テレーザと美味しいもの

先週のこと。通りからガラス越しに店の中を覗き込むと吊り下げられた幾つものサラミが目に飛び込んだ。ひと言でサラミと言ってしまうが、食べてみたらびっくりするほどそれぞれに個性があってサラミの世界の奥の深さを痛感する。そんなことを真面目腐って考えていたらその近くに手打ちパスタの姿を見つけた。タリアテッレだった。一体幾つの卵を練りこんだのか、美しい黄色のタリアテッレだった。日曜日の姑と一緒の昼食会の為にどうだろう。そうだ、これにポルチーニ茸を絡めたら皆喜ぶに違いない。そう思ったが、今これを買うと手が塞がってしまうから、そうだ、散策が終わったところで買って帰ることにしようと決めた。ところが帰りになるとすっかり忘れてピアノーロ行きの96番のバスに乗って随分経ってから思い出した。ああ、残念。何故なら姑はタリアテッレが大好きだからだった。しかも当然ながら、市販のものではなくて手打ちのパスタが好きなのである。失敗、失敗。そんな言葉を心の中で繰り返しながら家に帰ると相棒が一足先に帰っていた。ほら、見てごらん。そう言って差し出したのは四角い紙のトレイの上に並べられた薄緑色のタリアテッレだった。見て直ぐ分かる、手製の、機械ではなくて、麺棒で薄く延ばしたもの。それはテレーザの手製だった。私はテレーザにまだ一度も会ったことが無い。彼女は60歳を過ぎたご夫人で、30代の娘を持つ、相棒が毎日通うバールの常連だ。手っ取り早く言えば相棒とテレーザはそのバールで毎日カッフェをしているうちに世間話をするようになったのである。そのうち娘とも知り合って、そうしているうちに相談ごとなどを互いにするようになると親しみが増したのか、テレーザが自分たち家族の為に作った茄子のオリーブオイル漬けや様々なものを持って来ては、奥さんと夕食に食べなさいよと言って手渡してくれるようになった。それが実に美味しくてあっという間になくなってしまう。終わったら口の広い蓋つきガラス瓶は捨てないで返して頂戴とテレーザが言ってたので、凄く美味しかったと言葉を添えて奇麗に洗った壜を持っていくと、また数日後に別のを持ってきてくれる、と言った具合だった。最近は鶏の丸焼きやじゃがいものフライ、それから肉のグリルや野菜のオーブン焼きなど何にでも使えて便利で美味しい塩を貰った。塩は海のあら塩で、それに細かく刻んだ大蒜とかローズマリー、タイム、オレガノや私の知らない様々なハーブを混ぜてあって、兎に角風味が良い。トマトソースにひとつまみ落とすと格段に味が良くなり食欲をそそる風味が立ち上る。今度作り方を教えて貰いたいなあ、と相棒を通じてテレーザに言うと、秘密なの、だからこれが終わったらまたあげるわね、との返事が返ってきた。最近テレーザが相棒に向って急に言ったそうだ。あなたは知っている人に良く似ているような気がするのだけど、苗字はなんと言うのかしら、と。それで苗字を言うと、今度は相棒の父親の名前は何かと訊く。それでまた答えると、ひどく驚いて、それからひとり頷き何やら納得しながら話してくれた。彼女がまだ小さかった頃、相棒の父親は彼女の父親が経営する会社で働いていて、時々家に来ると遊んでくれたのだそうだ。彼女の父親は相棒の父親のことを家でいつも褒めていたらしく、そんなこともあってテレーザは子供ながらも名前を記憶の端に留めていたらしい。もう居ない相棒の父親を知る人が此処に居ることを知り、相棒は深く喜び、しかしもう会えないことをテレーザはとても残念がった。その晩、相棒はとても機嫌が良くて、そんな様子からそのことがとても嬉しかったのだろうと想像できた。さて、そのテレーザがイラクサを摘んでタリアテッレを打ってくれたのだそうだ。日曜日の昼食にどうぞと言って。私がうっかり買うのを忘れたタリアテッレ。もしかしたらそれで良かったのかもしれない。うん、多分これでよかったのだ。姑はテレーザが打ったタリアテッレに驚喜して、まったく美味しくて楽しい昼食会になった。いつの間にかこんなに身近に感じるようになったテレーザ。でも実を言えば私はまだ彼女に会ったことは無い。何時か紹介するから、と言う相棒に、何時かではなくて今日明日にでも会ってみたいと私はせがみ、せがんでは私の中で美味しいものを作り出すテレーザという女性の想像がどんどん膨らんでいく。

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クリスマスツリー

12月には入る頃から街は飾り付けが進んでいたが、今ではすっかりクリスマスを迎える準備が整った、そんな感じだ。古いポルティコの下を歩きながら、それらを眺めるのは楽しい。過剰で落ち着きを失いそうなものよりも、シンプルで素朴なものが私は好きだ。と、先週思いついて相棒に言った。家でもクリスマスツリーを飾らないか、と。もう長いこと飾っていなかった。それは多分心理的なもので、多分そんな気分ではなかったからだ。それが今年に限っては何故だか飾ってみようか、ううん、飾りたい、うん、飾ろう、そんな気持ちになった。それはどうやら相棒にも通じる心境の変化だったらしく、あっという間に意見が纏まり数日前の日曜日に飾り付けをした。私好みにシンプルで素朴な飾りつけ。私より随分背の高い、直径1mもあるクリスマスツリーを居間の角っこに置くと居間が少々狭く感じられたが、ランプに灯が点ったように家の中がぱっと明るくなった。夕食を終えた後に居間の照明を落とすとクリスマスツリーのライトが浮かび上がり、私達の1日の疲れを癒してくれた。今日、仕事帰りに友人が営む店に立ち寄った。ルイジという名の私より幾つも年上の友人にそんな話をしたら、私達がようやくそんな気分になったことを喜んでくれた。もしかしたら私達を取り囲む友人達は私達を今まで黙って見守っていてくれたのかもしれない。そんなことを思ったら、嬉しくて思いがけず小さなガラス玉のような涙が零れ落ちた。

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広場に佇む

寒い一日。冬至を前にして瞬く間に夜になるボローニャの夕方、旧市街へ行った。もう直ぐボローニャを去る人にアペリティヴォに誘われたからだった。そんなことでもなければ私はこんな寒い夕方に旧市街へ行くことはなかっただろう。でも、クリスマスを目前にして街がどんな様子なのか見たくて仕方なかったから、私には実に丁度良い誘いであった。お喋りしながらのアペリティヴォをした後、Piazza Nettuno にクリスマスツリーを見に行った。昼間はあまり冴えないクリスマスツリーなのに色とりどりのライトに飾られたそれは驚くほど美しく、一瞬寒いのも忘れて感動した。21時半を回った旧市街は人も疎らで、点在する橙色の照明に中世の建物が浮かび上がっていた。人のざわめきはなく、静かだった。その直後に忘れた寒さが蘇り、震えが止まらなかった。翌日、用事を済ませてから旧市街へ行った。もう昼を周っていて、早くに空が暗くなるせいか、既に陽が傾きかけているかのような光に満ちていた。多分太陽の位置のせいだ。低い位置から斜めに射す太陽のせいだ、影が長く延びているのは。そんな様子を見ていると、一瞬昔のことを思い出したような、懐かしい気持ちになるのは何故だろう。それにしてもこれが昨晩と同じ広場とは思えなかった。足取りの軽い人々、駆け回る子供達。話し声と笑い声。広場の片隅で誰かが奏でる楽器の音。そして自転車がちりんちりんとベルを鳴らしながら私の前を横切っていった。

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とっておきの場所

ボローニャに暮らし始めた初めの年の冬に思ったこと。ボローニャの人達は寒がりで厚着する人が多い、そんなことだった。最も身に沁みるような寒さなので仕方がない気もしたけれど、それにしてもまあ、と驚いたのである。真冬は兎も角として、春が近づいてもダウンジャケットや分厚いコートを着込んでいる彼らを見ながら、この人達はひょっとしたら4月になってもこのままなのではないだろうかと思ったものだ。この町に暮らしているうちに私も負けないくらいの寒がりになった。薄着がカッコ良いと思っていたのはずいぶんと過去のことで、身体を冷やしては大変とか、風邪を引くなんてとんでもないことなどと言って首には襟巻きをぐるぐる巻き、きっちりと上着を着込んでの毎日だ。恐らく今の私はボローニャの人達も顔負けの寒がりに違いない。それにしても私の革の手袋は、一体何処にあるのだろう。昨年奮発して購入した気に入りの、柔らかい上等な革で作られた手袋。冬が終わった時、奇麗にして何処かにきちんと閉まったのだ。それが今となっては分からない。もう何日も探しているが一向に見つからない。クリスマスまで待っても見つからなければ観念してもうひとつ購入することにしよう、そう考えている。でも、新しいのを購入したらひょっこり出てきそうな気がする。いつだってそうなのだから。ところで最近散策中に教会に入ることが多くなった。それは勿論寒いからなのだけど、そんな風にして入って中の椅子に腰を下ろしてみたら心がほっとすることを発見したからだ。お祈りする訳でもないけれど、腰を下ろして静かにしているのもたまには良い、と思う。ボローニャ旧市街には本当に沢山の教会があって、見ていると案外色んな人が教会に足を運んでいる。もしかしたら彼らも心を落ち着ける場所を求めているのではないだろうか。ふとそんなことを思った。そんなとっておきの場所をひとつ持っているのも悪くない。

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きらきら光る

ポルティコの下を歩いている時に見つけた。大きなガラス張りの向こう側に並べられたガラスの器。その中にふんだんに盛られた菓子。グラニュー糖の衣を着せられたゼリー菓子が私は大好き。と言っても子供の頃から好きだった訳ではない。この手の菓子とは縁がなかった、ボローニャに暮し始めるまで。あれは春だったかもしれない。多分復活祭の前後の俄かに暖かくなってきた頃だったと思う。相棒の両親の家で何をしていたのだろうか、私は相棒の家族と一緒にテーブルに着いていた。と、姑が戸棚からごそごそと出してきたもの、それがこのゼリー菓子だった。昔から甘いものに目がない私は、このきらきらと光る美味しそうな菓子をひとつ摘まんで口に放り込んだ。果汁の美味さが口いっぱいに広がることを期待しながら。ところが思いがけず頭痛を引き起こすような甘さで、飲み下した後に大きなコップ一杯の水を飲み干さなくてはならなかった。それはグラニュー糖のせいばかりではなくてゼリーも負けずに甘かったからだ。あのひと粒で私はゼリー菓子がきらいになり、もう二度と食べないから、と心に誓った。だから他所の家でそれを出してもらっても手を出すことはなかったし、ましてや家にそれを買って帰ることなどは一度もなかった。ある日。それは本当にある日、知人が小さな透明の袋に詰めたゼリー菓子を私の為にと言って買ってきてくれた。知人は、私がそれを苦手とは知らなかったのだ。そんな知人は菓子店の店先に並んでいたゼリー菓子がとても奇麗だったからと、自分の分と私の分を購入したのだそうだ。確かに奇麗だった。きらきら光る少女の夢のようなゼリー菓子。知人がそれをひとつ摘まんで口に放り込み、舌の上で転がしながら、うーん、と感嘆の声を上げた。それで私もつられてひとつ口の中に放り込んでみたら、まあ、なんて美味しい。果汁の酸味とグラニュー糖が交差して、あの日私が期待していた味に近いような気がした。不思議である。いつの間にか、私はこんな甘い菓子も頂けるようになってしまった。兎に角、あのひと粒から私はゼリー菓子が大好きになり、菓子店の前に並んでいるのを見かけると、あの日、知人がそうしたように小さな透明の袋に幾つかゼリー菓子を詰めて貰うのだ。時には鞄に潜ませて、ちょっと疲れた時にひと粒口に含ませる。酸味と甘さが交差して一瞬夢心地になる。それがゼリー菓子の魅力。

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