旅をしたい心

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今朝は肌寒くて半袖など着る気にもなれなかった。薄手のコットンセーターを素肌に被り、その上ジャケットまで着て家を出た。其れで丁度良いくらい。朝の気温は16度だった。こんな厚着をしている人など居ないだろうと思えば、道行く人の多くがジャケットを着こんでいて、その上大判のスカーフを首に巻き付けているのだから、満更私の気のせいばかりではなかったようだ、今朝の冷え込みは。それにしても5月最後の日。こんな日にまさかクリーニングから帰って来てクローゼットの上の段に仕舞ったあのジャケットを引っ張り出すことになるなんて。

此処一年程、色んなところから聞こえてくる予約したフライトがキャンセルになる話が、まさか自分に降りかかるとは夢にも思っていなかった、と言ったら人は笑うだろうか。コロナは終わっていないけど規則が随分緩和して、今年の夏は3年振りに小旅行を、と迷いに迷った挙句に手配を掛けたのは5月初めのことだった。往復の航空券とホテル。こんなことはごく簡単なことで、以前ならが思いついたその時にあっという間に決断して予約してしまったものだけど、コロナ以来腰が重くなり、若しくは少し慎重になったのかもしれないが、兎に角、予約のクリックひとつするのに沢山の勇気と決心が必要だった。予約してしまえば簡単なことで、なーんだ、こんな簡単なことだった、と照れ笑いしてしまうほどだったけれど。5月早々手配を完了して、後は8月の夏季休暇を待つばかりなんて大船に乗ったような気分になっていたら、昼頃思いがけないメールが届いた。其れは航空会社からのメールで、あなたが予約したフライトはキャンセルになりました、とのことだった。ああ、此れが噂に訊いていたフライトキャンセルなのかと思った。人はこんな時どう思うのだろう。私は酷く落ち込んで、急に気持ちが萎んでしまった。フライトを変更するか、返金手続きをするか、クレジットにして数か月先に予約を改めてするか。選択は幾つかあるようだけど、それでも私はがっかりしてしまった。まだ早過ぎたのかもしれない、旅をするのは、なんて。いいや、私は此れを乗り越える必要があると思う。それでも旅をしたいと突き進む強い心を手に入れるのだ。自分にそう言い聞かせながら、数日考えてみようと思う。

夕方になったら少し暖かくなって、空も明るくなった。旧市街は人も少なく、私好みだった。散歩に丁度いい感じ。私達の6月はどんな事が待っているのだろう。明るくて軽快で心配事の少ない素敵な6月になればいいと思う。私にも、私を取り囲む人達にも、そしてまだあったことも無い沢山の人達にも。にこやかにいこう。




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ちょっと独り言

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今朝、足の冷えで目が覚めた。つい最近まで暑く感じていた薄手のダウン。春や秋に使える優秀な掛布団で、活躍時期が長い。しかし先週、先々週のような暑さともなれば例外で、何時これをクリーニング屋へ持っていくんだいと相棒に促されていたところに気温が下がり、朝晩はこれでは不十分なくらいの冷え込みだ。もう5月も終わりだと言うのに。一体どうしてしまったの? しかし其れも良し。遅かれ早かれ夏はやって来るのだから。歩いても歩いても汗を掻かないこの時期はダイヤモンド。今のうちに楽しんでおこうと思っている。

今週木曜日が祝日のイタリアは、多くの人が金曜日も休みにして長い週末を愉しむらしい。何処かへ行く人もいるだろう。海へ、山へ、家族の元へと。私は相変わらず通常通りだけれど、それだって木曜日の祝日は嬉しい。週の真ん中の祝日もまたダイヤモンド。最近私の周囲にはダイヤモンドが沢山だ。

私は母譲りで、服を作って貰うのが好きだった。自分で縫った時期もあったし、店に置かれている服も購入したけれど、生地屋さんへ行って自分の好みのものを見つけたら、それを持って知人のところに行くのだ。一番最後に縫って貰ったのは、アメリカに発つ数か月前の5月だった。生地の色柄が華やかだったからスタイルは実にシンプル。膝小僧がすっかり見える夏のドレスだった。あの頃も背丈は無いにしてもスレンダーで、足がすんなり伸びていたから、そんなスタイルが似合っていた。それからそういう時代だったのかもしれないと思う。服を縫って貰うなんて言うと随分贅沢に聞こえるかもしれないけれど、あの頃は、店を構えていない丁寧な仕事をする人が沢山居て、良い生地さえ手に入れれば、後は驚くほど安上がりだった。良い時代だったのだと思う。今は何もかもが高くなって、そんなことも出来なくなった。何故そんなことを急に思ったかと言えば、良い生地を、好みの生地を店先に見つけたからだ。こんな形のドレスにしたらさぞかし素敵だろう、なんて思いながら。

帰り道のアスファルトの上にサクランボが。頭上を見上げたらサクランボがたわわに実っていた。春には美しい桜に花を咲かせていた樹だ。誰にも収穫されることの無いサクランボが泣いているように見えた。




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細い雨、静かな雨

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一日こんな天気だった。雨とも言えないような雨で、目を凝らさねば見えない細い雨。菩提樹の葉が濡れていたり、アスファルトが濡れて黒く光っていなければ、あまりに細過ぎてあまりに静か過ぎる雨だった。家中の窓を閉め切っていたのは湿度のせい、そして冷たい空気のせいだった。数日前は30度だったと言うのに、今日は20度にも上がらない。窓さえ閉め切っていれば半袖姿で居られるのが救いだった。夏服はいい。気分が上がるし、軽快だから。私の適温は23度から27度。あまりに幅和狭いことに友人の誰もが笑う。この気温より低ければジャケットが必要になるし、高ければ暑さに苦しむ。アレルギー体質の私は、夏場に問題が起きることが多く、かと言って冷房に弱いと来ているから、手の打ちようがない。その観点から言えば、私が昔住んでいたサンフランシスコがピッタリだった。一年通して涼しい街。今まで経験した中で一番寒い冬はサンフランシスコの夏だ、とマーク・トウェインが言葉を残したけれど、あれは実に的を得た言葉だったと思う。今年の夏は暑くなりそうな予感。上手く、愉しく生活する方法をこれから考えたいと思う。

メッセージが届いたのに気付かず、4時間も放置してしまった。開いてみたら先日遠方の国からやって来た夫婦者からだった。私と同年代の彼らは夫婦ともに仕事をして忙しい毎日のようだが、人生を愉しむ術を知っているとみえて、時には小さな休暇をとって旅を愉しむ。そうしては旅先から楽しい話と写真が届くのだが、今日は嬉しそうな短文だった。今日は彼らの結婚記念日で30周年のお祝いらしい。あれこれ書き足されていないことで、私は彼らの喜びが深いことを感じ取った。30年。
相棒の両親は50年以上結婚していた。していたと言うのは、舅が10年以上前に他界したからだ。私の両親にしても然り。昔の人達の結婚は、途中で壊れることが少なかった。今は違う。昔よりも結婚が壊れることが案外多い。しかし私は思う。自由な世の中になったのだ。無理に続けるばかりが結婚ではないと。私の周囲をぐるりと見まわしてみれば、幸せな二度目の結婚生活を送る人が案外沢山居て、そんな彼らを眺めると、ほらね、なんて思うのだ。自由にいこうよ。私達は自由な時代に生きているのだから。
兎に角、そういう訳で結婚30年の人は案外少ない世の中になった。あの夫婦のことだから、50年を超えるのかもしれない。何しろ見ていて笑みが零れてしまうような、互いにとても優しい夫婦だから。彼らと交友関係を持つようになったのは私の幸運。私には真似できそうにないけれど、色んなことを教えて貰っている。

こんな雨の日は神経が痛む。神経痛だなんて、昔は老人がなるものと思っていたけれど、イタリアでは老いも若きも神経痛に悩む人が多く、恥ずかしそうに神経痛に苦しんでいることを告白する私に、誰もがごく普通のことだからと慰めてくれる。そうだ、身体を伸ばしてみようか。ストレッチをしようと思って床に寝転がったら、猫も私の横に寝転がった。あーん、違うんだけどなあ。




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珈琲

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たった2日間働いただけでぐったりとは。やれやれ。金曜日の帰り道は、そんなことを思いながら帰宅した。救いだったのは帰り道に雨が降らなかったこと。予報が出ていたから、夕立に合うかもしれないと思っていたのだ。夕立に合うと困るのは靴。スウェード革のモカシンを履いていたから。世の中にはそういうことが気にならない人も存在するに違いないが、私は足元が濡れるのがとても嫌い。特に気に入りの靴が濡れて駄目になってしまうのが我慢ならないのだ。だから家に着いて安堵の溜息をついたところで気に入りの靴が随分くすんでいることに気付いてがっかりした。スウェード革の靴の手入れ方法。考えてみれば私は知識のちの字も持ち合わせていなかった。

目を覚ましたら快晴。其れは見事な青空で、菩提樹が遅く起きた私を責めるかのように風に揺れていた。こんな日はきっと、多くの人が屋外を愉しむのだろう。山へ行く人、海へ行く人、旧市街へ行く人。何にしても外に出るのに相応しい青空だった。私は昨日をまだ引きずっていた。こんな日は腹をくくって家に居るのが良いだろう。朝食の為にカッフェを淹れた。時々浮気をするけれどカッフェの銘柄はIllyと決めている。もう30年以上続いている。それ程、相性がいいという訳だ。アメリカに居た頃に出会った此のカッフェ。あの海へと続く大通りに面した、一面ガラス張りのカフェに行かなかったら知ることも無かっただろう。
其れはイタリア人街にあって、あの辺りには驚くほどのカフェが存在した。小路の角にあるカフェ・トリエステ。この店を知らない人など居ない、実にイタリア的で、古びた感じが味わい深くて、文化的で、誰もが好んだ。初めて店に入ったのは友人達とだった。ヨーロッパ人の彼らは、アメリカに来てもヨーロッパの匂いがする店が好みらしく、そんな彼らに半ば強引に連れて行かれた。え、君はまだあの店を知らないのかい? そうしてやってきたら、半分ほど席が埋まっていて、面白いことに埋まっているのは店の奥に位置するあたりばかりだった。ガラス越しに通りが見える明るいテーブル席を避けるかのように。すると友人のひとりが教えてくれた。店の常連には物書きや音楽家などが多く、そうした人達は此処に来て本でも読むかと思えば、此処で作業をするのが好きらしい。だから静かな場所、人に邪魔されない場所がよく、奥まった場所に腰を下ろすのだそうだ。へええ、と奥を眺めてみたら、確かに気難しそうな男性がペンを滑らせていたり、指で紙に書かれている文字を何かをなぞっていたり。私はいつか奥の席に座って彼らの様子を眺めてみみたいと思うようになった。ところがなかなか奥に空席を得るのは難しくて、あれから幾度も店に行ったが何時も窓際の明るい賑やかな席ばかりだった。一度だけ、奥に小さな席が空いていたので座ったことがある。ぼんやりカップチーノなどしている人が周囲に居ないので居心地悪く、鞄から紙とペンを取り出して手紙を書いた。カフェで手紙を書く楽しみを覚えたのはその時だ。そのうち、その店には行かなくなった。あの店には若い大人は似合わなかった。大人の大人の店、そんな雰囲気があったから。
その代わりに通うようになったのが、カフェ・グレコ。ローマの名店と同じ名前だが似ても似つかぬ明るい雰囲気の店だった。その店の特等席は大通りに面したテーブル席で、一面のガラス窓からサイドウォークを行き交う人達の様子が眺められて面白かった。週末や遅い夕方から夜になると空席を見つけるのは難儀だったが、平日の午後に行くと特等席に簡単に座ることが出来た。私は特等席に座って手紙を書くのが好きだった。それにしても此処のカップチーノが美味しくて、訊いてみたらIllyの珈琲豆を使っているとのことだった。それから私はずっとIllyにぞっこんという訳だ。
思えば私の家族は結構な拘り派で、特に珈琲豆には拘りがあった。家にあったのはカリタのドリップ式で、本格的な器具などなかったけれど、朝のカフェラッテ、午後のコーヒー。家族揃った時に私が専門家ぶって淹れるコーヒー。家族が喜んでくれるのが嬉しかった。そして店に豆を買いに行く。店に入るといい匂いがして。何十年経った今も忘れない。あの店には実にいい豆が揃っていた。

午後から雲行きが怪しくなって、少し雨が降った。恐らく南に位置するアペニン山脈辺りで沢山降ったのではあるまいか。それとも北の方かもしれない。30度もあった気温が20度まで下がり、風が吹くと思いのほか冷たく、窓を大急ぎで閉めなければならなかった。今朝は外が愉しそうと思っていたと言うのに。外に出掛けた人達は十分愉しめただろうか。冷たい風に見舞われて風邪など引かなければいいけれど。冷たい風に揺れるジャスミンの蔓。折角咲き揃ったジャスミンの花が、台無しにならなければいいけれど。





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どうりで恋しい筈だ

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風にあたるのが怖くて家中の窓を閉め切っていたら、どうして窓を開けないんだい、空気を替えたら気持ちがいいのに、と相棒に諭された。そんなことを言われても、私は扁桃腺がようやく良くなりだしたところだからとても慎重で、風にあたりたくないのだ。しかし彼の言うことも一理ある。ならば家の中の窓をひとつだけ。此れなら風が家の中を駆け巡ることもなかろうと思って。そうしてテラスに続く大窓を開けたら、すうーっと気持ちの良い空気が家の中に流れ込んだ。

静養していた数日間、そのうちベッドに横たわっていても眠りに落ちることがなくなり、本でも読みたくなった。手元にある本と言ったら既に10回、若しくは20回も読んだことのある本ばかり。勿論どれも大好きで、だから手放すことなく未だに手元に置いているのだが、さて、何を読もうかと思って棚の奥をさぐっくたところ、一冊のノートが出てきた。結構見栄えの良いノートで、手のひらより多少大きいサイズの、厚みは小指の細さくらいのものだ。随分前に手に入れた記憶があり、さて、何かに使っただろうかと開いてみたところ、横線の幅をはみ出す自由奔放な私の字がページ一杯に詰まっているのを見て驚いた。へええ、何だろう。そう思って、本の代わりにそれを読みだした。
ノートには2017年の夏のヴィエンナ旅行のことが綴られていた。そう言えばボローニャ旧市街の大きな文房具店に立ち寄って、鞄に雑に詰め込んでも折れることの無いノートを購入したのを思いだした。そうか、私はあれをヴィエンナに持っていったのか、と改めて思いだした。私は旅先にこうしたノートを持っていくことはあまりない。大抵行った先々で適当な紙きれを手にいれて、其れに色んなことを書き綴って持ち帰るのだ。ホテルに備え付けられた便箋を利用することもある。それからカフェなどでテーブルクロスの代わりに敷かれた紙に書いたりもする。そしてそれを持ち帰るのだが、一度はそれをそのまま店に置き忘れて大失敗したことがある。あの後偶然其処に居た日本語を知る誰かが其れを読んだのかもしれないと思ったら、顔から火がでるほど恥ずかしかったものだ。まあ、そんな経験から、旅の前にノートを購入したのかもしれない。
ノートには色んなことが書かれていた。特に面白かったのは、帰りの日の話だ。帰りの飛行機は夕刻の便で、だから帰りの日とは言え時間がたっぷりあったのである。その日は前の夕方に降った雨のせいで涼しく、空は今にも雨が降り落ちてきそうな鼠色だった。ヴィエンナの夏には青空が似合うと私はいつも思うけど、実を言えば鼠色の空もヴィエンナには似合うと思っていたから、決して残念ではなかった。私は大きな教会の前に立って向こうに在る噴水を眺めていた。人を待っていたのだ。イタリア人は遅刻の常習犯と他国の人達が言うけれど、イタリア生活が長くなった私もその傾向がある。遅れて来た人を怒らないために、自分も遅れていけばいい。そんな勝手な理論をいつの間にか自分の中で生み出したからと言ったら、人はきっと笑うだろうけれど。しかし此処はヴィエンナ。実にきちんとした土地なのだ。其れに初めて会う相手だからと、私は心して約束場所に早く到着した。噴水を眺めていたら雨がばらばらと降りだした。それが案外大粒で、噴水の水面に出来たわだちが美しかった。噴水前で遊んでいた子供たちは、まるで蜘蛛の子が散るようにあっという間に姿を消した。私は教会の屋根の下に逃げ込んで、丁度同じように駆け込んできた夫婦者と話をした。彼らは北イタリアからやって来たイタリア人。だけどボローニャ辺りでは耳にしないイタリア語で、だから初めは彼らがイタリア人だとは思いもよらなかった。向こうだって驚いたに違いない。どう見ても東洋人の私が、イタリア語を話しだしたのだから。其れで興味を持った彼らが、君は何処から来たのと訊くので、ボローニャよ、と答えたところで、傍に背を向けて立っていた人がくるりとこちらを振り向いた。それが、私が待っていた人だった。スカーフを頭から被った小柄な、しかし力強い印象のある女性だった。
こういう話が書かれていた。多分空港の搭乗前の空き時間か飛行機の中で書いたに違いない。忘れないうちに。忘れてしまわないうちに、と。でも、その後のことが書かれていないのはどうしたことか。私達はあれから小降りになった雨の中を歩いて古いカフェに入って話をした。それから肩を並べて散歩をして、簡素な本屋の前を通過して、階段を降りて。あれはどれほどの時間だったのだろう。多分1時間。それとも2時間。5年も経った今は思いだすことも出来ないけれど、そうした小さなことが人間関係を生み出すものだ。
それにしても、そうか、ヴィエンナには5年もご無沙汰しているのか。どうりで恋しい筈だ。

そろそろ5月も終盤。空を飛び交うツバメ達の姿も、最近では生活の一部になった。空の入道雲を眺めながら来る夏のことを想う。3年振りの夏。旅ができる3年振りの夏だ。此れから休暇を迎えるまで、誰もがそれぞれの場所に心を馳せることになる。




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