青い扉
- 2015/04/27 21:21
- Category: 小旅行・大旅行
ボローニャは雨。一日中雨雲に覆われていた。それでなくとも月曜日は憂鬱と決まっているのに、其の上空の色まで冴えなければ、憂鬱になっても仕方があるまい。4月ももうすぐ終わりというのに肌寒い。そう言えば日本でもこの時期こんな天気の日があったものだと思い出しながら、日本とボローニャの小さな共通点を見つけたような気がして、少しだけ嬉しくなった。
ヴェネツィアを歩いて得た、全身の痛み。如何に日頃動いていないかを振り返る良い機会であった。その痛みも少しづつ緩み始めた頃、思い出した。あの青い扉の建物のこと。今回のヴェネツィア散策でどうしても歩きたいと思った界隈があった。カンナレージョという界隈で、大雑把に言うとサンタ・ルチア駅の背後にあたる辺りである。幾度も、と言ってもたかだか5回ばかりだがこの町を訪れているのに、その辺りだけはまだ歩いたことが無かった。そしてその横に連なる辺りにしても。だから今度こそ、何しろ時間がたっぷりあるし、何しろひとりの気ままな散策だから、と胸を躍らせていた。駅を出た多くの人々はヴァポレットという市営の船の乗り場に流れていき、残りは地図を片手にそぞろ歩きを始める。リアルト橋を目指しているのだろうか。そんな彼らに逆らうように私は途中で左折して運河沿いに歩き始めた。カンナレージョという名の運河だった。この界隈はこの運河から名前をとったのだろうか。そして手持ちの簡単な地図によると、この運河はそのうち大きな運河に合流することになっている。旅行者はまばらになり、目につき始めたのが地元の普段着の人々。道の名前を確認しようとしたらフォンダメンタという文字が目に飛び込んだ。フォンダメンタ。運河べりの道。だからこの辺りにはフォンダメンタ何とかかんとか、と、どの道にもフォンダメンタと書かれていた。私はこのフォンダメンタという言葉が気に入り、道名前を読み上げて歩いた。と、向こう岸に現れた大きな建物。豪奢とは言い難い、実に殺伐とした朽ちた白い建物だったが、青い扉が私の心を強く惹いて釘づけになった。ぼんやり眺めていたのはどのくらいの時間だっただろうか。通りすがりの主婦や犬を連れたおじさんたちが、一体どうしたんだい、と言わんばかりに私の顔をこっそり覗いていった。そうして思い出したかのようにレンズに収めると、私と同じような単身の旅行者の外国人が、あれは何か有名なのかと聞くので、さあ、知らないわ、答えると首をくすめて行ってしまった。有名であろうとなかろうと、どうでもよかった。私にとってはそれはあまり意味のないことで、自分が美しいと思えば、自分が素晴らしいと思えば、魅力的だと思うならば其れで充分だったから。このカンナレージョ界隈がゲットー、つまりユダヤ人街だと知ったのは、つい最近のことだ。その歴史は以前何かの本で読んだことがあったが、まさかその辺りがゲットーであるとは知らなかった。そんなことが、この界隈を歩いてみたいと思った理由のひとつだったかもしれない。旅行者が心に描く華やかなヴェネツィアの印象は無く、素朴で地味で味わい深かった。いつかこの町に暮らすならば、私はこんな静寂のある界隈が自分に似合うのではないだろうかと思った。其れは彼らの歴史を知らなすぎる異国人の私らしい発想であり、それでいて案外本当に私に合う場所なのかもしれないと思った。運河の向こう側にある建物に魅入っていたが、目の前を通り過ぎた風変わりな船で現実に引き戻された。引っ越しなのだろう、家財を山積みした船で、沈みやしないかと心配したくなるような船だった。テーブルや小さな引き出しの箪笥。ランプもあれば何客もの椅子が積み上げられ、幾つもの段ボールの中にはいったい何が入っているのか。兎に角あまりに面白いので誰もが其れを眺めるものだから、船に乗った男性は恥ずかしくて仕方がないといった様子だった。だけど思い切って声を掛けてみた。Buongiorno! 引っ越しですか。 元気に明るく大きな声で。そうしたら、やはり大きな声で返ってきた。Buongiorno! 自分の引っ越しじゃないよ。友人のだよ。
挨拶は大きな声の方がいい。気分が晴々するから。特に見知らぬ者同士が初めて声を交わすなら。
外の雨。酷い降りになった。週明けからこんなでは、ちょっと先が思いやられる。ヴェネツィアも雨だろうか。洪水になどならねば良いけれど。