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はてなキーワード: 助動詞とは

2026-01-14

anond:20260114140630

OK。一緒に読んでいこう。

増田は、「書いてることの意味を書いてあるままに理解」できないんだと思う。

「書いてること」を読む最中に、増田みたいに、頭の中の考えが混ざって「書いてることとは違う内容」で読んでしまう人や、助詞助動詞理解できてない人がいるんだ。

恥ずかしいことではないよ。

でも、自覚した方がいいね




社会での「善」を定義することは出来るはずだ

この質問の答えはすでに文中にあったね。

そう、

「本を何冊も書ける量なので説明割愛、気になったら哲学史の本を初心者向けのものから徐々に難しくしながら読んでくれ」

の部分だ。よめたかな?

善の定義は、本を何冊も書けるほどのとても長い内容だよ。長すぎて書けないので、図書館でその本を借りてきて読んでね。

もう読んだことにして、話を進めるよ。



君のその話は「中身のないバカ教養っぽい威嚇で中身を見せないまま話を進めめようとしてる」

ように見えてしま

教養が威嚇?威嚇?どういう意味

教養というのは公開されている。つまり誰でもアクセスできる。子供でも読める本だよ。義務教育なんだから国民のみんなが知ってることだよ。威嚇にならないよね。過去偉人は本を書いてるし最近研究者論文を出している。ここに何十万字もコピペしろということ?無理でしょう。中身を見せないとは?

知能や教養

子供でも読める本ばかりなのに知能や教養が高いわけないじゃないかw

強いていえば、「議論の内容がわからないくせに妄想で噛み付く人」はお前の言う知能が低い人だろうね。

ところで、本を読めるウヨっているのかな?分からないことを調べて勉強できるウヨっているのかな?

サヨは善や偽善について曖昧なまま争っている

「善の定義を知らないお前」が、「善の定義を正確に知っている有名な哲学者」の暇つぶしラフ匿名ネット書き込みを見たとしても、気付けないよ。

どうやって相手の正確さを理解するの?お前本当に社会学も哲学政治学も何も知らないみたいだし、相手定義の正確さに気付きようがないだろ



「例」は「禁酒戒を掲げて人に説教しながら自分が酒飲んでる」というもの

議論には「論点」「議題」があるんだ。

例は説明のためだけのもので、関係ないんだよ。

系譜禁酒とは何の関係もないので、もう一度読み直してみよう。禁酒の話はしてないよ。



「例」の理解が難しかたかな。

真面目に知的障害かなんかありそう、ここまで文章が読めないのは普通ではないよ。

私は障害者治療療育は専門じゃないんだ。私では手に負えないので一旦病院に行ってくれる?


今までの長い説明は、普通の人には1番最初の短い文で正しく伝わるんだよ。議論はあれで完全に分かる人同士でしかできないの。話が進まないからね。

こんな風に、お前が理解できるまで、相手説明するのは、議論とは呼ばないんだよ。

介護とか治療って呼ぶの。

2025-11-30

ヒコロヒーのエッセイ別にそれほど名文ではない

Xでヒコロヒーさんが『BRUTUS』に寄稿したエッセイがバズり、今度はそれに対して「そんなに刺さらなかった」と発言したアカウントがバズり、色々な意見(というか論争)が交わされている。

実際にエッセイを読んでみたけれど、少なくとも名文ではない。自称読書垢やnote界隈が絶賛するような、素晴らしい文章とも思えない。

だけどこれは別に「私に刺さらなかった」という話ではない。彼女の文はそもそも日本語文章としてみれば悪文というだけの話だ。

たとえば、エッセイ中でこんな記述がある。

「私が話したい出来事言葉となって口から抽出された時点で、相手の受け取り方は相手次第であるが故にずれが生じることがあり、それはいかなるコミュニケーションにおいても不可避めいていることであるが、余計なことを言われてげんなりすることも、そういうことではないと釈明することも面倒臭い。」

原文ママ

最初これを読んだ時、ええ?と思った。

一文で100字以上というのは文章としていかがなものかと思う。口語をそのまま書き写したらこのようになるのかもしれないけれど、日本語文章として見れば不適格だろう。言ってしまえば読みづらいし伝わりづらいのだ。

まず、あまりにも一文が長いせいで、主語と述語の対応関係が非常に分かりづらい。「私が話したい出来事が~」と始まって、その後に「相手の受け取り方は~」、「それは~」と、次々主語が移り変わる。

しかも、一文の中で主語が目まぐるしく変化したと思いきや、最後は「面倒くさい」という述語で終わっており、結局この文の主語は筆者であるわたしは」ということになる。しかもその「わたしは」の部分は本来「余計なことを~」の前に置かれるべきなのに、この文ではその肝心な部分が省かれているせいで、結局何の話をしているのか一読して見えてこない。

主語があっちにいったりこっちにいったりするせいで、一般論なのか著者の視点なのか、その階層構造判別としない。また、「出来事を口にする」というのをわざわざ「抽出される」という受け身のよく分からない言い換えにする必要も感じられない。

このように文の構造おかしかったり不必要助動詞を連発されると、読み手は一文の中であっちこっち振り回されただただ混乱させられることとなり、非常に読みづらい。

というか、文章を書く者として読点句読点を使い分ける意識は無いのだろうか。

他にも文章として破綻している部分がある。

「単純に今日ハード疲れたと弱音を吐くことさえ、相手によっては「自慢げだ」などと思われることもあるだろう、さら相手がよしなになろうとしている男性である場合なら、彼らのプライド無駄に刺激して、むやみに自信を奪うかやたらと張り合われるかの二択となって煩わしい思いをするだけである。とにかく自己開示はしたくない。厄介なだけだ。」

主語が抜けている点、読点句読点が使い分けれらていない点について言うのは止めにしても、この文にもやや問題がある。

「よしなになろうとしている男性」、「彼ら」、「相手」というのは全て同一の対象を参照する言葉だと思われるが、表現がそれぞれバラバラで人称も安定しないために、イメージが掴みにくい。

ちなみに、「よしなに」という表現おかしい。本来「よしなに」は「依頼を受けた相手側の便宜を図って」という意味で使う言葉であり、少なくとも人間関係上の「仲良くなる」とか「穏便に」とかい意味で使われる言葉ではない。

また、文後半の「むやみに自信を奪うかやたらと張り合われるか」の部分は並列助詞「~か」を使っているが、この場合「むやみに自信を奪う」のは筆者であり、「やたらと張り合う」のは相手であろう。

これ自体文法規則上は何の問題もないのだが、さっきから言っている通りこのエッセイではことごとく主語であるわたし」が省かれているので、行為主体がやたらとぼやける。

文脈的に、後者の「やたらと張り合う」は前の「よしなになろうとしている男性」を引き継いでいるので意味は通るが、前者の「むやみに自信を奪う」は、ここまで出てこなかった筆者が突然出てくるので混乱しやすい。しかもその後、また主語相手男性に移り、最後の述語部分ではまた筆者に戻ってくるため、余計に読み手視点は揺さぶられる。

とまあこんな感じに、このエッセイには日本語文章表現として見ればほとんど悪文に近いものがいくつも散見される。筆者であるヒコロヒーさんの文体を出来るだけ尊重する意図編集もそんなに手を入れていないのだろうが、一般読者からすれば、とてもじゃないがスラスラとは読めない。まあ目が滑る

ではなぜここまで絶賛されているのかというと、それはヒコロヒーさんの文章が上手いからというよりも、彼女感性が優れたものであり、普段日常で感じる人間機微や苦悩を、ありのまま自分言葉表現しているからだろう。

ただ、その感性センスを褒めたたえるのは大いに結構だが、優れた文章表現かと言われると、それには大いに反対である。一つの文章として見れば、少なくともこれはあまり良い文章とは言えない。

逆に、この文章があまり良い出来ではないからといって、そこに書いてあるテーマまでひどいかと言われると、それもまた違う。

彼女の言っている内容自体は心に響くテーマだと思うし、伝わりづらいが、何となく言いたいことにも同意できる。こういうあまり人に言えない心の悩みをスラリと代弁してくれるところが、彼女がウケた理由になっているのだろう。

結局何が言いたいのかと言うと、このエッセイについて絶賛であろうが否定的であろうが、それが「文章」についてなのか、「テーマや筆者の感性についてなのか」を、どちらももう少し考えた方がいいと思うのである

絶賛派は、正直言って文章というものを読まなすである。これをスラスラと読むのは、普通活字に慣れている人間には無理だろう。読点や句読点無視してSNS感覚で読めば可能なのかもしれないが、すくなくとも直木賞文豪天才だと騒ぐのは恥ずかしいからよした方がいいと思う。

逆に文章が受けつけないという人は、刺さらなかったなんだと言う前に、このエッセイ文章的に悪文に分類されるということをズバっと言ってしまえばいいだろう。感性センスは人それぞれのものであるはずのに、わざわざ迂回するようなかたちで彼女美的センスを腐す理由が分からない。批判が怖いなら、そもそも触れるべきじゃない。

どちらも問題ありだと思うが、結局これはエッセイ自体文章力云々というよりも、「それを読む側の文章力が根本的に欠けていること」に起因する問題だと思う。どちらも思うことはあるけれど、どうせそれを上手く140字の文章にもできないだけのことだろう。

たかが140字なんだし、少なくとも文章について語るぐらいの文章力は、それぞれ身に着けるべきだと思うんですけどね。

2025-09-05

dorawii@執筆依頼募集中

うむとうんは実質同じことを言ってるのはわかるよね?

助動詞むはそう書いてんと読むわけだからそれと同じ理屈

漫画に「うむ」と書いてあるのに影響されて「ウム」とうなづき始める奴がいるらしいが相当の馬鹿だ。義務教育レベルの事が欠落してると言える。

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2025-07-06

anond:20250705121501

解釈A「太陽惑星では無いですか?」

解釈B「太陽惑星なのではないですか?」みたいな言い回し

漢字使うと「はい」って言ってくれそう。

と思って「後者の”はい”は文法的になんと言いますか?」ってGPTに聞いたら、

なんか複雑な答えが返ってきた。

「ないですか?」の「ない」は、形式上否定助動詞だが、機能的には別の語用を持っている

と言うのが学術的に最も正確です。

さっぱりわからん

2025-05-20

スレッズで

小学校英語やった子供中学1回目のテストほとんどが30%も点取れない、範囲はbe動詞から助動詞まで入ってきてとても理解が追いつかない

 

っていってる教育者がいるんだけど

金持ちは小5で英検二級とか取ってんのになあ

2025-04-11

英語にまつわる雑多な小ネタ

  • can, will, shouldのような助動詞表現の幅を広げるが、used toとかmanage toとかbe supposed toなども助動詞ではないがとてもよく使われる。助動詞みたいに使い方を覚えてしまうといい。

2025-03-29

来週金曜日の夜にボーっと生きないために 1

コピー機のしくみ(静電気との関係

You:

 コピー機について質問します。コピー機コピーできるのはどのような仕組みによりますか。読み取り、トナーの吹き付け、それぞれを中学生レベルで回答してください。

ChatGPT:

 コピー機コピーできる仕組みは、いくつかの段階を経て行われます簡単に言うと、読み取り、トナーの吹き付け、そして熱で定着させるというプロセスです。それぞれを詳しく説明しますね。

1. 読み取り(スキャン

 コピー機にはスキャナーがあり、これで元の文書を読み取ります文書の上に置くと、スキャナーが中の光を使って、白と黒、または色の違いを読み取ります。これは、光を当てて、反射してきた光の強さを測ることで、紙に書かれている内容(文字や図形など)をデジタル信号に変換しているんです。

2. トナーの吹き付け

 次に、コピー機の内部でトナーと呼ばれる粉が使われます。このトナーは、紙に文字や図形を印刷するためのインクのようなものです。コピー機の内部には感光体ドラム写真のようなもの)があり、これがデジタル信号を受け取って、電気的に静電気を使ってトナーを吸い寄せます

 このドラムが、最初スキャンしたデータを基に、元の文書の形に合わせて静電気を使ってトナーの粉を「くっつける」んです。

3. 定着(熱で押さえる)

 最後に、トナーが紙にくっついた状態では、まだ完全に印刷された状態にはなっていません。そこで、コピー機は高温のローラーを使って、そのトナーを紙に定着させます。このローラーが熱を加えることで、トナーの粉が溶けて紙にしっかりとくっつくんです。

 このようにして、コピー機は元の文書コピーします。簡単に言うと、光で情報を読み取って、静電気とトナーで印刷して、熱でそれを定着させるという仕組みです。

You:

 コピー機印刷には静電気が役立っていて、紙にトナーを付けた後に、トナーが取れないように熱でしっかり紙に付ける、とのことですか。

ChatGPT:

 はい、その通りです!印刷の仕組みは、静電気と熱が重要役割果たしてます

 まず、静電気を使ってトナーを紙に「吸い寄せる」ことで、文書の内容が紙に転写されます静電気によって、感光体ドラムにトナーがくっつき、それが紙に転写される仕組みです。

 その後、トナーはまだ紙にしっかり固定されていないので、熱を加えることでトナーを溶かし、紙にしっかりと定着させます。熱でトナーが溶けて、紙にしっかりくっつくため、コピーが完成します。この工程がないと、トナーが紙から簡単に取れてしまうことがあります

 ですので、静電気でトナーを紙に転写し、熱でそれをしっかり定着させるという流れが、コピー機プリンターでの印刷基本的な仕組みです。

カタカナ「ヴ」が生まれきっかけ(福沢諭吉森鴎外について。ひらがなの「う゛」が無い理由

You:

 カタカナについて質問します。「ヴ」というカタカナが使われるようになった経緯を教えてください。

ChatGPT:

 「ヴ」というカタカナが使われるようになった経緯については、主に外国語の音を表現するための必要性からまりました。

1. 外来語の音の表現

 もともと、カタカナ日本語の音を表記するために使われていましたが、19世紀後半、特に西洋から外来語特に英語)を表記する際に、日本語にはない音をどう表現するかが問題となりました。英語などの外国語には「v」の音があり、これを日本語カタカナに表す場合、従来は「ブ」(「b」の音)で代用されることが一般的でした。

 しかし、外国語の音により忠実な表現が求められるようになり、「v」の音を正確に表すために「ヴ」という表記が考案されました。

2. 「ヴ」の登場

 「ヴ」のカタカナは、明治時代末期から大正時代にかけて、特に外国語対応するために使われるようになったとされています。その発端としては、1890年代に英語やその他の言語の音を正確に表記するための日本語カタカナ改訂がありました。

3. 近代における使用

 その後、特に英語における「v」の音を表記するため、「ヴ」は20世紀に入ってから正式使用されるようになり、特に外来語カタカナ表記する際に広まりました。例えば、「ヴァイオリン」(violin)や「ヴェルサイユ」(Versailles)などがその例です。

4. 現在

 現在では、「ヴ」の使用は主に外来語外国名前などで見られます正式日本語辞書メディアでも使用されるようになっていますが、まだ一般的には「ブ」と使われることもあり、特に日本語を学ぶ際には混乱することもあります

 このように、カタカナ「ヴ」は、日本語にない音を表現するために生まれ、主に外来語を正確に表記するために使われています

You:

 近代日本西洋化で、福沢諭吉が「ヴ」を使い始めたようです。その後、森鴎外は『ヰタ・セクスアリス』のタイトル表記小説を発表しました。

「ヴ」の表記が生まれた経緯をまとめてください。

ChatGPT:

 「ヴ」のカタカナ表記の生まれた経緯について、以下のようにまとめることができます

1. 西洋化と外来語表記

 近代日本西洋化が進む中で、特に明治時代には欧米諸国から文化技術が急速に流入しました。それに伴い、英語フランス語ドイツ語などの外来語日本に取り入れられ、これらの言語の音を日本語カタカナ表現する必要が生じました。特に、「v」の音を表現する手段として、「ヴ」が考案されるようになったのです。

2. 福沢諭吉の「ヴ」表記

 福沢諭吉は、日本近代化に大きな影響を与えた思想家であり、教育者でもありました。彼は、外国語日本語表現する際に「ヴ」を使い始めたことで知られています。具体的には、英語フランス語から外来語を正確に表記するために、「ヴ」を使用する必要性を感じ、その表記法を採用しました。

 福沢諭吉の影響を受け、次第に他の知識人翻訳家たちもこの表記採用し、広まりました。彼の使用によって「ヴ」の表記一定権威を持つようになったと言えるでしょう。

3. 森鴎外と『ヰタ・セクスアリス

 その後、森鴎外も「v」の表記積極的使用しました。特に、彼の小説ヰタ・セクスアリス』(1909年)のタイトルに見られるように、「ヰ」は、外国語の音を表現するために使われました。この作品は、西洋文化への関心と、それに伴う西洋価値観や考え方を日本語表現する試みとして注目されました。

 『ヰタ・セクスアリス』における「ヰ」の使用は、外来語の音をより忠実にカタカナ再現するための試みの一環であり、森鴎外自身西洋文化哲学精通していたことが影響していると考えられます。この小説タイトルは、「v」の音を表すために「ヰ」を使った、重要文化的な象徴となったのです。

4. まとめ

 近代日本西洋化が進む中で、外来語表記するためにカタカナ表記法が進化

 福沢諭吉が「ヴ」を用いて、英語フランス語の「v」の音を正確に表現し始めた。

 森鴎外が『ヰタ・セクスアリス』のタイトルに「ヰ」を使うことで、この表記文学的にも定着。

 「ヴ」の表記は、外来語西洋の音を正確に表現するための手段として、徐々に広まりました。

 このように、「ヴ」のカタカナ表記は、近代日本西洋化とともに発展し、特に福沢諭吉森鴎外といった文化的影響力のある人物によって広められました。

You:

 福沢諭吉フランス語の「v」音を日本語表記するために「ヴ」の表記を生み出した。続いて森鴎外らもそれまで日本語で使われなかった音を、日本語文脈で使うために「ヰタ」(vita)など、西洋語の音の表記に気を配ったということですか。

ChatGPT:

 はい、その通りです。

 福沢諭吉は、特にフランス語などの外来語日本語表記する際に、「v」の音を正確に表現する必要性を感じ、「ヴ」というカタカナ表記を生み出しました。フランス語英語には日本語にはない音が多く、特に「v」の音をどう表現するかが課題でした。福沢はこの音を日本語に取り入れるために「ヴ」を使い始め、これが広まりました。

 その後、森鴎外などの文学者たちも、同様に西洋言語特にラテン語フランス語ドイツ語から外来語やその発音日本語表現するために「ヴ」を積極的使用しました。例えば、森鴎外が『ヰタ・セクスアリス』(vita sexualis)というタイトルに使ったように、「ヴ」や「ヰ」を使うことで、外国語発音に近い表記を実現しようとしました。

 これにより、これまで日本語にはなかった音が表記として定着し、日本語西洋の音を導入するための重要ステップとなりました。「ヴ」は、まさにこのような文脈で生まれた、外国語の音を日本語表現するための工夫の一つと言えます

 要するに、福沢諭吉森鴎外らは、西洋の音を日本語に合わせるためにカタカナ表記に注意を払い、日本語文脈西洋語の音を表現するための革新的な取り組みを行ったということです。

You:

 余談です。森鴎外は自らの子供にヨーロッパ風の名前を付けました。

 於菟(長男)…オットー

 茉莉(長女)…マリ

 杏奴(次女)…アンヌ

 不律(二男)…フリッツ

 類(三男)…ルイ

ChatGPT:

 森鴎外が自らの子供たちにヨーロッパ風の名前を付けたことは、彼の西洋文化への深い関心や影響を感じさせるエピソードですね。特に、彼の時代背景や西洋化が進む中で、子供たちにフランス語ドイツ語など、ヨーロッパ名前を付けたことは、彼の思想文化的な意識を反映していると言えるでしょう。

 ここで挙げられた名前とその由来は以下のようになります

  於菟(オットー):ドイツ語の「Otto」に由来しており、ドイツ伝統的な名前です。オットーは、ドイツ語圏ではよく見られる名前で、強い意味を持つ名前でもあります。  

  茉莉マリー):フランス語の「Marie」に由来しており、フランス語圏で非常に一般的女性名前です。マリーは西洋文学王族に多く見られる名前でもあります

  杏奴(アンヌ):これもフランス語の「Anne」に由来しており、フランス語圏の女性名です。シンプル優雅な響きが特徴的です。

  不律(フリッツ):ドイツ語の「Fritz」に由来しており、ドイツ語圏で親しみやすく使われる男性名です。日本では珍しい名前ですが、ドイツではよく使われる名前の一つです。

  類(ルイ):フランス語の「Louis」に由来しており、フランス王族に多く見られる名前です。ルイは西洋王族名として非常に有名で、歴史的にも多くのルイ王が存在します。

 これらの名前子供たちに付けたことは、森鴎外西洋文化に対して敬意を持ち、また自らがその文化の中に身を置こうとしていたことを示していますヨーロッパ風の名前をつけることによって、彼は自分家族にも西洋文化象徴的に取り入れ、近代化の一環として日本伝統西洋文化の融合を目指していたのかもしれません。

You:

 西洋語の「v」「w」の音を日本語文脈使用するため、近代になり「ヴ」が生まれた。一般的日本語文章外国語外来語表記する場合カタカナを用います。したがって、カタカナの「ヴ」はあっても、ひらがなの「う゛」が使われないと考えます

ChatGPT:

 はい、正確です。「ヴ」はカタカナにおいて使用され、ひらがなでは「う゛」は使われません。

カタカナひらがなの使い分け

 日本語では、外国語外来語表記する際にカタカナ使用します。カタカナは、もともと外来語を取り入れるために発展した文字体系であり、特に西洋言語の音を日本語適応させるために用いられます。「ヴ」はその一例で、「v」の音を正確に表記するためにカタカナの一部として導入されました。

ひらがな「う゛」の使用

 一方で、ひらがなには「う゛」という形は存在せず、「゛(濁点)」はカタカナの中で使用されるものです。ひらがなでの濁音(「が」「ざ」「だ」「ば」など)は、通常、「う」や他のひらがなに直接濁点を付けて表記されますが、「う゛」という形は基本的に使われません。

理由

 ひらがな役割: ひらがなは、主に日本語の語尾や助詞助動詞、または和語純粋日本語)の表記に使われます外来語外国語を表すのはカタカナ役割であり、「ヴ」のような表記カタカナで行われます

 日本語の音体系: 日本語音韻体系には「v」の音が存在しないため、外来語日本語適応させるためにカタカナがその役割を果たします。ひらがなは、古来の日本語の音の表現に基づいており、外国語の音を表記するために無理にひらがなを使うことはありません。

結論

 したがって、「ヴ」はあくまカタカナで使われる表記であり、ひらがなでは「う゛」は使われません。外来語を表す際には、カタカナを使うことが一般的であり、「ヴ」のような表記はその一部として定着しています

続きhttps://anond.hatelabo.jp/20250329035126

2025-03-15

anond:20250315063406

「詰む」という表現は、もともとは、将棋チェスなどで王将がどこにも逃れられなる状況を意味する用語である詰んだ以上、勝敗は確定しており、詰んだ側の敗北はどうやっても覆らない。 「詰んだ」という表現には過去または完了助動詞が用いられており、「もう絶望的な状況に陥ってしまってどうしようもない」という意味合いを含む。

2025-02-17

anond:20250216202515

これ本当?

俺:

「だけど」という言葉があります

これは接続詞と考えるのが妥当でしょうか?

それとも、断定の助動詞「だ」に接続詞「けど」がつながった形と考えるべきでしょうか?

またはどちらでもないのでしょうか?

関西弁では「だけど」と同じ意味で「やけど」という方言を使います

関西弁では断定の助動詞「だ」のかわりに「や」が使われますが、これも関係するでしょうか?


Gpt:

「だけど」という言葉について、いくつかの観点から説明できます

まず、「だけど」は確かに接続詞として使われることが一般的です。日本語の「だけど」は、「しかし」や「でも」に相当する接続詞で、前の文と後の文を対比させるために使われます。例えば:

今日は忙しいだけど、行きたいです。

このように、前の文の内容と後の文をつなげる役割果たしてます。つまり、「だけど」は接続詞として考えるのが妥当だと言えます

次に、助動詞「だ」に接続詞「けど」がつながった形と考える説についてですが、これは一部の文法解釈提案されている見方です。「だ」に接続詞「けど」がつながった形(「だけど」)とする考え方もあります。確かに口語では「だ」が省略されて「だけど」になったりすることがあるため、この説も一定理論根拠がありますが、現代日本語では「だけど」が主に接続詞として扱われることが多いです。

次に、関西弁での「やけど」についてですが、これは「だけど」とほぼ同義で、同じく接続詞として使われます関西弁の「やけど」では、標準語の「だ」に対応する部分が「や」に変わっています関西弁では、名詞形容詞に続く断定の助動詞が「だ」ではなく「や」になることが特徴的です。このような言語的変化は、文法的に「やけど」が「だけど」と同じ機能を持つことを示しています

まとめると、「だけど」は接続詞として使われるのが一般的であり、「だ」に接続詞「けど」がつながった形とする考え方も存在しますが、現代語では接続詞としての機能が強いです。また、関西弁の「やけど」は「だけど」と同じ意味で使われ、文法的に「や」が「だ」に対応していると考えることができます


俺:

まり、だけどがやけどになる方言と、だがやになる方言無関係ということでしょうか?


Gpt:

そうですね、「だけど」と「やけど」と「だ」と「や」の関係は、基本的には無関係と考えて良いです。

「だけど」→「やけど」の方言変化は、接続詞としての変化で、主に語尾の変化に関わるものです。関西弁で「だけど」が「やけど」になるのは、接続詞としての使い方そのままで、単に「だ」を「や」に変える特徴があるからです。これは、関西弁における一般的な語尾の変化に関係しています

一方、「だ」が「や」になるのは、断定の助動詞の変化に関連するもので、名詞形容詞に続くときに「だ」が「や」に変わるという方言の特徴です。これも関西弁特有の変化で、「だ」が「や」に変わるのは断定を表す部分に関するものです。

したがって、「だけど」の接続詞的変化と「だ」が「や」に変わる方言的変化は、基本的には異なる言語的要素に基づいているため、直接的な関係はないと考えられます。それぞれ別々の言語的な変化によるものであり、偶然似ているだけです。

まとめると、「だけど」が「やけど」になることと、「だ」が「や」になる方言は、それぞれ独立した現象で、無関係と言えます

2025-01-30

anond:20250130085813

話者主観を示す助動詞も少なすぎるので、yadeを追加しよう。

既存助動詞と重複するとわかりにくいので、ドイツ語に倣って文末に置こう。

2025-01-25

弱者失望」と「駅員女叩」は同一著者か

この二つの文章が同一著者によるフィクションである可能性を数値で厳密に測ることは困難ですが、

以下の分析を基に高い可能性が考えられます。その理由考慮し、推測として**80%〜90%**程度の可能性があると見積もります

《構文の一致率》

助詞一致率: 92.86%

助動詞一致率: 68.00%

平均文の長さ一致率: 59.88%

テーマの重なり

文章とも、社会的弱者特に男性)に対する批判や、福祉公共サービス現場でのストレスを描いています。また、「男性への失望」「暴力的迷惑な行動」「責任感の疲弊」といったモチーフ共通しています

論理展開

両方とも具体的なエピソード(例:「おっさん同士の喧嘩」「元受刑者家庭訪問」)を用いてテーマ説明し、最後一般的結論(例:「当たり前のことを当たり前にしろ」「俺はもう疲れた」)で締めくくる構成になっています。この「具体例→一般化」の構造が似通っています

個人的視点からの論評

文章とも「自分現場体験」を基にした主観的意見を述べており、読者に対して強いメッセージ性を持っています

批判的なトー

特に社会的弱者の「弱さ」や「迷惑さ」を強調しており、女性相対的肯定的に描く点が一致しています

批評

著者は、自分を「困難な状況でも使命感を持ち耐える英雄」として描きます。これは自己犠牲を強調することで、「自分特別存在であり、他者とは異なる優越した役割果たしている」と感じたいと考えられますしかし、この自己愛欲求は、「本当の自分他者評価されない」という不安や無価値感を隠すための策略である場合があります

また、著者は「自分不条理な状況に巻き込まれながらも、それに耐え続けてきた」という犠牲者意識を強調し、自分の不満や怒りを正当化するための手段としています

更に、著者は、自分が抱える不安劣等感他者投影し、それを批判することで、自分自身の不完全さや弱さから目をそらしていると考えられます。著者は自分自身を批判する苦痛回避し、他者への攻撃に転じています

例:弱者男性批判する一方で、「自分弱者ではない」というイメージを保とうとしている。

2024-12-23

勝者不在のM-1グランプリ2024。そして2025は完全な平場となる

令和ロマンは本当に惜しかった。難しいチャレンジに挑んだ。途中までは全てが完璧だった。

そして、バッテリィズのエースというたったひとつノイズで全てがぶち壊しになった。くるまは眠れない日々が続くだろう。けむりはぐっすり寝てそう。

今回のM-1グランプリにおける各陣営勝利条件は以下の通りだ。

①令和ロマン……審査員視聴者・観客・他のコンビ全てを圧倒的に屈服させ、「M-1はこんなもんw」と冷笑してみせること。

ヤーレンズ真空ジェシカ……優勝が最善、次善として1stラウンドの点数を令和ロマンよりも上につけること。

ダイタク・トムブラウン……とにかく目立つこと。

④その他……とにかく来年以降の優勝に繋げること。

②③の失敗は瞭然だろう。ここでは多くを語らない。

令和ロマンは今年、まず1stラウンドで全世代向けの優等生ネタ披露し、近年のトガったスタイル冷笑した。阿部一二三ナイスアシストもあり、最高のタイミングで他のコンビ呪いをかけたのだ。

そしてヤーレンズがあろうことか二番手という最悪の──令和ロマンにとっては最高の──巡目を引いた。効果残酷なほどてきめんだった。楢原調子を狂わされ冒頭のツカミを失敗、その傷は出井が修復できる範囲を超えていた。

更に令ロにとっての幸運は続く。三番手真空ジェシカだ。真空ジェシカ自体は「呪い」を意にも介さず良いパフォーマンスを発揮したが、観客は「渡辺斎藤」のほとぼりがまだ冷めておらず、「これで笑っていいのかしら・・・」と躊躇してしまった。

もはや勝負あり、敵ナシ、M-1は終わった、令和ロマンが全てを終わらせ伝説になった、そう思われた。


バッテリィズが出てくるまでは。

バカバカを言い、ツッコミが的確に突っ込む。そして誰も刺さない。誰にもマウントを取らない。バカにしない」

平成レトロのような大阪漫才。これが環境トップメタたる令和ロマンにぶっ刺さった。エースメタという言葉すら知らないだろう。そういう姿が更にバッテリィズの別格感を押し上げた。

そして表示された861点。圧巻である。この瞬間、優勝しようがしまいが令和ロマンにとっての「勝ち」はなくなった。来年はもうない。

ではバッテリィズ(④)は勝ったのか? 違う。

かに笑った。みんな笑っていた。(ちなみに私は今回の10組では令和ロマン以外見所なしと考えていたほどには令和ロマン、というか高比良くるまビイキ。でも一番笑ったのはバッテリィズだ)

ただ、「M-1で優勝してハクつけてスターダムにのし上がる」という意味では、その刃は今年限り有効ものだ。来年同じようなネタを出されても、審査員にはリーチしない。

じゃあ巧みに新しいスタイルを持ち出してこれるか。これない。バカなんだから

正月番組からから、ヒキは増えるだろう。でも、それだけ。それなら別にM-1以外の賞レースでいい。M-1は勝つことに意味がある。

「2024チャンピオンだったバッテリィズ」は、我々が見ることのできる姿とは全く違うものになっただろう。「だろう」と推量の助動詞を使わなければいけないのが惜しくもある。


繰り返すが、いずれにせよ、令和ロマンナイスチャレンジだった。バッテリィズさえいなければ本当に伝説になれた。

これに萎えず、また新たな冷笑お笑い界に食らわせてほしい。賢いんだから

そして個人的には、2025年M-1が本当に楽しみでしょうがない。かすかに残る「真空ジェシカどうなるどうする」以外のあらゆる文脈が砕かれた、本当の平場になるのだから

増田アドヴァイスを受けて再うpしたよ)

2024-06-18

何によって avoir か être になる?複合過去 フランス語

動詞助動詞が「être」か「avoir」によって変わる場合主語目的語について詳しく説明します。

### 「passer」の場合

1. **Le facteur n'est pas encore passé.**

- **主語 (sujet)**: Le facteur (郵便屋さん)

- **目的語 (objet)**: なし

2. **Elle a passé son enfance aux États-Unis.**

- **主語 (sujet)**: Elle (彼女)

- **目的語 (objet direct)**: son enfance (彼女の子時代)

### 「sortir」の場合

1. **Samedi, je suis sorti avec des amis.**

- **主語 (sujet)**: Je (私)

- **目的語 (objet)**: なし

2. **Elle a sorti un petit carnet de son sac.**

- **主語 (sujet)**: Elle (彼女)

- **目的語 (objet direct)**: un petit carnet (小さな手帳)

### まとめ

フランス語では、直接目的語があるかどうかが助動詞選択に影響します。直接目的語がある場合は「avoir」を、ない場合は「être」を使用します。

2024-01-26

anond:20240126053534

(受身の助動詞「られる」ではなく)受身の助動詞「れる」に接続してるだけなので、文法的には問題無い。

ただ、最近受身可能尊敬助動詞「られる」について可能/尊敬区別させるために、可能場合は「れる」に変形する「ら抜き言葉」が普及しているので、「れる」の可能ニュアンスが強くなってるかもしれない。

それと、「れる」は「られる」より口語的ではある。

大辞林の「れる」の解説は以下のとおり。

「られる」と意味用法は同じであるが,未然形がア段となる動詞には「れる」が付き,それ以外の場合は「られる」が付くというように,接続のしかたに分担がある。サ変動詞接続する場合,「出席される」のように,未然形のうち「さ」に「れる」が付くのが普通であるが,書き言葉でのやや改まった言い方では,「出席せられる」のように,未然形のうち「せ」に「られる」が付くこともある。の可能の意では,現代語では普通「行ける」「登れる」などのように,可能動詞で表すことが多い

2024-01-19

anond:20240119202912

スイカトメテ【ヨ】」ははじめて聞いたんだけどヨはなんの助動詞なの?

2023-11-30

anond:20231130155925

そもそもwillに限らず、will/must/may/shall等の法助動詞動詞に「判断」を付け加える言葉判断は「事実」とは異なる。

willは「はっきりしている」

mustは「ゼッタイ

mayは「可能性や行動の容認

shallは「物事道理として」

It will rain tomorrow.は事実ではなくて判断を表している。「明日雨が降るのは(自分の中では)はっきりしている」のだ。willは「はっきりしている」と書いたが、ここに込められた意味合いは、「事実ではないが自分の中ではかなりの確信を持ってそう思っている」という判断

It's going to rain tomorrow.は事実を表している。あるいは事実に基づいた予想を表しているニュアンスがある。「明日は雨が降るよ(天気予報がそう言ってた/西の空の雲行きが怪しいかetc)」

2023-10-21

anond:20231021074611

あれ、二つとも同じ意味コメントか。助動詞みたいなものではないんか?行って、来る、だと、並列だよね?

助動詞っつうか補助動詞か、みたいに別の意味はないのか?

2023-09-08

理想的高校古文の授業

1. 3か月ぐらいで文法ざっとさらう。

 * 本当にざっとで良い。助動詞の主な用法ぐらいで。活用暗記とかはさせない。

2. 『平家物語』と『宇治拾遺物語』について、先生の方で品詞分解を記入したテキストを配布し、学生現代語訳をさせる。

 * 学生品詞分解で力尽きて(飽きて)しまうことを防ぐ。

 * 品詞分解が正確にできていても訳せないという経験を早期にさせる。

 * いっそ現代語訳も配布してしまってもいいかもしれない。「なぜこの訳になるのか?」と疑問を持った点を報告させ、そこを解説するスタイルでもいいかも。

3. 2.の作業を『徒然草』→『伊勢物語』→『大和物語』→『大鏡』→『更級日記』→『枕草子』→『源氏物語』の順にさせる。

 * 『源氏物語』 がいちばんむずかしいのに、定番テキストのように高校で扱われるのは不思議

 * 方法は何でもいいから、とにかくたくさん読まないと古典は読めないということを認識させる。

4. 3.と並行して品詞分解の作業をさせる。

 * テキスト高橋正治古文読解教則本』 みたいなのがいいと思う。

 * ぶっちゃけ全員が品詞分解をできる必要はないと思うので、学生選択に委ねるのもあり。(大学受験する人だけとか)

5. 百人一首を暗記させる。

 * これはもう暗記しかないのであきらめてほしい。

2023-08-21

anond:20230820173124

俺も違和感しかない

ら抜きは一応動詞自体存在していて助動詞の形が変形したものに過ぎないけど、節内に動詞自体がない表現というのは、若干体現止めとかもあるけど、かなり例外的から定着しにくいのではないか。というかしないでくれ。

だ抜き言葉なんて無理でしょ。動詞がない文などというものは許しがたい。

2023-08-14

大日本語にはない言葉

英語のmiss

I miss you. をうまく翻訳できない(あなたがいなくて寂しい、になってしまう)

辛いの表現が少ない

カレーの辛さ、わさびの辛さ、からしの辛さなどを分けられない。

中国語だと、

辣(ラー)→唐辛子などの舌を刺すような辛さ

咸(シャン)→塩辛

麻(マー)→ 山椒などで感じる痺れる辛さ

辛(シン)→シナモンなどスパイスの辛さ

と分けて表現できる。

関係代名詞

英語などで出てくるwhoやwhich等の関係代名詞がない。

その代わり動詞助動詞が発達していて、文の前から言葉を修飾する。

英語)the book which I bought yesterday

日本語)私が昨日買った本


あと一つは?

2023-08-04

anond:20230804172303

分かるけどしっくりこないんだよな…助動詞って基本主観込めるためのもんだとおもうんだけど…電車が次の駅に着いてその時にどっちのドアが開くかなんてダイアで決まってんだから現在形でもbe going toでもええやんって思っちゃう。(1で十分じゃんって話)

ただまあ、乗ってる乗客からしたら現在形はさすがにぶっきらぼうすぎるんかな、という気もしないでもない。「どうなるかな?ドキドキ」→「は、こうなる決まりなのでいちいち聴くな」みたいな。

2023-08-02

学習指導要領における中学英語のヤバさ

予想された全国学テ「英語」の成績下落https://gibsonerich.hatenablog.com/entry/2023/08/01/150907

↑がホッテントリに上がっていたので少し書いてみる。

例えばこち

https://www.kairyudo.co.jp/contents/02_chu/eigo/h28/h28_eigo_shidoyoryo_taisho.pdf

学習指導要領上だいぶ小学校へ移動している。

といっても小学校ではほぼ文法指導はなく、二言三言会話して歌を歌う位のものだ。

何より良くないのがテストがない、というか教師側の能力不足、時間不足でできないので、生徒に学習、復習のインセンティブがない。

結果、何も残らないか一般動詞とbe動詞区別もつかないような中途半端知識が残るのみとなる。

そして上の記事でも指摘された通り、中学英語は旧学習指導要領より履修項目、単語が増え、教科書本文も長くなった。

特に負荷が高いのが中1で、例えば今まで中1夏休みまでの間に履修していたbe動詞一般動詞助動詞辺りまでを4月の間(実質2週間位)で駆け抜けなければならない。

更に話す、発表する等もやって行く必要があり、単元あたりの文法指導にかけられる時間が実質大幅に減っている。

かに中学でも小学校に回された単元をおさらいすることになっているが、実質そんな時間わずかなものだ。

英語場合スタートでつまづいた子が後から挽回するのはとても大変で、中2に上がる頃には結構賢い子でもお手上げ状態となる。

また定期テスト最近教科書本文から長文問題を出さず、別の文章を引いてきたり文法事項だけ出題するパターンが増えている。

これは教科書単語が難しいため本文から出すと問題が難しくなりすぎるからとか、教科書本文をまともに授業で扱う時間がないからなどと言われている。

テスト教科書本文が出ない単元の単語は覚えるインセンティブが下がるが、入試で出ても文句は言えないので、自主的に覚えるか塾でやるか諦めることとなる。

学習指導要領コミュニケーションから英語習得を目指しており理念は素晴らしいけれど、学校外でも膨大なトライアンドエラーを積み重ねられるような、英語を浴び続ける環境必要だ。

それは1対多数の公教育現場での実現は困難だし、高校入試スピーキングテストも宙に浮いた状態となっている。そもそも学校でまともに教えていないことを入試で問うのがおかしい。

更に先述の通り学ぶ量もスピードも増えていて、独学で追いつくのは大変であり、小学校の段階から塾に通える子が有利になっている。

となると英語ますます親の経済力意識の高さに左右されるから教育格差が広がる一方だ。

YouTube等で無料でやれるといっても、それはその気になれる意識の高い(収入比較的高い方の)家庭の子からだ。

また英語でのコミュニケーションに長けた帰国子女文法全然できないのはあるあるだが、時間的制約の中で文法理解の精度を下げるのをどこまで許容しながら出力を増やすかという問題もある。

かなりヤバめの状況だが、すぐできることとしては、中1の進度を少し緩やかにするか、せめて小6の3学期だけでも一般動詞とBe動詞文法指導小学校でやるようになればだいぶその後の勉強がやり易いと思うのだがどうだろうか。

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