解放への道

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今日も快晴、朝から太陽の日射しが強い。少し前までは快晴の週末を運が良いと言っていたはず。今はといえば運が良いのは確かだが、少々気温が高すぎる。しかし夏だもの、暑いのは当然、と言い聞かせて小さな工夫に励む。例えば朝のカッフェラッテ。今まではしっかり温めた牛乳を注いでいたが、今はぬるめの牛乳。冷たい牛乳を注ぐという手は真夏の為にとっておきたいと思っている。まだ夏の始まり。そのうち呼吸するのも苦しいような暑い夏になるだろうから。暑い暑いと言うが、多少ながらの吉報はある。明日から外でのマスクの着用が義務でなくなること。夕方、仕事帰りの道を歩くのが辛くなりつつあるのはマスクのせいだ。マスクをしないで歩けたら、と思っていた私には天からの助けの手を差し伸べられたように有難い。勿論バスの乗車や店の中、職場でのマスク着用はこれからも続くにしても、一歩前進。私達はこうして少しづつ解放の道を歩んでいく。解放といえば、二週間前に店内での飲食が解放された。私にとってバールのカウンターでのカッフェは生活満喫度の象徴みたいなもの。早速バールに行って店特製の冷たい紅茶を注文したら、テラス席かカウンターかと訊かれたので、勿論カウンターよ、と答え、ふふふと心の中で笑った。勿論だなんて言う必要はなかった。多くの人はテラス席でのんびり過ごすのが好きなのだから。ところで私がカウンターでの立ち飲みが好きなのは、中で働く人達の働きぶりや客とのやり取りを観察するのが好きだからだ。そしてたまたま隣に立った人と他愛ないお喋りをすることもある。そもそもカウンターで立ち飲みを望む人は、知らない人とのお喋りが好きな人が多い。だからこちらが知らん顔していても声を掛けられるし、その反対に知らん顔している人に私が話しかけても大変歓迎されるのだ。

昨日は旧市街の気に入りのバールに立ち寄って特製の冷たい紅茶を注文してカウンターで立ち飲みを楽しんでいたら、会計を済ましている感じの良いシニョーラに言い寄っている男が居るのを見つけた。男はどうやら食べ物を強請っているらしい。昨日も今日も何も食べていないんだよ。シニョーラ、お願いだから、ブリオッシュを奢って頂けないか、と。居合わせた客も店の人も、何を言っているのだ此の男はと、開いた口が塞がらなかったが、シニョーラは自分の会計を済ませるついでにブリオッシュをふたつ袋に入れて貰い代金を払ってから男に手渡した。此れでお腹は少し満たされるわねと笑みを湛えたシニョーラ。男は礼を言って店を出て、残された私達は時が止まってしまったように開いた口がまだ塞がらなかった。奇特な人も居るものだと私達は口々に言い、親切なシニョーラに沢山の幸があることを願った。
散策中に女性が忙しそうに教会の前を花で飾っているのを見つけた。旧市街の小さな教会。大通りに面していないから、地元の人くらいしか立ち寄ることがない教会だ。幾度か中に入ったことがあるけれど、素朴で感じが良い。何か催し物があるのかと声を掛けて訊いてみたら、結婚式があるのだと教えてくれた。彼女は花屋さんで、昼前に行われる結婚式の準備に忙しかった。素晴らしいわよ。とても綺麗。花嫁さんはきっと喜ぶわよ、と褒めると花屋の彼女は嬉しそうに、ありがとう、そう願いたいと笑った。コロナで結婚式が先延ばしになった恋人たちは世界にどれほどいるのだろうか。コロナによる規制が緩められ解放されつつある現在は、此れから結婚式が目白押しになるだろう。恋する人達に幸あれ。今まで待っていた分だけ幸せになって貰おうではないか。

こんな暑い日はテレーザのことを思いだす。私より年上のテレーザは隣の会社で働いていた女性だ。こんな日の夕食はどうしたらいいのかと嘆く私に、あら、こんな日はトウモロコシを茹でると言いのよ、と言っていたっけ。彼女はトウモロコシが大好きで、こんな暑い日は茹でたトウモロコシと冷えた白ワイン、其れだけでいいなんていって私を大いに笑わせたものだ。まあ、しかし、私もあまり彼女と大差はあるまい。暑い日は甘いダッテリーニトマトとバッファロー乳のモッツァレッラがあればいいのだから。火を使わない分だけ、私の夕食の方が簡単で勝負ありと言ったら、彼女は笑っていたけれど。




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朝散策

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一昨日の満月の美しかったこと。月の存在を暫く忘れていたこともあり、此処数日の月の姿が心に深く沁み込む。月の中には兎が居て、と話したのは父だっただろうか。そして私はそんな話を信じ込んで、大人たちを微笑ませたものだ。夢見る子供だった私は、小さな夢みたいなものを小さなポケットに沢山詰め込んで大人になった。だから時々家族や周囲の人達を驚かせる。君って人は、なんて言いながら驚かれることは日常茶飯事なのだ。そんな私の話に姉は驚くのだけれど、しかし驚きながらも私が今もそんな風であることに僅かながら羨ましく思っているようだ。幸せさん。多分姉は私にことをそんな風に思っているのだろう。そして私も自分のことを幸せさんだと思っている。

週末に雨が降って気温がぐっと低くなり、翌週は大変過ごしやすい気候になると囁かれていたが、どうやら単なる噂らしい。今日は土曜日。涼しいうちに散策をしようと思い、休みだというのに早起きして、9時を待たずに家を出た。何があるのかと相棒は疑わしい眼差しだが、なんてことはない、陽が高く昇る正午には家に帰ってきたい、ただそれだけのことだ。こんな早い時間に旧市街を歩くのは久しぶりのことだった。店のシャッターはまだ降りたままで、そんな時間帯に歩いているのが可笑しくて嬉しかった。そして面白いのは、そんな時間帯に散歩をしている人が意外に多いことだった。多分誰もが同じことを考えているのだ。涼しいうちに、人が少ないうちに、と。賑わっているのはポルティコの下に並べられたテーブル席。恐らく近所の常連客達。そんな人達を眺めながら、ふとフランカのことを思いだした。
フランカは相棒の友達。相棒がアメリカに居た頃によくしてあげたらしく、未だに相棒には恩があるらしい。それで相棒と私がボローニャに暮らし始めると、友人もいなければ何もすることのない私に彼女の子供たちの世話を頼んできた。そうすることで私が外に出なくてはいけない理由が出来るからと、子供を通じて彼女とも交流が出来るから、そして僅か乍らも収入を得ることが出来るからだった。収入と言ったって小遣い程度のものだったが、其れだって何もしなければ得られぬものだったし、それに私は家の閉じ籠もっているのが嫌だったから、彼女の誘いは嬉しかった。子供たちは懐いてくれたし、彼女との交流も楽しかったし、それに彼女が夫と外国旅行に出掛けている間は旧市街の花屋を営む彼女の両親のところに行けるのが何よりも楽しかった。この花屋のが入っている建物の上階でフランカは育った。大変古い建物で朽ちているとしか言いようがなかったが、其れが実に味があって、彼女がこんな家で生まれ育ったことを妬ましく思ったほどだった。分厚い壁。高い天井にはフレスコ画が施されていて、小さな窓からは広い広い庭とその向こうに建つ修道院が見えた。旧市街にはこうした庭が沢山ある。ただ、門が閉まっていると見えなくて、多くの人がそれを知らない。こんなことも私がフランカを羨ましがらせた。ある日彼女に誘われて花屋の目と鼻の先にあるバールに行った。私達はカップチーノを注文して他愛ない話をしている時、彼女は面白いことを言った。朝食はバールで。それは小さな子供の頃からの習慣で、両親が花屋で朝早くから働いているから、彼女と妹はこのバールでブリオッシュと温かい牛乳の朝食をとったそうだ。家族全員がそんな風で、月末になると両親がひとつ気分の朝食代を払いに行くのだそうだ。其れは彼女が大人になるまで続き、というのは大人になると彼女は家を出たからで、残った妹と両親はやはり朝食はこのバール、が続いたそうだ。へええ、毎日バールで朝食なの? と驚く私に彼女の方こそ驚きながら、あら、あなた、イタリアにはそういう人って案外沢山居るのよ、といったものだった。私は朝食は家でのんびりが好きだから理解に苦しんだが、今なら分かる、本当に、イタリアにはそうした人が案外沢山存在する。そう言えば、昔私がアメリカに暮らしていた頃に足繁く通ったイタリア人街のカフェは、フランシス・コッポラが朝食に来るので有名だった。カップチーノにブリオッシュ。何時もさりげなくお洒落で人目を惹く人。話しかければ気軽に会話もするが、多くの客は彼をそっとしておくのが好きだった。一日の始まり、たとえ世に名がよく知れた人だって朝食どきは静かで穏やかな方がいいに決まっているから。

まだ店が閉まっている時間帯の旧所街の散策は大いに気に入った。意外なことに、広場に並べられたテーブル席はがら空きだ。恐らく昼くらいから埋まるのだろう。これらは地元の人が朝食に通う店ではないのだから。そう言えば旅先でも朝早くホテルを出て、まだ人が少ないうちに街を歩いたものだった。この夏もまたボローニャにばかり居るに違いない私は、時には早起きして、人の少ない涼しい旧市街を歩いてみようと思っている。




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夜風に吹かれながら

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夜風が気持ちよい。昼間の熱風が夢だったのではないかと思えるほどヒンヤリとした風が剥き出しになった首や肩を撫でていく。空を見上げれば美しい月。満月には2日分欠けていて完璧でないところが私には愛おしく思えた。最近は夕食後にテラスの植物に水をくべるのが習慣だ。理由は涼しいからと、そして夜風に吹かれながらのそれが昼間のストレスを癒してくれることに気付いたからだ。仕事が嫌いなわけではない。寧ろ感謝しているほどだ。けれども自分らしくいられるのは、膝がすっかり剥き出しになる丈のショートパンツを履いてこんな風に水薪をしている時で。それがあまりにも私らしいので、時々くっくっくっと笑って相棒を怖がらせる。何を笑っているんだい。思いだし笑いかい? 相棒が訊くとおりだった。アメリカで暮らした相棒のフラット建物が薄い水色に塗られていて、キッチンの裏にはテラスが施されていて、其処に植物を置いていた。それまでは相棒が水撒きをしていたのに、私が一緒に暮らすようになると水撒きはあっという間に私の仕事になった。あの頃も膝小僧の出るショートパンツを履いていた。海からの風が時には冷たすぎて膝がきりきり痛んだのに、其れすらも楽しいことのように思えたのは、私が若かったからだろうか。私が子供だった頃、庭の水撒きが父と私の仕事だったように。少しも苦にならなくて、水を撒きながら植物足しに声を掛けたものだ。大きくなあれ。元気になあれ。思えばあれが私の原点。水撒きが好きな原点。
テラスは今ジャスミンの匂いに満ちている。何時もならひと月前に咲き始めるのに、今年は何故か遅かった。心配して毎日観察したが、その間に随分と蕾を付けて、今までにない花の数。期が満ちた。そんな言葉がぴったりくる今年のジャスミン。5年前相棒がうちに持ち帰った時には小さかったが、今は上階のテラスにまで届くほどに成長した。昨日の夏至と木曜日に満月を迎える月とひと月遅れのジャスミンの花。小さなパズルのピースがひとつひとつ嵌っていく感じが心地よい。

明日はどんな日になるだろう。良い一日になればいいけれど。




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シニョーラ!

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南からの涼しい風が吹く夕方。暑かった昼間に鳴いていた蝉のことを忘れさせる涼しい風。アペニン山脈辺りで雨が降っているのだろう、と思いながら舅のことを思いだした。暑すぎた日の夕方は夕立になることがある、というのは彼の得意のセリフで、彼がこれを口にすると、ああ、また言っているなあ、と家族の顔に笑みが浮かぶ。もう100回くらい聞いた、なんて野暮なことは言わずに、誰もがうんうんと頷いたものである。その舅の楽しみは6月、そして7月の海の生活。、新年を迎えると同時にアパートメントを予約するのだ。そして6月になると早々に荷物を車に詰め込んで、家族みんなで海に行くのだ。海と言ったってエミリア・ロマーニャから先に行くことはない。彼はエミリア・ロマーニャが好きなんだよと相棒は苦笑していたが、それにしたってトスカーナの豊かな緑を見たくはなかったか。美しいヴェネツィアを歩いてみたくはなかったか。とっくの昔に空の住人になった舅だが、6月になると私はいつも同じことを思いだす。

昨夕、髪を切り、良い気分で帰ってきたら、遠くの方で、シニョーラ!と言いながら大きく手を振っている男を発見。誰だろうと目を凝らしてみたら、近所の青果店の店主だった。彼の名前は知らない。知っているのはバングラ人であることと、妻との間に小さな男の子が居ることだけだ。何事かと思ったら、シニョーラ、良い唐辛子が手に入ったから、ちょっと待ってて、とのことである。どうして待っててなのかといえば、近所に配達に行くからだそうで、私に店番をしてほしいらしい。随分信用されたものだ。私が悪い人ならどうするつもりなのだろう、と思いながら、仕方がないなあ、と店の前に立って店番をすることになった。彼は5分も掛らずに帰ってきて、シニョーラ、どうもありがとう、此れを渡したかったんだよねと言って綺麗なオレンジと黄色と赤の唐辛子らしきものを3つ紙袋に入れてくれた。以前私が唐辛子が欲しいんだけどと言っていたのを覚えていたらしい。辛いかどうかは分からないそうだ。そしてお代は要らないよ、とのことだった。
私が彼の店に寄らなくなって暫く経つ。理由は野菜も果物も新鮮度に欠けていたからだ。以前は新鮮でいいものが山ほどあったというのに。でも、理由は分かっていた。随分前にインド種のコロナが大感染した時、イタリアがインド、パキスタン、バングラデシュからの入国を禁止した。それで大きな街では差別などが起きて、インド人であるが為に職を失ったりと、訊くに堪えない話がテレビに流れた。その頃からバングラ人の店に客が寄りつかなくなり、売れ残りばかりが店に並び、私のようにバングラだろうが何だろうがいいものがあれば買いに行く客も、古いものしか置いていないからと、足が遠のいてしまったのだ。ちょうど1年半前、イタリアでコロナが流行りだし、東洋人であるがために多少なりの偏った目で観られて嫌な思いをした私だ。彼の此の状況は心苦しかった。あなたも外国人。私も外国人。分かるのよ、あなたの気持ち。客が寄りつかない店の前を通るのは心苦しかった。私に出来るのは、新鮮なものを置かないとお客さんが来ないわよ、と心の中で叫ぶことだけで、此の声が彼に届くようにと願いながら、店の前を通り過ぎたものだ。
さて、久しぶりに店に入ったら、新鮮なものが沢山あった。中でもトロペア産の玉葱とアプリコットは見るからに美味しそうだった。実は旧市街で購入したメロンが入った袋を手に提げていていたが、店主はそんなことは気にならないようで、唐辛子を手渡したら用が済んだとでも言うように涼しい顔をして見せた。アプリコットが美味しそうねえと言う私に、此れは美味しいよ、自分で食べたから証明済みなんだと言って、おまけと言わんばかりに唐辛子が入った紙袋に数個入れてくれたが、其れでは申し訳ないと、300グラムほど購入することにした。そのついでにトロペア産の玉葱をふたつ。新鮮なものがあるとお客さんが来るわよと、ずっと言いたかったことを口にする私に店主は照れながら、うん、そうなんだ、他のお客さんにも言われたんだよと言った。また来るから、という私に店主は面白いことを言った。僕の国では長い髪の女性が好ましいけれど、シニョーラの短い髪は気分がいいね、良く似合っている。あまり話をしない、無口な店主だと思っていたが、こんなことを照れもせずに言うなんて、案外隅に置けない、と家に帰ってきてから大いに笑った。あの店主は少し変わった。店に客が来なくなって、色々考えたに違いない。新鮮なものを置きなさいよと常連客の誰かに言われたのは、運が良かった。そして商売をするには多少ながらも社交的でないと駄目なことにも気がついたに違いない。
小さな心配がひとつ解決して、肩の荷が下りたような気がした。

ところで貰った唐辛子は、食べてみたら辛くないパプリカだった。ブダペストの市場に山積みされている甘いパプリカと同じ味で、相棒は大そう喜んだ。美味しいよ、此れ。というので近日中に店に出向いて少し購入しようと思ている。パプリカのサラダをボローニャで頂けるなんて。ちょっと素敵じゃないか。




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自然と共存

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今週は天気がいい。そして気温がぐんぐん上がり、連日30度の暑さ。ひと頃、雨が降る癖がついていたボローニャの天気も、ようやく落ち着いたようである。暑いのは苦手だけど、天気が安定しているのは有難く、この調子、この調子と毎日空に話しかける。まあ、そういう訳で植物に水をくべるのが習慣になり、こんなことからも、ああ、夏になったのだなあと実感するのだ。

先週くらいから、空がすっかり暗くなった途端に電子音にも似た短い音が聞こえるようになった。時間にして21時半くらいで、音は3秒間隔に聞こえる。ピッ、ピッ、ピッ・・・・・とこんな感じに。家か車の防犯アラームのようにも聞こえるが、一向に止まる気配がなく、そうかと思えば突然止み、やれやれ、やっと止まったと胸を撫で下ろすと、再び始まる。数日経って様子は同じで、何処かの店や家のアラームならば、とっくに警備会社なりなんなりが飛んできて解決しているに違いないし、車のアラームにしても然り。それに近所の人達が放っておくはずがない。と、気がついたのが数日前とは違う方向から聞こえるようになったことだ。前は南西から聞こえたが、北西に音が移動して、益々訳が分からなくなった。相棒をテラスに連れ出して、あの音は何だろうと訊ねると、彼は目を丸くして、へええ、と驚きに喜びを含んだ顔を見せながら言った。この辺りには樹が多いけれど、それにしたってこんな住宅街にフクロウ(Civetta)が居るなんて嬉しいじゃないか。フクロウの声を知っていた相棒にも驚いたが、そんなことも知らなかった自分にも驚いた。そして、どうりで近所の誰も文句を言わないわけだと思った。昨日家に帰ってきたら上階の住人と庭ですれ違ったので、フクロウの話をしようとしたら、君、暗くなるとフクロウの声が聞こえるのを知っていたかい、と先を越されて大笑いした。ああ、それは私が先に言いたかったんだけどなあ。鳥が住める環境があるというのは良いことだ。そう言えばフクロウばかりでなく明け方の鳥の囀りも素晴らしい。自然は人間が守ってあげなくては。街を作るために壊してしまった自然。せめて今在る自然だけでも守っていきたいと思っている。

今日は朝から非常に暑い。夏になったなあ、などと冒頭で言ってはみたが、そんな甘いものではない。話によれば今日から連日35度が予想されているから、今夜は冷えた甘―いメロンと薄―く切った生ハムにしよう。髪を切りに行くついでに調達予定だ。




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