Anonimo Veneziano。それは古いイタリア映画の題名で日本では”ヴェニスの愛”として放映された。1970年の作品。私がその映画を観ることになったのは随分と後、大人になってからのことだけど、音楽だけは子供の頃から知っていた。私の姉はいつも新しいものを家に持ち込んだけど、音楽もそのひとつだった。好きなものはジャンルに関係なく受け入れるタイプの姉を見ながら私は成長した。其れを私は幸運と呼んでいる。兎に角、ある日姉が聴いていたのだ、この音楽を。非常に感情的で感動的で印象的な音楽。私の周囲には存在しなかった種類の曲に、あっという間に夢中になった。子供だった私がこんな音楽を聴くことに大人達は驚いたようだけど、何時だって私はそうだった、5歳ほど年上の姉と同じものを好み、求めたのだから。映画音楽だと姉が教えてくれた。そうして私はこの映画がどんなものか想像したものだった。まだ見たこともないヴェネツィア。昔はインターネットなんて無かったから、図書館でイタリアの写真集を見つけ、ヴェネツィアがどんな街かを確認したものだ。水路が街の中を巡っている不思議な街。遠い国の不思議な街。幻想的で手が届かない場所だと思った。
欧羅巴なんて場所は遠すぎて、一生見ることは無いと思っていたのに、人生とは不思議なものだ。途中で脱線事故みたいなものに遭遇して、私はイタリアに暮らすようになったのだから。脱線事故みたいなものとは、相棒と知り合ったことであることを明解にしておきたいと思う。何故ならば私は、一生アメリカに暮らすつもりで日本を飛び出したのだから。
ボローニャに暮らすようになって、近年は特急列車が手ごろな料金で利用できるようになったこともあり、ヴェネツィアが身近な存在になった。この街はどの季節も美しい。春の日差しに光る運河はとろけるような色合いだし、夏は日差しが強く落ちる影が濃くて印象的だし、秋は穏やか。でも寒い季節が一番好きだ。それは多分、あの音楽が一番似合う季節だからで、そして人が少ないからだと思っている。先日訪れた時、ひとり歩きながら思った。何時かこんな日が来るなんて、子供の頃には想像できなかったと。
そういえば、私が子供だった頃、東京12チャンネルというのが存在して、イタリア映画を放映していた。私には少し難しくて途中で飽きてしまうことが多かった。何やら暗い印象の映画、悲しい寂しい映画が多くて見ていられなかったというのもある。でも姉は違った、何時も夢中だった。その姉ではなく私がイタリアに居るなんて。こんな時にも思う、人生の不思議。
先日散々歩いて酷く疲れ、ヴェネツィアは暫く行かなくてもいいなんて思ったけれど、ふいに再び行きたくなった。それも寒い季節がいい。どんより曇り空が水面に映るような季節がいい。水路に掛った小さな橋を渡る住人が暖かいコートを着ているような時期がいい。あの音楽を何処かで耳にしたからだ。Anonimo Veneziano。美しい曲。何年経っても廃れることがない。此れを聴くたびに私は昔に連れ戻される。5歳上の姉の真似ばかりしていた子供時代。背伸びをしていたに違いない私の子供時代。