登録記念物-摩尼山の歴史性と景観の回復(15)



三祖堂の実測図
1月10日の摩尼寺初詣の際におこなった実測調査の成果を報告します。途中から吹雪きになり、棟高などのデータをとることができなかったのですが、これらのデータをもとにすれば鷲ヶ峰地蔵堂の復元設計を進めることができるでしょう。以下、注意事項です。
【地蔵堂復元ためのメモ】
①復元平面図は連載(10)に示したとおりです。矩測は三祖堂のものをほぼそのまま借用できると思います。
②内部の花頭窓を正面脇間に使えるだろうと予想していましたが、新たにみつかった財産台帳(次回詳述)によると、三祖堂の前身建物と推定される祖師堂が享保2年(1717)現境内に建立されており、花頭窓を含む三祖堂内外陣境の建具は祖師堂当初材を継承している可能性が高まりました。明治の絵葉書に写る地蔵堂を復元する場合、むしろ天保6年(1823)の龍門寺巡礼堂正面脇間の花頭窓を65%圧縮したデザインにするほうが様式的には近いだろうと思われます。
③地蔵堂の入母屋造屋根も龍門寺巡礼堂を借用すべきですが、巡礼堂は出桁を出三斗で支えているので、少し大きめになっています。地蔵堂は桁天乗りなので、65%縮小よりさらに縮小すべきでしょう。60%ぐらいか?
④三祖堂正面図(↑一番上の図)は現在きびたろう君が清書中です。組物・木鼻・蟇股・海老虹梁などはフォトスキャンで再現したいものです。
⑤明治の写真にみえる地蔵堂は境内にあった茅葺きの地蔵堂(これも新発見の財産台帳に記載あり)を移築して桟瓦葺きにした能性が高いと思います。屋根勾配が強いのはその所為だろうと思います(龍門寺巡礼堂も茅葺き→桟瓦葺きに変化しています)。


↑左(岡崎) 右(佐藤)





↑内外陣境の花頭窓(左:森、右:佐々木)




↑向拝矩測(浅川+吉田)

