独り言

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夕暮れの時間が早くなった。窓辺に佇んで空を見上げる猫が小さく声を上げたのは、窓の外にトンボが飛んでいたからだった。すいすい。外は既にうす暗いから目を細めなければ見えないトンボ。青い透明なトンボを眺めながら、ああ、秋だ、と思った。気が付けば、来週の今頃は10月である。特に何もしないうちに大好きな9月が過ぎて行こうとしている。残念なような気もするけれど、それも良いような気もする。9月とはいつもそんな風に過ぎているようにすら思える。さらさらと柳の枝葉が風に流れるように、9月も流れるように過ぎていくのだ。夏の後の、爽やかな思い出を残して。

身体を冷やさないために長袖を着始めた私だけれど、街の人達は半袖姿で歩いている。彼らは涼しすぎないのかしらと思いながら、同時に彼らは暑くないのかと思いながら私とすれ違っているのかもしれないと思ったら、何だか可笑しくなった。昨日の午後、旧市街は日差しが強くて、サングラスなしでは歩けなかった。ポルティコの下にはバールのテーブル席が並び、人々は好んでそこに座っているようだった。数週間前なら暑すぎて、ポルティコの下などに座りたいなど思いもしなかっただろうに。軽食をとりながら本を読む女性の首筋に不思議な図柄の割と大きな刺青が施されているのを発見。とても刺青をするようなタイプの女性ではないのに、と思いながら、そんなことで驚いている自分が案外保守的な人間であることに改めて気が付いて苦笑した。今の時代、何でもありなのだ。昔は東洋人とみれば遠慮なしにじろじろ眺めたボローニャ人達だったけれど、今は何人が歩いていたって驚きやしない。時代は変わりつつあるのだ。それにしても彼女は美しく、傍を通る人たち誰もが振り向いた。男性は勿論、女性にしても。真っ直ぐな黒髪を顎のラインでバッサリ切り落とし、白い透けるような肌に黒のシルクのブラウス。赤い口紅が掛けていた黒いサングラスに映えて、魅力的だった。彼女が女優かモデルだと言ったら、全く納得できそうな、そんな雰囲気を持っていた女性。ボローニャには珍しいタイプで、いつもの私なら声のひとつも掛けてしまうけれど。あなたはとても美しいですね、神秘的だわ、みたいな感じに。でも、声を掛けなかったのは、読書の邪魔をしたくなかったからだ。もし彼女がカッフェを片手にしていたら、声のひとつも掛けたというのに。魅力的な人を発見するのが好きだ。男性であろうと、女性であろうと。

明日から始まる一週間。いい一週間になるだろうか。そうだ、久しぶりにフランス屋に立ち寄ってみることにしよう。楽しかった夏の報告をしながら、赤ワインなど頂いたらいいかもしれない。




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初秋

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近頃ボローニャは涼しくて、昼間は日差しが強いけれど長袖を着ていても暑いと感じないくらいである。そして、朝晩はといえば、冷え込んでいてとても上着なしでは外を歩けぬ、といった具合で、初秋と呼ぶのが丁度よい、そんな素敵な気候になった。素敵、というのは近年暑さに弱くなった私の偏った表現かもしれない。世の中には暑いのが大好きで、夏が終わったことを悲しく思っている人だっているに違いないのだから。
さらりとした白い木綿のTシャツに、さらりとした紺のシルクのカーディガンを着ると丁度よい土曜日。シルクと言ったって、今の時代はピンからキリまであって、私のこのシルクはごく手頃な値段で手に入れられる、家で手洗いできるようなものである。早い話が高級品ではない。でも、それが自分に丁度良いような気がするし、とても気に入っているのだから、其れで良いと思う。毎日肩を張らずに着られるもの。自分らしく居られるもの。そういうものを私は好んでいるのだと思う。多分。多分そうだろう。

そんな初秋の土曜日の午後、気晴らしに外に出た。気晴らしに。そうだ、本当に気晴らしの散歩だった。誰にだって普段の生活には良いことも悪いこともあるのだろうけど、この金曜日の私のそれは悪いを超えて最悪だった。嫌な感情を土曜日まで引っ張ってしまったから、これはいけない、と外の空気を吸いに家を出たと言う訳だった。空は青く、旧市街へと向かうバスは昼過ぎとあって空いていた。人々はもっと早い時間に外に出掛けていると言うことなのだ、と考えが辿り着いたら、そう言えば随分と沢山の睡眠をとったことに気が付いた。最近、深い眠りに就けなかった。酷く疲れて眠いのに、夜中に幾度も目が覚めてしまう。だから睡眠を沢山とれたことは、この上なく嬉しいことであり、昨日のことでもやもやしているわりには、此れほどよく眠れた自分を多少ながら呆れたりもした。
旧市街は驚くほどの人。サンペトロニオ教会の前の広場は、キリスト教の祭典みたいな雰囲気で盛り上がっていた。兎に角教会関係、つまりブラザーやシスターといった人々が多く、此処がイタリアであることを改めて実感した。広場から抜け出して、北へと足を運ぶ。大通りではなく裏道を選んだのは、実に私らしい選択だった。裏通りには風情がある。そして地元に馴染んだ店や、地元の人に愛され続けているポルティコと通路。外国からの旅行者が多いのはどうしてだろう。来週から始まるタイルの見本市にかかわっている人たちなのかもしれなかった。チェルサイエ、という名前の見本市だ。この見本市の名前を初めて耳にしたのは、確か20年前だ。
私はローマの仕事を辞めてボローニャに戻って来たけれど、戻ってきて10日も経たぬうちにアメリカへの飛行機に乗っていた。新しい生活を始める前に、どうしてもアメリカの、あの住み慣れた街に行きたかった。相棒が私を気持ちよく出してくれたのは、どうしてもイタリアに馴染めないで苦悩している私を傍らで見ていたからだ。こんな風に行き来しながら、少しづつ自分らしく暮らせる術を得ればよい、と思ってのことではなかったか。早朝のボローニャ駅で、元気を沢山持って帰っておいでと言って見送ってくれた相棒に、ミラノ行きの列車の窓から手を振ったことを覚えている。私らしく、気軽な装いだった。ジーンズにシャツ。ジャケット。アメリカに居た頃のような、人の目を気にしない、自分らしい私だった。4週間だっただろうか、アメリカに滞在したのは。相棒と私が住んでいたフラットには、その後親友が住んでいた。親友は私達の猫をフラットと一緒に引き継いでいた。私は其処に4週間居候した。居心地の良いフラット、猫、親友。青い空があって、朝晩は濃い霧が出て、外を歩けば見慣れた顔があって、近所には大好きなタサハラベーカリー。イタリアに引っ越ししたことを多少ながら悔やみ、しかし新しいチャレンジの場所があることに感謝して、複雑な気持ちで帰りの飛行機に乗った。その帰りの飛行機で隣り合わせになった、ニョーヨークに住んでいると言うイタリア人。昔観たニューヨークに暮らすイタロアメリカン家族の家長のような雰囲気の男性だった。昼から酒を飲んでは妻や子供を怒鳴っているような。映画を見た当時は怒鳴っているように見えた。イタリア人は多々興奮すると声が大きくなるので怒鳴っているように見える。でも実は怒鳴っているのではなく、ただ興奮しているだけ、怒鳴っているように見えるだけと分かったのは、イタリアに住んで数年経ってからのことだった。兎に角、其の隣席の男性がチェルサイエのことを教えてくれたのだ。とても有名なんだよ。アメリカや他国からも参加する人が沢山いる、僕のようにね、と。Jerryという名の男性だった。彼の両親は多分シチリアからの移民なのだろう、などと話をしながら想像しているうちにミラノに着いた。そしてミラノから列車に乗り継いでボローニャに帰ってきたところで新しい生活が待っていた。新しい生活は困難続きだったけれど、それも過ぎてしまえば思い出として語ることすらできる。沢山途方に暮れて泣いた分、今は多少のことでは涙が零れない。涙は、もう枯れてしまったのかもしれない。
あの頃のことを思えば、大抵のことは乗り切れるはずなのだ。例えば、金曜日のこととか。つまらないことだ。うん、忘れてしまえばいい。忘れてしまうのだ。

帰りに立ち寄った食料品市場界隈。もう季節が終わろうとしている桃だけど、まだ美味しいのが手に入る。5個買った。見かけが悪くてもいいから、美味しそうなのを選んでね、と頼んで。桃が店に並ばなくなったら、美味しそうな林檎と柿が並ぶだろう。そんな風にして季節が移っていくのを眺めるのが、私の喜びのひとつ。私は案外、安上がりな人間なのだ。




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水色の壁

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朝晩の涼しいこと。特に朝の冷え込みは驚くほどだ。流石に15度にも満たない朝は、誰もが長袖を着こんで外に出掛ける。近所のバールの常連たちも、きちんとジャケットを着こんでいる。先週は半袖シャツで、朝から元気を振りまいていたと言うのに。
私が暮らす界隈に、双子の兄弟が居る。土曜日の午前中にバスの中でよく見かけるのだが、兎に角よく似ていて、何か印でもつけておかないと誰が誰なのか分からない。それくらいよく似ている。背丈も髪型も、何故か着るものも全く同じで靴まで同じときている。予想年齢75歳ほどの彼らは、長年こんな風に同じ装いをしてきたのだろうか。そして生涯一緒にいるのだろうか。今朝、ふたりが揃いの明るいグレーのジャンパーを着て歩いているのを見かけて、そんなことを思った。

夕方、旧市街を歩いた。見たい店があったから。と言っても中に入るでもない。外から眺めたいだけだった。水色の壁。しかも微妙なトーンの水色。いつか中に入ってみたいと思いつつ、もう何年も経ってしまった。私には敷居が高い。何か、違う種類の人達が、足を踏み入れる店に思えて仕方がない。案外入ってみれば、気持ちの良い店主が居て、なーんだ、こんなことならもっとと前に入ってみればよかった、などと思うのかもしれないけれど。でも、良い。こんな入りにくい、憧れの店がひとつぐらいあるのは良いことだ。美しい。実に美しい店。

満月は見逃したけれど、連日パールのように光る月。明日も天気になるらしい。




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裏通り

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階下の広いテラスは夕方の雨で濡れたあと乾ききらず、黒く光っていた。無造作に投げ出されたままの薄緑色の長いホース。水を撒こうと思っていたところに雨が降ってきたのだろうか。置き去りにされた夏の道具みたいな感じで、ちょっぴり悲しい。階下のテラスは本当に広い。多分50平米は有るだろう。でも、階下の住人はあまり手入れをしていない。持ち主の知り合いとやらが2年前から住んでいるが、テラスを楽しむ習慣はないらしい。テラスと呼んではいるが、地面の部分もある。其処に大きな菩提樹が数本生えているのだけど、これが私の大の気に入りで、この木の存在が私の気持ちを和らげてくれる。外から帰ってきて窓を開けた時に聞こえる、樹の葉の揺れる音。どんな音楽よりも柔らかく、優しい。此の菩提樹の木の葉もそのうち色が変わって地面に落ちるのだろう。そうして枝が丸裸になったら、冬へと突入するのだ。私は菩提樹によって季節を感じたり、様々なことを考えるのである。階下の住人は、どうだろう。そんなことは少しも感じることなく、木の葉を掃除することを億劫がってばかりいるのかもしれない。厄介者なんて思っていたらどうしよう。そうでなければよいけれど。

旧市街の裏道的存在は面白い。大抵何かはっとするようなものがある。例えば張り紙だったり、例えば店であったり。食料品市場界隈からブランドの店が集まる通りに突き抜けるのに大変便利なこの通りは、もう裏通りなどと呼べないのかもしれない。ボローニャの人達はこの通りをよく歩くから。では、表かと訊かれれば、裏だ。やはり裏通りと呼ぶにふさわしい。そんなこの通りには結構いい店が連なっていて、歩けば1分と掛からぬ距離だが、関心をあちらにもこちらにも奪われるので困ってしまう。幾つかの店が入れ代わり、今に至る。靴屋の後に布のかばん屋になり、その後何かの店になって、今は薔薇を主に売る花屋になった。その先の角の店もそうだ。以前はカシミアセーターを売る店だった。その前は覚えていないが、兎に角よく店が変わる。今の店には足を踏み込んだことが無いが、表から眺める限り、なかなか個性的で道行く人の目を引いているようだ。ちょっと変わった雰囲気の服。昔、自分の服を縫うのが大好きだった頃、こんな雰囲気の服を好んで縫い上げては着ていたものだ。自分で型紙を作って、生地屋さんに足を運んで。そういう私を母は面白い娘だと思っていたらしい。自分で作った服をどこにでも着て出かける娘を、何と勇気のある、とも思っていたらしいことを最近知った。ちょっと周囲の娘たちと違う感じだったと言う。それを聞いて、何だ、言ってくれればよかったのに、と思ったけれど、あの頃の私は、そんなことを言われたって何処吹く風だったかもしれない。何しろ私は人と違うことが好きだったから。いいじゃない、それでいいんじゃないの? そんなことを母に言ったに違いないから。それで、この店の服は、何か懐かしい感じがするのだ。店の前を歩くたびに足を止めてショーウィンドウを覘きこんでは、昔、不要になった包装紙に線を引いて型紙を作ったことを思い出す。そしてマメだった自分に、手先が器用だった自分に改めて驚くのだ。今の自分とは大違いだと。それでいて、何時か、上等なカシミアのコートを手縫いしたいなどと夢見ているのだから、案外私は根本的なところで縫物が好きなのかもしれない。

季節が急激に移り変わろうとしている。長袖を着て丁度よいことに内心驚きながら、これで良い、これで良いとも思うのだ。夏は十分堪能したから、そろそろ長袖の秋へ。暫く止めていた仕事帰りの赤ワインも、来月辺りから復活させるとしようか。夜が早くやって来る季節は楽しみが少ないから。




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夏の終わりと初秋の交差点のような日

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昨晩は結局ずっと厚い雲に覆われたままで満月を眺めることは出来なかった。しかし今朝は目を覚ますと快晴。驚くほどの青空だった。もし夜明け前に目を覚ますことが出来たなら、美しい満月を見ることが出来たのかもしれない。そう思うと残念だけど、土曜日の朝、夜明け前に目を覚ますことなど、たとえ目覚まし時計を掛けていても駄目だっただろう。私はとても疲れていた。ここ数週間の疲れが波のように襲ってきて、昨晩どのようにしてシーツの下に潜り込んだかさえ覚えていない。それだから今日は家でゆっくりしようと思っていたのに、やはり外に出てしまった。

空が青かったから。涼しくて気持ちが良かったから。理由はいくらでも見つけられる。旧市街に入ってふたつ目の停留所でバスを下車したのは、久しぶりに歩きたいと思ったからだ。ポルティコの下を歩いていくと人だまりが見えた。小さなバールの前だった。どうやら何かのお祝いらしい。着飾った人々が、シャンパングラスを片手に談話していた。その人々をカメラが追う。有名な人が居るらしい。でも私には分からない。どの人も美しく、髪を整えて着飾っていたから。それにしたってこんな小さなバールで。それも少しも洒落ていない、此処に昔からある地元バールで。人混みをかき分けながら先へ進む。マッジョーレ通りを進むと、ポルティコの下の芸術、が催されていた。芸術家たちが自分の作品を並べて、行き交う人々と話をしていた。こうしたものが時々ある。でも何時も仕事帰りの急ぎ足で、ゆっくり見たことは無い。絵画が多い中に、一か所だけ写真を並べている場所があった。足を止めて覘いてみたら、なかなか面白い。此処で足を止める人はあまりいないらしく、写真家は子供用の小さな椅子に腰を下ろし、家から持ち込んだスピーカーから流れるタンゴに耳を傾けながら何か書き物をしていた。と、ふと立ち上がって私に声を掛けた。何か気に入ったものはあるかと訊く。私は気に入ったものを2点指さして、あなたが撮ったものなのかと訊く。彼はそうだと頷き、ミラノに住んでいて、普段はこうしたものではなくてモーダの写真を撮っているといった。成程、ミラノならば、そうした仕事もあるなと頷き、私達は話し始めた。そうしているうちに人が足を止め、あっという間にポルティコの下に人垣ができた。口々に彼の写真を評価し、彼はとても嬉しそうだった。写真を買い求める人は居なかったけれど、充分嬉しいといった様子だった。人の波が消え、再び彼が私のところに戻って来たので、私は中でも特に気に入った写真のことを訊ねた。何処で撮ったものなの? トリエステの駅の構内なんだ。ふーん、私はてっきりブダペストの駅だと思ったのだけど。そうだね、彼はロシア人だし、この子供は恐らく旧東欧と呼ばれる辺りの顔つきだ。そうなの、ブダペストの駅に行くとこうした人達が入り混じっていて、何か感じるものがあるのよ。そうだね、ブダペスト、美しい、興味深い街だ。 そんな話をしているうちに、私はこの写真を部屋の、隅っこの、殺風景な壁に飾りたいと思った。写真を求める私に、君との話は面白かったなと言って、少し割引をしてくれた。割引なんてしなくていい、作品を安く売るものではないという私に、あはは、君はいいことを言うと彼は笑ったけれど、結局安く写真を手に入れた。いいんだよ。写真は、気に入ってくれた人の元に行くのが一番幸せなんだ、と彼は言った。またボローニャに来るかな。うん、来るよ、また。そんな挨拶を交わして、私は歩き去った。
自分が好きなことをしている人は美しい。アルゼンチン帰りみたいな、格好をしていたけれど、肩に着きそうな巻き毛がもじゃもじゃしていたけれど、背中を丸めて写真の余白に鉛筆でサインをする彼の姿が美しく見えた。


情熱を捨ててはいけないよ。話している時に彼が私に言った言葉。どんな時にも情熱を置き去りにしちゃいけない。
青い空。夏の終わりと初秋の交差点のような日。写真家の彼。手に入れた写真。家に閉じこもっていたら、得られなかったことばかり。いつものバールで足を止めて、コーヒーを注文しながらそんなことを考える。土曜日はいい。やっぱりこうでなくては。




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