高気圧に乗って

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高気圧が上空を覆ったご機嫌な日曜日。いつもの調子で外に出たら歩いているうちに額に汗が浮かんだ。こんな年末は僕らがボローニャに住むようになってから初めてのことだねと私に訊く相棒の横で、姑が強く首を振る。いいや、80年代の年末はいつだってこんなだったと身振り手振りで説明する。でも僕らがボローニャに来たのは17年前だからそんな前のことは知らないよ、と相棒が姑に言い返すと、そうだったかしら・・・みたいな表情をした。80年代、私はまだ日本に居たし相棒はアメリカに暮らしていたのだ。最近彼女は昔から私たちがボローニャに暮らしていたような錯覚に陥る。そして私たちを心配させるのだ。姑は少しづつ記憶が曖昧になっているのではないだろうか。人は歳を取ると共に記憶が曖昧になるのは仕方の無いことかもしれないけれど。同じ年齢の自分の母とダブらせてはちょっぴり悲しくなるのである。頻繁に会いに行かなくてはと思う。さもなければいつも遠くに暮らしている糸の切れた凧のような私の顔を忘れてしまうのではないかと思って。気丈な母はひとり暮らしを望み、心配しすぎる娘たちを時々疎ましく思う程だ。元気な証拠であるけれど、それにしたって。それにしても高気圧なのだ。太陽の光が冬にしては強く、サングラスをかけて歩く人が沢山いた一日。なんて素敵な太陽なのだろう。そう思ったのは私だけではないだろう。

ピアノーロの家を売ったらボローニャ市内に暮らそうと決めてから様々なことが少しづつ動き出しているように感じる。いつの間にか出掛け嫌いになってしまった相棒が、最近頻繁に外に出掛けようと私を誘う。12月31日の旧市街なんてとんでもないと言っていた相棒が、今年は旧市街で新年を迎えたいと言い出した。どういう心境の変化だか知らないが、嬉しくない訳が無い。実際実行に移すかどうかは別にして、そういう気持ちは大切だと思う。それからフランコと彼の恋人ジョとの関係。私は数ヶ月まで彼らを知らなかった。相棒から名前を時々聞いていたけれど。ある晩彼らの家の夕食に招かれて初めて話をしてから、頻繁に誘われるようになった。カフェで音楽の演奏があるから来ないかとか。それから昨晩は映画に誘われた。そういえば年末は何をするのかとジョに幾度も訊かれていた。その都度私は引越しと答えて、楽しいイベントが無いことで彼女をがっかりさせていたのだ。映画。そういえば15年も映画館へ行っていないなかった。映画が大好きなのにボローニャに暮らし始めてから何故だか映画館の存在がとても遠くなってしまったのだ。天からころげ落ちてきた話に飛びついて彼らと映画を見に行った。思いがけず好みの映画で、思いがけず居心地のよい映画館で、とても楽しい晩になった。それにしても彼らはどうして私たちを誘うのだろう。ジョは落ち着いた思考能力を持つがまだ若いお嬢さん。一緒に出掛けたい同年代の友達が沢山いるに違いないのに。でも私は嬉しいのだ。彼女の存在が。地に足が着いたしっかり者だけど若い感覚に満ちた彼女の存在が。話しているとついつい笑顔になってしまうような可愛い彼女の存在が。いつも怒ってばかりいる人が多い此の世の中で、文句ばかり言っている人が多い此の世の中で、彼女のような人と知り合えたことは神様からのご褒美に思えるのだ。私もまた彼女にとってそんな存在であればよいのにと思う。出会えてよかった女性、みたいに。私を取り囲む何かが少しづつよい方向に動き出している。気のせいではない。多分。多分そうなのだ。


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街の生活

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ボローニャ市内に引っ越してきた。約6年間暮らしたボローニャ県ピアノーロ市のあの家を後にして。いい家だったけど、私も相棒もボローニャ市内の生活のほうが性に合うようだ。あれほど気に入って買った家を僅か数年で手放すことに私の姉は少々不審を感じていたらしいが、5回に4回は断っていた仕事帰りの友人との食事や食前酒をもっと自由に楽しめるようになること、通勤時間が短くなることなどのごくごく当たり前な理由を説明すると、それはよかったと喜んでくれた。特に友人たちとの時間をもっと持てることを喜んでくれた。そういうことはとても大切なのだと言って。女性は結婚すると家のことに縛られがちで、そんなことから不満が生じることが多いから、楽しきことは進んでするべきである。もっと外に出て友人たちとの付き合いを楽しむべきである。そうすることで家族とも上手くやっていけるのだ。というのが姉の人生論であった。私が覚えている姉はこんな風ではなかったから、姉の変化に驚くと同時に、姉がそんな素敵な考えを持つ女性になったことを心から喜んだ。目を覚ますとボローニャ市内にいる喜びを毎朝感じる。ダンボールが山積みの仮住まい生活は不便なことが多いけど、それでも嬉しく感じるのは恐らく自分でも気がつかなかった小さな不満がピアノーロの生活の中に沢山あったからだろう。市内のごみごみした生活に開放感を感じるといったら人は笑うかもしれないけれど、何か肩の荷が下りたような気分である。と相棒に打ち明けたら彼も同じだといって笑った。似たもの同士なんだね、と言って。さて、ダンボールに埋もれた此の仮住まいは、家主カルロ夫婦の家の隣にある。いつもの私なら家主の隣は好ましくないのだが、此の夫婦に関しては大変ポジティブなことに受け止めている。幸運と言ってもよいかもしれない。私よりふたまわり年上の彼らは年金生活者で、昔からの夢だったキャンピングカーを購入してからは思いついた時に旅に出掛けるのが彼らの大きな楽しみだ。今年は春を待つことなく、2月の終わりには出発らしい。旅の始まりはフランス、そしてスペイン、気が向けばポルトガルへもいくよ、とまるで当たり前のように旅のプランを説明する。いつ帰ってくるのかと訊ねたらボローニャの生活が恋しくなったら帰ってくるという。3ヶ月くらい、もっとかもしれないよ、と言って白い歯を見せて笑う。これほど仲のよい夫婦はみたことが無い。互いに尊敬しあって、互いを支えあう様子を素敵だと思う。私と相棒が、彼らから学ぶべきことは沢山あるに違いない。それにしても、此のダンボールの山積みをどうしたらよいのだ。直ぐにでもどうにかしたいところだけど、土曜日には是非とも旧市街を散歩したく、しかしそんなことをしていたらダンボールは一向に片付かないに違いない。ああ、今夜は悩むことになりそうだ。


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冬休みの前に

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朝起きたら雪が降っていた。どうも外が静かだと思っていたのだ。それにしても大きな雪片だった。手のひらに雪片を乗せてみたら直径4cmもあったが、直ぐに溶けて消えた。積もる雪ではないらしかった。安堵の溜息をついた。昨日降らないでくれたこと、積もりそうにないこと、明日から冬休みになること。奇麗に仕事を終えれば気持ちよく冬休みを迎えることが出来るからと懸命に働いた12月だった。その甲斐あって笑顔で今日を迎えることが出来たから、心から感謝である。

夕方少し早めに切り上げて職場を後にした。朝降っていた雪はすっかり上がり、ほんのりと空が明るかった。それにしても空気はきりりと冷たくて手袋をしないで歩いたらあっという間に指先が痺れるほど冷たくなった。そんな寒さにもかかわらず、ボローニャ旧市街は人で賑わっていた。これはよい。私はそんな様子が見たかったのだ。クリスマスを前にしてうきうきとした足取りで街を行き来する人達を。家族や恋人への贈り物を購入した人達とすれ違うたびに、楽しい気分になった。家に帰ればダンボールの山。荷造りしたもの、これから荷造りするものを眺めては本当に引越しできるのだろうかと不安になる。そういえば似た様なことを言った人がいた。帰国直前の知人だった。それを思い出して苦笑しながら、ダンボールに荷を詰める。何とかなるさと自分を励ましながら。

寒い中ボローニャにやって来て食前酒や夕食を共に楽しんでくれた人、折角の週末なのだから楽しまなくてはねと誘い出してくれた人達。全ての人に有難う。クリスマスを直前にして引越し作業を手伝ってくれる友人知人にも深く感謝。自分ひとりで生きているのではない、沢山の人に支えられていることを実感した12月だ。このところの疲れで扁桃腺が怒っているが、それも何とかなるだろう。何しろ明日から冬休みなのだから。引越しは26日。ネットが繋がらなくなる前に皆さんに季節のご挨拶を。

心温まるクリスマスをお迎えください。近いうちに会いましょう。


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木と私

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12月になった途端、毎日が駆け足。仕事も忙しければ、生活も俄かに忙しい。それもこれも年末に引越しをしようなんてことになったからだ。荷造りはやってもやっても終わらない。そのうち家中が箱で埋まってしまいそうだ。と、自分の背丈よりも高く積み上げられた箱を見上げて溜息をつく。しかしこれもポジティブな変化のためと思えば悪くない。それに元気だから大丈夫。ああ、元気って何て素晴らしいことなのだろう、と最近毎日のように思う。そんな合間を縫って社交を楽しむ。どんなに忙しくたって、この楽しみを通過など出来ない。自分から誘って出掛けるのも、誰からか誘われて出掛けるのも、素敵なことだと思う。人間との交流は私の生活のエッセンスで、そんな交流を通じて感じたことも考えたことも私の大切な宝物だ。

人間も好きだが、私は木が大好きだ。昔住んでいたアメリカの町には背の高い街路樹があちらこちらに存在して海からの風にゆらゆらと枝を揺らし、細長い葉が気持ちのよい音楽を奏でた。それがユーカリの木と知ったのはその町にまだ住み始める前のことだった。私がまだ旅行者として半年に一度足を運んでいた頃のことだ。教えてくれたのは知らない年上の日本人だった。一見胡散臭そうなその人は、ひょっとしたら何か大変な苦労をしたのかもしれない、と想像させるような一種独特な空気が周りを包んでいた。親切だけど分厚い壁があった。旅行者の私にはそれが何であるか想像することは難しかったが、そのうち私がその町の住人になって暫くするとその答えが解ったような気がした。彼は多分、異国人としてその町に暮らすうちに自分を守る壁を築き上げたのだ。多分何かそんな理由があったのだ。兎に角そんな彼ではあったが旅行者の私に大変親切だった。別に下心があるでもなく、単に母国から来た好奇心に満ちた若い私の知っていることを教えてあげたい、そんなことだったと思う。海のほうから長細く続く、日比谷公園の3倍もあるような大きな公園に沿って、ユーカリの木は連立していた。私が木を見上げて耳を澄ましていたら、これはユーカリの木なのだと声を掛けてくれたのだ。青い空に向かって伸びたユーカリの木は、悠々と枝を伸ばしていた。その姿は今にも優雅に踊りだしそうで、私は小さな声でユーカリ、と何度も呟いた。こんな木になりたいと思った。風にゆらゆら揺れて気持ち良さそうなユーカリの木。ユーカリについては何時までも覚えていたが、彼についてはそのうち忘れてしまった。その半年後に再びその町で偶然に会うまでは。何処かでお会いしましたね、と声を掛けられるまで。一種独特な空気を纏ったその人を見て、私は即座に思い出した。ユーカリの木です、と答える私に彼は、ああ、ユーカリの木の人か、と言って笑った。あの時確か私たちは自己紹介をしたはずだが、いくら思い出そうとしても出てこない。確か彼はアメリカ名を持っていて、そんな風に自己紹介をしていたはずだけど。あれから沢山の木を見て憧れた。200年も経つ大きなセコイアや、とてつもなく大きな柳の木。先日アムステルダムを歩いていたら家の前に木が生えていた。生えていたと言うよりは植えられていたと言うべきかも知れない。何しろ窓と窓の間に行儀よく佇んでいたのだから。ぱっと両腕を広げるようにして。私は木が大好きなだけではない。恐らく木と私は相性がとてもよいのだ。神様が木として生まれるべき私をうっかり人間にしてしまったのではないだろうかと思うほど。引越し先のボローニャの仮住まいに移る私と相棒は、年が明けたらゆっくり家を探すことになるだろう。希望要素は沢山あるが私は思うのだ。木が見える家がいい。窓の直ぐ其処に木がある家、それが私たちの新しい家になるだろう。


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冬の朝

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寒風だった。帽子を被らずに外に出たら寒風が頭を撫でて通り、あっという間に頭が冷えた。うっかり帽子を忘れてしまった。家に戻って帽子を目深に被って改めて外に出たが、もう手遅れだった。酷い頭痛が始まってしまった。冬は襟巻きと帽子と手袋、そしてブーツが必需品。うっかりどれかひとつでも忘れようものなら、忽ちこんな具合である。ボローニャに暮らすようになってそんな風になった。寒いはずだった。もうじき8時と言うのに気温は零下3度だった。

昔、私がまだ小さな子供だった頃、こんな寒い日には霜柱は出来た。アスファルトされていない道が沢山あって、私と姉はそんな道を歩いて学校へ通った。家から歩いて15分ほどの道のりだったはずだ。しかし私たち子供が歩くと妙に長い道のりに思えてならなかった。冬の朝は嫌いだった。窓から庭を眺めて地面が白くなっていると、見ているだけで寒く感じた。母に追い立てられるように姉と私は家を出て、庭に出るとサクッと音がするのだ。私が霜柱を踏み潰した音だった。霜柱は驚くほど美しく高さが2cmもあった。こんな日は木の葉までもが霜で白く覆われていて、北国に迷い込んだような気分になった。姉が私と一緒に登校するのが嫌いだった理由は私が酷くのろかったからだ。歩くのがのろいだけではなく、立ち止まって霜柱を観察したり、霜に覆われて見るからに寒そうな道端の雑草を眺めてみたりと、一向に先に進まないからだった。それでも姉が私を連れて学校へ向かったのは、勿論母からの言いつけであるからで、それから多分、それでも姉は私を好きだったからだ。寒い冬の日に、時々大きな氷柱をみることもあった。私はそんな氷柱をもっと近くで眺めたかったが、姉は危ないからといっていつも私の手を引っ張って後ろに下がるのだった。そうでなくともそそっかしい妹がこんな所で怪我でもしたら大変、と。私たちはそんな具合で、私たちは全くそのまま大人になった。姉はしっかり者で頼りになる大人になり、私は気ままで思いついたことを優先する小さな子供みたいな大人。寒風のせいで酷く頭が痛いくせに、そんなことを思い出してくすりと笑う。遠くに暮らす姉もまた、こんな寒い日にはこんなことを思い出したりするのだろうか。遠い昔の私たちの温かい思い出。


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