ご馳走
- 2024/12/14 18:34
- Category: 小旅行・大旅行
昔、アメリカの友人ボブがボローニャにやって来た。あれは確か2002年のこと。まだ私がフィレンツェの、ヴェッキオ橋近くに在った職場に通っていた頃のことだ。春先の、雨が沢山降る日に彼はやって来た。彼は相棒の親友、そして私の親友であり親戚のおじさんのような存在だった。20歳近く離れている彼は物知りで話をしていて面白かったし、私は彼にしてみれば予想外のことを考えたり行動したりする、手の焼ける小娘みたいなものだった。ボブにとって初めてのイタリア。あの頃のアメリカ人にとってイタリアは、憧れの地みたいなものだった。だから彼も、それはもう期待と希望に満ちてボローニャにやって来たから、こじんまりとした素朴な街ボローニャには心底驚いたに違いない。週末は一緒にポルティコの下を歩き、平日は相棒が車で丘を走ってみて回った。そもそも都会派ではない彼のことだから、そういうことで充分だったのかもしれない。ある朝、彼は私と一緒にフィレンツェ行きの列車に乗った。いつもの通勤仲間たちが、今日が外国のおじさんと一緒なんだね、なんて言ったものだった。そんな通勤仲間の中で彼は居心地が悪かった筈なのに、片言のイタリア語で交流しようとして、なかなか社交的だった。彼は私の職場の前までついてきて、昼時に此処で待ち合わせをする約束をして、ひとり歩き始めた。写真家の彼は大きなカメラを片手に、それはもううきうきした足取りで。昼時に彼はちゃんと約束の場所に戻ってきて、私達はアルノ川沿いの洒落たレストランで簡単な昼食をとった。本当はもっと家庭的な店に連れて行きたかったのだが、職場の近くにそうした店が無かったのだ。
そんなことを、今回フィレンツェを歩きながら思い出した。そんな時見つけたトラットリア。路地の角っこに在る見るからに古い店。今時は中がどんな様子かすっかり見えるガラス張りの店が多いけれど、この店に関しては中が全く見えなかった。ガラス戸には布が掛かっていて、中は見せません、と言っているかのようだった。ただ、いい匂いがした。壁に掲げられていたメニューを見たら、料理の種類は沢山なく、そして値段は手頃だった。店の名前は遠い昔に聞いた事があった。うーん、どんな店だろうかと思いながら、兎に角温かいものが欲しいと思って扉を開けて、あっと思った。大衆食堂みたいな雰囲気の店だった。扉を開けて直ぐの場所にレジを守るシニョーラが居て私を迎えてくれた。簡単な昼食をとりたいのだけれど。という私に奥に行くように促して、大きい声で男性の名前を呼んだ。すると奥から歳の頃は確実に50を超えた男性が出てきた。奥の部屋には赤と白のチェックのクロスが掛かった長いテーブルが幾つもあって、綺麗にテーブルセッティングがされていた。独り席やふたり席はない。恐らくこの店は相席をするのが普通なのだろう。ただ、まだ12時とあって私は一番乗りだったから、相席も何もない。長いテーブルの端っこに私は落ち着いた。リボッリータというトスカーナ料理がある。黒キャベツやインゲン豆、余った野菜や固くなったパンなどをことことと煮込んだスープで、冬のご馳走である。ご馳走なんて私は言うけれど、もともとはあまり物で作った家庭料理。だから昔の人達に言わせればご馳走なんかじゃない。但し調理に時間が掛かるし色んなものが入っていて兎に角美味しいから、私はやはり冬のご馳走と呼びたい。私は其れとグラス一杯の赤ワインを注文した。店の男性は私に関心を持ったようだった。見るからに東洋人、だけどイタリア語を話し、ひとりでこんな店に飛び込んでくる。上等のオリーブオイルを垂らした温かいリボリータが運ばれてきて、それを食べ始めたら話しかけられた。私は食事に忙しいが、まあいい、連れが居ないから、話し相手に丁度良かった。そのうち年配の、身なりの良いシニョーラが来て、奥の席に腰を下ろした。シニョーラは恐らく常連さん、連れの人達は後から来るからなんて店の人と気軽に話をしていたから。何をしている人だろうか、この辺りに職場がある人に違いない。そして週に数回此処で昼食をとるのだろう。後から来るのは職場の人達だろうか、それとも彼女の家族だろうか。私は食事を終えて店を後にしてしまったから、その答えは分からず仕舞い。
店を後にしながら思ったのは、ボブを此処に連れてくることが出来たなら、ということ。きっと喜んだに違いない。あの雰囲気、イタリアの大衆食堂の砕けた雰囲気は、気に入ったに違いないのだから。其のボブはもう何年も前に空の住人になった。また遊びに来るよ、なんて言っていたのに。フィレンツェの路地を歩きながら、そんな昔のことを次から次へと思い出した。そうだ、帰りの列車の中で彼は言っていたっけ。君は毎日フィレンツェに行けるなんて、なんて素晴らしいんだ。そう言われて思ったものだ、時間どうりに発車しない列車通勤は決して楽ではないけれど、確かに、美しい街フィレンツェに毎日通えるのは確かに素晴らしい、と。
シニョリーア広場に面した老舗カフェは昔のまま。もうあの年季の入った店の人は居ないけど、カッフェも小さい菓子も美味しい。久し振りに入って店が今も昔のままだと分かってほっとしながら、カッフェや小さい菓子の値段の高さに目を丸くする。此処はイタリアが誇る観光地、しかもフィレンツェの一等地ときているから仕方があるまい。そう思いながらも驚くのだ。私にはボローニャくらいの物価が似合っている。