この椅子
- 2010/12/29 23:59
- Category: 友達・人間関係
ポルティコの下に並べられたテーブル席。まだ時間が早いようで誰も座っていなかった。この店に初めて来たのは今から6年ほど前の夏だ。ひどく暑い日だった。女友達と夕食を済ませた後にちょっと軽いものでもと入ったのがこの店で、私はワインを、アルコールに弱い彼女はアルコール抜きのフルーツカクテルを注文した。私達は知り合ってまだ日が浅かったから、互いにどんな人なのかと心の底で思いながら互いの共通点と相違点を見つけていたように思う。あれから私達は頻繁にと言うわけではないけれど、気が向くとボローニャ旧市街の何処かで待ち合わせをしてお喋りしながらウィンドウショッピングや食前酒を楽しむ仲になった。時には食事に招いたり招かれたり。あの日の私達は、彼女と私がそんな友達になれると想像していただろうか。記憶力は悪くない方だけど、これに関しては全く思い出すことが出来ない。ところがこの店に入ったあの晩、一瞬にして感じたことは良く覚えている。この椅子。そんなことだった。店に並んでいた木製の、良く磨きこまれたような色の椅子が昔のことを呼び起こしたからだった。アメリカに暮していた頃、私には幾つかの気に入りのカフェがあった。ひとつは近所のタサハーラ・ベーカリー。店内で焼いたばかりのパンとコーヒーを頂きながら新聞を読むのが好きだった。それからカフェ・グレコ。午後早い時間には人が少なくて、爽やかな風が吹きぬけるような雰囲気が好きだった。手紙を書いたり友人と待ち合わせしたり。その並びにはカフェ・プッチーニ。そして道を渡って歩いて15秒も要さない所にカフェ・トリエステがあった。小さな三角地帯の角の店。店は小さいながら大変繁盛していた。あの店に初めて足を踏み入れたのは、その頃頻繁に交流していたベルギー出身の友人とだったと思う。平日の午後早い時間なのに結構人が入っていて、しかも客層が面白かった。若い人はあまり居なかった。妙に芸術、若しくは文学めいた人達ばかりで、まだ若くてそのどちらにも属さない私の存在が何だか場違いのような気がしてならなかった。この店のカップチーノはとても濃いと思った。だから私はいつもカッフェ・ラッテを注文した。椅子もテーブルも古く、良く磨きこまれていた。その古臭さがこの店の雰囲気を益々良くしているようにも見えた。例の友人がこの町を去ってしまってからも私はこの店に良く行った。そのうち私は相棒に出逢って結婚するのだけど、相棒を含めて彼の友人たちはこぞってこの店の常連だった。友人たちは文学めいてはいなかったが写真関係の人達ばかりだったから、芸術めいていると言ったら良かっただろう。皆好みがはっきりしていて個性も強かった。私達は全く違う畑に生きていたので初めのうちこそ後ずさりしながら話をしたものだが、知ってしまえば何やら波長が合う。しかも自分の知らない世界のことを知るのは大変面白く、次第に互いに好んで話すようになった。午後の早い時間にこの店へ行くと大抵誰かが居た。そうして話していると他の誰かが加わって、とそんな風だった。私と相棒がイタリアに引っ越すことに決めた時、大切な仲間が町を去ってしまうと彼らは心底残念がった。彼らは今でもあの店で午後の早い時間を楽しんでいるのだろうか。店に並んでいた木製の、良く磨きこまれたような色のこの椅子を見た瞬間に、私はそんなあれこれを思い出した。ほんの一瞬にそんな沢山のことを思い出すほど椅子はあの店の椅子に良く似ていた。もう随分前のことで忘れかけていたのに、思い出した途端に胸をぎゅっと摑まれたように痛かった。大好きだった店。大好きだった仲間達。まだ時間が早いようで誰も座っていないテーブル席を横目に、近いうちにあの仲間達に会いにいこうと思いながら通り過ぎていった。
inei-reisan