月の美しい晩
- 2015/10/23 20:22
- Category: bologna生活・習慣
仕事帰りに旧市街に立ち寄った。昼間の間、快晴だった空は既に群青色となり、冷たく光る月がとても美しかった。あと数日で満月になるに違いない月を見上げながら、こうして歩くのは久しぶりだと思った。パリから戻ってみるといつもの生活が待っていて、それなりに沢山のことを片付けて休暇に入ったのに、それでも充分ではなかったかのように沢山のことが私を待っていた。でも、悪い気はしなかった。寧ろ、ああ、此処が私の生活の場所なのだ、と思い出させてくれて有難うとすら思った。休暇に出掛ける前には思いつかなかったことだ。普通の生活が当たり前の顔して存在する有難さ。それを思い出すことが出来たのが休暇による効果だったならば、時には休暇をとるのは良いことと言うことになる。単に楽しむだけでなく。それにしても忙しい毎日で、メリーゴーランドが回り続けていたような感じだ。だから金曜日の晩を迎えて、心の底からほっとしている。それにしても連日の晴天は有難い。日に日に気温は下がっていくけれど、空が明るければ何とかやっていける。空が明るい日の晩は美しい星と月を望めて、ああ、今日もいい一日だったと思うことが出来るから。
ボローニャ旧市街を歩きながら、何か安心感を感じるのは、それは此処が私が暮らす町だからだ。旅先の街を歩きながらわくわくする、探求心を掻きたてられるような感情は湧き起こらないけれど、何時もの青果店があって、いつものバールがある、店にはなじみの店員が居て、出先で知人にばったり会って立ち話などをすることもある、それらの全てが、此処が私の町だからだ。と、其処まで思ったところで、はてな、一体何時からボローニャが自分の町だと思うようになったのだろうと思った。此処は相棒の生まれ育った町で、それで私が単にくっついてきた形だった筈なのに。あれ程、この町に閉塞感を感じ、考え方の違和感を感じては、ああ、私はやはり外国人なのだと思い知らされていた筈なのに。橙色の街灯があちらこちらに燈って中世の街並みを更に美しく浮かび上がらせている中を歩きながら、パリは大好きになったけれども、パリのような大きな町よりも、私にはボローニャくらいの規模がちょうど良いと思った。帰ってくる場所があるから旅が楽しい。そうだ、多分そうなのだ。いつの間にか、自分が帰る場所がボローニャになったことに首を傾げながら、それも悪くないと思う。
月の美しい晩は、心がとても柔らかくなる。
つばめ
めずらしい色の陶器ですね。
いろんな色が混ざったような。
こちら日本ではなかなか見かけません。
パリとボローニャのちがいを感じ、ボローニャを受け入れられつつあるyspringのさん。そのように思う人は結構多いのかなと思いました。その場所に行ったとしてもみんな合うとは限らないし、時間がたてばその場所のようになっていく人がほとんどだろうし。旅は必要ですね。だって、外から自分が見れるから。
そういう私も似ています。というか、私は、いっつもつっぱねてばっかりいますが。ええ、確実にぱーんとつっぱねている。いまも。受け入れられる人は上手にすーっと受け入れるのでしょうが。