近頃ボローニャは涼しくて、昼間は日差しが強いけれど長袖を着ていても暑いと感じないくらいである。そして、朝晩はといえば、冷え込んでいてとても上着なしでは外を歩けぬ、といった具合で、初秋と呼ぶのが丁度よい、そんな素敵な気候になった。素敵、というのは近年暑さに弱くなった私の偏った表現かもしれない。世の中には暑いのが大好きで、夏が終わったことを悲しく思っている人だっているに違いないのだから。
さらりとした白い木綿のTシャツに、さらりとした紺のシルクのカーディガンを着ると丁度よい土曜日。シルクと言ったって、今の時代はピンからキリまであって、私のこのシルクはごく手頃な値段で手に入れられる、家で手洗いできるようなものである。早い話が高級品ではない。でも、それが自分に丁度良いような気がするし、とても気に入っているのだから、其れで良いと思う。毎日肩を張らずに着られるもの。自分らしく居られるもの。そういうものを私は好んでいるのだと思う。多分。多分そうだろう。
そんな初秋の土曜日の午後、気晴らしに外に出た。気晴らしに。そうだ、本当に気晴らしの散歩だった。誰にだって普段の生活には良いことも悪いこともあるのだろうけど、この金曜日の私のそれは悪いを超えて最悪だった。嫌な感情を土曜日まで引っ張ってしまったから、これはいけない、と外の空気を吸いに家を出たと言う訳だった。空は青く、旧市街へと向かうバスは昼過ぎとあって空いていた。人々はもっと早い時間に外に出掛けていると言うことなのだ、と考えが辿り着いたら、そう言えば随分と沢山の睡眠をとったことに気が付いた。最近、深い眠りに就けなかった。酷く疲れて眠いのに、夜中に幾度も目が覚めてしまう。だから睡眠を沢山とれたことは、この上なく嬉しいことであり、昨日のことでもやもやしているわりには、此れほどよく眠れた自分を多少ながら呆れたりもした。
旧市街は驚くほどの人。サンペトロニオ教会の前の広場は、キリスト教の祭典みたいな雰囲気で盛り上がっていた。兎に角教会関係、つまりブラザーやシスターといった人々が多く、此処がイタリアであることを改めて実感した。広場から抜け出して、北へと足を運ぶ。大通りではなく裏道を選んだのは、実に私らしい選択だった。裏通りには風情がある。そして地元に馴染んだ店や、地元の人に愛され続けているポルティコと通路。外国からの旅行者が多いのはどうしてだろう。来週から始まるタイルの見本市にかかわっている人たちなのかもしれなかった。チェルサイエ、という名前の見本市だ。この見本市の名前を初めて耳にしたのは、確か20年前だ。
私はローマの仕事を辞めてボローニャに戻って来たけれど、戻ってきて10日も経たぬうちにアメリカへの飛行機に乗っていた。新しい生活を始める前に、どうしてもアメリカの、あの住み慣れた街に行きたかった。相棒が私を気持ちよく出してくれたのは、どうしてもイタリアに馴染めないで苦悩している私を傍らで見ていたからだ。こんな風に行き来しながら、少しづつ自分らしく暮らせる術を得ればよい、と思ってのことではなかったか。早朝のボローニャ駅で、元気を沢山持って帰っておいでと言って見送ってくれた相棒に、ミラノ行きの列車の窓から手を振ったことを覚えている。私らしく、気軽な装いだった。ジーンズにシャツ。ジャケット。アメリカに居た頃のような、人の目を気にしない、自分らしい私だった。4週間だっただろうか、アメリカに滞在したのは。相棒と私が住んでいたフラットには、その後親友が住んでいた。親友は私達の猫をフラットと一緒に引き継いでいた。私は其処に4週間居候した。居心地の良いフラット、猫、親友。青い空があって、朝晩は濃い霧が出て、外を歩けば見慣れた顔があって、近所には大好きなタサハラベーカリー。イタリアに引っ越ししたことを多少ながら悔やみ、しかし新しいチャレンジの場所があることに感謝して、複雑な気持ちで帰りの飛行機に乗った。その帰りの飛行機で隣り合わせになった、ニョーヨークに住んでいると言うイタリア人。昔観たニューヨークに暮らすイタロアメリカン家族の家長のような雰囲気の男性だった。昼から酒を飲んでは妻や子供を怒鳴っているような。映画を見た当時は怒鳴っているように見えた。イタリア人は多々興奮すると声が大きくなるので怒鳴っているように見える。でも実は怒鳴っているのではなく、ただ興奮しているだけ、怒鳴っているように見えるだけと分かったのは、イタリアに住んで数年経ってからのことだった。兎に角、其の隣席の男性がチェルサイエのことを教えてくれたのだ。とても有名なんだよ。アメリカや他国からも参加する人が沢山いる、僕のようにね、と。Jerryという名の男性だった。彼の両親は多分シチリアからの移民なのだろう、などと話をしながら想像しているうちにミラノに着いた。そしてミラノから列車に乗り継いでボローニャに帰ってきたところで新しい生活が待っていた。新しい生活は困難続きだったけれど、それも過ぎてしまえば思い出として語ることすらできる。沢山途方に暮れて泣いた分、今は多少のことでは涙が零れない。涙は、もう枯れてしまったのかもしれない。
あの頃のことを思えば、大抵のことは乗り切れるはずなのだ。例えば、金曜日のこととか。つまらないことだ。うん、忘れてしまえばいい。忘れてしまうのだ。
帰りに立ち寄った食料品市場界隈。もう季節が終わろうとしている桃だけど、まだ美味しいのが手に入る。5個買った。見かけが悪くてもいいから、美味しそうなのを選んでね、と頼んで。桃が店に並ばなくなったら、美味しそうな林檎と柿が並ぶだろう。そんな風にして季節が移っていくのを眺めるのが、私の喜びのひとつ。私は案外、安上がりな人間なのだ。