尾崎家住宅・庭園の公開

予期せぬ出来事-学生、説明係に
6月28日(土)、湯梨浜町の尾崎家住宅(重要文化財・国指定名勝)で今年度の公開があり、前回にひき続きASALABのメンバー5名もお手伝いをさせていただきました。3年生2名にとっては初めての尾崎家訪問です。10時公開スタートですが、準備のため9時には現場に到着。今回の公開に携わるスタッフの皆さんに挨拶を済ませ、3年生のために尾崎家の説明を受けました。
今回は一般公開となるため、数百名の来場者が予想されていました。1回の入室者は20名とし、二十数回の説明を繰り返すわけです。ぼくたち学生は昨年の公開支援と同じく、会場設営・誘導・資料頒布などが仕事だとばかり思っていたのですが、前日に会長さんから今回は説明担当をしてもらう可能性があるというメールが入ってきて、とても驚き、焦りました。というのも、教授が何度か「学生を説明係にしたい」という申し入れを強い口調でお断りになっていたからです。会長さんから一度目の依頼があったとき、教授はいちおう学生たちに「やれるかい?」とも問われましたが、学生は全員首を横に振りました。二度目はたしか摩尼寺調査中だったと思いますが、その際も教授は「学生を説明係にしてはいけない」と釘を刺されていました。こんなことを言われたように記憶しています。
ゼミの学生は未だ民家・住宅建築・庭園に関する基礎知識が乏しい。とくに新大学環境学部の
1期生=3年生は建築・庭園に関わる講義すらまともに受けていない。それに対して、来場者は
文化財マニアの年配者が多く、半ば玄人レベルの知識を有している。知識のない者が知識の
ある者に説明するのはおかしい。説明は教育委員会のスタッフや近隣住民・家人に任せ、
学生は縁の下の力持ちに徹するべきである。

ですから、本当に説明をするのかと不安な気持ちがあったのですが、現場に着いて、説明係を学生4名で分担することを知らされました。もちろん、いきなり最初から説明はできなかったので、まずは社長さんたちの説明を聞いて、できそうなら学生は部屋単位で説明を担当する、ということになりました。この指示は会長さんによるもので、発言内容については県教委のMさんから指導を授かりました。公開が始まり、社長さんの説明を聞きましたが、尾崎家住宅の建造物を卒業研究にされただけのことはあり、さすがだなと思いました。3回ほど説明を聞いたあと、ついにぼくの説明デビューのときが来てしまいました・・・担当したのは土間から上がってすぐのヒロマで、式台や囲炉裏などについて説明しました。話し忘れがないかとハラハラしながらでしたが、なんとか無事終えることができ、それからはずっとヒロマの担当をしました。2回分ほど遅れてセツさんがナカノマの説明を始め、最終的には3年生も奥座敷と庭園の担当で話し始めました。
教授は奈良で週末を過ごされていました。昨日、大学で社長さんや学生からさかんにヒアリングされていましたが、ゼミに参加してまもない3年生を説明係にしたこと、とりわけ4年生が単純なヒロマとナカノマを担当し、3年生に複雑な奥座敷と庭園を担当させたことに苦い顔をされていました。
公開日当日の午後は1時半から会長さんの講演会があったため、その時間はこちらに来られる人はあまりおられませんでした。午後はみんな慣れてきて、なんとか説明できるようになっていきました。4時に公開が終了し、安楽寺で説明していた社長さんと合流し、この日は解散しました。
突然の説明デビューにはみんなハラハラさせられましたが、役場の方や皆さんに褒めていただきました。最終的には充実感もありましたし、良い経験をさせていただいたとは思います。しかし、教授が最初から言われていたように、実際にやっていることは口パクであり、玄人筋の訪問者に満足していただけたかどうか、今でも気にかかっています。(ポール)
教授は奈良で週末を過ごされていました。昨日、大学で社長さんや学生からさかんにヒアリングされていましたが、ゼミに参加してまもない3年生を説明係にしたこと、とりわけ4年生が単純なヒロマとナカノマを担当し、3年生に複雑な奥座敷と庭園を担当させたことに苦い顔をされていました。
公開日当日の午後は1時半から会長さんの講演会があったため、その時間はこちらに来られる人はあまりおられませんでした。午後はみんな慣れてきて、なんとか説明できるようになっていきました。4時に公開が終了し、安楽寺で説明していた社長さんと合流し、この日は解散しました。
突然の説明デビューにはみんなハラハラさせられましたが、役場の方や皆さんに褒めていただきました。最終的には充実感もありましたし、良い経験をさせていただいたとは思います。しかし、教授が最初から言われていたように、実際にやっていることは口パクであり、玄人筋の訪問者に満足していただけたかどうか、今でも気にかかっています。(ポール)
