テレーザと美味しいもの
- 2010/12/17 23:46
- Category: 友達・人間関係
先週のこと。通りからガラス越しに店の中を覗き込むと吊り下げられた幾つものサラミが目に飛び込んだ。ひと言でサラミと言ってしまうが、食べてみたらびっくりするほどそれぞれに個性があってサラミの世界の奥の深さを痛感する。そんなことを真面目腐って考えていたらその近くに手打ちパスタの姿を見つけた。タリアテッレだった。一体幾つの卵を練りこんだのか、美しい黄色のタリアテッレだった。日曜日の姑と一緒の昼食会の為にどうだろう。そうだ、これにポルチーニ茸を絡めたら皆喜ぶに違いない。そう思ったが、今これを買うと手が塞がってしまうから、そうだ、散策が終わったところで買って帰ることにしようと決めた。ところが帰りになるとすっかり忘れてピアノーロ行きの96番のバスに乗って随分経ってから思い出した。ああ、残念。何故なら姑はタリアテッレが大好きだからだった。しかも当然ながら、市販のものではなくて手打ちのパスタが好きなのである。失敗、失敗。そんな言葉を心の中で繰り返しながら家に帰ると相棒が一足先に帰っていた。ほら、見てごらん。そう言って差し出したのは四角い紙のトレイの上に並べられた薄緑色のタリアテッレだった。見て直ぐ分かる、手製の、機械ではなくて、麺棒で薄く延ばしたもの。それはテレーザの手製だった。私はテレーザにまだ一度も会ったことが無い。彼女は60歳を過ぎたご夫人で、30代の娘を持つ、相棒が毎日通うバールの常連だ。手っ取り早く言えば相棒とテレーザはそのバールで毎日カッフェをしているうちに世間話をするようになったのである。そのうち娘とも知り合って、そうしているうちに相談ごとなどを互いにするようになると親しみが増したのか、テレーザが自分たち家族の為に作った茄子のオリーブオイル漬けや様々なものを持って来ては、奥さんと夕食に食べなさいよと言って手渡してくれるようになった。それが実に美味しくてあっという間になくなってしまう。終わったら口の広い蓋つきガラス瓶は捨てないで返して頂戴とテレーザが言ってたので、凄く美味しかったと言葉を添えて奇麗に洗った壜を持っていくと、また数日後に別のを持ってきてくれる、と言った具合だった。最近は鶏の丸焼きやじゃがいものフライ、それから肉のグリルや野菜のオーブン焼きなど何にでも使えて便利で美味しい塩を貰った。塩は海のあら塩で、それに細かく刻んだ大蒜とかローズマリー、タイム、オレガノや私の知らない様々なハーブを混ぜてあって、兎に角風味が良い。トマトソースにひとつまみ落とすと格段に味が良くなり食欲をそそる風味が立ち上る。今度作り方を教えて貰いたいなあ、と相棒を通じてテレーザに言うと、秘密なの、だからこれが終わったらまたあげるわね、との返事が返ってきた。最近テレーザが相棒に向って急に言ったそうだ。あなたは知っている人に良く似ているような気がするのだけど、苗字はなんと言うのかしら、と。それで苗字を言うと、今度は相棒の父親の名前は何かと訊く。それでまた答えると、ひどく驚いて、それからひとり頷き何やら納得しながら話してくれた。彼女がまだ小さかった頃、相棒の父親は彼女の父親が経営する会社で働いていて、時々家に来ると遊んでくれたのだそうだ。彼女の父親は相棒の父親のことを家でいつも褒めていたらしく、そんなこともあってテレーザは子供ながらも名前を記憶の端に留めていたらしい。もう居ない相棒の父親を知る人が此処に居ることを知り、相棒は深く喜び、しかしもう会えないことをテレーザはとても残念がった。その晩、相棒はとても機嫌が良くて、そんな様子からそのことがとても嬉しかったのだろうと想像できた。さて、そのテレーザがイラクサを摘んでタリアテッレを打ってくれたのだそうだ。日曜日の昼食にどうぞと言って。私がうっかり買うのを忘れたタリアテッレ。もしかしたらそれで良かったのかもしれない。うん、多分これでよかったのだ。姑はテレーザが打ったタリアテッレに驚喜して、まったく美味しくて楽しい昼食会になった。いつの間にかこんなに身近に感じるようになったテレーザ。でも実を言えば私はまだ彼女に会ったことは無い。何時か紹介するから、と言う相棒に、何時かではなくて今日明日にでも会ってみたいと私はせがみ、せがんでは私の中で美味しいものを作り出すテレーザという女性の想像がどんどん膨らんでいく。