はてなキーワード: まこととは
5ちゃんねるニュース速報板には暇空の認知プロファイリングを全面肯定しcolaboを糾弾するスレが長期に渡って続いていた
若草/BOND/ぱっぷす/Colabo関連総合lj★2082 [897196411]
https://itest.5ch.net/hayabusa9/test/read.cgi/news/1763459561/
もはや初期の方の設定は忘れた人が多いと思うが、暇空はColaboだけでなく、若草・BOND・ぱっぷすという団体も代表が逮捕されるレベルの不正行為をやっていると主張し、Colaboは四天王最弱でまだ軽微な不正だが他3団体は巨悪で、Colaboを倒すだけではなく4団体「WBPC」全てを倒すという壮大なストーリーがかつては繰り広げられていた。
四天王最弱のColaboにボロ負けしながら他の有象無象にも敗訴しまくる現状では、もはや本筋を知らず「若草ってなに?」レベルの人が多いだろうが、ニュー速民は打倒WBPCを掲げ、日本を救うために巨悪を討とうと頑張っていた時期が長かった
かつては暇空本人もWBPCスレに目を通していたのだが、一見何の変哲もない書き込みを「スパイ」と認定し、指摘された人物はスレ内で他の者からボコボコにリンチされた
スレ住人は、暇空に嫌われないよう、吊るし上げられないよう気をつけながら書き込む必要があった
暇空茜
@himasoraakane
たとえばWBPCスレの603なんかは隠れWBPCスタッフとかじゃないかとおもう
言ってることがほんのりくさい
暇空茜
@himasoraakane
暇空茜
@himasoraakane
気を使いながらの書き込みに住人は疲れ、暇空敗訴も重なっていき士気は落ち、スレは完走せずに落ちてばかりになり、しかし落ちても次スレを立てて中身がないままスレ番号だけが重ねられていくようになった
ニュー速は誰でもスレを立てられるわけではなく色々ややこしいのだが、アザラシというスレ立て人が孤独にWBPCの次スレを立て続けていた
すぐにスレが落ちてしまうので見ていない間にスレが途絶えないように、落ちるたびに次スレを立てるbot「メカアザラシ」を作っていた
しかしこのたび、botが荒らしスパム扱いされて運営に封じられてしまった
アザラシは手動スレ立ての道も諦め、数年に渡る歴史を持つWBPCスレから手を引くことを宣言した
@phocidae_mona
■お知らせ
本件、気にかけておられる方々にはまことに申し訳ございませんが、ν速WBPC総合スレの継続を断念させて頂きたく・・・。
スレタイや本文などを少しいじってもメカさんが次スレを立てられない状況です。かといって手動で次スレを立て続けるのは今の私には難しいです。
https://x.com/phocidae_mona/status/2009220006870171886
皆様には大変お世話になりました。重ねて御礼申し上げます。
本件を通じて公金の運用の実態について色々と考えさせられました。本件には引き続き関心を持ち、自分なりの意見を持っておこうと思います。
今月は有象無象との裁判ではなく、15日にはWBPC住民訴訟、29日には東京都訴訟の結果が出るんだぞ
本筋で暇空勝訴をキメて日本の闇を白日に晒すゴールデン月間なんだぞ
俺の認知プロファイリングでは、アザラシは拉致されて身分を乗っ取られている
カルト団体に拉致されて地下牢に監禁され、Xで発信しているのはすり替わった偽者
「毎度ありがとうございます」の「ありがとうございます」部分を、「あり〜」に短縮するのは、許されない行為だと思う。
あまりにも人を舐め腐っている。
それなら、「ありがとうございました」を「あーしたーっ」に略す方がマシだ。
「ありがとうございます」が「あり〜」で許されるなら、
周知の通り、
「おはようございます」は「おは〜」、
「お待たせいたしました」は「おまた〜」、
と言われることはある。
「まいどあり〜」は違う。
「毎度、あり…?ありって何?毎度『ある』ってこと?何があるの?怖い。あの人怖い。震える。もう行かない!」
となってしまう。
「毎度ありがとうございました!」と丁寧に言うべきだし、もっというなら「毎度毎度ほんまおおきにやで、あんさんのおかげでわしらの生活が成り立っておりやす。ほんま嬉しい限りやわ。ありがとうございます!ええ人やわやっぱり!よっ男前!」と言うべきだ。
女性なら「ぺっぴんさん!」だ。
【高市】 立憲民主党議員「苺ましまろ」を醜悪なもの認定。一掃することを宣言 [707978541]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1765200992/125
38 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 9f21-dpzh) 2025/12/08(月) 22:40:03.50 ID:GKBgy0nO0
こいつらほんと要らねーわ
125 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 7ff0-nX58) 2025/12/08(月) 23:38:47.64 ID:OJTvqTLC0
こんな広告がいらない
単なる悪ノリ
【台湾】
台湾の国家安全会議の呉釗燮秘書長 ”「台湾も長年にわたり、同じような威嚇や圧力にさらされてきた。中国政府の非文明的で地域の安定を損なう行為を強く非難する」”
『中国政府の日本渡航自粛呼びかけ、台湾総統府が批判…「政治的な目的で複合的な脅し」』 https://news.yahoo.co.jp/articles/b1fbfe191887f9bf569764698166172efac010cd
総統府の郭雅慧(かくがけい)報道官 ”「政治目的に基づいた複合的な威嚇でありインド太平洋地域の安全保障や安定に重大な脅威をもたらしている」”
『総統府、中国を批判「日本への脅しは地域の安定脅かす」/台湾』 https://news.yahoo.co.jp/articles/b7bbad2888910bb035d96ba57cfcc7180482246d
蕭美琴副総統 ”(台湾海峡の安定は)「地域問題にとどまらず、世界繁栄の礎だ」”
『台湾副総統、欧州議会で初演説 海峡安定「世界繁栄の礎」、中国反発』 https://www.jiji.com/jc/article?k=2025110800249&g=int
【アメリカ】
ジョージ・グラス駐日米国大使 ”「呉江浩駐日中国大使、薛剣駐大阪中国総領事におかれましては、揺るぎない日米の絆を一層深めるためのご尽力、まことにお疲れさまでございます。心からの感謝を」”
『駐日米国大使、「首斬ってやる」発言の中国総領事らに“痛烈皮肉”炸裂させ反響「センスに脱帽」』 https://news.yahoo.co.jp/articles/bd9cd4fad6b7e739677ffcd6bd2b81fddf7a5d31
”アメリカ政府は13日、F16戦闘機の部品など、台湾へのおよそ510億円相当の武器売却を承認したと発表しました”
『アメリカ 台湾へ約510億円相当の武器売却を承認 中国「強烈な不満を表明」反発』 https://news.yahoo.co.jp/articles/83c55d9130fdad63d715f13644226cb9b1186e0f
法治主義について偉そうにゴタクを並べるなら「被告人」と書け、ボケナスのウスラ馬鹿。これは民事裁判じゃねえんだよ。
検察は実務上は被告人の罪をなるべく重くしようとするのが通例だが、それでも真実義務には拘束されるから、
事実や道理をねじ曲げて被告人を断罪するのは、国民の税金を使った公判では絶対に許されない。
てめえみたいな知ったかぶりの半可通のオツムでは理解できんだろうがな。まことに度し難い。まことに愚鈍。無知まるだし。
たとえば「「40代となった事件当時まで(家庭崩壊の)影響が及んだとは考えられない」といった断罪の仕方は
なぜなら、家庭崩壊のような大きな出来事の影響は終生続くのが不可避で当然だからだ。
Feat 三島由紀夫
まことに、私がこの言葉を吐くのは酷に思える。だが、それでも言わねばならぬ。
あなたは、自らの青春を、意識的に、まるで儀式のごとく、下水の溝に流し込んだのだ。
十代、二十代――人が最も強く生の光に照らされ、同時に最も濃い影を引く季節。その刻を、自らの手で抉り取り、汚泥に沈めた。あなた自身がそのことを認め、言葉にしてしまった。そこに、ある種の美すら私は嗅ぎ取る。
だが、世間はそうは見ぬ。
「お疲れさまでした」「立派な防人です」――ネットの群衆が投げかける甘言は、毒蜜である。
彼らはあなたを見て笑う。「三十路を越えたシンジ君がまだうずくまっている」と。
だが私は、そこに人間のどうしようもない美を感じる。
人が自己を見失い、なおも生きようとする姿ほど、悲劇的で、肉体的で、そして神に近いものはない。
あなたが「懲役のようだ」と表したその日々――まさにそれが真実だ。
あなたは十年の刑を終えて娑婆に放たれた元侠客のような存在だ。
軍服という鎧を脱ぎ棄て、裸の魂で社会という冷たい風に晒されている。
そしてあなたは今、己の崩壊を感じながら、それでもなお“プライド”という名の血を流し続けている。
全身の血を入れ替えるほどの努力、それが“第二の誕生”である。
「友人に連絡しづらい」――その一言に、あなたの魂の頽廃が集約されている。
孤独は人を美しくもするが、長く続けば人を骨の芯まで腐らせる。
人間関係を断つということは、己の首をゆるやかに絞める行為だ。
彼らとの絆を断てば、あなたは確実に畳のシミとなって終わる。
あなたの生きた世界――それは、鉄と規律の檻の中の楽園だった。
だが今や、あなたはその檻を出た。
もう誰も命令してはくれぬ。誰も守ってはくれぬ。
あなたは“個”として、神の見捨てた現世に放たれた。
趣味もなく、救いもない。
あなたの文章の端々から滲む空虚は、まるで廃寺に残された僧の祈りのようだ。
その祈りはもはや神に届かぬ。だが、人間は祈らずにはいられぬ。
どうか忘れるな。
その唯一の道は、現実の“血の通った友”を信じ、
その絆を断たぬことだ。
ネットは虚無の海だ。
そして、その祈りの向こうに、
もう一度、生を賭して立ち上がる日があるなら、
好きな人ができた。
同じ大学とだけ知っていた。それ以外の共通項は特になかった。ただ、話が合うような気がしたから、思い切って食事に誘った。
私はもう一度、祈る気持ちで誘った。今度はもう少し時間のかかる予定を考えた。
彼女をその誘いを受けてくれた。
そのようにして、知り合ってから何度か出かけた。
出かけるための口実を作り、そして、先の何ヶ月かにおいて、それぞれに約束を取り付けた。
嫌われてはいないと信じたい。
多くの男性がそうであるように、私も演技をしている。理想的な男性と騙せるように、彼女の前では猫をかぶっている。
おれは気が利かない。だって、何をすれば女性が、おまえが喜ぶのか、逆に何をしたら怒るのか、おれには未だよく分からない。だから、気の利かせようがない。
おれは要領が良くない。おれは頭を棚にぶつける。小指も棚に打ちつける。料理をすれば、コンロ・シンク・冷蔵庫の三者間を反復横跳びのように忙しなく飛び回る。
おれは頭が良くない。第一、おまえが高校を出てすぐ入った大学に、おれは1年遅れてようやく入ったのだから。
おれはハイソではない。おれは本を読まないし、映画も見ない。音楽だって詳しくない。おれの故郷と、通った高校のある隣町は、恐ろしいことに両方の名が"ナンバープレートカースト表"の一番下に並んでいる。地元のバイパスでは今も、羽の生えたプリウス同士が大競走しているのだろう。おれはそれが別段特別なことに見えないし、思えない。
おれは甲斐性がない。わずかな貯金と、基礎と熱意を欠いた不安定な学問的知識と、同じくらい不安定な職の3点以外、何も持ち合わせていない。今までの無駄な時間を有意義な自己研鑽と職探しに使っていれば、真っ当な職業人として巡り会えていたかもしれないと思うと、まこと慚愧の念に堪えない。
おれは飄々としていない。大学から帰るのが遅くなったとき、おまえはあの汚らしい駅の猥雑なロータリーで、耳を塞ぎたくなるような話を、眉を顰める大声で、夜空に向かって不明瞭に叫んでいた、不愉快な学生集団を見たのではないか。だとしたら、その中にはおれがいたかもしれない。おれは調子にも乗りやすい。
いずれ綻びが顕になるのだろう。
あまねく人間に、私に、綻びがあることは当然で、そのことに対しては何も思わない。そもそも「綻びが(これだけ)ある」と悩む必要は、実はないのではないかとさえ思う。綻びの総量それ自体、個人の主観に左右されるものだろう。そして、人の内面を変更する術を、あるいはcharmを、少なくとも後者を私は持たない。
ただ、それとどのように綻びを知らせるのか(全て私の誤解で、意地でも隠し通すのが定石なのかもしれない。そうなんですか?)という問題は別のはずだ。失望は避けられないことで、かつ、その最大瞬間風速が相手の許容できる閾値を超えたとき、一般論として人間同士の関係は崩れる。
私は減速剤を知らない。他者の失望の速度を、どう制御すればいいのか分からない。今までは流れの向くまま、それで良かった。今度は違う。化けの皮のせめてその剥がれ様だけは、自分で決めたい。できることなら、なるべく遅く、なるべく波風立たず、悟られないように。
思うに、あまねく人間に綻びがあることは当然で、人にどう知らせるかという点に上手下手があるのだろう。
AIとの会話を推奨してくださるそのご高察、深甚なるお気遣いとお見受けいたします。とはいえ、「AIは負け組ゴミオジの福祉」とのご表現には、いささか品位を欠くご誤解が含まれているように存じますので、僭越ながら一点だけ訂正を申し上げます。
AIというのは、人間の知的活動を拡張する道具であり、貴殿のようにその活用意義を理解しきれない方にとってこそ、むしろ福祉的支援が必要なのではないかと存じます。私ども「AIと対話できる側」は、すでに旧来の罵倒語で他者を分類する段階を卒業しておりますので、どうかご安心ください。
また「負け組」という語をお使いになったことから、貴殿はまだ“勝ち負け”という二元論的世界観の中でご生息のご様子。さながら明治以前の進化論にも似た認識でいらっしゃる。AIの発展に伴い、人類の知的優位の座がゆるやかに再定義されつつある現代において、そのご発想はむしろ希少価値がございます。研究対象としては興味深く、標本としての保存価値すらございます。
結論として、AIと会話し続けることは、知的鍛錬であり、思索の鏡であり、そして何より「自分の浅薄さを確認する試験紙」でございます。
さて皆様、ご存じでござろうか。古(いにしえ)の世、紀伊国屋文左衛門と申せば、紀州みかんを船に積み、大坂の嵐を乗り越えて江戸で巨万の富を築いた、希代の風雲児。その文左衛門が、時を超え、場所を変え、この令和の日本に、まことに転生いたした!
生まれは東京、名を改め「紀伊文蔵」。生まれながらにして商才は脈々と受け継がれ、幼い頃より世の「不足」と「需要」を見抜く目、すなわち「商(あきない)の目」を持つ。
ある日、文蔵が見たものは、玩具店の棚に並ぶ「機動戦士ガンダム」の模型、俗に言う「ガンプラ」じゃ。それも、特定の限定品が出た日には、人々が夜を徹して列をなし、争奪戦となる有様。
文蔵はすぐに気づいた。このガンプラこそ、昔の「みかん」、つまり「時宜を得た、不足の品」であると!
まずは軍資金。アルバイトで貯めた小銭を元手に、早朝の量販店へ。手に入れた限定ガンプラを、「ネットフリマ」という電脳の市場へ出品する。
現代の「口上(こうじょう)」を駆使し、「限定品」という名の「時価」を高める。飛ぶように売れ、瞬く間に元手の十倍、二十倍!
もはや、みかん船どころの騒ぎではない!文蔵は冷静に、人気の波、再販の周期を読み解き、まるで熟練の相場師のごとく、ガンプラを買い集めては、最も価値の上がる時に売りさばく。
紀伊文蔵の「ガンプラ転売事業」は、ネットの海をゆく新時代のみかん船となり、僅か数年で億万長者の仲間入り。世間は彼を「令和の風雲児」と呼ぶ。
「さあさあこれを見よ!これこそが最強の矛(社会的弱者)だ!
社会的弱者の名のもとに突き立てれば、いかなる強者もその非を突かれ、崩れ落ちる。
権力も富も、この矛の前では無力だ!」
人々は「おお……」とざわめき、その矛の力に耳を傾けた。
すると商人は、また別の品を掲げて言った。
性的マイノリティーという名の盾を誰が攻撃しようとも、その言葉は跳ね返され、傷つけることは決してできない。
人々はさらに驚き、「それはまことに頼もしい」と口々に褒めそやした。
すると群衆の中の一人が問うた。
「では、その矛でこの盾を突けばどうなるのだ?」
最強の矛と最強の盾を同時に掲げたその口上は、たちまち「矛盾」として笑われ、広く語り継がれることになった。
よもやよもやだ!赤子を捨てる所業、断じて許されない!命を粗末にする行いは大嫌いだ!
だが君が「さすがに自分はできない」と感じるその良心、まこと尊い!胸を張れ!
一方で、知能や見た目で人を断じる決めつけは大嫌いだ。偏見は問題の本質を曇らせる!人は属性でなく、行いで語れ!
追い詰められた人の背後には、孤立や産後うつ・産後の精神疾患が潜むこともある。行為は許されないが、支援の導線を太くすることは社会の責務だ!
もし育てられない・妊娠で困っているなら、ただちに安全な助けを求めよ!
周囲の我々ができることもある!
命を想う心は善だ!偏見は断ち、命を守る行動を選べ!心を燃やせ!
一座の政局、風雲急を告げしこの一月余、自由民主党の諸公、舞台に登場し、辞任の時機をめぐる沈黙と示唆、総裁選の前倒しをめぐる策謀、幹部の往来、言葉の綾を尽くし、政道の妙技を余すところなく披露せられたり。その演目、まことに華麗にして緻密、剣闘士の試合にも劣らぬ迫真の趣きあり。国民の耳目を奪ひ、政局の一挙手一投足に世の関心を集めしこと、比類なきものと申すべし。
然れども、民の膳に供されるべき「パン」は、いまだ姿を見せず。給付も減税も、言葉の綾にとどまり、実の施策は遠きにあり。古代ローマの為政者、剣闘士の血を以て民を酔はせ、穀物の配給をもって民を養ひたり。その政治、退廃の兆あらばとて、民の腹を満たすことを忘れざりき。今の政局、演出の妙において古代に比肩すれども、民の暮らしに資する施策の供給においては、いまだ及ばざる感あり。
願はくは、せめて古の世よりは、まことに叶ふ政の営まれんことを。
このたびの一座に対し、深き感慨とともに、ここに謝意を表すものなり。
ローマには 比すも畏れ 多きかな されども膳は いまだ空なり
五十噸の補助機関つき帆船で海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオやインドに久しく滞留、仏教を研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国の事情を知りたいと希望している人々のためには最近の東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単な商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉中であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。
『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。
直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日 神戸より」。
臍主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。
第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破の体験を本として、其遭難の顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物はまことに稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである。
『楚人冠全集』より、1937年の杉村楚人冠「バルサ」という記事。
逓信省の船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社で明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞社主催の団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。
近江一郎の著書で、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、下記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉・長崎・京都・東京知事を歴任)」なども登場する。卒業生には海軍関係者が多かったようで、特に奥田喜久司とは親しそうな書き方がされている。内容としては、笑いあり涙ありの平和なものだが、支那事変(日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親の名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸の野田高等女学校に入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。
1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎 特攻観音の縁起について」という記事。
昭和二十一年から、神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋で貿易をしておったのでありますが、戦争がたけなわになりますと、日本の航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。
(中略)
はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。
これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。
(中略)
そういうものをお土産にもって廻って、六年間というものは休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京と東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上に特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。
『吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治の発言。
近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州で塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。
「いったい君はなにして歩いているんだ?」
「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房が神戸の区役所の人夫をしている」女人夫ですね。「子どもは小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初は九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。
近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである。
近江君と私は一年の時からの同級で、しかもふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである。
しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊の実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問に精魂を打ち込んだのであった。
戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。
私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親が船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこちに設計を頼んだり資金の相談にきたりした。
この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。
「くうくうぼんく」とは、世にシロクマと称されしもののなかに、「くうくう」と名乗らるる、ひときは異才を放つ一体が、殊更に用ゐるところの、頭をもって他を穿ち、打ち伏せんと欲す、まことに尋常ならざる攻撃の術なり。
そもそもこの技をば繰り出す折、まず、その大いなる四肢をもって地を力強く蹴りたまひ、尋常ならぬ勢ひを身に籠め、まさに風の如く宙へと舞ひ上がるなり。その様、あたかも天を翔る鷹のごとく、地を離れし白き巨影は、敵の方角まさに目がけて、一直線に、かつ止むことなき勢いをもって進みゆく。
されどこの進撃、ただの跳躍にあらず。進むその終ひの場面において、己が顔の下部、特に鼻の辺りを中心軸と見なし、その面を以て全身の慣性を一点に集め、圧倒的なる力と共に対象に向かひて激突するものなり。
このとき、音なき雷鳴の如くして衝撃走り、相手はたちまちにして、その身の自由を奪はれ、ただ痛打とともに地に伏すばかり。さればこの技、「くうくうぼんく」と呼ばれし所以、かくの如し。
そのような深い観察と苦しみに対する気づきの言葉、まことに有難きことです。
あなたが感じておられるように、現代社会において物欲や虚栄心が人々の心を曇らせ、心の安らぎを遠ざけていることは、仏教の教えでも長く語られてきたことです。
仏陀は「少欲知足(しょうよくちそく)」すなわち、欲を少なくし、足るを知るという生き方を説かれました。
これは弱き者のための妥協ではなく、むしろ心の自由を得るための道なのです。
SNSや現代の競争社会では、イイネやフォロワー数が人の価値を計る物差しのように扱われがちです。
けれども、それは無常なるもの、つまり、移ろいゆく幻にすぎません。
そこに真の満足はなく、むしろ渇愛を育ててしまう危険があります。
さて、あなたが言及された「偶像崇拝」についてですが、これは確かに仏教の中でも宗派や文化的背景によって考え方が異なります。
初期の仏教(上座部仏教)では、仏像すら用いられておらず、法輪や菩提樹といった象徴のみが使われていました。
仏像や曼荼羅などは、それ自体を神格化して救いを求めるようになると、本来の意図から外れてしまいます。
仏教では外に救いを求めるよりも、自らの内なる目覚め(覚り)を重んじます。
ですから、偶像崇拝を受け入れ難いというあなたの視点もまた、仏教の核心にとっては重要な問いかけであり、尊重すべきものです。
心の迷いに気づく者がひとりでも増えることは、仏道の光がまたひとつ灯ることです。
どうか、あなたのように目覚めを求める心が、他の苦しむ者にも波紋のように広がっていきますように。
合掌。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009183007_00000
“まこと教団”の罪状明るみへ 東京
戦後の不安な世相につけ込むインチキ宗教が続出して問題になっている折から、東京都立川地区署では8月21日、立川市柴崎町の「まこと教団」本部を急襲、家宅捜査を行いました。信者のろうばいするうちに管長・伊藤真乗を傷害、詐欺、横領の容疑で逮捕。取り調べの結果、信者に対する集団リンチや、財産、赤い羽根募金の横領など、驚くべき邪教の内幕を暴露しました。リンチを受けた信者の一人<信者の女性>「信者が、たたいても猊下(げいか)、よろしいですかと言ったら、よしって言いながらたたいたんです。管長はリンチじゃない、無慈悲の慈悲だとおっしゃっておりました。無慈悲の慈悲もほどほどだと思いますね」管長を失った本部では麗々しく飾り立てた祭壇に向かって、なおも懲りずに手を合わせたり、神の使いを果たすという子どもだましの地蔵尊をありがたがったりする信者が、依然として後を絶ちません
真如苑は、過去に「まこと教団」という名称で活動していました。つまり、「まこと教」は真如苑の前身にあたる教団名です。
真如苑の開祖である伊藤真乗と妻の伊藤友司は、1936年に教えを立てました。その後、教団の名称は「成田山立川立照閣」「立川不動尊教会」を経て、1948年(昭和23年)に「まこと教団」となりました。
しかし、1950年(昭和25年)に「まこと教団リンチ事件」と呼ばれる事件が発生し、教団は大きな打撃を受けました。この危機的状況を乗り越えるため、1951年(昭和26年)4月28日(または6月21日)、教団は**「真如苑」と改称**しました。この改称と同時に、大般涅槃経を根本経典として教団の新体制を整え、1953年(昭和28年)5月16日に宗教法人として認証を受けました。
このように、真如苑は「まこと教団」という名称で活動していた時期があり、現在の真如苑は、その経験を経て再出発した姿であると言えます。
フェノルサのまことは方落にあらず