稲常の町並み(4)

10月24日(火)、先週に引き続き稲常で民家の外観スケッチを1・2年生が描きました。先週は建物のアウトライン、今週はアウトライン内側の開口部・軒先・石垣などのディテールを描きあげます。
先週木曜の時点で、今週火曜の天気予報は「雨」だったのでフィールドに出れないと思っていましたが、なんとか曇りになってくれてよかったです。週末の台風で千代川が大きく増水して濁っていました。板船が2艘しか見当たらなかったのですが、残りの2艘はどこに行ったのでしょう。


2年生は黙々と作業に没頭していました。近所の方のご好意で、木の椅子をお借りしてスケッチをしている生徒もいました。キャスケットを被っている子が、まるで画家のようだと4年生に好評でした。辻の講評で、「本日の最高作」という評価をうけた作品がありました。建物図だけでなく、ディテールのスケッチが数多く描かれ、余白の部分にメモがたっぷり書いてあります。先生は「こういうのをフィールドノートっていうんだ!」と感心しきり。4年生3名に対しては、「君等より上だ」とまで仰いました。学ばないといけませんね。
午後4時をすぎると、例の「つるべ落とし」で、女子はみな「寒い、さむい」と震えあがっていました。この日で、現地での下書きはほぼ仕上げることができたので、来週から演習室での清書と縮小貼りあわせに移る予定です。



今回の引率補助はE教授と新しく赴任してきたY講師でした。Y講師のことをはじめE教授のゼミ生だと思っていたら、じつは先生だと分かり、ぱでぃさんと二人で驚いていました。環境大学の中で一番若い先生で「院生に間違われるのは慣れている」と言っていました。関係ないけど、ぱでぃさんは柴犬にめろめろでした。

E-01の家主さんからくわしい話を聞くことができたので報告しておきます。千代川はかつて暴れ川で、土手ができてから落ち着いていますが、江戸中期には稲常の蔵通りの前を流れていたそうです。地主のNさんの蔵には船着場が残っており、いちど稲常の米をそこに集めて藩主に納めていたそうです。こうした経緯が字名に残っており、東から下河原、中河原、上河原に分かれているそうです。いまわたしたちは、道に面する正面側の土蔵群をオモテ側とみていますが、もともと川筋に面していたとするなら、あるいは背戸側だった可能性もあるかもしれません。しかし、そうであるならば、表の道が西側になければならないのですが、これがまたないのでやっかいです。石灯籠は土手によって川筋が現状に近くなった幕末期の建造と考えられます。
私事ですが、日曜日に所用で大阪へ夜行バスで行き、某ファストフード店で朝食をとっていたらN教授とばったり会いました。まさかの遭遇に驚きましたが、朝食を共にしました。世間は狭いなと感じました。(みひろ)
