水色のペンキ

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フィレンツェを歩いていたのがもう随分前のような気がする。実際はたったの7日前のことだというのに。簡単な、だけど美味しい昼食を頂いたあと帰りの列車までの3時間弱を歩いて愉しんだ。そうしているうちに聞こえてきた音楽。その調子が私の好きな曲とトーンが似ていたので足を止めて耳を澄ましてみたら、それは私の好きな曲そのものだった。1980年終わりのアメリカの曲で、大変歌唱力のある女性歌手が歌っていた。アメリカへ行きたいと願っていた頃からアメリカに暮らすようになった頃と重なるこの曲は、私には忘れ難く、そしていろんな思いが詰まっている。日本を飛び出して手に入れたアメリカ生活は自由と自己責任のバランスをとるので一生懸命だった。つつましい生活だったけれど、色んな事があったけれど、どれもこれも私にとっては宝石のような出来事ばかり。私は曲が何処から流れてくるのか探って、見つけ出したのが入り口が好ましい水色のペンキで塗られている、道から小さな階段を下っていく店だった。創作ジュエリーの店だろうか。私はイヤリングとブレスレットに関心があるので心惹かれたが、此処で良いものを見つけたら最後とどまることが出来ないだろうから、今回は素通りした。

それにしてもこんなところでこの曲に巡り合うなんて。




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美しい曲

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Anonimo Veneziano。それは古いイタリア映画の題名で日本では”ヴェニスの愛”として放映された。1970年の作品。私がその映画を観ることになったのは随分と後、大人になってからのことだけど、音楽だけは子供の頃から知っていた。私の姉はいつも新しいものを家に持ち込んだけど、音楽もそのひとつだった。好きなものはジャンルに関係なく受け入れるタイプの姉を見ながら私は成長した。其れを私は幸運と呼んでいる。兎に角、ある日姉が聴いていたのだ、この音楽を。非常に感情的で感動的で印象的な音楽。私の周囲には存在しなかった種類の曲に、あっという間に夢中になった。子供だった私がこんな音楽を聴くことに大人達は驚いたようだけど、何時だって私はそうだった、5歳ほど年上の姉と同じものを好み、求めたのだから。映画音楽だと姉が教えてくれた。そうして私はこの映画がどんなものか想像したものだった。まだ見たこともないヴェネツィア。昔はインターネットなんて無かったから、図書館でイタリアの写真集を見つけ、ヴェネツィアがどんな街かを確認したものだ。水路が街の中を巡っている不思議な街。遠い国の不思議な街。幻想的で手が届かない場所だと思った。

欧羅巴なんて場所は遠すぎて、一生見ることは無いと思っていたのに、人生とは不思議なものだ。途中で脱線事故みたいなものに遭遇して、私はイタリアに暮らすようになったのだから。脱線事故みたいなものとは、相棒と知り合ったことであることを明解にしておきたいと思う。何故ならば私は、一生アメリカに暮らすつもりで日本を飛び出したのだから。
ボローニャに暮らすようになって、近年は特急列車が手ごろな料金で利用できるようになったこともあり、ヴェネツィアが身近な存在になった。この街はどの季節も美しい。春の日差しに光る運河はとろけるような色合いだし、夏は日差しが強く落ちる影が濃くて印象的だし、秋は穏やか。でも寒い季節が一番好きだ。それは多分、あの音楽が一番似合う季節だからで、そして人が少ないからだと思っている。先日訪れた時、ひとり歩きながら思った。何時かこんな日が来るなんて、子供の頃には想像できなかったと。
そういえば、私が子供だった頃、東京12チャンネルというのが存在して、イタリア映画を放映していた。私には少し難しくて途中で飽きてしまうことが多かった。何やら暗い印象の映画、悲しい寂しい映画が多くて見ていられなかったというのもある。でも姉は違った、何時も夢中だった。その姉ではなく私がイタリアに居るなんて。こんな時にも思う、人生の不思議。

先日散々歩いて酷く疲れ、ヴェネツィアは暫く行かなくてもいいなんて思ったけれど、ふいに再び行きたくなった。それも寒い季節がいい。どんより曇り空が水面に映るような季節がいい。水路に掛った小さな橋を渡る住人が暖かいコートを着ているような時期がいい。あの音楽を何処かで耳にしたからだ。Anonimo Veneziano。美しい曲。何年経っても廃れることがない。此れを聴くたびに私は昔に連れ戻される。5歳上の姉の真似ばかりしていた子供時代。背伸びをしていたに違いない私の子供時代。




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美しいシマウマ

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満月の金曜日。嬉しいことがふたつ重なって気分上々。外気は肌を切るように痛い冷たさだけど、こんな夕方に寄り道をしない手はない。そもそも最近バスが時間通りに来ないので家に直行するバスに乗るのは至難の業。兎に角来たバスに乗るのが最善で、そして大抵初めに来るのが旧市街へと向かうバスなのである。旧市街に一番近い停留所でバスを降りた。其処から街の中心まで歩くと結構な距離になるが、私は好んで歩くから少しも苦にならない。金曜日の夕方とあり、歩いている人が案外いた。皆、週末を迎える解放感を噛みしめているかのように笑みを浮かべていた。

街の中心にあるガッレリア。此処は高級品を置く店が連なっていて、それを眺めて歩く人が多い。勿論店内に入って買い物を愉しむ人も居るけれど、店内は数年前に比べれば賑わいが少ない。私にとって此のガッレリアは雨が降る日や寒い日の近道的存在である。今日も此処を通り抜けて外に出て、あっと声を上げた。高級ブランド店のショーウィンドウに緑色のシマウマ。これには目も心も惹かれて、釘付けになった。私は緑が好きで、そしてシマウマが好きなのである。
昔アメリカに居た頃、知人と南カリフォルニアを目指した。当時国内線が大変安くて、サンフランシスコからサンディエゴへの往復チケットはたったの30ドルにもならなかった。つつましい生活をしていた私達には有難い話だった。サンディエゴへ行ったその足でローカル列車を利用してメキシコへ行った。メキシコの何という街だっただろうか、兎に角旅行者目当てのおじさんがシマウマを携えて立っているのである。つまり有料でシマウマと写真を撮らせてあげるという商売だった。何しろシマウマが好きな私だから、歓喜して近寄ってみて落胆した。シマウマはシマウマでは無くて、ロバにペンキでシマを施した偽シマウマだったのである。これもあれも、どれとして本物のシマウマは存在せず、おかげでメキシコの印象がすっかり悪くなってしまった。それにしても不思議ではないか、ロバを携えて立っていても良いのに、何故シマウマなのだろう。シマウマってそんなに魅力的なのだろうかと首を捻りながら、ははは、そういう自分もシマウマが大好きではないかと思ったものだ。
あれから32年が経つ。ショーウィンドウの緑の美しいシマウマを眺めながら、そんな昔のことを思い出してにやりと笑った。誰かがその様子を見ていたとしたら、奇妙な人に見えたに違いない。

ああ、満月が美しい。今夜は眠らずにずっと夜空を眺めていたいけれど、眠い、とても眠い。あっという間に眠気に負けそうである。




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美しい

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連日の晴天。此れほど有難いことはない。これは空からの贈り物で、有難うと感謝する毎日。寒いけど、夕方の帰り道は手袋をしていない手がちぎれそうなほど痛いけど、それでもじめじめした天気よりはずっといい。それに仕事帰りに見る月が美しい。空気が冷えているから月が更に美しく見えるのだと思えば、この冷たい空気にも有難うを述べたい。月が好き。月が大好き。満月は15日とのこと。15日の晩に空が綺麗に晴れて美しい月を望むことが出来ることを願う。

朝晩の寒さに早くも冬のコートを引っ張り出したが、それでも充分でなく、ストールやマフラー迄引っ張り出した。11月早々ウールやカシミヤのストールやマフラーを首にぐるぐる巻きつけるのは私には珍しいこと。大抵は薄手のものや小さなシルクのスカーフで充分なのに。一番の気に入りはグリーンのストール。グリーンをベースにしたチェックのウール製で、19年前に購入したものだ。今でもよく覚えている。旧市街の小路に面した小さな店の、冬のサルディで手に入れた。一目惚れしたと言ってよく、鏡の前に立って首に巻き付けてみたら更に惚れた。厚みといいグリーンのトーンといい、私の好みに的中したそれは、今でも飽きることがなく冬になると好んで首に巻き付ける。これに似たチェックのウール製を探し求めているが見つからない。大きさや手触り、厚み、色。たかがストール、だけど私はこういうものを妥協できないタイプの人間だから、未だに新調出来ないでいる。新しいものを手に入れたからと言って、グリーンの気に入りを手放すつもりも箪笥の中に眠らせるつもりはないけれど、気分転換に赤みがかったものを身につけたいなあと思うこともあって、私のチェックのウール製探しは続く。今の時代はネットで探すことも出来るけど、こういうものは手に取って首に巻き付けて納得しなければならぬ。そんな自分を面倒臭い人間だと思うこともあるけれど、これが私の拘り。好きな物しか身につけることが出来ない。自分への褒美に美しいものをと思って探しているが、どうやら時間が掛かりそう。案外探すのを止めたら好みのものとの出会いがあるのかもしれない。探していない時に一目惚れするものに出会うことがよくあるから。

窓辺の菩提樹の樹の葉が驚くほど美しい。今年は沢山雨が降ったからなのか、未だに緑が輝いている。それでもじきにすっかり色づいて、気づけば地面に落ちてしまうのだろう。そして夏の間は茂っていた樹は丸裸になると、冬の宣言。そうやって季節が巡っていく。それも悪くない。




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魅力的

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長い一週間の待望の金曜日。遂に辿り着いた金曜日は、イタリア全国規模の交通機関ストだった。バスや列車ばかりでなく、例えば運送業者も含まれている。私に大いに関係するのはバスのストだが、通常ボローニャは通勤通学にあまり影響がないようにストの時間帯が設定されている。8時30分から16時30分、そして19時30分から24時までがバスが動かないと言った風に。ネットで確認する限りでは今日もそんな風に仕組まれているようだから安泰。夕方家に帰る足は確保したと安心していたのだが、どうも様子がおかしい。バスが来ない、全然来ない。どうやら今日のストは本格的なものらしく、それで取敢えず来たバスに乗っては降りて、まるでパズルのように幾つものバスに乗りながら家に帰ってきた。ああ、疲れた。でも家に帰ってくることが出来ただけでも有り難かった。こんな日はタクシーは皆で払っていてつかまらないものだし、相棒も忙しくて迎えには来れないと知っていたから。

以前私は外で食事をするのが好きだった。例えば相棒や友人達とのレストランでの食事。其れからひとりでも感じの良い店を見つけるとふらりと入ったものだ。それが近年さっぱりなのは、家でのんびり、肩の力を抜いて食事をするのが好きになったからだ。猫が居るのも関係しているかもしれない。自分の中の外での食事ブームが過ぎ去ったと言ったら丁度よく、相棒も同様らしい。その代わり、家での食事が時々贅沢で、良いワインには目がないし、食材に節約する気はない。もっともそれは私だけの話で、そんな私を相棒は時々窘めるのだけど。
そんな私であるけれど、最近友人知人たちと食事に行くことがあり、俄かに外での食事ブーム再来の予感。先日は旧市街のなかなか味わいのある店に入った。この店は知っている。20年ほど前にアメリカから来た日本人とテラス席でワインを頂きながら長々と話をした店。懐かしい店と言っていいが、訊いてみたら持ち主が8年前に交代しているらしかった。私は身の回りがすっきりしているのが好きで、だから家の中もシンプルそのもの。物は少ないほうが良く、そして物は家具の中に仕舞われているのが良い。しかしそれは見方によっては味気ないのである。まあこういうことは人の好みなので良いとか悪いとかはないのだけど。それでこの店の中ときたらごちゃごちゃしている。其のごちゃごちゃがとても気に入って、私は美術館に飾られている絵画を鑑賞するようにじっくり眺めた。こういうセンス、私にはないなあと思いながら。こういうセンスはどんな風にしたら身に着くのだろうと思いながら。それは文化かもしれないし個性かもしれなくて、手に入らない宝物を見つけたような気がした。自分が持ちあわせていないセンスは魅力的だ。憧れというのかもしれない、こういうのを。私はいつも同じで変化がないけれど、少しづつ刺激を受けて、これから小さな変化が起きればいいと思った。

最近夜に弱くなった。兎に角眠い。でも眠れるのは良いことだ。少し前は眠りに落ちなくて困っていたのだから。明日は土曜日、安心して朝寝坊をしよう。




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