から大風が吹き始め、今日も朝から晩まで大風だ。風は生温く湿度を含んでいて、奇妙、そう呼ぶのがぴったりだった。数日前に体調を崩したのを未だに引きずっている。元気になったと思い込んで元気なふりをしたけれど、駄目なものは駄目。夕方には力尽きて家に帰るなりベッドの上に寝転がった。にゃーにゃーと鳴いて猫が心配してくれたと喜んだが、案外、ベッドに寝転がってなどいないで早く夕食を出して頂戴と訴えていたのかもしれない。それにしても金曜日。金曜日の夕方はどれほど疲れていたって嬉し過ぎて言葉にならない。

最近目が疲れている。理由は仕事で小さい数字を追うことが多いからだ。私は年齢の割に手元の文字が良く見える方で、医者が老眼鏡はまだ必要ないと言っていたが、昨冬辺りから急激に視力が落ちて老眼鏡を使うようになった。例えば針仕事をする時、例えば小さい数字を仕事で追う時。春に日本に帰った際に老眼鏡を作ったのはそんな理由からだった。それにしても日本の眼鏡は何て安いのだろう。イタリアで眼鏡を作ろうものならちょっと躊躇するような値段になるが、日本ではよい眼鏡を手頃な価格で頼むことが出来るのだ。散々迷ってフレームを選び、必要なレンズを選んで3日も経たぬうちに仕上がった、私の眼鏡。それが今、大活躍している。
イタリアでは老眼鏡と言う呼び方は存在せず、近くを見るための眼鏡とか、読むための眼鏡と呼ばれる。手元が見えない悩みは老いも若きも共通事項だからかもしれない。事実やっと30歳を超えたばかりの人も、この手の眼鏡を使うから。ところで私は老眼鏡という呼び方に嫌な感じは持っていない。だから自ら老眼鏡なんて呼んでいる。いいじゃないか、誰もが歳をとるのだから。自然に行こうよ。その代わり老眼鏡は洒落ているのがいい。掛けた時に顔が老けて見えるような眼鏡は避け、シックな物や快活な色の物が好ましい。私の周囲の人達、特に男性は黄色やボルドーのセルロイドフレームの老眼鏡をかけているが、いやあ、洒落ている。必要で掛けているけど、お洒落心は忘れていない。此処はイタリア。そういう人達が沢山居る。

週末に乾杯。今夜の赤ワインは特別美味しかった。ちょっと奮発したから。そして金曜日の晩だから。




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私の靴

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うっかり体調を崩して寝込んだ。でも休養した甲斐あって元気復活。無理はしないと心に決めた。自分に優しくしたいと思う。兎に角、今日は元気。秋晴れも手伝って気分が良い。それに金木犀がいい匂い。気分が良くない筈がない。

靴の修理屋さんにショートブーツを持ち込んだのは先週始めのことだ。先シーズンの終わりに面倒臭がって靴の裏と踵の修理に出さなかったのは失敗だった。店に行ったら店主は私と私の靴を覚えていたのは良いけれど、シニョーラ、すぐには出来ないんですよ、このところ凄く忙しいんだから、とすまなそうな顔をした。どうやらどの客も私同様、シーズンの終わりに修理に出さなかったらしい。しかし商売繁盛、店主にとっては嬉しいことに違いなく、大丈夫、まだ履くのは少し先だからと言って靴を置いてきた。昨日仕上がった筈だけど、生憎寝込んでいたので今日の夕方店に行ってみたが、店は閉まっていた。ああ、そうだった。今日は木曜日。木曜日の午後は店を閉める習慣が、ボローニャの個人商店では今も守られている。旧市街の多くの店はもうそんな習慣を忘れたかのように、木曜日の午後も営業していているけれど。消費者にとっては嬉しいこと、木曜日の午後も店が開いていることは。でも、と思う。こんな風に古い習慣を保っている店が少しくらい存在しているのは悪くない。それが嫌な人は他の店に行けばいいだけのことだ。私はこの店に拘りがある、靴が好きで好きでこの仕事に就いたという店主の仕事は丁寧で美しいから。その証拠に客が絶えない。いい仕事をする店はたとえ古い習慣を保ち続けていても客はちゃんと来るのだ。ま、そういう訳で靴の引き取りは明日の夕方にしようと思っている。持ち込んだ靴は綺麗に磨いてあったけど、きっとピカピカに仕上がっている筈だ。店主は何時も修理の後に、私の靴をピカピカにしてくれるのだ。全く有り難い話である。
この秋、ショートブーツを新調したいと思っている。気に入っていた十何年履いた黒のショートブーツは、先シーズンの終わりに遂にさよならを告げた。もう少し、もう少しと思いながら履き続けたが、今までありがとう、お疲れ様となった。同じショートブーツが欲しい。全く同じ奴。手に入るが十何年もの間に値上がりして、ちょっと戸惑っている。しかしそれもまた十何年履くことが出来ると思えばよいのかもしれないけれど。うーん、迷う迷う。自分への誕生日プレゼントにすればいいかもしれないけど、迷うなあ。

相棒が写真の本を持ってきてくれた。写真上級者向けの本。私には難しすぎる内容がけど、美しい写真が一杯で面白そう。これから時々本を開いてみようと思う。但し字がとても小さくて、夜に読むには不向きな本。最後のページにたどり着くまで沢山時間が掛かりそうである。




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