懐古心
- 2008/10/27 21:22
- Category: 友達・人間関係
ボローニャ旧市街は良く知っている。そう自分で思い込んでいたようだ。いや、そうでありたいと願望していたのかもしれない。でも、本当はちっとも知らないのだ、と気がついた。何時も通る路、何時も入るカフェや店、足を止めて寛ぐ広場。私が知っているのはそれだけなのだ。けれども残念なことではない。まだまだ見ること知ることは沢山あると分かって嬉しくなった。私は少し退屈していたのだ。ボローニャに慣れすぎて、感受性が少々鈍っていたようだ。ある日、長時間町を歩いた。別に新しいものや珍しいものを探していたのではない。右に左に曲がって、足が向くままに歩いたのだ。そして気が付くと旧市街の南西部分に当たるvia saragozza を歩いていた。この路は懐かしい。ボローニャで初めて居を下ろしたのがこの界隈で、何かにつけてこの辺を歩いたからだ。店の多くは入れ替わっているに違いないが天井の低い古いポルティコは昔のままだ。古い古いポルティコの下をそんなことを思いながら歩いていたら小さな新聞屋があった。新聞屋というよりは新聞や雑誌を売る店だった。この店は今もあるのか、そう思いながら中を覗いてみたがあの頃の店番をしていた老人は見当たらず、その代わりに中年と呼ばれる年頃の男性が奥に座っていた。息子だろうか。そんなことを思いながらまた歩く。路の向こう側に何か見えた。行きかう車に注意しながら路を渡って店のショウウィンドウの前に立ってみて、それが何だか初めて分かった。家具だった。アメリカの50年代の手作り家具だった。それは私が使っていた机に良く似ていた。椅子は形が違うけど、オーク材のこんな感じの座り心地の良いものだった。50年代風に作ったものでなくオリジナルであることが分かると、我慢が出来なくなって店の中に足を踏み入れた。まるで倉庫のような店だった。店は奥深く続いており、アメリカのものだけでなくどうやらイタリアやフランスのものも扱っているらしく、それらが上手く存在しあっていた。店の女性に声を掛けた。見て回っていいですか。勿論です、さあどうぞ。そんな風にして私を一番奥の部屋に誘導してくれた。私はアメリカでこんな風に店を見て回った。あっちにもこっちにも存在するこの手の店を訪ねるのが私の一種の楽しみだった。店の女主人が話し始めた。彼女はカナダに20年暮らしていたこと、カルガリーで農園をしていたこと。りんごを育てていたけれどある年のりんご農園の危機をきっかけに引き上げて、故郷のボローニャに店を開いたこと。それまでも北米の家具や小物が好きで集めていたこと、農園を手放したのは残念だったが故郷のボローニャで好きな家具の店を持てたのは幸運だったこと。そんな風に色んなことを次から次へと。いつの間にか彼女の夫も横に並んで、初めて会う私に懐かしい話を聞かせてくれた。私はAnna、夫はSergio。そう彼女は言って私に握手を求めた。不思議な人達だ。単なる店と客の関係を超えた何かもっと近いもの、何かもっと・・・分からないけど何かもっと。また遊びに来て頂戴、と彼女は言って店を出る私に手を振った。私のアメリカ家具への懐古心が新しい人間関係のきっかけを作った。