サン・ルイ島
- 2015/10/17 00:05
- Category: 小旅行・大旅行
サン・ルイ島。私は其処がどんなところかも知らずにアパートメントを予約したのは8月のことだった。2,3日ならばホテルで良い。しかしそれ以上になると、アパートメントの方が都合がよかった。理由はいくつかある。ホテルの朝食時間に合わせて起床するのが嫌いなこと。部屋の掃除に急き立てられるようにして部屋を出なければならない事。どちらも時間を気にせねばならない。そういうことが苦手なのだ、特に休暇中は。それから、時々、私が立ち寄るフランス屋の店主と職場の同僚が、パリで居心地の良いレベルのアパートメントは非常に高いと前に言っていたこと。それでネットで調べてみたら驚くほどレンタルアパートメント情報が溢れていた。見かけの良いアパートメントは沢山あったし、手ごろな値段のものから手が届かないような高級なものまである中で、最後まで残ったのがサン・ルイ島の小さなアパートメントだった。何がよかったのだろうか。島という響きが良かったのか、それとも写真で見る路地の寂れ具合が気に入ったのか、今考えても良く分からない。ただ、あ、此処にしよう、と、まるでここでなければならないような気がしたように覚えている。休暇を目の前にして時々立ち寄るフランス屋に赤ワインを一杯頂きに行くと店主と彼の妻が居たので、サン・ルイ島にアパートメントを予約したこと、パリに着いてから何をするかを考えると伝えると、サン・ルイ島に居たらそれだけで十分楽しいと言われた。いったいどんなところなのだろう。それが私が初めてこの島に関心を持った瞬間だった。
と言いながらも、私が得たこの島についての情報は少ない。セーヌ川の真ん中にシテ島と並んで存在することくらいだった。アパートメントの持ち主の説明に従って列車やメトロを乗り継ぎ、地上に上がって橋を渡り、荷物を引きずって其処に着いた時だって、まだ分からなかった。
人との接触が旅行先での楽しみのひとつであるとしたら、このアパートメントの持ち主との出会いは私にとっては忘れがたい旅先での記憶だ。70年代半ばにパリに降り立ってからずっと其処に住んで居る日本人女性であることは事前に知っていたことだ。レンタルアパートメントのサイトに記されていたからだ。私より年上であろう、35年もパリに居る女性。どんな人だろう、と楽しみにしていなかったと言えば嘘になる。外国に長年暮らす日本人と言うのは、時として大変癖があるものだけど、私はそういう人たちが案外好きだ。面白い話が一杯詰まっている。自分が見たことも聴いたこともない経験を体の中に一杯秘めているからだ。そんなことを考えながら彼女が上階から降りてくるのを建物の扉の前で待っていたら、古くて重い扉の中から出てきたのは、一瞬肩透かしを食らったように思う程、さっぱりとした軽やかな女性だった。鍵の使い方からごみの捨て方から、鍵を持つ住人だけが使えるエレベーターの説明を受けながら上の階に辿り着き、セルリアンブルーに塗られた小さな扉を開けたら、其処が私が数日過ごす部屋だった。こじんまりとした天井の低い部屋。これは欧羅巴ではよくある屋根裏部屋の特徴で、私はそれを昔から好んでいたこともあって、一目で気に入った。正面にある窓。屋根に備え付けられた小さな窓。どれもこれもボローニャの生活にはない情景。ああ、私はパリに居るのだと実感した瞬間だった。
彼女が私に腰を下ろすように促したのをよいことに質問をしてみた。そうすることが許されると思わせるような空気が、この部屋に存在したからだ。そして彼女もまた、そういうことを訊かれて迷惑がったり嫌悪を覚えるような人ではないように思えたからだった。70年代半ばに鞄を一つ持ってパリに降り立ったのはどうしてなのか。私がずっと知りたかったこと。するとまるで楽しかったことを思い出すようにして話してくれた。あの当時の日本。パリに来たきっかけ。パリに来た当時の事。外国人に貸してくれるアパートメントは酷く少なくて、恐ろしいほど高い部屋に住まねばならなかったこと。それからの事。今までのこと。耳を傾けながら、案外彼女と私は似た者同士なのかもしれないと思いながら、いいや、彼女と似たもの同士でありたい願望しているだけなのかもしれない、と私は心の中で様々なことを考えていた。皆にそうするのか、どうなのか。彼女が腰を上げて、それじゃ、何かあったら連絡をしてね、と言った時は1時間半がとうに過ぎていた。1時間半に私が彼女から感じたことはとても多かった。私がこのところふっきれなかった何かをことごとく抹消してくれるような快活さ。単に運が良かっただけでなくて、何かに向かって自力で歩んだ人間の強さ。大変だったとは言わず、そうだったのよと言い放つことの出来る淡々とした感覚。一度はパリに来るのをやめてしまおうかと思ったけれど、来てよかった、この人に会えてよかった、それが私のパリ滞在の始まりで、サン・ルイ島のアパートメントとの関係だった。
彼女は。彼女はどうだっただろう。パリで何をしたいのかと訊かれて、何の計画もない、ただ路地を歩きたい、時々足を止めて写真を撮りたいと言った私に、落胆しなかっただろうか。彼女が説明してくれるまでサン・ルイ島の歴史を全く知らなかった私を残念に思いやしなかっただろうか。しかし一日置いてから彼女が写真美術館に行くと良いと言ってくれたこと。彼女なりに私に気にかけてくれていた証拠だったかもしれない。
サン・ルイ島に在る建物は皆どこか歪んで見える。自分の目が間違っているのか、自分の体が曲がっているのか、それとも本当に建物が歪んでいるのか。道を歩きながら相棒に電話をして伝えると、記憶に間違えが無ければ100年程前にセーヌ川が洪水で大変だった筈だと教えてくれた。成程、それならわかる。それで地盤が歪んだのだろう。それで何百年も立て直しせずに存在するサン・ルイ島の建物がどことなく曲がって見えるのだろう。そんな建物の部分を見つけながら、それでもこの場所に愛着を持って暮らす人たちがいることを嬉しく思った。小さな島だ。うっかりすると橋を渡って他の場所に行ってしまう程の。特別なものはないけれど、味のある路地がある。サン・ルイ島に居たらそれだけで十分楽しい。フランス屋の店主と妻が言っていたことをふと思い出して、ああ、このことだったのか、と思った。
住み慣れた私のボローニャに戻ってきて嬉しい筈なのに、目を覚ましたら窓からサン・ルイ島の眺めが無いのが残念だった。ボローニャに帰ってきて嬉しいのか嬉しくないのかと、相棒に窘められたが、実のところ、私にも、分からない。