静けさ

今日は朝から晩まで通して辺りが静まり返っていた。朝の交通渋滞もなければ夕方の人混みも無い。暑くて気が変になりそうだった昼下がりは、まるで時間が止まってしまったかのようだった。窓の外から聞えるのは狂ったように鳴き続ける蝉の声だけ。風の音も無ければ木の枝の揺れる音も無い。冷房器具が存在しながら作動しない室内の椅子に腰掛けていると小さな玉のような汗が肌を包み、思考力はあっても存在しないと同じだった。ミネラルウォーターをグラスに注いでは喉を潤す。一瞬だけ涼しくなった気分を味わうが、一瞬後にはまた先ほどと同じような喉の渇きと暑さを感じた。私と相棒がボローニャに引っ越してきたあの年の夏、私達は家が無くて友人たちの家を転々としていた。そうしているうちに相棒の幼馴染と恋人が田舎に一緒に家を借りて暮らそうではないかと私達に提案した。あまり乗り気ではなかったが、いつまでもこんな転々と住まいを変える生活は嫌だと思っていたので、この状況から脱出することが出来るならば、ということで私達は一緒に家を探し始めた。しかし土地勘が欠けていた私と長いことボローニャを離れていた相棒だったから、もっぱら他の2人が家を見つけてきてはこんな良い点がある、環境は、家のつくりは、と滝のような情報を与えられては今日はこっち、明日はあっちと引っ張りまわされることになった。どれもボローニャ郊外の町や村で一軒家だった。広い庭があるのは良いが雑草が鬱蒼と生い茂っていて、此処を借りたらまず初めに草刈からしなくてはならなかった。一番の問題は建物が一様に古くて入居前に修理をしなければ普通の生活が出来ないらしく、上の階はそっと歩かなければ今にも床が抜けてしまいそうな有様だった。そんな家を何軒も見て歩いた。そのうち私達の熱は冷めて、一緒に暮らす話も消えてなくなった。今でも時々夢に見る。暑くて焼けそうな昼下がりに私達が車に乗って郊外へ向う夢。頭上から垂直に照りつける太陽、何処を探しても影の無い風景。静かに暑い昼下がりの今日、そんなことを思い出した。6月が静かに暑く終わろうとしていた。

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Via de’Toschi 界隈

ボローニャ旧市街の古い町並みは、私が此処に暮らし始めた頃からあまり変わらない。古いお屋敷や崩れ落ちてきそうだったポルティコの天井が修復されたりすることはあっても、基本的なところは今も昔も同じ。そんな気がする。多分ボローニャの人達はそれをとても誇りに思っているに違いない。そういう私も実はそんな人のひとりだ。修復されること無くいつまでも古いまま、朽ちたままのものもある。町の中心にあるPiazza Maggiore に程近いVia de’Toschi 界隈もそんな場所のひとつだ。この道は面白い。名の知れたブランドの店や高級食器店が点在する。最近その食器店が無くなってしまったが、此処を歩く時は必ず歩調を緩めて、美しい食器やグラスを眺めた。それらはちょっと手の出ない価格だったから、そんな風に見るだけしか出来なかったのだ。その少し手前の変わった造りの建物の中には趣味のよい眼鏡屋さんがあった。しかしそれもまた私を置き去りにして何処かに消えてしまった。場所は決して悪くない。その証拠にその直ぐ後にこれまた趣味の良い店がオープンした。それからこの道のずっと先左手には私好みの鞄を置くセレクトショップらしきものがあり、この古い通りに思い切り高級な風を吹かせている。そうだ、私はいつだってショーウィンドウを眺めるだけ。中に入ったことすらない。それがまた私らしくて我ながら笑ってしまう。そんな中に殆ど手付かずの古い建物がある。その様子は町にぽっかりと穴が開いたような不思議な印象があって、此処を初めて歩く人は大抵足を止める。ミラノのように都会ではない。フィレンツェのようにルネサンスの匂いが漂う町でもない。ヴェネツィアのように幻想的でもなければ、古代ローマの遺跡が町中に存在するローマとも違う。文化的だがちょっと野暮ったい、それが私の持つボローニャの印象。頑固で昔からの物事を変えたくない、それがボローニャ。それでいい。いつまでもそんなボローニャであって欲しい。この界隈を歩く時、私はいつもそんなことを考える。

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食材店

蒸し暑い週末となった。特に今日の蒸し暑さときたら、ちょっと不快なくらいだった。それは珍しいことなのだ。ボローニャ郊外の丘の町ピアノーロは標高にすればたかだか200mであるが何しろ風通しが良いので大抵は蒸し暑さを感じることなく6月を過ごすことが出来るからなのだ。勿論7月も半ばから終わり、そして8月に入る頃にもなれば、丘だろうと何だろうとボローニャ市内同様うだるような暑さになって、暑い暑いと文句のひとつも言いながら生活するのだけど。どうやらイタリアは高気圧に覆われているらしい。暫くこんな好天気が続くだろうとテレビで言っているのを聞いて、好天気だって?と聞き返した。テレビの中の人がそれに答えてくれる筈も無いのに。
最近ボローニャ旧市街を歩いていて気がついた店。前からあったのかもしれない。ただ、私がこの店に気がつかなかった、多分そんなとこだろう。ジェラート店Gianni でピスタッキオをたっぷり盛って貰ったそれを食しながらポルティコの下をそろそろと歩いていたらこの店があった。店先の色合いや雰囲気が私が勝手に想像するフランスとよく似ていたから、てっきりフランスの食材を置く店だと思った。ふーん、フランスの店なのね。そんなことを思いながらショーウィンドウの中のひとつひとつを眺めていたら、イタリアの食材を置く店と分かって驚いた。並べられた品物の向こう側にある店内には割りと沢山の客人がいて、店が繁盛していることが直ぐに分かった。この手の店が好きだ。私はどの町に暮らしても何かちょっとしたものを買うために足を運んだ。ローマに暮していた頃のことを思い出した。私はヴァティカンに近いOttaviano という地下鉄の駅からすぐ近くに部屋を借りて住んでいた。4人の若いイタリア人たちと一緒だった。ひとつのアパートの共同生活をしているくせに彼らは適度に裕福だった。それはまるで共同生活を楽しむ為に共同生活しているのよ、と言うかのようだった。その中のひとりとは良く一緒に出歩いた。彼女は質の高いものが好きで、良いものが何処で手に入るかを良く知っていた。おいしいパンはこの店。生ハムはあの店。アパートのある界隈の美味しい店を幾つも教えてくれて、それは大抵本当だった。ある日、一緒に歩いていると此処にちょっと用があると言ってすたすたと店の中に入っていった。店の名前は忘れてしまったが良い食材が手に入る老舗だった。コーラ・ディ・リエンツォ通りに面したその店はとても混んでいた。混んでいる所が嫌いな私は少々うんざりした気分だったが、しかしよく見ると面白い物、そこいらの店では手に入らない物が棚にぎっしりと並んでいて、彼女がこの店を好む訳だ、と納得した。ガラスケースの中に並んだチーズの種類の多いこと! 惣菜がずらりと並んでいて見ているだけで楽しくなった。店の奥はバールになっていて、其処では本当に美味しいカッフェを頂くことが出来た。その日から私はこの店が大好きになり、頻繁に店に立ち寄るようになった。ローマで東洋人は珍しくないはずだったが何しろ頻繁に顔を出すので、あっという間に存在を覚えて貰うようになった。大抵はカッフェをしたりチーズを買ったり夕食用の惣菜を買ったが、何も買わない日もあった。あんなに頻繁に通った割には、ローマを離れてから今まで一度も思い出さなかったとはどういうことだ。私のローマの生活と一緒に過ぎたこととして封じ込めてしまったのだろうか。秋になったら一度ローマを訪ねてみよう。私が暮らした界隈をもう一度歩いてみよう。フランスの雰囲気を持つ店を眺めながら、そんなことをひとり考えていた。


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蝉の声

昨日から異常な疲れを感じている。どうしたのだろう。単なる疲れならいいけれど。上手い具合に週末なので家でゆっくりすると良い。そう思っていたのに急に気が変わって朝も9時早々に家を出た。行き先はボローニャ市内。もう長いこと通っている美容師の所だ。もう何日も前から延びた髪を何とかしたいと思っていたのだ。私はいつの頃からか肩にもつかない長さが好きになった。それはもしかしたら髪が乾きやすいとか手入れしやすいとか、そんなことが理由なのかもしれないが、自分自身も軽快な短い髪が私らしいと思っているに違いない。乗り換えのバスを待っていた。涼しい朝だった。強い日差しだが時々風に流される白い入道雲が太陽を隠す、その繰り返しで一向に気温は上がらなかった。道の向こう側には個人所有の森のような庭があって、のびのびと成長した樹が生い茂っていた。こんな所にこんな庭があるのは不思議だ。此処だけ時間が止まってしまったようだと思った瞬間、大きな入道雲が太陽を覆い、蝉が一斉に鳴きだした。とても懐かしい感じがした。どうして懐かしいのだろう、と自分の心を探ってみると小学生のころの夏休みに行き着いた。私がまだ8歳くらいの頃だ。夏休みと言うのに子供達は早起きをすることが習慣だった。私は昆虫が好きだったので、朝6時に起きると虫篭をもって近所の子供たちと森に出掛けた。どうして朝6時かと言うと太陽の位置が高くなって気温が上がると、何故だか虫が見つからないからだった。実際そんな早い時間だと多い時は何匹もかぶと虫を捕まえることが出来た。ある日いつものように早起きして森へ行った。空に大きな雲があっていつもよりも涼しかったが蝉が鳴いていた。雨が降るように蝉の声が降っていた。それ以外の音は何も聞えなかった。こんな朝の時間に蝉が鳴いているのは初めてだったから、小さかった私達子供はちょっと怖い気分になって空っぽの虫篭を手に提げて今来た道を引き返した。何のことは無い。そんな朝から蝉が鳴いているということは、とても暑い一日になる印みたいなものであって、決して不気味でも怖いものでもないのであるが、それが分かったのはそれから10年も経ってからのことだった。そんなことを思い出しているうちに55番のバスが来た。髪をさっぱり切って気分もさっぱりした。その足で旧市街へ行った。昼休みに入った旧市街は静かだった。すれ違う人も数えるほどしか居ない。今朝の涼しさはもうどこにも無く、夏の空気が立ち込めていた。

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曲がり角

一昨日よりも昨日、昨日よりも今日と少しづつ本来の6月に戻りつつあるボローニャ。とは言え、朝夕と長袖を着なければならないのだからもう少し時間が掛かるのかもしれない。でもそんなことを言っているうちに7月になってしまうよ。と6月に話しかけてみるが、どうなんだろう、ちゃんと人の話を聞いているのだろうか。
先日旧市街でバスを降りたところ、私の後から一組の親子が降りてきた。父親は40歳くらい、息子は2歳か3歳、そんなところだ。父親は息子をひょいと肩に乗せると私を追い越して歩き始めた。息子は無邪気な性格らしい。父親の肩の上に座って誰よりも背が高くなったのが嬉しいらしかった。すれ違う知らないアフリカ人男性の野球帽を掴みとってみたり、知らない女性の肩と叩いてみたり。いたずらをする子供を叱るどころか可愛いいたずらに周囲は楽しい笑い声を上げたが、父親はひたすら恐縮して謝っていた。そんな親子を目で追っているうちに私は予定外の所に来てしまった。此処は懐かしい場所だ。ボローニャに来たばかりの頃、私と相棒はこの近くに住む友人のアパートに居候していた。ボローニャに生まれて育った相棒だけど、この辺りはあまり通わなかったのか、私達は歩いているうちに道に迷ってしまった。今考えれば迷うような場所ではないのだ。とても単純な道なのだ。でも来て間もなかった私はボローニャの構造が全くと言っても過言で無いほど分からなかったし、相棒もまた長いことアメリカに暮していたから故郷でありながら外国に来たような感覚だったのかもしれなかった。それで私達は角の薬局に入って道を尋ねたのだ。小さな古い薬局で、アメリカの薬局とは似ても似つかなかった。どちらかと言えば私の故郷の小さな古い漢方薬局の雰囲気に近かった。私は子供の頃、弱い体質だったので漢方を煎じて飲む習慣があった。あれは苦くて美味しくなかったが、子供なりに弱い体質に困っていたので鼻を摘まんで苦い苦いと言いながら飲んだ。そんなことを思い出している横で相棒が薬局の人に道を尋ねた。真っ直ぐ真っ直ぐ歩いていけばいいですよ。そんなことを言われたそうで、私達は言われたとおり何処を曲がることなく歩いていったらサン・ペトロニオ教会の後ろの広場に辿り着いた。歩いているうちに相棒は少しづつ記憶が蘇ってきたらしく、訊かなくてもちゃんと分かっていたのだ、などと弁解した。私はこの曲がり角に来るといつも同じことを思い出す。相棒はどうだろうか。あの日のことを覚えているだろうか。この風景を見たら思い出すのだろうか。もう15年も前のことだけど。

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