春巻きに冷えた白ワイン

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6月最後の日。今日も涼しい朝を過ごし、午後には雨が降って6月らしからぬ涼しさ。勿論バスを途中下車して停留所三つ分くらい歩けば汗ばむけれど、少し前の夕方に比べたら断然快適。金曜日とあって、ポルティコの下に並べられたテラス席は客で埋まっていて、週末を迎えた喜びやみうじき始まる休暇の話に花が咲いて楽しそうだった。私はと言えば今夜の為に美味しいものを調達しようと思って旧市街にやって来たと言うのに、生憎店はまだ閉まっていて空振り。途方に暮れてバスの停留所に向かって歩いた。欲しかったのはベトナム風春巻き。生春巻きも好きだけど油で揚げたものがいい。これをふたり分、大目に購入したいと思っていた。理由は食前酒。春巻きをつまみに冷えた白ワインを頂いたら愉しいのではないかと思って。

ベトナム風春巻きには思い出がある。アメリカで生まれて初めて共同生活をした。その後には3人暮らしになるのだが、初めは私より少し若い日本人女性とのふたり暮らしだった。とても明るい人で、軽快で愉しい人。ある日彼女を通じてもっと若い日本人女性と知り合った。一度だけ話しただけだったけど、ある日彼女から相談事を持ちかけられて、その待ち合わせ場所がベトナム料理店だった。何故そんな場所だったかと言えば、私達はまだ昼食を済ませていなかったし、ベトナム料理は美味しくて飛び切り安上がりだったからだ。私達はまだ無収入で、手持ちの貯金を大切にしなければならぬ身だったから、美味しくて安いその店は私達の強い味方だったのだ。それで彼女の話を聞いた。いくら彼女より10歳ほど年上と言えど、簡単に助言することが出来ず困った。でも彼女はそれでも話してよかったと言った。私に話を聞いて貰いたかったと言って、少し照れていた。そんな話を聞きながら私は揚げたてのベトナム風春巻きにも夢中だった。美味しいね。うん、美味しい。一体幾つ注文しただろうか、大きな胃袋を持った若い私達はあれをぺろりと平らげたものだ。
それからもうひとつ。イタリアに暮らすようになってから幾度かアメリカのあの街を訪問した。一度は友人の家に泊まり、階下に住んでいるベトナム系カナダ人の女性に夕食を振舞って貰った。手作りの春巻きだった。それが大変美味しくて、作り方を教えて貰ったくせに、メモした紙を失くしてしまいそれっきり。彼女は才女でよい職に就いていた。忙しい筈なのにこんな風に食事もきちんと作るのには夕食に招かれた誰もが脱帽して、そんな彼女に沢山の拍手を送ったっけ。

ベトナム風春巻きが食べたかった。相棒もそんな計画があったことを知ったら、残念がるに違いないから、秘密にしておこう。さよなら、6月。あっという間だったね。




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夏は黄色

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昨日の涼しさの余韻残る木曜日。今朝は涼しくて、動いても額に汗が浮かばぬ快適な空気に満ちていた。でも、知っている。昼には気温が上がることを。仕方のないことなのだ、何故ならもうじき7月なのだから。だから涼しげで、気分が明るくなるような色の衣類を選んで家を出た。木曜日、大好きな金曜日の一日手前は元気が出る色がいい。

夏場は白と黄色が好きだ。それから白と紺が好き。明るい緑も好きで、時にはサーモンピンク。冬場は黒や紺、グレーが多い私も、夏は思い切り明るくなる。私が黄色を身につけたら夏、と言ったのは相棒だ。確かに、彼はよく見ている。付き合いが長いだけあって。それで今日は白と黄色の組み合わせだった。黄色は太陽の色。向日葵の色。ビタミンの色。黄色を身に着ける人はあまり見かけないから、余計に黄色が好きなのだ。
そういえば黄色は昔から好きだった。母が縫ってくれた袖なしのワンピース。あれは確か、あの頃季刊誌だったミセスの子ども服という名の雑誌に載っていた写真が気に入って、母が苦心しながら縫ってくれたものだった。4歳と7か月上の姉とお揃いだった。近年姉は私と揃いの服を着るのが嫌だったと告白したが、私はそれが嬉しくてならなかった。何しろ姉は私の自慢だったから。大人から信頼されて、何をしても優秀で、近所の子供たちが皆姉を慕っていた。兎に角姉と揃いの黄色のワンピース。それを身に着けて叔母の家に泊まりに行ったり、奥多摩へ泊りに行ったり。今でもはっきり思い出すことが出来る。暑ければ暑いほど、黄色が美しく映えた。成長してあの黄色のワンピースがきつくなってしまった時の悲しみ。泣く泣く教会のバザーに送り出し、あっという間に買い手がついて目の前から消えていった。あの頃から私は黄色に心を奪われる節がある。多分これからも、ずっと。

風ひとつ吹かぬ静かだ晩。空を見上げたら美しい月。来週月曜日の満月に向けて毎日少しづつ膨らんでいる月。久し振りに月を見て、幸せ。どんなに忙しくても、どんな事があっても、月がいつも見守ってくれているから大丈夫。口数は少ないけれど、時々姿を現さないけれど、月は私の親友なのだ。





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小休憩

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今日は驚くほど涼しい一日だった。昨晩の雨が原因らしい。ボローニャの私が暮らす界隈では其れほど沢山降った訳ではないけれど、多分うちから南に行った丘や山の辺りでたっぷりと降ったに違いなく、吹く風が涼しくて時々肩をつぼめる程。こんな涼しさが必要だった。暫く避けていた気に入りの紺のパンツ。割と細身なので夏場は暑いが今日のような涼しさならばと履いて出掛けた。白いフレンチスリーブのシャツを合わせて。そして足元は紺のモカシンシューズ。こういうシンプルさが好きだけど、ここ数日は此のシンプルな装いが暑くてできなかった。それよりももっと緩いコットンパンツを。それよりも麻のシャツを。足元は同じモカシンシューズにしても見た目に涼しい白いのを。数日中に袖無しシャツとサンダルが登場するところだったが、今日の涼しさでブレーキがかかった。6月の終わりの小休憩、みたいなものか。

昨日、隣の家の奥さんに偶然会った。夕方のことで、家の敷地内のことだった。敷地内のことだから珍しくもないことだと思うかもしれないが、ところが面白いくらい住人に会うことが少ないのだ。生活時間が違うと言ったらよいと思う。それに上の住人にしても横の住人にしても、時間があるとすぐに山の家に行ってしまうから。それで隣の奥さん。それなりに年齢を重ねているが、しかし笑顔は弾けるような瑞々しさで、顔を合わすたびに感心してしまう。その奥さんが車の後部席から大切そうに取り出したのは花束。大きな花束で綺麗なリボンが巻き付けられていた。まあ、綺麗、綺麗な花束ね、と褒めると有難うと、とても嬉しそうだった。そして彼女が家の中に入った途端、思いついた。あれは彼女が貰った花束ではなく、彼女の夫への贈り物であること。彼女の夫の誕生日の為の花束であること。
もう随分前、夫が50歳の誕生日を迎えた時、彼女は50本の赤い薔薇を花屋に注文した。上等な薔薇で長さのある、そしてすべての棘を丁寧に取り除いた、実に手の掛かった薔薇だった。それを居間に飾って、外から帰ってきた夫を驚かせた。この話はこの辺りでは結構有名。裕福な夫と結婚した若い外国人の彼女は宝くじに当たったようなもので実に運が良いと、周囲にそんなことを言われているが、彼女のこうした愛情表現を見ると夫の方こそ宝くじに当たったようなもので運がいいと私は思うのだ。
おお、今年も綺麗な花を準備したのだな。彼女の夫は喜ぶに違いない。昨晩は細く長く続く雨を眺めながら、そんなことを考えた。運の良い夫。運の良い妻。こんな仲良し夫婦が存在するのは嬉しいことだと思う。

それにしても眠い。今夜はよく眠れるに違いない。




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暑い日

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近頃、夕方のバスが故障する。今日もまた、旧市街へと向かう連結バスが故障して、途中で乗客全員降ろされた。それも夕方の暑い時間帯に。どの顔も不機嫌で、しかし仕方がなかった。次のバスを待ったらよかったかもしれないけれど、恐らくひどく混みあうことが予想できたから、歩くことにした。なあに、降りようと思っていた停留所まであと4つだから、そのくらい歩こうと思って。果たして其の選択が良かったかどうかは分からない。歩くこと自体は問題なかったけれど何しろ蒸し暑くて、目的地に着いて落ち着いた途端、汗があとからあとから流れ出て、困った。こういうのを滝のような汗というに違いない。なんてそんなことを考える気持ちの余裕があったのが、救いだった。

こうも暑いと食欲が落ちるもので、夕食準備に力が全く入らない。今の仕事に就いたころの夏、もう18年も前のことになるけれど、近くの職場の感じの良い女性と話すのが好きだった、テレーザさんという、年上の女性で物腰が柔らかく、思慮深くて、親切な女性。彼女のことを悪く言う人なんてひとりもいなかった。ある日、暑くて暑くてどうしようもなかった午後、あなた今日の夕食はどうするの、と訊かれて絶句した。そんなこと、考えてもいなかったし、こんな暑い日に夕食の準備をするなんて恐ろしいと思ったからだ。それであなたはどうするの?と訊き返してみたら、トウモロコシを茹でると言う。え、トウモロコシってあのトウモロコシ? そう、あのトウモロコシよ、と言って彼女は笑った。大鍋に沢山の湯で何本もトウモロコシを茹でるのだと言う。トウモロコシの夕食だなんて、と大笑いする私に、美味しいのよと言って彼女も笑った。毎年暑い日は必ずあの日の彼女との会話を思い出す。それは多分とても愉しい記憶だから。そしてこれからも夏になると思い出すのだ。ところで彼女は随分と早く定年退職してしまった。若い頃から働いていたからだそうで、そしてもう充分貢献したと思ったからだそうだ。まだ元気なうちに仕事を止めて、自由な時間を愉しみたいと。新調したキャンピングカーで夫と旅をしたいと。今まで色んな人に出会ったけれど、彼女のような人はひとりもいない。穏やかで優しくて、話しているだけでほっとする人。笑顔にさせてくれる人。知り合えて本当に良かったと思った人。今頃何処にいるだろう。クロアチアの海辺りに行っているのかもしれない。

雨が降るの予報が出ていたのに降らなかった。と思ったら、晩になって遠くで大きな雷が鳴った。それを合図に雷が細く長く鳴り響き、21時を過ぎた頃に雨が降り出した。どれほど降るのか知らないけれど、南から涼しい風が吹くところを見ると、どうやら丘のほう、そしてアペニン山脈辺りでは纏まった雨が降っているらしい。開け放った家中の窓から窓へと風が流れて、嘘のように涼しくなった。こういう涼しさが必要だった。恵みの雨。そして地面や植物にとっても恵みの雨。




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旅行鞄

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9時16分。スイッチを入れたように一斉に蝉たちが鳴きだした。まるで今朝は朝早くから煩くしてはいけないよ、何しろ日曜日だからね、とでも言うように。この時間まで待っていたとでも言うように。今朝は涼しいと思っていたのに、蝉が鳴き始めたら酷く暑く思えたのだから、人間の心理とは面白いものだ。暑苦しく感じるとはいえ、夏に蝉の声はつきもの。もし蝉が鳴かなかったら物足らない夏になるに違いないのだ。

数日前、旅行鞄を修理した。部品が壊れていることに気が付いたのは3月頃。それからかれこれ3か月もどうしようか迷っていた。高級品ではないが、安物でもなかった。2年間の保証は2年前に切れていて、それも迷いの種だった。修理代は案外高くついて新しいのを購入したほうが良いのかもしれない、なんて。それでも旧市街の、旅行鞄を購入した店に壊れた部分の写真を持って行ってみた。購入した時は愛想がとてもよかったが、修理の話となるとあまり歓迎してくれなかった。それでも写真を見て貰うと、部品が手に入らない、此れは修理不可能、だから新調することを薦められた。薦められて幾つか見たが、あまり気乗りがせず店を出た。考えてみる、なんて言って。別の店に行って良い旅行鞄を見つけた。とても良い。でも、当然ポイッと購入できるような安価ではなく、やはりこれも考えてみると言って店を出た。とても気に入ったから多少の後ろ髪を引かれながら。こんな時、私は大変優柔不断なのだ。決められないのだ。新しい良いものを購入するかどうか。すぐに壊れるような安物を購入する気はなかった。過去に2度其の選択をして後悔したから。ならば何処か修理をしてくれる店を探してみようか。ようやく其処に考えが辿り着き、調べてみた。今の時代はネットで何でも調べられるのである。そして見つけた店。旧市街から少し離れたところにある、ああ、そういえばそんな店があったなあと遠い記憶に残っている小奇麗なガラス張りの鞄専門店。連絡を取ってみて驚いたのは、新しいのを買うのは最終手段、部品が手に入れば何でも修理すると言うではないか。修理不可能と言って新調することを薦めた旧市街の店とは異なる返事に、私は確実に気を良くしていた。数回のやり取りをして、ある朝、旅行鞄を店に持って行った。後日連絡をくれると言う約束で。その夕方店から連絡を貰った。部品が手に入らないとかそんな話かもしれないと覚悟を決めて電話に出たら、修理完了と言うではないか。あまりの嬉しさに、うだるような暑さの夕方、店に引き取りに行った。こんなに状態の良い鞄を修理しないのは勿体ないこと。またどこか壊れたら持ってきなさい、買い替えるのは最終手段にするのがいい。感じの良い店の人がそんなことを言うので、ますます彼女と店の好感度が上がった。部品と修理代は旅行鞄の値段の約1/6。靴でも鞄でも衣類でも、直せるものは直しながら使い続ける、それが私流。愛着のあるものを簡単に捨てるのは私らしくないのだ。

旅行鞄が直ったから、後は夏の休暇を待つのみとなった。あの歩き慣れた通り。使い慣れた宿。昨夏の休暇で体調を崩して多少ながらのトラウマを抱えて意気地なしになっている自分を克服しよう。100パーセント満喫するのだ。見て、歩いて、何かを感じ取る休暇。心の準備は、万端。




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