ご馳走

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昔、アメリカの友人ボブがボローニャにやって来た。あれは確か2002年のこと。まだ私がフィレンツェの、ヴェッキオ橋近くに在った職場に通っていた頃のことだ。春先の、雨が沢山降る日に彼はやって来た。彼は相棒の親友、そして私の親友であり親戚のおじさんのような存在だった。20歳近く離れている彼は物知りで話をしていて面白かったし、私は彼にしてみれば予想外のことを考えたり行動したりする、手の焼ける小娘みたいなものだった。ボブにとって初めてのイタリア。あの頃のアメリカ人にとってイタリアは、憧れの地みたいなものだった。だから彼も、それはもう期待と希望に満ちてボローニャにやって来たから、こじんまりとした素朴な街ボローニャには心底驚いたに違いない。週末は一緒にポルティコの下を歩き、平日は相棒が車で丘を走ってみて回った。そもそも都会派ではない彼のことだから、そういうことで充分だったのかもしれない。ある朝、彼は私と一緒にフィレンツェ行きの列車に乗った。いつもの通勤仲間たちが、今日が外国のおじさんと一緒なんだね、なんて言ったものだった。そんな通勤仲間の中で彼は居心地が悪かった筈なのに、片言のイタリア語で交流しようとして、なかなか社交的だった。彼は私の職場の前までついてきて、昼時に此処で待ち合わせをする約束をして、ひとり歩き始めた。写真家の彼は大きなカメラを片手に、それはもううきうきした足取りで。昼時に彼はちゃんと約束の場所に戻ってきて、私達はアルノ川沿いの洒落たレストランで簡単な昼食をとった。本当はもっと家庭的な店に連れて行きたかったのだが、職場の近くにそうした店が無かったのだ。

そんなことを、今回フィレンツェを歩きながら思い出した。そんな時見つけたトラットリア。路地の角っこに在る見るからに古い店。今時は中がどんな様子かすっかり見えるガラス張りの店が多いけれど、この店に関しては中が全く見えなかった。ガラス戸には布が掛かっていて、中は見せません、と言っているかのようだった。ただ、いい匂いがした。壁に掲げられていたメニューを見たら、料理の種類は沢山なく、そして値段は手頃だった。店の名前は遠い昔に聞いた事があった。うーん、どんな店だろうかと思いながら、兎に角温かいものが欲しいと思って扉を開けて、あっと思った。大衆食堂みたいな雰囲気の店だった。扉を開けて直ぐの場所にレジを守るシニョーラが居て私を迎えてくれた。簡単な昼食をとりたいのだけれど。という私に奥に行くように促して、大きい声で男性の名前を呼んだ。すると奥から歳の頃は確実に50を超えた男性が出てきた。奥の部屋には赤と白のチェックのクロスが掛かった長いテーブルが幾つもあって、綺麗にテーブルセッティングがされていた。独り席やふたり席はない。恐らくこの店は相席をするのが普通なのだろう。ただ、まだ12時とあって私は一番乗りだったから、相席も何もない。長いテーブルの端っこに私は落ち着いた。リボッリータというトスカーナ料理がある。黒キャベツやインゲン豆、余った野菜や固くなったパンなどをことことと煮込んだスープで、冬のご馳走である。ご馳走なんて私は言うけれど、もともとはあまり物で作った家庭料理。だから昔の人達に言わせればご馳走なんかじゃない。但し調理に時間が掛かるし色んなものが入っていて兎に角美味しいから、私はやはり冬のご馳走と呼びたい。私は其れとグラス一杯の赤ワインを注文した。店の男性は私に関心を持ったようだった。見るからに東洋人、だけどイタリア語を話し、ひとりでこんな店に飛び込んでくる。上等のオリーブオイルを垂らした温かいリボリータが運ばれてきて、それを食べ始めたら話しかけられた。私は食事に忙しいが、まあいい、連れが居ないから、話し相手に丁度良かった。そのうち年配の、身なりの良いシニョーラが来て、奥の席に腰を下ろした。シニョーラは恐らく常連さん、連れの人達は後から来るからなんて店の人と気軽に話をしていたから。何をしている人だろうか、この辺りに職場がある人に違いない。そして週に数回此処で昼食をとるのだろう。後から来るのは職場の人達だろうか、それとも彼女の家族だろうか。私は食事を終えて店を後にしてしまったから、その答えは分からず仕舞い。
店を後にしながら思ったのは、ボブを此処に連れてくることが出来たなら、ということ。きっと喜んだに違いない。あの雰囲気、イタリアの大衆食堂の砕けた雰囲気は、気に入ったに違いないのだから。其のボブはもう何年も前に空の住人になった。また遊びに来るよ、なんて言っていたのに。フィレンツェの路地を歩きながら、そんな昔のことを次から次へと思い出した。そうだ、帰りの列車の中で彼は言っていたっけ。君は毎日フィレンツェに行けるなんて、なんて素晴らしいんだ。そう言われて思ったものだ、時間どうりに発車しない列車通勤は決して楽ではないけれど、確かに、美しい街フィレンツェに毎日通えるのは確かに素晴らしい、と。

シニョリーア広場に面した老舗カフェは昔のまま。もうあの年季の入った店の人は居ないけど、カッフェも小さい菓子も美味しい。久し振りに入って店が今も昔のままだと分かってほっとしながら、カッフェや小さい菓子の値段の高さに目を丸くする。此処はイタリアが誇る観光地、しかもフィレンツェの一等地ときているから仕方があるまい。そう思いながらも驚くのだ。私にはボローニャくらいの物価が似合っている。




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アルノ川の向こう

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フィレンツェに足を運ぶと、時々ここに来たくなる。アルノ川の向こう側に在る、サント・スピリト教会。理由は何だろう。考えてみたいと思う。青い空に良く映えるこの教会を、街の人は好んでいるに違いない。だってこんなに美しい。




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路地が好きだ

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沢山歩いた足の疲れは一日遅れでやって来る。勿論昨日の晩も疲れはあったが、それは違う質の疲れ。歩き慣れぬ街を探検するように歩いた疲れ、そして列車に乗って別の街に行った疲れ。神経疲れみたいなものだったと思う。イタリアの旧市街は石畳が多いから長く歩くと足が疲れるものだけど、それにしたってこんなに疲れるなんて、初めてのことで戸惑いながら、確かにフィレンツェを歩いた徴なのだと思ったら、思わず笑みが零れた。

フィレンツェの目の覚めるような青空に気を良くしてどんどん歩いた。この街は本当に、一年中旅人で賑わっている。特に大聖堂からヴェッキオ橋はお見事と言いたくなるほどの混みようで、人混みが苦手な私は路地から路地へと渡り歩いた。華やかな場所と静かな場所。イタリアのどの街に行っても思うのだが、どちらもとても魅力的。その街の見どころと呼ばれる華やかな場所に行けば、わあっと声を上げて称賛するし、旅行者が行かないような静かな場所に辿り着くと、わあっと安らぎを得た喜びの声を上げたくなる。特にフィレンツェのような大観光地は、静かな場所を見つけた時の喜びは大きい。
その昔5年間フィレンツェに通った。列車が時刻通りに到着した朝は、駅から職場までぶらぶら歩いた。勿論途中でカフェに吸い込まれて、カップチーノを頂いたりして。昼休みは食事もそこそこに街を歩いた。そして夕方は急いでいない日は同僚とエノテカに立ち寄ったりして、それなりにフィレンツェという街を愉しんでいたと思う。だから、それなりに街を知っていると思っていたわけだけど、何しろあれから19年も経ってしまったから、記憶もさることながら街全体に変化があって、何が何だか分からなくなってしまった、というのが正直なところである。
青い空に見惚れながら歩いていたら、知らない路地に迷い込んだ。でも焦ることはない。何しろ時間がたっぷりあるのだから。面白いのは此の街には多くの装飾品店があること。金細工とでも言おうか、細く長く続く道に小さな小さな店があると思うと金細工の店だったりして、私の目を惹いた。私はアクセサリーをあまり身に付けないのだが、興味がないわけではない。特に今はブレスレットやイヤリングに関心があって、だからそんな店の前を通り過ぎようものならば、素通りなど出来る筈がないのだ。そういう店の前で足を留め乍ら、感嘆する。この街らしい繊細さ、優雅さ。オリジナルのものが多く、大変魅力的だった。
その足で私はトリュフ入りバターを買い求めに店に行った。いつも行く店。良心的な価格がついている、親切な店員のいる店。私のトリュフ入りバター好きはうちの辺りでは知られていて、以前は近所に住んでいた老人マリーノが自家製のものを分けてくれたものだった。マリーノは自分の犬と山に行くのが好きで、トリュフの季節になると朝早く出掛けたものだ。そうしてトリュフを収穫しては周囲の人に振舞うのだ。実はマリーノはトリュフをあまり好まないのである。それなのにトリュフを探しに行くのは、犬と山に行くのが好きだからで、更には収穫したトリュフを受け取る人の笑顔が見たいからだった。手間暇かけてトリュフ入りバターを作っては、此れは君の奥さんの為に、なんて言って相棒に渡してくれた。そんなことが何年も続いていたが、何しろ歳だったこと、心臓が強くなかったことから、数年前に空の住人になった。それ以来私はトリュフ入りバターを店で購入するようになったのだが、それを手にするたびにマリーノのことを思い出すのだ。相棒も同様らしく、トルテッローニをトリュフのバターで簡単にからめたものを赤ワイン片手に頂いていると、マリーノのことを話し出す。多分これからもずっとそうだ。それが私達流の彼への感謝の徴なのだ。それで今回もふた瓶購入して、ご機嫌で店を出た。これで良し。約6週間後にフィレンツェ小旅行を予定しているから、ふた瓶もあれば充分だろう。これで良し。美味しいワインと生パスタの一皿。此の喜び溢れる時期に相応しい、私なりの小さな贅沢。

私を喜ばすのは簡単だと相棒は言うけれど、あはは、本当だ。晴天と美味しいものと穏やかな時間があればいい。特に冬場の青空と赤ワインと温かい美味しいものは、幸せという以外に何と言えばいいの?




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びっくりするほど空が青い

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私にとって小旅行とは、肩に力を入れることなく、ふらりと列車に乗れる、いつもの生活の続き、みたいなもの。私は雨に辟易していた。近頃何処かへ行く日は必ず雨に降られるから、今回も傘を持っての一日となるに違いないと結構悲観的だった。昨夕、バスの窓から雨を眺めながら溜息をついたのは、そんな理由からだった。でも。今朝窓を開けたら灰色の分厚い雲が空を覆っていたけれど、雨が降っていないことを確認して、思った。ツイテイル。今日の私はツイテイル。

列車に乗った。ローマ行きの特急列車で、私は途中のフィレンツェで降りる。僅か30分である。二等車には15人程の男の子たちが座っていた。歳の頃は10歳と言ったところだろうか。付き添いとみられる大人が数人いて、興奮余って大騒ぎの子供達に言った。静かにしなさい。他の人達に迷惑が掛かるから。そうしては静かになり、3分と経たずに騒ぎ出す。まあ、子供というのはそういうものだ。折角皆での旅行に携帯電話でゲームやチャットなどをしている子供より、ずっと健康的でよろしい。学校の旅行に違いない。行き先は終点のローマだろう。色とりどりの小型スーツケースが棚に並んでいるのを眺めていたら、こちらの気分も上がってきた。旅の始まりは誰もがうきうきしている。

アペニン山脈のトンネルを抜けたらトスカーナ州。いつもと違う景色、いつもと違う色合い。びっくりするほど空が青く、いい一日になりそうな予感がした。フィレンツェ街歩きの始まり。




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月に一度の日帰り旅行。そういうのを始めて数か月経つ。初めはほんの思いつきだった。何時もボローニャにばかりいる自分が嫌になったのかもしれないし、単に変化を求めたのかもしれない。それから有給休暇をためておいてもいいことなんてひとつもないことに気づいたというのもある。元気なうちに愉しいことに使わなくてどうする?と、そんなところだっただろうか。でも、この思いつきは上等の思いつきだったと思う。毎月列車に乗って何処かに行くのが習慣になり、腰が重くて出不精だった私が、いそいそと近くの街に出掛けて行くのを相棒も快く思っているようだ。但し何故か雨が降る。何時も小さな傘を鞄にしたためての日帰り旅行。

ヴェネツィアを歩いていて感嘆するのは勿論路地や水路などのボローニャにはない小さな色々があるからだけど、でも、もっと大切な事がある。色。ボローニャにはない色が此の街に散りばめられているからだ。赤ひとつとっても、ボローニャの赤とヴェネツィアの赤は全然違う。温かみも柔らかさも深さも違うと思う。どちらがいいかなんて考えたことはない。ただ、いつも目に飛び込んでこない色にとても心を惹きつけられるのだ。そんな風にして好きな色を見つけては立ち止まり観察する私をたまに通り過ぎる人達は首を傾げたりするけれど。
そんな風にして歩いていたところ、小さな広場に面した建物の扉が開いたと思ったら、お年を召したシニョーラが中から出てきた。独りではない。手には革の紐、そして紐の先には小さな犬がいた。毛の長いぼさぼさした感じの灰色の犬。あまり若くないようだ。ゆっくり歩いて、扉が閉じたその前で座り込んだ。扉と広場の間には2段の階段。シニョーラは犬を促すべく、ほら、散歩に行きましょうと声を掛けたが犬は座り込んで動かなかった。そんな様子を眺めながら横を通り過ぎた私は、広場を横断して路地に滑り込んで歩いたものの、10分もして広場に戻ってきた。逆戻りしたのではなく、路地から路地を渡り歩いていたら、再び広場に出てしまったのである。同じ広場と気が付いたのは、あの建物の扉の前に、まだ犬とシニョーラが居たからだった。あら、まだ犬はあそこでねばっているのか。そう思ったら可笑しくなって小さく笑ったところ、シニョーラはそれに気が付いて照れながら言った。動かないのよ。私と同じように彼も歳をとっているからね。とても感じの良いシニョーラ、そして灰色の老いた犬。私は良い一日になりますようにと声を掛けて再び歩き始めた。
私の小旅行は素朴だ。有名なレストランで食事をすることもなければ、素敵な買い物をするでもない。美術館に入ることもあまりないし、誰か友人知人と会うこともない。だけど日帰り旅行の数時間がとてつもなく愛しく愉しいのは、こうした行った先で見る情景や人々、色や音が存在するからだ。君は安上がりだなあ、と相棒はいつも感心するけれど、私もそうだと感心する。それでいいと思う。私の日帰り旅行はそれでいい。

11月が今日で終わりだなんて。良く晴れた空に黄色い銀杏の葉が良く映えるのを眺めながら驚く。どんな11月だったかと訊かれたら、私は良い11月だったと答えるだろう。さよなら11月。ありがとう、とても愉しかったよ。




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