寒い日

肌寒い一日だった。いや、今日一日だけではない。ここ数日ずっとこんな寒さが続いて、私は何度寒いと言って身を縮めただろう。寒いといっても朝は7度あるし日中だって20度に満たないにしても気温は上昇するのだが、手足は冷えるし首の辺りも風通しが良すぎるので "私にしたら" 快適温度よりかなり下回っていると言うべきか。兎に角あまり寒いので薄手のシルクのスカーフを首にぐるぐる巻きつけて外出する毎日。今日は金曜日、嬉しい金曜日だ。今朝5時頃、大きな雷が鳴った。どーん、と鳴る雷ではない。ばりばりとまるでまだ夜明け前の空を引きちぎるような雷だった。そんな雷が何度も鳴り響いているのを目を瞑ったまま聴いていた。耳を澄まして聴いていたのだ。それでいて私は夢を見ていた。夢の中で私はボローニャ旧市街の塔の下から延びているvia castiglioni を歩いていた。それは数日前に見た風景だった。連れはなく、私は何か探し物をしていた。探し物。ひょっとしたらそれは探し人だったのかもしれない。私はあっちを見たりこっちを見たり、路の左右を何度も往復しながら歩いていた。そんな夢を見ながらつまらない夢を見ていると思った。そんな風にして朝を迎えた金曜日は夢同様つまらない一日だった。何をしてもうまくいかず、最後には深い溜息をついた。晩になって週末の始まりを祝うが如く、赤ワインを開けた。グラスに僅か半分だけど、凍り付いていた体中の血液が温まって循環するのを感じた。美味しいワインを頂く喜びを言葉にするのは難しい。文学者ならばどんな言葉で表現するのだろう、ワインに通じる人達はどんな風に表現するのだろう。と、いつもワインを頂きながらそんな事を考える。語彙の貧しい私には、幸せとか喜びとか、そんな簡単な言葉しか見つからない。よく熟成させたペコリーノチーズを齧りながらワインを頂き、そしてお喋りしてはまたワインを頂いた。寒いのは嫌いだが、寒い日には寒い日の楽しみ方があるものだ。そんな事を思いながら金曜日の晩が更けていった。

靴職人

先日旧市街をあてもなく彷徨った。気が付いたら靴屋の前に辿り着いた。この靴屋に気が付いたのはそれほど昔のことではない。多分1年、若しくは2年前のことだ。何しろ2年位前まで足を踏み入れたことがなかった界隈なのだから。小さな小奇麗な、整然とした店だ。手製の靴屋である。靴は純イタリアンスタイルの、流行をあまり追わない形の美しい長く履けそうなものばかりだ。何時の頃からか、私は流行を追うのを止めて、シンプルで良いものを長く長く使うことを好むようになった。流行を追うイタリアの若い女性達の中に居ると、時々埋もれてしまいそうな気がするが、それでいてこれが自分らしいと思うようになった。靴もそうだ。飽きない色や形を吟味して選び、それが私の足にピタリと合うならば、もう他には贅沢は出来ないことを覚悟で買ってしまう。見た目が美しい靴は沢山あるが、履き心地の良い物となるとまったく別で、私にとっては一年に一足巡り合うかどうか、というくらいの運命ものである。それでいてまだ手製の靴には手を出さない。身分相応というものを一応わきまえてのこと、そして現実的に手が出ないということだ。手は出ないが見ることは宜しい。暫く店の前に立ち止まって中の様子を窺った。男物専用に店らしかった。奥のほうで若い職人が靴を作っているのが見えた。そうか、彼の作品であったか。職人というには若く洒落たその男性の仕事振りを暫く眺めた。自分がなにをしたいか、何が好きかを知っている人は幸運だ。勿論、それを続ける為のエネルギーは莫大であろう、努力も勉強も人並み以上かも知れない。それでいて私はそういう人達をとても幸運だと信じている。夢中になって靴を作成する彼は一向に私という観客に気が付かない。いや、気が付く前に立ち去ることにしよう。次回はこの職人と話しをしてみたいものだ、そう思いながら店先に並べられた靴を写真に収めた。

扉の色・栗の町

imolaの町から丘を目掛けて車を南に走らせた。初秋のこの時期、この辺りはワインの為の葡萄の収穫で忙しいらしい。葡萄を荷台に山ほど積んだ中型トラックと何度もすれ違っては、その美しさと豊作に目を見張って喜びの声を上げた。ああ、やはり自然は素晴らしい。葡萄は農家の人達の努力労力と自然の賜物である。限りなく黒に近い葡萄を積んだ車ともう一度すれ違いながら、良い赤ワインが出来るに違いないと思った。目的地はない。ただ自然を眺めたいだけだ。気に入った町を見つけたら、ちょっと立ち寄ろうか。美味しいカフェでも頂くと良いかもしれない。左右に広がるブドウ畑や果樹を堪能しながら、Castel del Rio に辿り着いた。外気は冷たく、意外と標高の高いことに気が付く。この町の名前は何度も耳にしていたが、一度も訪れる機会がなかった。小さな、人口の少なそうな町だった。古い石造りの家が方々に点在し、人々が昔のものを大切に守って暮らしていることを感じて嬉しく思った。町の中心に城と言うには城らしからぬ小さな建物があった。いったい何時からあるのだろう。外壁の小さな古いものを触っては、これは1600年代のものに違いないと考えた。さて、本当のところはどうなのだろうか。現在この建物は市が所有しているらしい。戦争博物館が中にあるそうだ。そしてその裏手に当たるところで美しい色をした古い木の扉を見つけた。古いが頑丈な鉄の鋲が打ち込まれている厳しい扉。しかしなんて美しい色なのだろう。そう言いながら何度も扉を撫でた。扉にはmuseo del castagno と書かれていた。castagno とは栗の木という意味だが、栗の木の博物館とは何だろう。ひょっとしたら栗の木材を使って作った工芸品の博物館なのかもしれない。この町の栗はとても有名で、秋の栗祭りにはボローニャ辺りからも人々が足を運ぶのだ。興味があったが時間外で閉館していた。残念だ。それでは次回の楽しみに取っておくことにしよう。心残りかのように、美しい色の扉を何度も振り返りながら其処から離れた。

誰も居ない

丘の町ピアノーロの朝の寒さは格別だ。今朝家を出た時に気温を確認したら10度だった。9月中旬の10度は寒すぎやしないか。そう呟きながら、これから益々下がっていくに違いない気温と上手く付き合っていくことがこれからの私の課題だと思った。それにしても! 確かに朝は寒いけど、急ぎ足で歩いても走っても、汗ばむことがないのは快適以外の何ものでもない。やはりこの季節が私には合っているらしい。夏の明るさと楽しい余韻がまだ残っているこの季節、寒くて暗くて長い冬の手前の季節。大切にしよう。昼になるに従って空が青く高く気持ちの良い天気になった。午後には程よく気温が上がり、こんな日に仕事だなんて野暮な話だなあ、と思っては何度も窓から清々しい空を眺めた。就業時間になって、私は外に飛び出した。さあ、バスに乗って旧市街へ行こう。旧市街に何が有る訳でもないけれど、週に一度くらい足を運ぶと良いと思う。職場と家の往復の毎日なんてとんでもない話なのだ。尤も寄り道したくても時間が許さない人は世の中に居るだろうから、自由気ままな生活が出来るこの環境を私はとても感謝しているのだ。時間の使い方を自分で選ぶ自由がある。それはどうでも良さそうでいて、実はとても素晴らしいことなのだと思う。勿論自由と義務と責任は何時も天秤に掛けられているから、自由だけを得ることは出来ない。自由を得たいなら責任と義務を果たさなくてはいけないのだから。母が小さかった私にそう教えてくれたけど、その意味が本当に分かったのはそれから随分経った、私がアメリカに暮らし始めてからだった。そのことを母が知ったら、そんなに年月が掛かったのかと苦笑するに違いない。さて、平日の夕方の旧市街は活気があった。全てが平常に戻った今、私の嫌いな人混みもまた当然のことながら戻っていた。塔の下の本屋へ行った。探している本があるのだ。作家の名前と題名を呟きながら何度も何度も棚の本に目を滑らすが見つからない。店の人に聞こうとするが誰もかれも客の対応に追われていて、話しかけるチャンスもない。がっくりと肩を下ろして店の外に出た。人混みは嫌いだ。そう言って人の波にプイと背を向けて歩き始めた。気が付いたらこんな所に来ていた。via val donica、まだ足を踏み入れたことのない通りだった。いつも直ぐ其処まで来ていながら反対方向に曲がってしまい、未だ見たことのない場所。静けさ。誰も居ない。喧騒から逃れる避難場所を見つけた。

遠い空

今朝、目を覚ますとひんやりした空気が部屋の中に立ち込めていた。昨日までと違う冷たい空気。そうだ、昨日降った雨で気温がぐっと下がったのだ。窓を開けて外の気温を確認すると12度だった。ああ、これは寒い。と、慌ててガラス窓を閉じた。確かに天気予報が出ていたのだ、週末の雨を境に気温が10度も下がって秋になる、と。今までこんなに天気予報が当たったことはあっただろうか、と我が発した言葉を頭の中で巡らせながら本当に秋になったことを確認する為に窓の外を眺めた。空は高く、高いというよりは遠い空だった。ひょっとしたら今日もまた雨が降るのではないだろうか。そんな事を思いながら一日を始めた。片付けごとをした。大雑把に棚の中に収めてていた様々なものを引っ張り出して仕分けしていたら、古いパスポートが幾つも出てきた。開いてみると若い自分の写真が貼ってあった。一番初めのパスポートだった。自分でも思わず笑ってしまうくらい若くて、それでいてそんな時代があったのだ、と少し感傷に浸った。他の頁をぱらぱらと開いてみる。幾つものスタンプが押されている中から生まれて初めて外国へ行った時のを見つけ出した。1988年9月14日アメリカ入国、とあった。それは20年前の今日だった。あまりの偶然に何か深い意味があるのではないかと考えてみたが、何の深い意味も見つからなかった。それは、もう遠い過去のことなのだ。過去とは思い出であり、現在は未来へと繋がるものなのだ。過去は私の宝物。過去を思い出として大切にするけれど、それを現在と一緒にしてはいけない、といつも自分に言い聞かせている。何故ならそうでもしなければ、私のような弱い人間は辛い現実にぶつかった時に過去に逃げ道を見つけようとするからである。そんな事をこの夏、私は自分の中で答えを見つけた。それはずっと探していた答えであり、そして我ながら驚くほど遅い大人への成長の一歩であった。パスポートを閉じて他のものと一緒に箱の中にしまった。
昼間になれば暑くなるさ。そう思っていたが全く予想が外れて、やっと15度を超えただけ。外を歩く人々はもう半袖の人などひとりも居ない。皆シャツの上に上着やセーターを羽織ってすっかり秋色だ。今日は何の予定もない日曜日。明日から必要になるであろう秋の服を箪笥の奥から引っ張り出してみようか。

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