解放への道
- 2021/06/27 18:22
- Category: bologna生活・習慣
今日も快晴、朝から太陽の日射しが強い。少し前までは快晴の週末を運が良いと言っていたはず。今はといえば運が良いのは確かだが、少々気温が高すぎる。しかし夏だもの、暑いのは当然、と言い聞かせて小さな工夫に励む。例えば朝のカッフェラッテ。今まではしっかり温めた牛乳を注いでいたが、今はぬるめの牛乳。冷たい牛乳を注ぐという手は真夏の為にとっておきたいと思っている。まだ夏の始まり。そのうち呼吸するのも苦しいような暑い夏になるだろうから。暑い暑いと言うが、多少ながらの吉報はある。明日から外でのマスクの着用が義務でなくなること。夕方、仕事帰りの道を歩くのが辛くなりつつあるのはマスクのせいだ。マスクをしないで歩けたら、と思っていた私には天からの助けの手を差し伸べられたように有難い。勿論バスの乗車や店の中、職場でのマスク着用はこれからも続くにしても、一歩前進。私達はこうして少しづつ解放の道を歩んでいく。解放といえば、二週間前に店内での飲食が解放された。私にとってバールのカウンターでのカッフェは生活満喫度の象徴みたいなもの。早速バールに行って店特製の冷たい紅茶を注文したら、テラス席かカウンターかと訊かれたので、勿論カウンターよ、と答え、ふふふと心の中で笑った。勿論だなんて言う必要はなかった。多くの人はテラス席でのんびり過ごすのが好きなのだから。ところで私がカウンターでの立ち飲みが好きなのは、中で働く人達の働きぶりや客とのやり取りを観察するのが好きだからだ。そしてたまたま隣に立った人と他愛ないお喋りをすることもある。そもそもカウンターで立ち飲みを望む人は、知らない人とのお喋りが好きな人が多い。だからこちらが知らん顔していても声を掛けられるし、その反対に知らん顔している人に私が話しかけても大変歓迎されるのだ。
昨日は旧市街の気に入りのバールに立ち寄って特製の冷たい紅茶を注文してカウンターで立ち飲みを楽しんでいたら、会計を済ましている感じの良いシニョーラに言い寄っている男が居るのを見つけた。男はどうやら食べ物を強請っているらしい。昨日も今日も何も食べていないんだよ。シニョーラ、お願いだから、ブリオッシュを奢って頂けないか、と。居合わせた客も店の人も、何を言っているのだ此の男はと、開いた口が塞がらなかったが、シニョーラは自分の会計を済ませるついでにブリオッシュをふたつ袋に入れて貰い代金を払ってから男に手渡した。此れでお腹は少し満たされるわねと笑みを湛えたシニョーラ。男は礼を言って店を出て、残された私達は時が止まってしまったように開いた口がまだ塞がらなかった。奇特な人も居るものだと私達は口々に言い、親切なシニョーラに沢山の幸があることを願った。
散策中に女性が忙しそうに教会の前を花で飾っているのを見つけた。旧市街の小さな教会。大通りに面していないから、地元の人くらいしか立ち寄ることがない教会だ。幾度か中に入ったことがあるけれど、素朴で感じが良い。何か催し物があるのかと声を掛けて訊いてみたら、結婚式があるのだと教えてくれた。彼女は花屋さんで、昼前に行われる結婚式の準備に忙しかった。素晴らしいわよ。とても綺麗。花嫁さんはきっと喜ぶわよ、と褒めると花屋の彼女は嬉しそうに、ありがとう、そう願いたいと笑った。コロナで結婚式が先延ばしになった恋人たちは世界にどれほどいるのだろうか。コロナによる規制が緩められ解放されつつある現在は、此れから結婚式が目白押しになるだろう。恋する人達に幸あれ。今まで待っていた分だけ幸せになって貰おうではないか。
こんな暑い日はテレーザのことを思いだす。私より年上のテレーザは隣の会社で働いていた女性だ。こんな日の夕食はどうしたらいいのかと嘆く私に、あら、こんな日はトウモロコシを茹でると言いのよ、と言っていたっけ。彼女はトウモロコシが大好きで、こんな暑い日は茹でたトウモロコシと冷えた白ワイン、其れだけでいいなんていって私を大いに笑わせたものだ。まあ、しかし、私もあまり彼女と大差はあるまい。暑い日は甘いダッテリーニトマトとバッファロー乳のモッツァレッラがあればいいのだから。火を使わない分だけ、私の夕食の方が簡単で勝負ありと言ったら、彼女は笑っていたけれど。