柿の木のある家
- 2015/10/25 22:26
- Category: bologna生活・習慣
冬時間になって時計の針を一時間戻した日曜日の朝、陽が昇るのが早くなって嬉しかった。それに、一時間儲けたとでも言うのか、一時間多く眠ることが出来てご機嫌だった。勿論その分暗くなるのが早くなるわけで、夕方には残念だと言うに違いないけれど。
日曜日は姑のところに行くのが恒例だけど、今日はそれを止めていつもと違う日曜日にしてみた。午後の早い時間に食料品市場界隈に立ち寄ったら、青果店は皆が皆、お見事と言いたいほど店を閉めていた。日曜日だもの、当然。と向こうの方に一軒だけ開いている店を見つけて立ち寄ってみた。この夏、唯一店を閉めずに営業していた店だ。一番初めに目に飛び込んできたのは柿。果肉が熟してとろとろになった柿と硬い柿。熟した方はスプーンですくって食べる、果物と言うよりもデザートのような存在だ。私は未だに好きになれないけれど、私が知るイタリア人の多くがこれをとても好んでいる。ビタミンが豊富で繊維が豊富で、美容と健康に良い、というのが理由らしかった。其れよりも私は堅い柿が好き。しかしカリカリではなくて少しは柔らかくなった、食べ頃の奴がいい。店員にこんな柿を選んでほしいと頼むと、熱心に選んでくれた。大きな柿を3つ。これで4ユーロとは安いのか高いのか実を言うと分からないけど、日曜日にも店を開けてくれた代金が含まれていると思えば、文句のひとつもないというものだ。柿を購入して帰りのバスに乗るべく停留所に向かう途中、ふと思い出した。柿、そうだ、柿だった。
パリから帰ってきた翌日の夕方、19時45分だからね、と相棒に言われた。何のことかと思えば、どうやら相棒は知人から夕食の招待を受けているらしく、それには私も含まれているとのことだった。そんなことは聞いていないと言うと、でも君がパリから帰ってくるのを待っての夕食会なのだからと言う。どうやら断ることは出来ないらしく、仕方ないなあと思いながらも相棒の顔を立てるために夕食会に行くことになった。知人の家は、私達の家から歩いて5分ほどのところにあるが、僅か5分でこんな田舎のような雰囲気の場所があることに私は酷く驚いていた。大きな庭がぐるりと取り囲んだ3階建ての大きな一軒家。作られた庭と言った感じはなく、実に自然だった。かと言ってこれが何となく出来上がったのでもなく、どうやら腕の良い庭師がこんな自然な感じに仕上げたらしかった。庭の中心ともいえる場所に2本の柿の木があった。ああ、柿の木がある、と思いながらその横を通り過ぎて家に入った。初めて会う相棒の知人夫婦。大変豊かな人達らしい。70歳前後で、穏やかで、知的な人達だった。奥さんの手料理は大変美味しくて、私が心底感心すると、50年前に結婚した時は料理のひとつもできなくて姑に眉をしかめられたのだと言って彼女は笑った。美しい銀のフォークとナイフ。クリスタルのグラスたち。フルコースの夕食。久しぶりにこんなエレガントな食事に招かれて、私は少し驚いていた。でも一番驚いたのは、この夫婦がとてもシンプルであることだった。富や豊かさをひけらかすことは無く、実に普通で好感を感じた。食後の菓子を頂きながら、私は柿の木の話をした。昔、私が子供だった頃、柿を食べて種を植えたら芽が出て大きな木に成長したこと。しかし何年経っても実がならず、いろいろ手を掛けてみても実がならず、遂に切り倒してしまったこと。桃と栗は3年、柿は8年で実がなるようになると言うけれど、と言ったところで、それは実に面白い、と彼らは言った。そうよ、日本にはそういう諺があるのよ、と言って、文字通りの意味と何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だというたとえであることを教えると、とても感心したらしかった。何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だということ。どうやらその言葉が私の印象をとても良くしたらしく、また近いうちに夕食会を開きましょう、と両手で私の手を包んでくれた。家を出る時に、妻の方が、柿が食べ頃になったら連絡するから取りに来なさい、と言った。凍るように冷たいが穏やかな晩、その柿の下を歩いてみたら、子供の頃に戻ったような気分になった。良い晩だった。
それであの柿は何時食べ頃になるのだろう。あの日はまだ青かったけれど。
案の定夕方暗くなるのが早くなって残念に思った。暗くなるのが早くて猫は驚いたらしい。私の体も驚いている。たった1時間の違いが、私の体のリズムを大いに狂わせてくれる。
日曜日は姑のところに行くのが恒例だけど、今日はそれを止めていつもと違う日曜日にしてみた。午後の早い時間に食料品市場界隈に立ち寄ったら、青果店は皆が皆、お見事と言いたいほど店を閉めていた。日曜日だもの、当然。と向こうの方に一軒だけ開いている店を見つけて立ち寄ってみた。この夏、唯一店を閉めずに営業していた店だ。一番初めに目に飛び込んできたのは柿。果肉が熟してとろとろになった柿と硬い柿。熟した方はスプーンですくって食べる、果物と言うよりもデザートのような存在だ。私は未だに好きになれないけれど、私が知るイタリア人の多くがこれをとても好んでいる。ビタミンが豊富で繊維が豊富で、美容と健康に良い、というのが理由らしかった。其れよりも私は堅い柿が好き。しかしカリカリではなくて少しは柔らかくなった、食べ頃の奴がいい。店員にこんな柿を選んでほしいと頼むと、熱心に選んでくれた。大きな柿を3つ。これで4ユーロとは安いのか高いのか実を言うと分からないけど、日曜日にも店を開けてくれた代金が含まれていると思えば、文句のひとつもないというものだ。柿を購入して帰りのバスに乗るべく停留所に向かう途中、ふと思い出した。柿、そうだ、柿だった。
パリから帰ってきた翌日の夕方、19時45分だからね、と相棒に言われた。何のことかと思えば、どうやら相棒は知人から夕食の招待を受けているらしく、それには私も含まれているとのことだった。そんなことは聞いていないと言うと、でも君がパリから帰ってくるのを待っての夕食会なのだからと言う。どうやら断ることは出来ないらしく、仕方ないなあと思いながらも相棒の顔を立てるために夕食会に行くことになった。知人の家は、私達の家から歩いて5分ほどのところにあるが、僅か5分でこんな田舎のような雰囲気の場所があることに私は酷く驚いていた。大きな庭がぐるりと取り囲んだ3階建ての大きな一軒家。作られた庭と言った感じはなく、実に自然だった。かと言ってこれが何となく出来上がったのでもなく、どうやら腕の良い庭師がこんな自然な感じに仕上げたらしかった。庭の中心ともいえる場所に2本の柿の木があった。ああ、柿の木がある、と思いながらその横を通り過ぎて家に入った。初めて会う相棒の知人夫婦。大変豊かな人達らしい。70歳前後で、穏やかで、知的な人達だった。奥さんの手料理は大変美味しくて、私が心底感心すると、50年前に結婚した時は料理のひとつもできなくて姑に眉をしかめられたのだと言って彼女は笑った。美しい銀のフォークとナイフ。クリスタルのグラスたち。フルコースの夕食。久しぶりにこんなエレガントな食事に招かれて、私は少し驚いていた。でも一番驚いたのは、この夫婦がとてもシンプルであることだった。富や豊かさをひけらかすことは無く、実に普通で好感を感じた。食後の菓子を頂きながら、私は柿の木の話をした。昔、私が子供だった頃、柿を食べて種を植えたら芽が出て大きな木に成長したこと。しかし何年経っても実がならず、いろいろ手を掛けてみても実がならず、遂に切り倒してしまったこと。桃と栗は3年、柿は8年で実がなるようになると言うけれど、と言ったところで、それは実に面白い、と彼らは言った。そうよ、日本にはそういう諺があるのよ、と言って、文字通りの意味と何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だというたとえであることを教えると、とても感心したらしかった。何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だということ。どうやらその言葉が私の印象をとても良くしたらしく、また近いうちに夕食会を開きましょう、と両手で私の手を包んでくれた。家を出る時に、妻の方が、柿が食べ頃になったら連絡するから取りに来なさい、と言った。凍るように冷たいが穏やかな晩、その柿の下を歩いてみたら、子供の頃に戻ったような気分になった。良い晩だった。
それであの柿は何時食べ頃になるのだろう。あの日はまだ青かったけれど。
案の定夕方暗くなるのが早くなって残念に思った。暗くなるのが早くて猫は驚いたらしい。私の体も驚いている。たった1時間の違いが、私の体のリズムを大いに狂わせてくれる。
キャットラヴァー
柿のお話は、興味深いものです。一つのことを、成し遂げることは、本当に、それなりの時間と努力、忍耐が必要ですよね。
ちょっと、落ち込んでいた時だったので、エネルギーをいただきました。
私達、来年、カリフォルニアへ行く予定を立てています。それも、車を運転して、大陸横断旅行を計画中。詳しいことが決定したら、また、報告させてください。大好きなカリフォルニアへ行けることが、今の私の楽しみになっています。