4月最後の日

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最近習慣化している週末の朝寝坊。週末だから朝寝坊するのは決して悪くはないけれど、度合いが問題なのだ。あまり遅くまで眠ると、一日が短くて、そして家に籠りたくなる。此れはいけない、と思って昨晩心に誓ったのだ。土曜日もそれなりの時間に起きて、明日はきっと散歩に出よう、と。人に言われる前に自分で気づいたのは幸運だった。今朝は気持ちよく目を覚まして、ゆっくり朝食をとり、家のことを済ませ、クリーニング屋さんに洗濯ものを持ち込んでからバスに乗って旧市街へ行った。

今日は歩くのが目的。だからバスが旧市街に入るなり下車した。歩け、歩け。ゆっくりでいいから長く歩こうと思って。足首が出る丈のジーンズにモカシンシューズが気持ち良い季節になったことを実感しながら歩いた。ポルティコの下に何時の頃からかある小さな店。婦人服を置く店で、狭い店の中には何時も店主と犬がいる。この犬がとても可愛くて、私はいつも犬に挨拶をするのだが、今日は犬の姿が無かった。店主は客と話をしていた。この店には入ったことがないが、何時も興味深く観察している。誰かが縫っている服らしい。同じ柄の生地で、ブラウスがあり、パンツがあり、バッグがある。何時か店に入ってそのことを訊いてみたいと思いながら、もう何年も経っている。何時か欲しいものがウィンドウに飾られていたら、中に入って見せて貰おうと思う。その時がチャンスだ、ずっと訊きたかったことを訊くチャンスなのだ。店の前から歩きだそうとしたところで、犬が足元に居ることに気が付いた。あら、こんにちは。私はいつものように犬に挨拶をして店の前から離れた。

少し先の子供向けの本屋の前で足を止めた。私は本を読むのが大好きだが、子供向けの絵本もまた大好きだ。眺めているだけで愉しい気分になる絵本を私は何冊も持っている。犯罪とか争いとか騙しあいとか、世の中悲しくなるようなことが一杯だから、敢えて愉しそうな絵本を手に入れて、時々肘掛椅子に深々と座って眺めるのだ。私はガラス越しに店の中を眺めた。小さな子供と若い母親が居て、本を選んでいる最中だった。私はウィンドウに飾られた本に関心を持ち、ちょっと見せて貰おうと思って店の中に入った。ああ、あれね、と若い店員は言って、棚から取り出してくれた。青い表紙の面白い絵の本だ。こんな絵を描く人はどんな人なのだろうと思いながら本の中を開けてみたら、益々面白かった。子供も喜ぶが大人もまた愉しめる本。購入したい気持ちが高じたが、購入しなかったのは此れから長々と歩く予定だったからだ。此れは来週平日の夕方にとっておく愉しみ。仕事帰りならば荷物がひとつくらい増えても問題ないから。

店を出てまた歩いた。曲がり角に大きな菓子店がある。中にはバールもあって、この辺りの人が好んで通う店である。私も数回は入ったことがある。ボローニャに引っ越して来た頃のことで、相棒と一緒だった。この店の娘と相棒は大の友達だったそうだ。店主の娘と友達付き合いしていた頃から20年以上経っていたが、店主は相棒を見るなり思いだして大そう喜んだものである。当時の私はイタリア語が全然だったから、何を話していたのかは分からなかったが、少なくとも店主は大変喜んで幾度も相棒の肩を抱き寄せていたところを見ると、大歓迎だったようだ。兎に角その店は今日も大繁盛しているのが、外からでも窺えた。通り過ぎようとした私の眼を釘付けにしたのは、大きなバースデーケーキ。長さ40cm幅30cmほどの四角いケーキで、生クリームで覆われていた、その上に沢山の苺と、誕生日ガールの名前。それは私の大好きな日本の苺のショートケーキを思いださせるに充分で、しげしげと眺めた後、大きな溜息をついた。暫く治まっていた苺のショートケーキ食べたい病が復活しそうな予感がした。一刻も早く店の前から立ち去らねばならなかった。

街の中心は賑わっていた。音楽を奏でる人、歌う人に色んな通りで遭遇した。週末はいい。音楽はいい。クラリネットとギターの3人組の演奏は素晴らしかった。シャンソンで有名な曲、枯葉をジャズにアレンジして軽快で情緒的に演奏していた素晴らしい人達。多くの人が足を止めて聴き入っていた。中には踊る男女もいて。小さな子供を抱えて踊る若い父親もいて。私は昔から小さなパッションがあって、其れはジャズを歌うことだ。叶いそうにない夢で、単なるパッションどまり。だけどこんな風にジャズを奏でる人達に出会うと、思わず歌いたくなってしまう。咄嗟の衝動に駆られないうちにと、また歩き始めた。

最後の目的地はガンベリーニ。この店でカップチーノと小さい菓子を頂くのがすきだ。客は何処へ行ってしまったのか、店の中は随分空いていて、それが私には嬉しかった。混雑していたら、幾ら好きでも店に足を踏み込むことは無かっただろう。

マッジョーレ広場は明日5月1日の労働者の集会の準備が進んでいて、ああ、明日はもう5月なのだと思った。それにしても週末もそれなりの時間に目を覚ますと、こんな楽しい一日になることを実感しながら帰って来た。4月最後の一日は、活動的で、色んなことを考えて感じた良い一日だった。




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香り

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今日は朝からぐったり。体調が悪い訳ではなく、3連休明けに自ら望んで沢山歩いたからだ。歩け、歩け。昔から私は歩くのが得意で、放っておけば地下鉄を使わずに何駅分も歩いたものだった。例えば四谷三丁目から表参道までとか、日比谷から三越前までとか。イタリアでだって然り。ローマでは共和国広場駅からテヴェレ河の向こうにあるプラティ界隈のアパートメントまで歩いて帰ったこともある。確かにそれだけ歩くと足が棒のようになるし大変疲れるものだけど、それと引き換えに得る爽快感は言葉に表すのは難しい。兎に角3連休の間家に籠っていたから、休み明けにバリバリ歩いた。そして逃したくないバスに乗るために走った。そうしたらどうだ、今日は朝から体が言うことを聞かなくて参った。あまり大きな声で言えた話ではない。いや、むしろ秘密にしておきたいような話である。毎日少しづつ歩いて、早いところ脚力を取り戻そうと思っている。

旧市街に居る人々は、もうコロナのことを忘れてしまったかのように見える。マスクを着用している人は随分少なくなった。それは勿論屋外でのマスク使用が義務でなくなったからだ。義務ではないが自ら好んでマスクをつけている人は少数で、私はその少数派のひとりなのだ。テレビでもその話は毎日のようにしていて、今注目の話題は屋内でのマスク使用についてである。確かに私達はもう2年もマスクと付き合っているから、そろそろうんざりし始めているのも確かだけど、未だに多い感染者数のことを考えれば慎重に行きたいところである。
待望の金曜日なので、夕方旧市街へ行ったついでに散策した。其れほど人は多くないが、いつもと違うタイプの人達に目が留まった。ボローニャに暮らしている感じの人達ではないが、旅行者と言う雰囲気でもない。綺麗に着飾っていて、女性達の足元は高い踵の靴。綺麗に着飾ってはいるが、モーダ関係ではなさそうだと思ったところで、あっ、と思った。そうだ、ボローニャでは昨日からコスモプロフという名の国際美容見本市が催されているのだ。今では他の外国としでも開かれているが、そもそも1967年にボローニャから始まったものらしい。だからボローニャのコスモプロフと言ったら有名で、イタリアは北から南から人が集まるばかりでなく、外国からも多く人が駆けつける。それもコロナで例年ほど人が集まらないようだけど、こんな風にして旧市街でその種の仕事に着く人達や、関心を持つ人達を見つけると、少しづつ私達の日常が元に戻りつつあることを感じるのだ。今年のコスモプロフは月曜日まで。最終日が日曜日ではなく月曜日であることが私には大変新鮮におもえた。
ところで母の日に向けて、シャネルのコマーシャルが面白い。シャネルのコマーシャルと言えば、大抵美しい映像でうっとりするようなものであるが、今回は違う。子供心が踊るような、大人の心まで踊るような愉しいもので、初めて見た時は目を疑い、そして見終えた途端に笑った。あはは。こんな愉快なのってない。シャネルの商品や化粧箱が踊るだけなのだが、その単純さとコミカルさに思わず笑みが零れる。誰が考えたか知らないけれど、時にはこんなのもいい。特に今は難しいことが多い世の中で、コロナに戦争、不景気と溜息が出るような話ばかりだから。
シャネルの香水と言えば、昔、知人がシャネルの香水を付けていた。彼女の傍に行くと何時も良い香りがして、いい感じだなあ、彼女、と思っていた。ある日彼女に訊いたらば、人に真似して貰いたくないからあまり教えたくないけれど、あなたはもうじきアメリカに行ってしまう人だから、とこっそり教えて貰った、それがシャネルのクリスタルだった。アメリカへ行く前に自分用に小さいのを購入したが、不思議なことに彼女のような香りにならなかった。私はまだ知らなかったのだ。香水はつけた人の体温や体臭と混じり合って微妙に異なることを。それから香水は時間が経つにつれて香りが変化することも。そう言うことを人から教えて貰って、私が好きだったのは彼女が付けた時の香りだったと知ったのだ。だからシャネルのクリスタルが好きと言うよりは、彼女の香りが好きだったと言うのが正しいだろう。

旧市街でジェラートを頂いた。金曜日の夕方に冷たいジェラート。こんな一週間の締めくくりも悪くない。




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憧れ

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明るい季節の夕方は、寄り道せずに帰るのが難しい。こんな素敵な夕方を堪能しないなんて勿体無い。と言うのが私の論で、長年私を知る相棒も慣れたものである。真っ直ぐ帰ろうものならば、へええ、寄り道しなかったのかい? などと言うほどだから。
この時期の旧市街はまだ初夏のような賑わいは無く、しかし冬を終えて春を迎えたのが嬉しくてたまらないと言った雰囲気がある。人々の装いは、冬と春が混乱しているけれど、何が良いって、人は皆それぞれであること、同じでなくて良いことを誰もが認めていることだ。だから誰が厚着をしていたって薄着をしていたって良いのだ。ただ寒がりの私は、この時期に半袖姿の若者を見ては、気をつけて、身体を冷やさないように気を付けてと心の中で呼びかけてしまうけど。

七つの教会群の前の広場に面した場所に、藤の花が咲いているのを見つけた。此処に毎年藤の花が咲くのを知っている私は、春にこの場所に来るのが恒例。藤の花が好きなのだ。此の藤色、此のヨーロッパを感じさせる枝葉や花が堪らなく好きなのだ。藤の花は私を芸術の世界に誘う。憧れにも似た気持ちだ。兎に角、藤の花を好きな気持ちが高じて、庭のある家を持つ夢を抱いたことがある。庭に藤棚を作りたくて。そんな藤棚を眺めながら昼食や午後のカッフェを頂きたくて。街中から外れたところに広い庭のある家を探すのは楽しかった。修復が必要な古い建物、1800年代辺りのものが理想的で、壁が分厚い典型的なこの辺りの建物で、壁は薄い橙色なら尚更良かった。相棒と週末や仕事帰りに車を飛ばしてみて回ったのは、もう随分前のことだ。それがある日、急に庭のある古い家への情熱が冷めた。いや、冷めたのではなく、目が覚めたのかもしれない。あまり現実的な話ではないね、そんな生活は素敵だけど仕事に行くのに1時間も掛るのは困るね、と言うことで。その代わりに私は其処此処の藤の花を見て歩くようになった。せめて私の脳裏に納めようと思って。他所のうちの藤の花を見せて貰おうと思って。

話によれば来週は急激に気温が上がるらしい。25度。此れは私にとって理想の気温で、今からとても楽しみだ。何時だか私の理想気温は23度から27度と知人に話したことがある。知人が笑ったのは、それがボローニャでは実に短い期間だからだ。確かにそうだ、ボローニャでは、ああ、良い季節になったなあ、気持ちの良い気候だなあと思った途端、一気に夏に向かうからだ。さあ、今年はどうだろう。少しでも長く気持ちの良い気候を堪能出来ればいいと思う。




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新しい楽しみ

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3連休明けは辛い。リズムを上手くつかめなくて苦労した。もっと上手くやれる筈だったのに。嬉しいのは空が明るかったこと。嬉しいのは体調が良くなったこと。こんな小さな嬉しいを数えながら、一日過ごした。雨が降ったせいで気が新緑で生い茂っている。つい最近まで葉が無かったアカシアの樹は美しい新緑を纏い、とてもエレガント。菩提樹の樹は葉ばかりか花まで咲かせようとしている。みんな元気だなあ、と思いながら、春とはこういうものだと思いだす。そうしてもう少ししたら春の背後に早い初夏が見え隠れするのだろう。

何時の頃からか人混みを好まない私は、どの街へ行ってもひと気のない小路を好んで歩く。其れがコロナで拍車が掛かって、人が多い場所が更に苦手になった。折角ミラノへ行っても、ガッレリッアやドゥオーモ広場こそ足を運んだが、それ以外は人の少ない道ばかり選んで歩いた。昨夏行ったフィレンツェにしても然り。ああ、あの日は本当に暑かったから、人の少ない道と日陰ばかりを探して歩いたっけ。ボローニャにも人混みはあるのだが、所詮ミラノやフィレンツェの人混みとは度合いが違う。だからマッジョーレ広場へ行ったって、七つの教会群の前の広場に立つ月に一度の骨董品市だって、あのふたつの街に比べれば暇を持て余しているかのように見えるのだ。それを私は嬉しく思う。昔ばどうしてボローニャなどと言う街に来てしまったのかと思ったものだけど、もっと大きな街、もっと便利な街に暮らしたいと思ったけれど、私は来るべくしてボローニャに来たのではないかと思う。私に丁度良い街。丁度良い規模の、丁度良い密度の街。先日朝早く家を出て週末の旧市街散策をしたところ、まだ歩く人の少ない街にはテラス席を準備する人や、水撒きをして石畳を清める人の姿があって、あ、こういうの好きだな、と思った。客が居るテラス席もよいが、客の為に準備をする店員たちの姿を見るのが面白いと思った。そのうち客が全てのテーブル席を埋め尽くして忙しくなるだろう。だからこの時間帯はゆとりの時間とも言えるのかもしれない。
最近週末の早起きが苦手になった。いや、寧ろ朝寝坊が多くなった。週末の朝寝坊は醍醐味なのだが、これからはもう少し早く起きて、朝の旧市街を歩きたいと思う。昼間は混み合う道も、早い時間ならひと気が少ないに違いない。新しい週末の楽しみ、見つけた。

帰り道に八百屋の前を通り過ぎたら、いい匂いが鼻に辿り着いた。振り返ってみたら、赤い苺。国産の赤い苺だった。形も大きさも不揃いだけど、こんないい匂いがするのだから、きっと甘くて美味しいに違いない。ようやく出始めた国産の苺。此れからの季節のご馳走だ。




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地球の何処か

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3連休最後の日。今日はイタリア全土の解放を記念する日である。そうと聞けば大抵の人が説明なしに理解するが、それをあえて説明するなら、ファシスト政府からのイタリアの解放、そしてナチスファシズムからのイタリアの解放の日だ。舅が生きていた頃は、此の祝日が感慨深いらしく、舅も姑もしんみりしたものだった。解放されたのは1945年、祝日とされたのは1946年のこと。でも、この日のことを覚えている人は少なくなった。戦争を通過した世代が姿を消したら、此の記念日の意味合いも多少は異なることだろう。だけど此の祝日が存在することで、私達は思いだすのだ。戦争をしてはいけないこと。同じ過ちを繰り返してはいけないこと。自分の国ばかりのことでなく、地球の何処であっても戦争なんて起きてはいけないこと。此の気持ちだけは、戦争を知らない世代に受け継がれる。私はそう願っている。

南東の空の色が宜しくない。などと思っていたら、南東ばかりでなく南西も北も南も濃い鼠色の雲に覆われていた。僅かに見える青空が、雲の向こう側には青空が存在していることを教えてくれて、ちょっと勇気つけられた。そんな空を眺めていたら思いだしたことがある。
1992年のちょうど今頃のことだ。私がアメリカに住むようになって仕事探しが上手くいかず、貯金が減る一方で、このままではどうしたらよいのか分からないと途方に暮れていた頃、知人の其のまた知人とたまたま帰り道で一緒になって、その辺でカッフェでもしようかと言うことになって、時々立ち寄る雑多な小さなカフェに入ったのは。彼は見掛けの良い日本人男性で、日本に居たらさぞかしモテるだろうと思われたが、アメリカに居ても男性からも女性からも目を惹く華のある人だった。私達は単なる知人だが、住む界隈と歩く界隈が同じの為に、帰り道や、土曜日などに催されるストリートフェアでばったり会っては、並んで腰掛けて長々と世間話などする仲だった。そんな彼と、最近どうしている? 上手くいっているよ、君はどうしてる? 仕事が見つからなくて、そのうち生活に困るようになるかもしれない、などと話していたら、此処に電話をしてみたら? 人を探している筈だから雇ってくれると思う、と紙きれをくれた。直ぐに電話しなよと促されて、カフェの中に備え付けられた黒い公衆電話で電話をしたら、あら、彼の紹介ならば、と数時間後に会ってくれることになった。会ってくれるって! 良かったなあ、頑張れよ。そんな風にして私達はカフェを出て別れた。その日、私は仕事を得た。あの日、あの通りで偶然彼に会わなかったら如何なる展開が待っていただろう。3年働いた。店での立ち仕事だったが、若かったから辛くなかった。時給は安かったが構わなかった。其れで私はアメリカ生活を続けられることになったのだから。
思えば22年前にフィレンツェの職場に通う始めたのも今頃。そして17年前にその仕事を辞めて今の仕事に着いたのも今頃だった。偶然にしてもあまりに偶然。春の神様が私に味方をしてくれているとしか思えない。だから春はいい。私に希望を与えてくれる。昔、上手くいかないことが続いていた頃、友人が私に言い聞かせたものだ。長い冬は何時か終わって必ず春になる。あの頃の私は、ふん、そうかしら、と心の中で思ったけれど、あの言葉は正しかった。必ず春がやって来るのだ。

あれほどよくしてくれた知人の名を思いだせなくなって25年以上が経つ。そんな今日、思いだした、彼の名前。Yasu、とみんなに呼ばれていた。私が彼について知っているのはそれだけ。苗字も知らなければ家の電話番号も住所も知らない。彼が私について知っているのもせいぜい名前くらいに違いない。そんな彼が私に手を貸してくれたことは、今になってもよく分からない。
その後彼がどうしているかは知る由もない。あの日カフェで彼が言っていたように、地球の何処かで、上手くいっていればいいと思う。




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