愉しい発見と偶然

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今日は目を見張るような快晴で、一年の締めくくりに相応しい明るい空。こういう空を見たかった。できれば冬の休暇の間は毎日見たいと思っていた。今日は小さな色々が詰まった一日。でも緩くいこうと思っている一日の終わりに愉しかったと思えるように。

11月の終わり頃、ボローニャを歩いていた時に見つけた写真展。ロジャー・ディーキンス氏のBywaysと名付けられた写真展。ボローニャ旧市街の地下道を利用した、入場無料。街に貼られていた白黒のポスターを一目で気に入り、そしてByways、脇道なんてタイトルが益々気に入った。いつか見に行こう。そう思っているうちにひと月以上が経ってしまった。私には、そのうちに、と思う悪い癖があり、見逃すことが多々あるのだ。悪い癖。本当に悪い癖だと思う。数日前の午後、じめじめした空気をたっぷり含む午後に旧市街へ行ったのは、その写真展の為だった。実を言えば、私は、地下なる場所が苦手。もう少しストレートに言うならば地下が嫌いだ。例えば東京の地下道などは、本当に辛い。かといって気が変になってしまうほど嫌いなわけではなく、できれば地下を歩きたくない、そんな程度のものである。しかしながら写真展を観に旧市街へ行ったのに、いざ階段を降りるとなると気が進まなくて溜息が出た。小さな写真展だった。私は此の写真家について知識がなかったが、実は映画撮影監督だそうで、とても有名な人だと中に入ってから知った。犬が跳ねる写真。これ。私はこれが観たかった。こんな写真が撮れたらいいのにと思った。誰の為でもなく、自分の為に。愉しい発見や偶然。絵を描かなくなった私が写真に求めるのはそんなことだ。そのうち展示会場が混み始めたので、残り半分はさっと見ただけで出てきてしまった。写真展は1月15日まで。もう一度、今度は人が少ない時間帯に訪れようと思っている。
昔、こうしたクリエイティブな人達の中で一時期過ごした。もう随分と昔のことで、しかもそれほど長い期間でもなかった。だけどこうした人たちから得た印象は忘れ難く、忘れてしまいたくもなく、だから写真展などに足を踏み込むと、胸がドキドキする。それから絵画展や現代アート展にしても。なり損ねたくせに、未だにそんな感覚を引きずっているなんてと呆れてしまうけれど、一度染みついた感覚は簡単には消えないのかもしれない。それが好きなことだったらば尚更に。

今日で一年が終わる。零時を過ぎると新年に足を踏み込むなんて信じられないことだ。時間は待ってくれないとは知ってはいたけれど。
この雑記帳を書くこと、そして読んでくれる人達の存在が、生活のエッセンスになっていることを感じ取った一年でした。つまらないことは吹き飛ばして、愉しい気持ちで新年を迎えたいと思います。有難うございました。これからもお付き合いお願いします。




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転機なのだ

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何かやり残したことはない?忘れ物はない? 私は年の終わりにいつも思う。新しい年が気持ちよく始まるようにと、いつの頃からか習慣になった。一年の終わり、一年の始まり。日本人にとって大切なことと言うよりも、私のどうしても蔑ろにできない拘りと言ったらいいかもしれない。

思えば色んな転機があった。アメリカへ行った頃、言葉の壁を越えられず、英語恐怖症になった事があった。今思えば実に馬鹿馬鹿しいこと。完璧に話せないのが恥ずかしく陥った恐怖症だったから。今の私なら、いいじゃない、間違えたって、と思うけど。それよりも話そうとする姿勢が大切。兎に角、自分で作り上げた言葉の壁を乗り越えるために、思いつきで耳にピアスの穴をあけて新年を迎えた。そうすることで気持ちの整理が出来るような気がしたから。耳に穴をあけるなんて、と怖がっていたのを知っていた友人達は大そう驚いたけれど。そうして迎えた新しい年。気持ちが清々として、もう言葉は怖くなかった。ずっと傍らで心配してくれていた友人が、私を抱いて喜んでくれた。そう、その調子。30年経っても忘れることが出来ない新年の始まり。
ボローニャに来ても、どうにかなると思っていた。アメリカでの貧乏学生生活もしたし、あれほど悩んだ言葉の壁も乗り越えたし。大丈夫、何とかなる。そう思っていたけれど、考えていた以上にタフだった。頑張っていれば道が少しづつ開くアメリカとは違う。友人も知人もいない。27年前のボローニャで、私は単なる珍しい東洋人だった。じろじろ見られるのに慣れていなかったから、とても居心地が悪かった。仕事でもしていたら気が紛れたかもしれないけれど、簡単ではなかった。当時のボローニャには英語も日本語も必要とする職場はなかったのだ。イタリア語の独学を始めた。それなりに人と話ができるようになったけど、勿論仕事で通用するような代物ではなかった。けれど。捨てる神あれば拾う神あり。私はローマで職を得た。そしてボローニャでの一年を12月に締めくくり、新年にローマに移り住んだ。ローマに何の土台もない私だから初めはなかなか難しかったけれど、周囲が反対するのを押し切ってローマに飛び込んだ、あれは正しい決断だったと今も思う。其処では私は単なる東洋人ではなかったし、失いかけていた自信と勇気を取り戻すのに十分だったから。

今年の最後の数か月は私にとって八方塞がりだった。うん、そんな表現がぴたりとくる。どうしたらよいか、2日間、じっくり考えたいと思う。新年を清々しく始めるために。数年に一度迎える転機。どうやら私はその時期に直面しているらしい。頑張れ、自分。




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外に行こう

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目を覚ましたら雨。昨夜の頭痛はこの雨のせいだったらしい。そのうち止むかと思っていたが、案外細く長く続く雨で昼になっても地面が乾かない。本当ならば旧市街へ行ってカップチーノ、の筈だったが、自他ともに認める雨嫌いで、到底外にでる気になれない。午後には晴れるだろうか。そんな淡い期待を胸に、家の中で過ごす。じめじめしているのが嫌いだ。人間でも天気でも、からりとしているのがいい。

アメリカに暮らし始めて数か月たった頃、私は友人に紹介された女性と坂道に面したアパートメントに暮らし始めた。もう30年も前のことである。当初私は独り暮らしをしていたが、色々あって其処を出ていきたいと思っていた。そんな時、アパートメントを探している同じ年頃の日本人女性がいることを知り、ならばと便乗したのである。私にとっては初めての共同生活。彼女にとってもそうだった。アパートメント探しは初めこそワクワクする愉しいことであったが、それほど簡単ではないことを知った。物価の高い街だった。家賃も勿論高く、保証人だの敷金だの契約だのと、色々難しい事が私たちの頭を悩ませた。運が良かったのは彼女の性格だった。とてもカラリとして、挫けそうだった私に言うのだ。大丈夫、そのうち何とかなるから。その裏付けのない妙に前向きな考えを持つ彼女のことを良く思わない人もいたけれど、私は彼女のこの性格を素敵だと思った。こんな彼女と暮らすのは、とても愉しいに違いないと。そのうち私たちは自分たちの身の程に見合った明るくて広いアパートメントを街の中心からすぐ其処に見つけた。彼女は契約になると怖気づいてしまったが、探すまでの前向きな彼女の気持ちが私の背を押して、英語もあまり話せないのに不動産業者に交渉して契約までこぎつけた時には、人間何とかなるものだと思ったものだ。
あれは雨期の、1月か2月だっただろうか。土曜日でふたりとも家に居て、時々窓の外を眺めては溜息をついた。雨は止んだが、アスファルトの路面は濡れて黒く光り、見るからにじめじめして寒そうだった。すると隣の部屋から彼女がやってきて私に言った。外に行こう。こんなじめじめした日は外に行こう。つまり彼女の言い分はこうだった。じめじめした日に家に居ると気持ちがじめじめする、だからこんな日は外を歩いたほうがいい。そんなこと、考えたこともなかった私は目を丸くして驚いたが、彼女の考えは何時だって前向きでカラリとしているから、その考えに便乗しようと思って外にでた。坂道を上り、右手にある公園を眺めながら歩き、ヒッチコックの映画、めまいを撮った美しい立派な建物の十字路で左折して長い坂を下った。社交的な彼女は此の街に暮らし始めて半年も経たないのに多くの知人を持ち、そんな話に耳を傾けながらの散歩は確かに家の中で溜息をついているより愉しかった。彼女は、友人知人こそ一握りしかいないが道を手に取るように知る私に驚き、それでこの街が好きで好きで此処に暮らすまでに6度足を運んでひたすら歩いたことを話すと、さらに驚いたようだった。あなたはいつも聞き手で、あまり話をしないから。彼女にそう言われてあっと思った。確かにそうだった。私はあまり社交的ではないし、話もまた、あまりしないほうだったから。その日、私たちは多分初めて色んな話をした。彼女は私の印象が180度変わったという。行動的で突進型と私のことを言った。私はと言えば彼女のあの前向きさには裏付けがあろうが無かろうが、彼女の美点であり、私がこれから一緒に暮らしながら学ぶことが沢山ありそうだと思った。あの日、私たちは途中で雨に降られて。混みあうカフェに飛び込んで、小さなテーブル席について注文した生まれて初めてのカップチーノは思いのほか苦くて、店の人に砂糖を入れるといいんだよと教えて貰って。隣接するテーブルの見知らぬ客たちと目があうと、小さく挨拶をしてくれたり、小さなウィンクを投げてくれたり。私たちは沢山話をしてよく笑った。笑いながら、確かにこんなじめじめした日は部屋の中にいるよりは外にでたほうが良いと思った。
彼女と暮らして得たもの。それは人と話をすることだ。黙っていても伝わらない。彼女が教えてくれた大切なこと。そしてもうひとつ、部屋に閉じこもってばかりいないで外にでること。そんな大切なことを教えてくれたことを、彼女は知っているだろうか。
昔、私は無口だった、と言うと私の友人知人は大笑いするけれど、私が今の、誰とでも平気で話をする自分になったのは、彼女と暮らしてからのことだ。あれが私の自分維新。彼女と出会えてよかったと今も思う。

迷う。迷うなあ。こんな日は外にでたほうがいいとは知っているけれど。昼食を頂いてから、もう一度考えてみようと思う。




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仕事が好きなのよ

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今朝の濃霧は凄かった。それは10年位前に暮らしていた丘の町ピアノーロの冬を思い出させるような濃い霧だった。一寸先が見えないほどの濃さで、こんな日は車の運転が難しい。イタリア語でBanco di nebbiaという表現がある。霧の土手と訳すのか、それとも霧の壁と訳すのか。何年経っても丁度良い訳が見つからないが、兎に角、運転していると急に壁にぶつかりそうな錯覚に陥り、急ブレーキを掛けたりしようものならば、後ろの車に追突されることになるのである。だからこんな霧の時は車の運転はしないほうがいい。その霧も数時間すれば晴れるからと、出掛けようとしている相棒を引き留めた。
ボローニャに暮らし始めて初めの秋、11月の終わりにそんな凄い霧を見た。私と相棒はボローニャ郊外の平地の田舎町に場所を借りて暮らしていた。相棒の古い友人の敷地にある建物の一部で、不便極まりないのは場所ばかりでなく、借りていた家の設備もまた昔風で、便利な国から来た私には辛い時期だったと言えよう。部屋の小さな窓から何処までも続く農地を見ることが出来たが、ある朝起きてみたら一面真っ白だった。霧だった。私はそれまでアメリカの霧が濃いので有名な町に住んでいたから濃霧には慣れている筈だったが、こんな酷いのは一度たりとも見た事がなく、地上に私と相棒だけが取り残されてしまったような錯覚に陥り、怖いと思った。先が見えない怖さ。この濃霧で初めて知った。こういう日は家に居るのが一番、と教わったのもその頃だ。

朝の霧はそのうち晴れ、視界が開けた。さあ、外にでよう。今年のことは今年のうちに。誰に教わったのか、いつの頃からかそう思うようになった。今年も残り4日間。せわしなく過ごすつもりはないけれど、先延ばしにしていたことを片付けようと思って。まずはクリーニング屋さんだ。10月末に行きつけの店が閉まって以来、不自由な生活をしている。そんなことを通じて、今はもう無いあの店の存在を改めて感謝するのだ。2週間ほど前に仕事帰りに通る店に挑戦してみた。場所的に便利だし、店は私がボローニャに住み始めた頃からあるから、それなりに客がついているに違いない。そう思って数枚セーターを預けてみたが、満足のいく仕上がりにならなかった。店に文句を言うつもりはない。二度と衣類を預けることはないというだけだ。そもそも店に行ったときに嫌な予感がしたのだ。安いのだ。それにあまりに若い人が出てきて。良いクリーニング屋さんと言うのは大抵ベテラン風格のある年配のシニョーラが営んでいるものだから。さて、今日は別の、旧市街へ行く途中にある店に挑戦。この店の存在もずいぶん昔から知っていた。店構えも古く良い雰囲気。あの店ならきっとベテランのシニョーラが店主だろう。そう思って行ってみたところ、出てきた出てきた、貫禄のあるシニョーラ。彼女はじろりと一瞥して私が初めての客であることを確認したので、こちらのほうから話を進めることにした。セーターを3枚とトレンチコート。彼女は伝票に書き込み、最後に代金を書いた。うーん、高い。しかし裏を返せば仕事が丁寧で、仕事に自信がある証拠である。それから感心なことに年末も年始も休まないという。休まないのかと驚く私に彼女は満足げに言った。仕事が好きなのよ。元気なうちは仕事を存分にするのよ。それは家の近所にあったあのクリーニング屋の女主人が良く言っていた言葉で、あ、この店は信用できると思った。引き取りは年明け。今度こそ満足いく仕上がりが期待できそうである。
ところでこの界隈には小さな食料品市場があったり仕立て屋さんがあったり、カメラ屋さんがあっくたり、それから私がいつも行く靴の修理屋さんもある。小さな店が連立する昔ながらで、私が何時もバスの窓から感心して眺めていた界隈なのである。クリーニング屋さんを後にして靴の修理屋さんにつま先が強かに痛んだ昨日の靴を持ち込んだ。店主は靴を見るなりどうしたらこんな酷いことになるのだと眉をしかめた。どんぐりの話を言う気にはなれず、分からない、ああ、分からないとでも言うように、私は黙って首を左右にゆっくりと振って見せた。何を言わずとも店主は何をどうしなければならぬか知っている。つま先の修理と靴底と踵のゴムの張替え。明日にはで仕上がるよとの言葉から、あまり仕事が立て込んでいないことを知って少し胸が痛んだ。この店も年末も年始も働くという。この仕事が好きなんだよ、と言う店主の言葉に、ああ、此処にもこんな人が居たと思い、嬉しくなった。最近は世界的にスニーカーが市民権を得て、革の靴を履く人が少なくなったというけれど、私のように革の靴を手入れしながら何年も履き続ける人も多いボローニャだから、この店は細々とながらも長く続くに違いない。

少し頭が痛い。もしかしたら雨が降るのではあるまいか。いつの頃からかこんな天気予報をするようになり、それが案外当たるので呆れている。明日雨が降らなかったら。旧市街にカップチーノをしに行こうと思う。そしてちょっと散歩をして、そして仕上がった靴を引き取るのだ。冬の休暇中は余程のことがない限り毎日外を歩こうと思っている。家の中でぐずぐずしているよりも外の空気を吸って、色んなものを見て過ごすほうが私らしいと思うから。




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移民局とどんぐり

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祝日を終えて火曜日の今日は平日。冬の休暇を楽しむ人が多いのと年の終わりが近づいていることで平日気分はあまりないが、しかし役所は開いているし、旧市街の店も開いて活気に満ちている。但し、公共の交通機関が宜しくない。バスの本数は減らされている上に時間通りに来ない。まあ、時間通りに来ないのは今に始まったことではないから、気にするほうがどうかしているのかもしれないけれど。それにしても天気がいい。気持ちの良い天気で家になんて居られないよう、と外に飛び出したのはどうやら私ばかりではないらしく、近所も、そして旧市街も大そうな賑わいぶりだった。旧市街の大きな郵便局前広場にひと月存在したフランスのクリスマス市が姿を消した。今はその残骸だけ。それも明日にはすっかり片付いてしまうのだろう。冬のサルデイは1月6日からと決まっているが、ボローニャの多くの店は今日からこっそり始めている。顧客だけに連絡して、特別に、他の客より一足先に販売しましょうなんてうまいことを言って。そういう私にも時々行く店からわくわくするような連絡があったが、この冬は地味に行く予定だ。私は夏に帰省したいのである。飛行機代がうんざりするほど高いので、この冬のサルディは参加予定なし。他の人達に十分堪能して貰おうと思っている。兎に角そんなだから、買い物の袋を手に嬉しそうに歩く人達と沢山すれ違った。世間の人達は不景気だと嘆きながらもポケットの中は案外豊かなようである。

散策を途中でやめていつも行かない界隈へと歩いた。閑散殺伐とした界隈。目的地は移民局だ。長年イタリアに暮らしていても日本人でいる限り私には滞在許可証なるものが必要。少し前に規則が変わった。私が所有している紙製の滞在許可証が来年夏には無効になるというのだ。それは大変と夏前に手続きを済ませたが、待てど暮らせど新しい許可証は出来上がらず、半年経ってようやく準備が出来た。しかし、出来たは良いが引き取り予約の空きがなく、やっと今日の予約を取って出向いたという訳である。移民局はどの国へ行ってもあまり好ましい場所ではない。そんなもんだとは知っていたし、話にも聞いてはいたけれど、今日は移民たちが順番の取り合いや諍い、割り込み、喧嘩でうんざりだった。もっとうんざりしたのは移民局の人達だろう。いいかげんにしなさい、と大きな声で皆を𠮟りつける姿は正直言って胸がすっとした。鶴の一声。この一喝で皆が大人しくなった。はー、気分がいい。今日の私は100パーセント移民局側に拍手である。それからは全てが早く、私は新しいプラスティック製 (紙製ではない!) の滞在許可証を受け取り、元気に礼と挨拶を言って礼儀正しくはあったけれど、半ば逃げるようにしてその場を離れた。これで暫く此処に来なくてよいかと思うと、本当に嬉しかった。移民局がどうとかと言うよりも、移民たち。もう少しルールを守って、もう少し礼儀正しくなくてはいけないと思った今日。
移民局の後は、気楽な散策。広い歩道に落ちていたどんぐりをかつーん、かつーんと蹴飛ばしながら歩いていたら、後ろから来た男性に靴が痛みますよと言われたのには参った。姿の良い男性で、仕立ての良い磨き込んだ靴を履いていた。彼のような人にはどんぐりを蹴飛ばしながら歩くなんて考えられないことに違いないが、私は移民局の一件を終えて気分が良く、どんぐりのひとつでも蹴飛ばしたい気分だったのである。うーん、と唸って私が蹴飛ばすのを辞めたのは、確かに靴のつま先に傷がついたからである。あーあ。私は気に入りの靴が傷んだことにがっかりだった。どんぐりは蹴らないほうがいい。今日は色んなことを学んでいる。

冬至を過ぎてもまだまだ日暮れは早い。しかし日が暮れても旧市街から人が引ける気配はなく、寧ろこれからが本番とでも言うように、昼間より人が多い。何処へ行くのだろうか。友人同士で夕食を楽しむのだろうか。軽くワインでも頂きに行くのだろうか。それとも映画を見に行くのか。何にしても賑やかで華やかな12月の夜。そんな人達を横目に、私は家に戻るバスに乗り込むのだ。




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