はてなキーワード: 山本とは
エーリッヒ・フロム「愛するということ」★★★
フィリッパ・ペリー「身近な人間関係が変わる 大切な人に読んでほしい本」
宇佐和通「AI時代の都市伝説: 世界をザワつかせる最新ネットロア50」
深津貴之、岩元直久「ChatGPTを使い尽くす! 深津式プロンプト読本」
大宮冬洋「人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代の幸せのつかみ方」
飯田一史「「若者の読書離れ」というウソ: 中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ「誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」★★
恋紙屋「夜にバニーは(ベッドで)跳ねる」
「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」於・松濤美術館。
「新江ノ島水族館」
やっぱりエーリッヒ・フロムはいい。たぶん自分が特に気に入っている思想家だ。
このあたりからスピリチュアリズム、自己啓発の背景にある思想とその明暗をテーマに本を選び始める(陰謀論まで行っちゃったのも含めて)。
多分最後にSF小説を読んだのはこのあたり。SFっぽい漫画は読むことがあっても小説は読んでいない。新人賞を追うのも去年あたりでやめている。
余談だが、自分が好きなSFは科学や技術、それから人間の未来を選ぶ力を信頼したものだった。もちろん、社会学的なものや悲観的なものも大好きだが、それらはどちらかと言えばaquired tasteである。一番深く心が動くのは前者だ。
ところで、わざわざ買った同人誌をメモしてもしょうがないかもしれないが、書かないにもなんだか居心地が悪い(記録魔)。
岡奈津子「新版〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン」★
アナ・カタリーナ・シャフナー「自己啓発の教科書 禁欲主義からアドラー、引き寄せの法則まで」
ジェイムズ D.スタイン「不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力」★★
尾崎俊介「アメリカは自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく」★★★
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ」六巻
岩宗治生「ウスズミの果て」一巻~三巻
こるせ「伽藍の姫」一巻~二巻
岩宗治生「ウスズミの果て」 四巻
肋骨凹介「宙に参る」五巻
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!ピラミッド透視とツタンカーメンの謎」
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!謎の王ブラックファラオの実像に迫る」
「ニーア・オートマタ End of Yorha edition」(XYエンド以外回収)
「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」於・アーティゾン美術館。
「コレクション展 第2期 特集:新収蔵作品のご紹介」@岩手県立美術館
小岩井農場まきば園
八月は読んだ本が少ない。普段通勤時間に本を読んでおり、お盆休みがあったためだ。
代わりにというわけではないが、ちょうどゲームをクリアした。普段ゲームをしないので難易度を下げて楽しんだ。別にやり込みたいわけではなく、ストーリーを終えればそれでいいと感じている。だが、自分の人生でゲームは必須の要素ではない気がする。
ところで、数年ぶりに(十年近い?)アニメを見たのだが、これはたまたまコロナから避難するために泊まったホテルで視聴した。一話完結だし、青春時代を思い出すし、あまり疲れない。テレビ番組が記載されているのは、自分がテレビを見る頻度の少なさを示している。
レト・U. シュナイダー「続 狂気の科学: 真面目な科学者たちの奇態な実験」★★
トーマス・トウェイツ「人間をお休みしてヤギになってみた結果」
中村圭志「亜宗教 オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで」★★★
ロジャー&チャーリー・モーティマー「定職をもたない息子への手紙」
烏谷昌幸「となりの陰謀論」
今井むつみ「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策」
岡瑞起、橋本康弘「AI時代の質問力 プロンプトリテラシー 「問い」と「指示」が生成AIの可能性を最大限に引き出す」
山本栄二、中山雅司「国連入門 ――理念と現場からみる平和と安全」
瀬野反人「ヘテロゲニア リンギスティコ 〜異種族言語学入門〜」一巻。
ヤン・シュヴァンクマイエル「蟲」@シアター・イメージフォーラム
「大長編 タローマン 万博大爆発 TAROMAN」@TOHOシネマズ 渋谷
皇室の文章は結構フランクで楽しい。あと、著者略歴に「二〇一九年、即位」と書かれていて、何も間違っていないのにレア過ぎてちょっと笑ってしまった。
僕は超細密画はあまり評価していないのだが、諏訪敦は結構気に入っている。たぶん作品に取り組む姿勢やモデルに対する丁寧な態度が好きなんだろう。それから、母を亡くして、具象表現ができなくなったらしい。残酷な言い方が許されるならば、芸術家が傷ついたり何かを学んだり、逆に精神が安定してして作風が変わってしまう瞬間に、とても興味がある(藤田嗣治が戦後に人工的な人形のような子供たちばかり書くようになった契機が知りたいし、精神が穏やかになった後のムンクの作品にも関心がある・結婚後にシーレの作品が良識的になってしまったのにも)。
今月は久しぶりに映画が見られてうれしい。シュヴァンクマイエルの作品は自分の過去の作品を解体し、評論するような内容だった。
高野秀行「酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する」
島本英明「もっと知りたいモディリアーニ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
新見隆「もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
末永幸歩「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考」★★★
今泉忠明 (監修)「おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典」
高野秀行は定期的に読んでいる。アート・ビギナーズ・コレクションも定期的に読みたくなる。次に何を読むか迷ったときに重宝する。ただし、美術館に行く途中で読むと、なんだか美術鑑賞に向けるエネルギーをそこに分けなきゃいけない感じがしてしまう(図書館で借りているので読むタイミング的にそうなることがある)。なお、このシリーズは冊数が多い割には下山観山や英一蝶の巻がない。あと、本によっては作者の思想がすごく偏っている。
松井文恵、安田茂美「写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く」
ジョナサン・カラー「文学理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)」
秋月龍珉「無門関を読む」
アンドリュー・スチュワート「情報セキュリティの敗北史: 脆弱性はどこから来たのか」★
尾崎俊介「ホールデンの肖像 ペーパーバックからみるアメリカの読書文化」★★
六畳「××××の結果で×××する××」(苦手な人がいるだろうと思うので伏字)
「カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語」於・東京ステーションギャラリー
「CREVIA マチュピチュ展」於・森アーツセンターギャラリー
30周年記念展「ALL OF EVANGELION」於・東京シティビュー
平等院鳳凰堂、鵬翔館、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアム。
「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!? ヒトはなぜ音楽を愛するのか」
自分は欲望をコントロールできず、性欲などに負けてしまう人間の話が好きだ。現実の生活では正しくいるよう求められるのだから、せめて虚構の中では人間のダメさを許してほしい。そうでなければ、現実世界で良識を守れない、とまではいわないが、ダメな人をダメなまま表現されていると、それを読むことで、何か許されたような気持ちになれる。
他には禅問答について読んでいる。
あと、尾崎俊介がロマンス小説について述べているあたりが面白かった。なんでジェンダー平等が叫ばれる時代に、一見するとあえて古典的に見えるストーリーが必要とされているか、一つの知見を得た。
J. R. R. Tolkien「The Hobbit」Harper Collins Publishers。和書文庫換算二冊。★★★
尾崎世界観「祐介・字慰」★
丸谷才一「輝く日の宮」★★
「ファーストコンタクト 窓口基作品集 【電子コミック限定特典付き】」
「落下の王国 4Kデジタルリマスター」於・ル・シネマ 渋谷宮下。
丸谷才一が相変わらず面白かったので(僕はメタフィクションが好きだ。時にはわざとらしくなってしまったり作者の自分語りに堕したりするリスクもあるが、うまくいくとこれは気持ちがいい)ブコメで進められた全集を手に取ろうとしたら、地元の図書館にはなかった(正確には、引っ越す前の自治体のにはあった)。さてどうしよう。
洋書を読み始めた。あらすじは覚えているが細部はよほど印象的なシーンでないと覚えていない。
トールキンの場合、樹木の描写が細かく、いろんな種類の木が出てくるのだが、そもそも僕のほうが樹木の知識に乏しく、和訳を読んでも細かくイメージできない(束教授ごめんなさい)。児童文学とは言え、二世代前の英語なので語彙やスペルが違うし、手加減せずに平気で難しい言葉を使う。
「ナルニア」を読んだときも、例えば身近でない船舶の部品などの語彙で苦労した覚えがある。
窓口基は暴走するテクノロジーや世界観の考察を楽しんだ。SFが好きだったもう一つの理由であり、一番ワクワクするところだ。この人はグロやゴアも書けるらしいのだが(なんにでも科学的な興味がありすぎて、人体を破壊可能な一つの素材として見てしまっているのかもしれない)、「苦手な人はこの先読まないで」と警告できるので、自分の狂気をコントロールできるタイプの人であり、そこが好印象。
ケーブルテレビで「その着せ替え人形は恋をする」をやっていたのだが、感傷マゾを発症しなかったのは、僕の精神が変化したからかもしれない。原作の漫画を買おうかとも思ったが、実はそこまでコスプレに興味がないと思い直した。そもそも年末年始に向けて漫画をセールで買い込んだが、トールキンを読み続けており、全然手を付けていない。
漫画は小説と同じで、長編を読むには訓練がいる。ご覧の通り短編集や一話完結ものばかり読んでいる。
来年は「指輪物語」の原書を読み終えたら、国連や政治学、第二次世界大戦の日本軍、それから依存症のあたりの知識の補足がしたい。あとは意識の科学だなあ。
洋書だとどうしてもペースダウンする。開き直って冊数を気にしないようになれそうだ。あとは、トールキンを読み終えたらドイツ語をやりたい(言うだけならタダ)。
実際にドイツ語をやるかどうかはともかく、読書記録を始めたのは大学に入ってから二十年、知的な本を読もうと志してからはもっと経過している。いたずらに、明確なゴールもなく、知識を得続けようとする行動パターンに変化が欲しい。美術館についても、あまり行かない場所や行ったことのないところに行きたい。(ただしドイツ語をやって何かの原書に挑戦したら一年がかりのプロジェクトになりそうで、そうなると知識の習得には多大な遅れが発生する)
カテゴリの[読書]をクリックすれば2020年まで読めます。m(__)m
ただし、全てが自分の物ではありません。
低能クンのためにプレジデントの記事をChatGPTで要約してやったぞ♡
要約
2026年1月の前橋市長選で、小川晶氏は不倫騒動という逆風を抱えながらも「ゼロ打ち」で圧勝した。一見すると意外な結果だが、その背景には群馬県知事・山本一太氏の過剰とも言える介入が、結果的に小川氏を利した構図があったと論じている。
もともと前回選挙で小川氏が勝利した最大の要因は、「反自民」「反現職」という中身の曖昧なスローガン(空虚なシニフィアン)だった。これは自民支持層から野党支持層までを横断的に結集させる力を持っていた。しかし今回は、高い支持率を持つ政権の誕生や小川氏自身の不倫問題により、この武器は弱体化していたはずだった。
ところが、山本知事がブログや演説で小川氏を執拗に批判し、対立候補を全面的に応援したことで、対立候補側に「自民党色」が強く付与されてしまう。その結果、「反自民」という枠組みが再び明確になり、皮肉にも小川氏のもとへ戻った。これは小川陣営にとって「嬉しい誤算」だった。
「ここまで君を連れてきたものが、この先へ連れて行ってくれるわけではない」
かつて山本氏は、権力に挑む立場での攻撃的な発信によって成功を収めた。しかし現在は「権力そのもの」の立場にあり、同じ手法はもはや直言ではなく権力の横暴として受け取られかねない。成功体験に固執し、立場の変化に応じた「アンラーニング(学び直し)」ができなかったことが、今回の選挙での“オウンゴール”につながったと結論づけている。
この教訓は政治家に限らず、成功によって立場が変わったすべてのリーダーに共通する普遍的な警告である、と記事は締めくくっている。
低能なのはもう生きている限りどうしようもないけど、文盲は注意深く文章を読む習慣をつければ治せるので頑張れ。
なんで再選したか。
元前橋市長の山本龍元市長と群馬県知事の山本一太知事が嫌われているから。
なんでこの二人に反発を感じている前橋市民が多いかって言うと、二人とも新しもの好きでキラキラワードにすぐ飛びつく質で、デロイトトーマツやアクセンチュアみたいな民間のコンサル企業とベタベタな地方再生プロジェクトとかに税金注ぎ込んでたから。
なにせアクセンチュアに関しては群馬県庁の中にオフィスかまえてるからな。民間のコンサル会社が自治体の公舎の中に入ったの全国でも初らしい。まぁ、そんぐらいズブズブだったところに「福祉にちゃんと税金使います」を公約に掲げた小川氏が出てきて、地元民ですら「群馬じゃ自民党の後押しないと勝てなくね?」と思われていた中、市長選に勝利した。
ある種革命だったんだよね。
それだけに、スキャンダルが報じられたときは幻滅したって人も多かったんだけど、そこで知事が嬉々としてめっちゃはしゃぎながら小川市長を叩き始めたので、それが逆に市民感情を煽って小川市長への支持を増やしたところがある。「なんで知事が市政に口出してんだ。前の市長のときはなんも言わねぇくせに」みたいな感じ。
あと、スキャンダルの内容が金絡みだったら致命傷だったんだろうけど、下半身の問題だったので外部の批判の声もセクハラまがいの揶揄だったり、下品だったり下卑たものが多かったので、逆に同情票が集まったってところもある。もとから女性からの支持も高かったし。
---
"地元民ですら「群馬じゃ自民党の後押しないと勝てなくね?」と思われていた中、市長選に勝利した。"って説明している文章に「山本一太知事はなんども選挙で勝ってるんだから人気なんでしょ」って反論する奴、流石に文盲低能すぎないか? その牙城を崩せたからスキャンダル後も支持されてるの。
https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/849543
知事就任から6年目を迎えた山本知事は、「自分の中に慢心や油断は全くないつもりでいるが、知事の活動に全身全霊で当たってきたことで、国会議員時代に行っていた市民、県民の中に飛び込んでいくことができていなかった」と言及。そのことで、「(小川氏の一連の問題以上に)しがらみや利権の絡むような政治に対する市民の不信感や嫌悪感をすくい取れなかった」とした。
また、山本知事が連日、小川氏を批判する持論を自身のブログで展開していたことが同情票につながった可能性があるとの指摘に対し「いじめていると捉えられ、判官びいきで動いた部分もあるとしたら、丸山陣営に迷惑をかけたと思う」と述べた。
オポリビウム(うみのじ)
https://rookie.shonenjump.com/series/OmisFlIIro8/OmisFlIIrpE
https://rookie.shonenjump.com/series/OmisFlIGIJo/OmisFlIGIJw
https://rookie.shonenjump.com/series/OmkvmYUAnG8/OmkvmYUAnHE
https://rookie.shonenjump.com/series/zGZPbQ9CZ5Q/zGZPbQ9CZ5c
最後ジャンプルーキーから4作、なろうとかカクヨムみたいな投稿サイトですよね?無知のグルメとネット巫女ははてなでも人気ですが
スコッパーみたいな方はいらっしゃらないんでしょうか
長くなりましたが以上です。
読み直してもどれも10と言わず20ー30ブクマくらいついてもいいんじゃない?とは思いますが、最初の2-3日でつかなきゃ埋もれますね。
数ヶ月経ってブレイクするのはネガなやつだとAI疑惑で2ヶ月後に一気に上昇した「御国の羽々斬様」
ポジなやつだと作者Xの地道なリポストにより数日前にブレイクしたっぽい「うちの相棒」(ここに挙げようと思ってた)でしょうか。
@fstora
1月①
1月②
・9割甘え大喜利
・日銀0.5%に追加利上げ
・森永卓郎氏死去
2月①
・吉田義男氏死去
2月②
・つばくろうの中の人死去
・エッホエッホ
3月①
・みのもんた氏死去
・辻希美氏第5子懐妊
・メギド72サービス終了
・さす九論争
3月②
・はるぶー氏イケオジ絵騒動
4月①
・大阪万博始まる
・コンクラーベ始まる
4月②
5月①
・メロいは性欲か論争
5月②
・農相の後任に小泉進次郎氏
・NTTドコモが住信SBIネット銀行買収発表
・長嶋茂雄氏死去
・激突!石バトル!
・筋通しましょうや……
7月①
7月②
8月①
8月②
・Twilog復旧
・レンタル怖い人
9月①
・阪神タイガース優勝
・チャーリー・カーク氏銃撃される
9月②
・無言での帰宅論争
10月①
・グエー死んだンゴで寄付集まる
・村山富市氏死去
10月②
・日経平均ついに5万円
11月①
11月②
・たぬかな氏結婚発表
・果てしなきスカーレット上映開始
・でびでび・でびる氏炎上騒動
12月①
・金融系アドベントカレンダー開始
・チンパンジーが配属されたらどうする?
12月②
・日銀ついに0.75%へ利上げ
・バキ童氏卒業発表
・そして2026年へ……
現実見てるか?
重量物を扱う工場のような男が多く就く仕事も非正規に置き換えられまくってるぞ
山本のように身嗜みが出来てなくても受動的でコミュ力がなくても年収600万が得られるのは、「男だから」なんだよね。男だから許されている、まさに男性特権。
今の時代最低限の説明能力と愛想とマナーがないと就職活動で弾かれるし
それは、ちがうんじゃない?!!!!って本気でびっくりした。
与えられた時間、労力のパラメーターはそんなに一人一人で変わらないと思うんだ。
元増田も、アスカもそれを"社会性"のために投資した時間が多かった。だから、その点ではその強者になったし、だからこそその資本を持たない人をたたきたいんだろう。
山本は年収を得るところに行くためにそれを投資したんじゃないの?
男性の場合はまずは年収で見られるからそこをあげておくことに一番投資するし、女性にもてるための様々な要素はなかったりするので、そこを周囲が底上げするんだよな。
それを許容できない!マナー違反!と言う人は、遊び人か結婚相談所でコーディネートされた人としか付き合えないだろうなって思う。
・不治かつ致命的とされていたFIP(猫伝染性腹膜炎)がレムデシビルで90%以上寛解可能に
・猫の寿命を左右していた慢性腎不全の薬が治験ほぼ終了、結果は良好で2027年春にも承認見込み
・がんなどの難治疾患に対して、正常な幹細胞を移植する「細胞治療」が広まりつつある
・稼ぐ力が進化。一例として、入院時は差額ベッド代が発生する少人数部屋を積極的に医療側が提案してくるようになった。言われるがままサインしたらそれは患者希望ということにすり替わりめでたく入院費20万以上/月を追加で稼げるように
・訪問診療、訪問看護は宝の山。24時間対応を謳っているが、実際夜間に患者側から連絡来ても救急車に繋げるだけで高い診療報酬をゲット
・訴訟対策も進化。入院でも点滴でも何らかの処置でも、「死んでも訴えません」という書類にサインを依頼するようになった
・全体的に自分達(医療側)を守る力も進化。例えば未だにある面会制限は、病院の中をあまり一般人に見られないようにするというのが真の目的である。患者を粗末に扱っても面会者に見られなければ訴えられることはない
・いわゆる「直美」も医者たる自分達を守る力の進化と言えるだろう
・医療技術自体は総じて低下。正確性が落ちてるので医療事故も増えている。野球に例えたら外野守備がイチローからGG佐藤、投手が山本由伸から定岡正二に代わってしまったようなものである。一方、報酬は中村紀洋レベルで要求してくる
・新型コロナワクチンは接種者の有意な脳疾患増加など弊害のほうが近年目立ってきたので進化とは言えない
・認知症の進行を数カ月遅らせる薬が出てきた。しかし延伸は数カ月に過ぎず、さらに初期じゃないと適用外、また副作用に脳出血がありトータルではハイリスクローリターン。進化と言えるかは微妙
この漫画とそれに対する反応を見ているとつくづく男は程度が低くても許されるし甘やかされているなと思う。
結婚相談所で条件通りの人に出会ったけど「ときめきを感じない」「この人とキスやそれ以上に進む想像ができない」ため断ってしまう話
山本という男の側の非は、初デートで寝癖、デート場所を母親に選んでもらってそれをわざわざ口にするといった、人間として最低限レベルのマナーの欠如であるのに対し、
主人公である女の側の非は、短大卒、派遣社員といった学歴や社会的スペックが低いという点だ。
(なお時代設定が分からんが、仮に2025年だとしたら29歳で短大卒はかなりの少数派だと思う)
短大卒も派遣も合法的な制度として認められており、それを選ぶ事は本来何も悪くはない筈なのに、女が派遣社員だと最初の婚活相手とのデートの時のように責められる。男だったらおそらく、何か事情があって仕方なかったのだろうと同情してもらえただろう。
派遣労働者が低賃金でキャリアアップも望めないのは労働制度の問題であってそこで働く派遣労働者のせいではない。
そもそも派遣法改正以来、女が多く就く仕事はどんどん非正規に置き換わり、収入が低く抑えられるようになっている。
また、男女双方がいる仕事に就いて働く女性であれば、求められるマナーや意識のレベルは同じ職場の男性よりも、当然のように高くなるだろう。
山本のように身嗜みが出来てなくても受動的でコミュ力がなくても年収600万が得られるのは、「男だから」なんだよね。男だから許されている、まさに男性特権。女がこのレベルの年収を得ようと思ったら、絶対にこんな態度では許されてないだろう。
なんだ?山本七平でも読んだか?
もう50年前の本だぞ
「山本七平が実際に書いた原文(比較的よく引用される定訳に近い表現)」と「出典」を、あなたの問題意識に直結するものに絞って整理します。
※ページ番号は版でズレるため省き、書名・章・文脈を明示します。
原文(要旨に極めて忠実な引用)
日本人ほど
を気にする国民は少ない。
日本人が考えているほど
日本を見ていない。
出典
『日本人とユダヤ人』
原文(ほぼ逐語的)
日本人は
そのため
が決定的に重要になる。
出典
• 『日本人とユダヤ人』
原文(非常に有名な一節)
日本人は
という前提を失うと、
分からなくなる。
出典
• 『日本人とユダヤ人』
原文(ほぼ逐語)
日本では
「そう言われている」
という空気が
判断を決める。
出典
• 山本七平
第1章・第2章
原文(要旨)
日本人の行動を
多くのことが分からなくなる。
それはむしろ
から出ている。
出典
• 『日本人とユダヤ人』補論的部分
• 『私の中の日本軍』関連論考
表題のとおりです。
事の発端は、12月12日に飯田一史さんは記事「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか(抄)」 https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5 (以下、飯田の批判)において、三宅香帆さんの著作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1212-b/ (以下、三宅本)の誤りを指摘したことでした。
これに対し、翌日の13日に三宅香帆さんは記事「「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか」https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5 (以下、三宅反論)を投稿し、飯田の批判に対する反論を試みました。
このエントリでは、両者の主張に対する見通しを良くすることを目的に、飯田批判と三宅反論の論点を整理したのち、それぞれの問題点を指摘していきます。
まとめたのは人文系の話には疎い人間のですので、誤りも多いかと思いますので、まあ話半分で読んでもらえればと思います。
なお、飯田批判は、飯田一史さんの新著『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』(星海社新書)https://ji-sedai.jp/book/publication/konojidaini.html からの抜粋であることを念の為補足しておきます。
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📰 0. 三行要約(問題点)
・飯田批判は、特に「三宅本は(出版流通における)「書籍」と「雑誌」を分けていないからダメだ」という主張に相当問題があると思う。
・三宅反論は、そもそも「反論」できてない。言い換えると、飯田の論理展開をあまり追えておらず、誤読を基に論理を展開するため実のある話があまりない。
・三宅反論は、三宅本の議論の前提に基づく問題を、あたかも飯田のデータ処理の問題にすり替えていて、個人的にあまり心象が良くない。
以下、飯田批判と三宅反論についてより詳細に検討していきます。
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飯田の批判の主張とその根拠、主張を正当化する論証について整理を行います。
理屈が明晰な箇所もある一方、煙に巻くような箇所もあって、議論を追うのはすこし大変だったような印象です。
・直接的には指摘ではないものには「◯」
また、論拠を準備していない主張には大括弧[]で囲っておきます。
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(「・働き始める前から読書量は減り、働き始めた後も日本人の読書量は減らない」の節)
◎主張1-1. 三宅本は、労働により読書量が減少することを前提にする。
しかし、これは誤りであり, 読書量は労働が始まってから変化してはいない。
<主張1-1の論証>
根拠1-1-1および1-1-2は, 読書量の低下は, 労働が始まる前の現象で、それ以降では起きていないということを示す。
これは、三宅本の前提を棄却するデータであり、ゆえに主張1-1が示される。
<論証おわり>
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◯主張1-2. 書籍における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白ではない。
<主張1-2の論証>
*根拠1-2-2. データ: 紙の書籍の推定販売金額と月の平均読書冊数
根拠1-2-1, 1-2-2, 1-2-3のいずれも、書籍に関しては、「買う」の増減から「読む」の増減を帰結することやその逆を主張することは難しいことを表している。
<論証おわり>
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◯主張2-1. 雑誌における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白である。
<主張2-1の論証>
*根拠2-1-1. データ: 紙の雑誌の推定販売金額と月の平均読書冊数
根拠2-1-1は、雑誌に関しては、「買う」と「読む」の間に相関があることを示している。
<論証おわり>
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◎主張2-2. 三宅本では、書籍と雑誌の区別ができていない。
<主張2-2の論証>
根拠2-2-1は、三宅本において雑誌と書籍を区別できていないことを示している。
<論証おわり>
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[◎仮設2-3. 三宅本は、「読書離れ」を論ずる際には雑誌と書籍を区別するべきである。]
(これは明示的に飯田批判にあらわれていないが、以下の主張2-4の論証において機能する暗黙の前提である、と私は思う。)
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◎主張2-4 三宅本は、『読書世論調査』における「読書時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張する。しかし、これは不適切である。
<主張2-4の論証>
*根拠2-4-1. 「読書時間」は「書籍+雑誌との接触時間」である。主張2-1から、雑誌の接触時間は減少傾向であると推察されるので、
「読書時間」の減少は(書籍ではなく)雑誌との接触時間の減少と解釈するのが自然である。
*根拠2-4-2. そもそも「読書時間」もそれほど減っていない。
*根拠2-4-3. 『読書世論調査』の総括では, 読書率はあまり変化がない.
根拠2-4-1, 2-4-3から、 「読書時間」の減少は書籍との接触時間の減少を導くのは難しい。
[仮設2-3]から, 「読書離れ」は特に書籍の読書時間減少を意味すると解釈するべきであり、
また, 根拠2-4-2の存在は、特に読書時間の減少が生じていないことを示唆する。
<論証おわり>
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◎主張3-1. 三宅本は、日本人が現在も長時間労働であることを前提にしている。
しかし、労働時間を「全産業平均」の観点で見たとき、この前提は不適当である。
<主張3-1の論証>
*根拠3-1-1. 厚生労働省「わが国の過去50年間(1973年~2023年)の労働時間の推移についての考察」
<論証おわり>
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◎主張3-2. 三宅本は、次の(i), (ii), (iii), (iv)を主張する:
(ii) 自己啓発(労働による自己実現)のための読書(=「情報」摂取型、「ノイズを除去する」「〈社会〉を遠ざける」)時間が増加した.
(iii)代わりに、人文書や小説などのための読書(=「アンコントローラブル」な「ノイズ」や「他者の文脈」を含む)時間が減少した
(iv) 読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例のグラフを描く
<主張3-2の論証>
*根拠3-2-2. グラフを書くだけの定量的な根拠はない(提示されていない)
根拠3-2-1から、労働者の 「自己研鑽」 = 「学習・自己啓発・訓練(学業以外)」の時間は減少している。
これは(ii)を否定する。
主張1-1および(ii)より(iii)は成り立たない。((iii)が成り立つためには(ii)が成り立つ必要があるため。)
根拠3-2-2は、(iv)を否定する。(少なくとも、(iv)の主張を肯定するだけの理由はない。)
<論証おわり>
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◎主張3-3. 三宅本では、自己啓発書市場の拡大から自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きいかのように解釈する。
言い換えれば、次の(1),(2)を主張する:
(2)(1)が正しいのであれば、「自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きい」は正しい。
<主張3-3の論証>
根拠3-3-1は、「年間ベストセラーにおける自己啓発書の冊数割合は増大している」ことを主張する。
しかし, 根拠3-3-2は 自己啓発本の市場は小説市場よりはるかに小さいということを意味する。
これは、(1)が正しいのに「自己啓発書のほうが~」が間違っているので、(2)は正しくない。
<論証おわり>
--------------------
[◎主張3-4, 三宅本は, 上の(1), (2)が成立するとしていたことが原因で、(i)から(ii)および(iii)を導いた]
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以下で、飯田批判を読んでいたときに、個人的に気になった点を列挙します。
●飯田主張2-4について:「書籍」と「雑誌」の区別は本質的か?
主張2-4の背後には「書籍と雑誌は分別するべきである」という暗黙の前提(仮設2-3)があるように思う。
三宅本の「読書」から「雑誌」を除外することは本当に妥当かを考えたい。
といっても自分は出版業界の人間ではないので正しい理解かは怪しいのだが、調べた範囲のことをまとめておく。
(間違ったこと言ってたらごめんなさい)
「書籍」「雑誌」の辞書的な定義はたとえば布川ほか編『出版事典』(出版ニュース社)のp.217およびp.167にある。
ざっくりまとめると「書籍」と「雑誌」の違いは一定の編集方針の下で定期的に刊行されているかどうかという部分のようである。
これは、1985年のユネスコの出版統計上の「図書」と「新聞及び定期刊行物」の違いともおおむね合致しているように見える。
("図書、新聞及び定期刊行物の出版及び配布についての統計の国際的な標準化に関する改正勧告". 文部科学省. https://www.mext.go.jp/unesco/009/1387396.htm)
より実際的な取り扱いは, "既存の雑誌が「創刊」とは、これ如何に". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20070111/
によれば、
そもそも本というのは「書籍」と「雑誌」に大別されますが、出版業界では「雑誌コード」が付されたものを厳密に「雑誌」と区分しているのです。
一見雑誌のように見える本も、このコードがなければ「雑誌」ではなく「書籍」ということになります。
ということらしい。(しかし、これはあくまでコラムの中の記述でありカチッとした話ではないことに注意)
「書籍」と「雑誌」の実際上の取り扱いの違いは、「雑誌コード」の有無、つまり流通上の取り扱いの違いから生まれてくるという。
日本では、「書籍」はISBNコードを持ち、「雑誌」はISSNコードや雑誌コードを持っている。
その中間にあたるムック本では、ISBNコードだけでなく雑誌コードも付随しているようなものは「雑誌」の対象とするようである。
("「雑誌」の定義と出版統計". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20060911/)
ともかく、「書籍」と「雑誌」を分けるのは明らかに内容やジャンルではない。定期的に刊行するかどうかであったり、それを根拠に雑誌コードが付いているかどうかだったりである。
コミック誌を除外したとしても、『anan』のようなファッション誌もあれば『文學界』や『オール読物』のような文芸誌も、また『Nature』や『ナショナルジオグラフィック』のような理工系の雑誌もまとめて「雑誌」にカテゴライズされる。
さらに言えばサイエンス社の『SGCライブラリ』シリーズの書物は, それぞれ内容的に全く独立しており実質的に単行本ではあるのだが、『SGCライブラリ151』までは『数理科学』の臨時別冊という扱いだったのでそのカテゴリは「雑誌」になっている。(なお『SGCライブラリ152』以降は「書籍」である)
一方、書肆侃侃房の『文学ムック たべるのがおそい』は確かにムック本ではあるが、雑誌コードを取得しておらず取り扱いは「書籍」であった。
このように「書籍」と「雑誌」の区分はそもそも出版流通上の区分であり内容面での区分ではないばかりか、その区分が出版物の実情と必ずしも合致しているわけでもない。
この区分はかなり表面的、形式的なものであると見るべきだろう。
・以上を踏まえて、飯田の批判、つまり「書籍」や「雑誌」という出版流通における区分の不徹底でもって三宅本を批判したことの妥当性ついて吟味してみよう。
それは、「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)という批判である。
そして、なぜ飯田が「不適切である」と主張するかといえば、「書籍」と「雑誌」は分けて考えるべき(仮設2-3)だからと考えているからであり、
特に三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍の読書量(≒読書時間)の低下」を採用するほうがより妥当である、という飯田が信念を持っているからである。
ここで注意したいのは、主張1-2, 2-1は「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)の根拠ではない。
飯田はその直前に「「書籍の読書量と出版売上」の相関は弱い(主張1-2)一方で、「雑誌の読書冊数と出版売上」が正の相関関係にある(主張2-1)という事実を指摘してはいるものの、飯田はこれらを「読書量を測定するにあたって「書籍」と「雑誌」を区別するべきである」(仮設2-3)の根拠にはしていない。主張2-4は仮設2-3からは出てくるものの、主張1-2, 2-1には立脚していない。三宅反論で大いに誤読したのは、主張1-2, 2-1があたかも主張2-4の根拠になっているかのような書きぶり、配置の魔術ゆえであろう。
ともかく、飯田の批判の妥当性を吟味する際はこの信念「三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍の読書量(≒読書時間)の低下」を採用すべきである」という部分に注目すればよい。
三宅本で対象としている「読書」は、大方「人文書や小説などのような(「ノイズ」や「他者の文脈」を含む)書物を読む行為」と解釈するのが妥当だろう。
したがって「読書離れ」は「人文書や小説などの書物を読む頻度が減ったり、そのために費やす時間が減少している」ということだろう。たとえば理工書や技術書、ファッション誌、ゴシップ誌などを読むことは端から三宅本の「読書」に含まれていないと見るべきである。
転じて言えば、たとえば「雑誌」であっても文芸誌を読む場合は「読書」に含まれるべきだろうし、「書籍」であっても理工書を読むことは「読書」に含まれない(と三宅本では考えている)かもしれない。
要するに、「読書」といったときに、読まれるべき書物を分類できていないと批判するならば、むしろそのジャンル(文芸・歴史書・哲学書・理工書・サブカル・ゴシップ・ファッションなど)の違いに着目するべきなのであり、出版流通における「書籍」「雑誌」という区分は、少なくとも直接的には重要でないだろう。もしこれが重要なのであれば、それは驚くべきことなので、別でこれを論証すべきである。
もちろん、おそらく「雑誌」の出版売上の中でファッションやゴシップが支配的で文芸誌や理工系雑誌は影が薄いだろうから、その意味で「書籍」「雑誌」の区分で売上を観測することがジャンルの傾向をよく記述するとは言えるかもしれない。言い換えれば、「ジャンルによる読書量の違い」を捉えるにあたって「出版流通における Permalink | 記事への反応(0) | 20:21
https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5
https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5
「なぜはた」の明確な問題点は「タイトルの主語が大きすぎること」です
<以下本文>
まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的な問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。
→大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。
「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。
これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人の平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気は存在しない」と言っているのに等しい議論です。
→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。
あえて寿命で例えるなら、「日本人の平均寿命は延びているから、喫煙者の平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通の評価軸である「寿命」で比較できますし、「日本人の平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者の平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます。
(しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者の平均寿命~」とするべきで、主語を日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)
全体平均の中に埋もれてしまっている「特定の属性の変化」に光を当てるのが拙著の役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析の手法として適切ではありません。
→マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。
おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います。
こういう人たちに、「タバコは健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人の経験則を否定することになり、もめます。
マクロデータの目的は、「特定の属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析の手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります。
だからこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在そのものをデータとして示す必要があるのです。
拙著で統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます。
→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。
飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されています。しかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています。
まず、拙著が対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?
次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり、統計的な定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます。
→対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍のタイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。
ちなみにこの統計、データ(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。
これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたものを記載してみます。
<16-19歳の読書数>
0冊=66.3%
1-2冊=22.9%
3-4冊=8.4%
5-6冊=1.2%
7冊以上=1.2%
あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)
3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃいますよね。
おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代の比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法で調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。
しかも、令和5年の大学、短大、専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。
だから、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。
ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています。
学生時代の読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。
もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析が必要です。しかし、データの限界を差し引いてもなお、この「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしまう飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。
→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータで示唆するのは無理があります。
U字カーブ? あなたは70歳以上の人が自在にスマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?
交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?
「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)
一見すると、「書籍の読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えます。しかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模の根拠として用いられているデータの定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。
雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍と雑誌の読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。 書籍は図書館での貸出や、古書店・メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイントが豊富です。
→なるほど、たしかに書籍は図書館や古書店で接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。
つまり、「読書数の総量=新品購入+レンタル・中古」になるってことですな??
ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。
こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉は存在しない。
→えーっと、積読があるから「読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。
……市井氏は積読があるから「読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古やレンタル市場があるから「読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!
まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍の読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌は読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである。
また、拙著の「雑誌や自己啓発書を中心として、労働者階級にも読まれる書籍は存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌と書籍の区別がついていない」と批判されています。しかし、拙著の記述は明治時代の出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌はコミックや週刊誌の割合も時代とともに変わっていきます。明治の雑誌出版に関する記述を、現代の雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。
以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイントも考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。
→えーと、前半の文章は市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているから不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。
後半は……
構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切」
あれ、あなたも書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?
市井氏のnoteをみると、扱っているデータは70年代以降のもので明治時代の話はしてなさそうですけどね。
それに市井氏の
なお、『読書世論調査2016年度』には書籍の読書率について「戦後、読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査を引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。
この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータだから?
引用元の文献(黒田祥子・山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈と適用先が間違っていると考えられます。
というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書の読書」は、行動の質が全く異なります。論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。
「キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータを根拠にするのは的はずれです。
→確かに「自己研鑽の時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。
飯田さんは「市場規模において、依然として小説は自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています。
第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性(トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。
第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダードが存在します。 飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態は書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。 しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額(市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています。
→いったん整理すると、
<三宅氏の主張>
読書の方向性が手軽な自己啓発書にシフトしているから読書量が減った。
<市井氏の主張>
小説の市場規模の方が大きいので自己啓発書の読書量に対する影響は大きくないはずだ。
市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定の根拠にはなりません。
さっき書籍と雑誌の比較で「市場規模と読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書と小説を市場規模で比較するのはおかしい!ダブルスタンダード!
→
反論①については、たしかにトレンドはそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから、自己啓発書のトレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。
反論②については、雑誌と書籍の比較と、小説と自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較は全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。
ご自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態の根拠とするのは、論理的一貫性を欠いています。
→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析を仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります。心配になりました。
<お わ り>
QuizKnockという集団がある。彼らはアイドルではないが、その頭脳とビジュとその他諸々によって、多くの女性をメロつかせている──が、これまで彼女らのメロつきが可視化されることはあまりなかった。ある卒業済メンバーが「アイドル視」に苦言を呈したことが大きなきっかけだっただろうか。彼女ら、特にリアコ勢は界隈外では身を潜める者が多くなった。QuizKnockが賢くクリーンなイメージを押し出していることもあり、そのファンダムも比較的お行儀の良い集団であると自分は認識している。
ちなみになりきりチャットやファンアートについては、検索避けなどで隠れているつもりでも冷笑大好きクイズオタクにはバレており、クイズ大会の昼休みや深夜のオンラインクイズで冷笑され散らかしている。わざわざ深淵を覗きに行く意地の悪い人間はどこにでもいるのだ。
さて、そのような界隈だが、先日旧ジャニーズ事務所所属タレントおよびQuizKnockの山本祥彰氏を推している女性・もちもちおもち氏のポストに対し「この人のプロフィール、ジャニに並んで「山本祥彰」ってあって、びっくりした。」という引用が付いた。それに対して本人が「祥彰に会いに仙台まで行くタイプのオタク」と自らを評した引用ポストがバズり、彼女が開設していたマシュマロに大量の「QuizKnockメンバーのメロいエピソード」がなだれ込むこととなったのだ。
もちろん前述の流れがあるため、「QuizKnockをアイドル視してはいけない」というような自治厨もいたようである。しかし的外れだなと思うのは、どうやら「QuizKnockメンバー本人たちが、クイズ界隈で冷笑される」と思っているような筆致なのである。以下が原文である。
QKをアイドル視していることを大々的に主張するとクイズ界隈にQKって(笑)と冷笑されるのでそろそろ勘弁してやってください😭
オタクは何言われてもいいもん✊ですが本人たちは参加するクイズ大会で頻繁にクイズ界隈と対面しますし何よりクイズ第一です🥲散々冷笑されてきて最近やっと落ち着いてきたのでどうか、、
このマロもクイズ界隈に見られると面倒なので返信不要です😭一方的で申し訳ないですかご検討お願いします、、🙇♀️
「QKをアイドル視するな」とQK側から言われているのですか?そもそもアイドル視とは何ですか?私が仙台まで祥彰に会いに行くのはアイドル視ですか?
私みたいな声のデカイオタクの口を塞いだだけでアイドル視するオタクが減るとも思えませんが、そういうオタクを減らして視聴者が減っていくことを本当にQKが望んでいると思うなら今後も頑張ってこの様なマシュマロを色んなオタクに送り付けてください。
最近のQuizKnockは「アイドル売りはしないけど、アイドル視するならご自由にどうぞ」というスタンスを取っているように見える。いちクイズ屋の勝手な解釈である。我々は、QuizKnockをアイドル視する女性たちのことはものすごく冷笑する。ただし、QuizKnockメンバー本人たちのことは冷笑しない。彼らのクイズ界への貢献が凄まじく、単純にお世話になっているからである。尊敬する先輩であり、可愛い後輩だからである。大会を開けば参加してくれるからであり、大会を主催してくれるからである。我々の冷笑の根底には、「クイズのことを何も知らないくせに、QuizKnockを分かった気になっているの?」がある。彼女らがクイズを知ろうとしないのは、あるいは「QuizKnockメンバーのプライベートであるアマチュアのクイズ大会に踏み込むべきではない」というような理解があるからかもしれないが。我々に女性の推し活文化への理解はないから、想像である。
「オタクは何言われてもいいもん✊」? それは傲慢だ。ただメロついているだけのオタク諸氏には理解が及ばないかもしれないが、世の中には「QuizKnockがきっかけでクイズを始める女性」が存在する。実の所、最も肩身の狭い思いをしているのは彼女らである。
前述の理由からか、単に自分がやる方には興味がないのか、これだけ女性ファンの多い第一人者がいても、現在のクイズ界で女性は少数派である。一昔前よりは随分増えた感じはあるが、それでもなお、である。
彼女らにクイズを始めた理由を尋ねると、「全然リアコとかじゃないんですけど、QuizKnock好きで〜」と返ってくる。やっぱりそうだよね、と返す。「リアコではない」とわざわざ言わなければならない雰囲気がそこにはある。「QuizKnockは見ているけど、小さい頃からクイズ番組好きだったから、大学入ったらやろうと思ってました」と別の女性クイズプレイヤーは言う。それでも我々は邪推してしまう。いやいや、本当はQuizKnockガチ勢で、繋がりを求めているんじゃないの? あるいは、他のファンにマウントを取りたいんじゃないの? と。後者の女性は明確に「私はそういうのじゃない」と発言することが何度かあり、積極的に冷笑に乗っかるタイプである。そうしないと繋がりのためにクイズを始めた痛いオタクだと思われる(と本人が認識している)からだろう。こんなクイズ界でごめん、と思う。
元を辿れば冷笑クイズオタクが悪いのかもしれないが、現時点でもちもちおもち氏のマシュマロが事実かどうか疑わしいメロつきエピソードで溢れ、クイズ界に流れ着いている現状は、彼女らにとっては気が気ではないだろう。また、彼女らは「私はQuizKnockの痛いオタクだと勘違いされたくない」と思っているが、別にQuizKnockメロつきオタクがクイズを始めてはいけないというルールはどこにもないし、実際にクイズを始めたメロつきオタクもいるだろう。QuizKnockメンバーも、自分たちの影響でクイズ始める人が増えたら嬉しいんじゃないですか。知らんけど。
QuizKnockオタクが表立ってメロつくことで、「クイズに関わる女性」全体が初手でそういう色眼鏡で見られることになっていく。既になりかけている。だから、QuizKnockがきっかけで……と言われるとそうですよね、となる。その眼鏡の色がだんだん濃くなる。マナーと考え方の問題であり、ルールは定まっていない。
クイズを始めようか思い悩む女性QuizKnockファンが「クイズ界からどう思われるか」を理由に足踏みしているのなら、それを良しとするのかどうか。
高校で碌に勉強しなかったから中高一貫から浪人してまで私文のカスなんだが、最近親が俺と会話する際に我々の育て方が悪かったという謝罪をしてくる。
確かに俺の親は酷いもんだった。
幼稚園の徒競走で一位じゃなかったら両方から死ぬほど怒られたし、3歳からのピアノの練習では横でずっとキレて殴ってくるもんだから、俺は泣いて全く上手くならずまた殴ってきた。
祖母と一緒に、俺に聴こえる所で俺の友人やその親に罵詈雑言を浴びせかけ、何も分かってない俺がそれを幼稚園で復唱しようもんなら、お前はどうしようもないクズの嫌われ者でお前なんかと友達になろうとするやつはいないって丁寧に教えてくれた。
小学校入る前に分数の掛け算やらされてよく分からないままに、間違えると五時間ぐらい母親は泣き喚いてキレ散らかして俺を殴るし、その癖私は俺からみたおばあちゃんにもっと酷いことされたって自慢しながら泣く俺と妹に悲劇のヒロインぶってんじゃねぇって言いながら殴ってきた。
インフルが喘息かで病院に行ったら待合室で泣くまできれられたし、小学校二年生の頃に、入院がつらかったって家で母親に自慢したら、お前なんかよりよっぽど辛い境遇のやつが周りには入院してたのにわざわざそんな事を親に自慢するなんてお前はなんて気色の悪い野郎なんだって死ぬほど怒られた。
もう何が原因だったかも忘れたけど、俺と妹に包丁突きつけてどっちかがどっちかを刺し殺したら許してやるって選択の余地をくれた。
あと、子供の夢を叶えようと俺の軽口の代わりに翌朝の朝ごはんが全部お菓子になって、泣いて食べれない俺の代わりに口に詰め込んでくれた。
小学校に入ったら、工作の授業のレースに使うためのまつぼっくり集めなんかに専業主婦で大変忙しい母親を駆り出したから、その上でおれが友達の葉っぱかなんかとそのまつぼっくりを交換してその上おれが工作のセンスがまるでなく貧相なリースを作ったもんだから、私はお前の友達の奴隷なんだなって言ってきた。
当然いじめられた俺が相談しようものなら、相手の家と校長にキレ散らかして電話をかけて無事俺はキチガイの息子になった。
テストで百点取らなかったら怒るのは序の口で、演奏会やお遊戯会で何の役にもなれなかったらそんな事で怒られた。
後普通に不仲で、旅行先でちょっと体調悪くなったからって子供おいて喧嘩するぐらいで止めずに勝手に帰ったりお前のせいでせっかく面倒くさいのにこんな事してやってるのが無駄になったとか公衆の面前で叫んだりするのはやりすぎだと思う。
サピックスに入ってからは、テストの点が悪かったら当然キレるし、俺が勉強出来なかったら俺なんかよりよっぽど勉強ができた山本丈(偽名)の家庭教師になってそいつを受からせてお前を落としてやるって言った。多分そうなってたら丈は志望校落ちてたのでお互いに良かった。
小6の秋にマジで一回俺を脅すためにサピックス退会して、入会金払い直したのはマジでバカだったと思う。
あと、何かにつけて俺の大事なものを破壊する癖があって、ジョウト地方での俺の冒険はケチャップと醤油漬けになったし、お気に入りのコップは粉々にしようとしたけど高いやつだったから惜しかったのか洗面台に隠してあった。おじいちゃんに買ってもらったゴーオンジャーのロボットは母親が地面に叩きつけるからパーツが欠けたり折れたりしてダメージ感が増してかっこよくなった。後、スヌーピーの毛布的な大事にしてた布に挟み入れたり妹のイルカのぬいぐるみバラしたのはマジで許してない。
中学に入っても碌に分かりゃしない馬鹿のくせに昔とった杵で俺と妹に英語教えようとして邪魔しまくってた。
でも、俺がある程度でかくなって俺のこと殴って殴り返されたら負けるようになってからは相変わらずヒスッたりキレたりするけど俺のこと殴らなくなったね。だからといって子供の前で笑いながら、熱したフライパンで殴れば言うこと聞かせられるとか言うもんじゃないよ。
だから、俺が高校で部活に馴染めなかったり友達いなかったり数学がマジで出来なかったりその癖無駄に本ばっか読んでたから無駄な知識があるとか言いながらその読書も中途半端でゲームとか寝たりで中高無駄にして文化祭とかにコンプレックスがあって、その癖浪人失敗して、私文なんかに入って高校の元友達には馬鹿にされて、大学だと周りはみんな俺より人生上手だからなんか浮いてサークルも怖くて入れなくて文化祭も参加せず、バイトも怖くてバイト先で全く打ち解けられてないのは俺が怠惰で無能なせいであってマジで親が悪いわけじゃねぇんだ。どうしよ
我が国の首相となった高市早苗は告白されてから速攻で結婚決めたらしいのでまあいいんじゃね?
2004年(平成16年)、秘書をしていた高市の弟が山本拓衆議院議員の事務所で雇われたことが縁で結婚した[2][53]。同年6月初旬に電話で「真剣に結婚相手を探しておられるんでしたら、僕もバツイチですので、立候補しますよ」とのプロポーズを山本から受け、「即断即決で、1週間後にOKの電話を致しました」と、交際0日でプロポーズを受諾したことを同年9月に自身の公式サイトで結婚報告とともに明かした
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B8%82%E6%97%A9%E8%8B%97