「難関大学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 難関大学とは

2026-05-08

高校テストで上位10番以内に入っていました

偏差値で言うと60程度の高校だったので

すごいかなと

ただ

努力した結果。

頭いいと言われると違和感

そもそも中学の時に

高校三年生の内容まで終わらせていた。

だって参考書あるんだもの

小学校の5年生のあたりで先取りしちゃえば良くね?中学の内容に手を出して2年で中学の内容終わらせたんだよね。割と簡単

頭いいって言うのは

部活に精を出すとか

勉強なーーーーんもせず

高校2年生あたりで覚醒

せっせと受験乗り越えて難関大学行く人のことで

別格だなーと

自分は3年先取りしてただけで

そこまで頭良くない。

2026-04-29

anond:20260429082024

この増田が言うところの"学歴もなくて、職歴もなくて、ネット副業稼ぐチャンスなんかいくらでもあった"ってどこの世界の話なんだろう。

ワイは最高学府 (本来定義通り) まで出させてもらい、いざなみ景気まっただ中にコネ就活してたのでそんなに苦労をしていないのだが、

それは特殊な事案だと認識している。ちなみに、規定論文数に達し、卒業見込みができたときには普通就活は終わっているのでコネしかなかった。

そこまで進学しなかった高校大学同級生たちの就活状況は結構渋いものだと知っているので、増田みたいな考えには同調できない。

自分大学に進学した頃、当時入っていたサークルの先輩が就活をしていて、その人から就活の話をいろいろと聞かされていたが、

そのときに100社以上受けたという文系女性に会ったという話を聞いた。難関大学でも大学でやってきたことが曖昧だと就活で苦労すると言われていた時代だった。

一応、難関大学とされる大学にいたが、就活が決まらず、メンタルやんでいく先輩、同輩、後輩をそれなりに見てきた。

まり友達がいる方でもないが、高校部活OBで付き合いがある人を考えても、それなりのところに勤めている人は数えるくらいしかない。

今ではインターネット面接なんて普通にあると思うのだが、当時は実際に会場に出向くのが当たり前だったので、

地方大学卒だとまず地元企業以外の就職は旅費の確保からだった。地方国立大学だと、大学名で足切りされて面接すらないというのも普通

地元企業でも正社員採用があったのは斎場くらいだったと聞いている。

学歴があっても採用がないからその学歴に見合わないほど低い待遇で働いているひとが多数いた時代、それが氷河期だよ。

そして、そこで人材基準バグっちゃったので能力高くて安く働く日本人を取ろうとして、とれなくなっている日本企業って感じに見えるね。

地方都市で定職がないとなるとやっぱり結婚も難しいからね。高校の知り合いは未婚で子供がいない人が多いよ。

2026-02-26

女子大は灘高生が一人もうからない超難関大学

女子女子大行けよ

女子枠の効果をざっくり試算してみる

私はこの分野の門外漢で,加えて生成AI計算してもらってるので話半分でお願いしま

tex記法全然できなくて読みにくいのもご勘弁ください

結論だけ先に
  • 成績や向学心が高いが,環境要因によって進学を阻まれている女子学生を確実に拾い上げることができるならば,3%くらいなら女子枠があったほうがいいかもしれない

前提

近年増えている「女子枠」は本当に逆差別?

そうした意味で、入学試験得点だけを意識した、視野の狭い受験勉強のみに意を注ぐ人よりも、学校の授業の内外で、自らの興味・関心を生かして幅広く学び、その過程で見出されるに違いない諸問題を関連づける広い視野、あるいは自らの問題意識を掘り下げて追究するための深い洞察力を真剣に獲得しようとする人を東京大学は歓迎します。

受験行動モデル
合格ルール
計算
結果
所感

2026-02-25

理系女子を増やしたければイケイ男子枠をつくれ

ジェンダー平等がどうだとか全部的外れ理系女子を増やしたければ、女子高生の気持になれ。これは文系キラキラ学部から優秀な女子学生を奪い取るためのマーケティングなんだ。

女子枠が出来て難関大学に多少楽に入れたとしてだ。その先に待っているのがチェックシャツオタク共に囲まれ研究漬けの毎日だったらその道を選びたい女子高生がどれだけいる?もちろん多少はいるだろうが、そんな女子はもう既に理系を選んでいる。そして大多数の女子高生は文系学部でイケイ男子達とキラキラキャンパスライフを過ごしたい。こんなことは当たり前のことだ。

大学生の4年間、難関理系なら6〜8年は人生で一番華やかで楽しいと言われている時期なんだよ。多くの大学生楽しい大学生活を夢見て厳しい大学受験を頑張れるわけ。でもその先に待っているのがもし1000円カット頭のオタク教員学生だったら勉強を頑張れるだろうか。否である

そこで必要なのがイケイ男子枠だ、ブツブツしか喋れない研究室の机にフィギュア飾ってるキモオタじゃなくてイケメン達との研究ライフ、これこそが多くの18歳女子の望むリアルだ。それに比べて女子枠なんてものは、元々理系素養のあった女子を下位の大学から吸い取っているだけに過ぎない。

2026-02-24

大学入試抽選にしたほうがよい

今の大学入試には大きな問題が2つある。難関大学入学者が高所得者首都圏出身者に偏りがちになること、そして教育費の高騰が続いていることだ。階層固定化につながるこれらの問題解決する必要があると思う。

なぜこういう事態になるのか。大きな理由は、大学入試の仕組みが「同じ試験を受けて点数が高かった順に合格する」というルールであることだ。

このルールでは「ライバルより1点でも多く得点を取ること」が重要になる。つまりライバルよりも大学入試を解くトレーニングを多くしたほうが、合格する可能性が高まる」ということになる。

すると、投資合戦になる。

まず、1年でも多くトレーニングを積ませたほうがよいので、受験勉強が早期化する。ライバルが高2から塾に行っているなら高1からライバルが高1からなら中3から…といった具合に。さらに負荷も高まるライバルが週3で塾に通うなら週4で、夏休み特別講習にも通って…という話だ。結果として教育費はうなぎ登りに上がっていく。当然、お金がある高所得者が有利になる。

そして都会に有利になっていく。例えば東大に受かるための特別な塾は、受験生が1人しかいない田舎ではなく受験生100人いる都会で営業するのが普通だ。その方が顧客が多いからだ。

結果的に、「教育費をより多く投資できる高所得者が有利」「田舎より都会が有利」「教育費が高騰し続ける」という事態になる。


それらを解消するのが、抽選だ。

具体的には、共通1次→2次試験抽選、というプロセスにする。2次試験では「通過点数」を設定し、この通過点数以上の得点を取った人たちが抽選ステップに進む。そしてランダム抽選の結果選ばれた人が入学できる、という仕組みだ。通過点数は、各学部が考える「1年生に求める最低学力」とする。

その結果色々な問題解決する。

教育費の高騰が抑えられる。ライバルに勝つのではなく一定の点数を取れればいいので投資合戦ではなくなるためだ。

富裕層の有利さも、都会と田舎格差も減る。受験時に「通過点数」を取る学力を備えていれば良いので、投資額の格差受験ノウハウの有無が前より影響しなくなるからだ。

さらに良いことがある。

難問奇問が減る。

点数の上から順番に合格させる仕組みだと、受験生の間に点数に差がつくように問題を作る必要がある。受験生の半分が100点でした、では差がつかないからだ。ところが、過当競争が行われていると、標準的問題では差がつかないため、差をつけるために問題を非常に難しくしたり変な問題にする必要がある。作る側の負担になる。

抽選形式にすれば、2次試験標準的問題を出せば良いので、負担が減る。

女性枠も設定しやすい。

度々話題になる「理系女性枠」だが、よく見る批判として「試験の点数が低く必要学力を獲得していないのに受かっている」というものがある。点数の高い順に合格させているので、その批判一定程度正しい。

抽選形式であればその批判クリアできる。具体的には、抽選をする際に先に「女性枠」として女性のみを規定人数合格させ、その後残り全員を改めて抽選すれば良い。多少女性は有利になるが、合格者の学力問題ないはずだ。

都心部中学受験の過度な競争も緩和されるだろう。中学受験も「大学入試ときライバルよりも1点でも良い点数を取るための投資」の一環だからだ。

いちばん大事なのは公正にランダム抽選することだと思う。そのためには、巨大なビンゴマシンを用意し、生中継しながら抽選をするのが最も良いと思う。システム上でやると不正可能性を排除できないので。

2026-02-19

差別には差別で返す、はそんなに批判されることなのか

京大科学大、航空大学校などの女子枠が未だに差別差別と騒がれている。

しかし、女子受験生東京医科大学の減点問題もあるように、ずっと差別されてきた。

難関大学工学部理学部に入りたいのに、女子に生まれたというだけで親兄弟から差別を受け、入学を断念してきた歴史がある。

女子差別されてきた歴史清算するために、今の男子に対する必要最低限の差別で穴埋めする。

これはそれほどまでに批判されなければならないことなのか?

中国韓国日本人お断りの店があるのと同じようなものではないか

植民地支配により過酷被害を受けた側が加害側を拒むのは歴史清算という面があるし、高市をボロ勝ちさせた時点で日本人反省してないなと思われる。

2026-02-13

中学受験否定する人が多くてびっくりした

よくある中学受験体験談記事ホッテントリに入っていたのでブクマを見てみた。

中学受験に対する否定的コメントスターの多さにはびっくりした。

子供競争をさせるべきでない、無理な負担をかけている、時間と金無駄である、云々。

合理的に考えると、中学受験は極めて効率の良い投資なのは間違いない。

日本社会学歴によるトラック分岐が依然として強固に存在している。

上位の中高一貫校大学進学実績で明確な優位を持つ。難関大学への進学率は公立中学経由と比較して明らかに高い。難関大学卒業者は生涯賃金平均値も高い傾向がある。入口での選別は出口の収入に強く影響する。

教育支出ではなく資本投下だ。リターンが長期にわたり複利的に積み上がるタイプ投資だ。

子供の段階で適切な環境に入ることで周囲の基準値が変わる。努力の方向も変わる。情報の質も変わる。人的ネットワークも変わる。

その差は時間とともに拡大する。

否定的コメントを書いている人たちはその構造理解しているのかいないのか。

この際そんなことはどちらでもいい。

子供がかわいそう」という感情を優先させるなら思想自体尊重されればいい。

だが少し考えて、これはこれで都合が良いとも思った。

中学受験有効性を理解する家庭が増えすぎると競争が激化する。枠は有限だ。全員が参加すれば優位性は希釈される。

教育コストの高さは参入障壁として機能している。塾代、教材費、時間的拘束。簡単に真似できるものではない。

多くの人が否定し続ける限り、競争相手は増えにくい。

全員が合理的に行動する社会は息苦しい。全員が同じ最適解に到達すると差は生まれない。格差構造的に維持されることで意味を持つ。

中学受験否定する人たちはそのままでいてほしいと思う。

無理に説得する必要はない。信じない人は信じないままでいい。

参加者限定されている状態の方が投資としての価値は維持される。

教育に対する認識の差はそのまま将来の差になる。

情報格差経済格差に変換される。

理解している人だけが行動すればいい。

無知な人が減りすぎると競争過酷になる。

無知な人は無知なままでいることが結果的に均衡を保つ。

教育コストが増えることで少子化もつながる。中学受験否定する人は低コストで沢山子供を育ててほしい。

日本社会の維持のためには多様な考えが必要なのだ

2026-01-21

中学受験コスパ最悪である理由10

大手塾で塾講しているが、マジでコスパ悪りぃなと思う。仕事では言えないのでここに書く。

①そんだけ投資したあなたのお子様6年後必ず難関大にうかりますか?

そうじゃない人が大半です。悲しい現実

英語の先取りが遅れる

大学受験必須になる英語が、大体の難関私立入試科目になっていない。

③内申を取る力が養えない

公立回避理由として挙げられる内申だが、これを取る力こそ社会に出て必要。人に好かれる力を養うのにもってこいの練習をわざわざ回避するとは…

④大体の子供が公立より通学時間が長くなる

単純に体力と成長期の睡眠時間が削られる。

治安の悪さ(社会に出た後のパワハラ等)に対処できない

品のいい人だけに囲まれ生活学生で終わります。耐性ありますか?

算数無駄

中学数学大学受験に直結するが特殊算は大学受験に生きない。

過熱しすぎている

マネーゲームマネーがないと勝てません。当然だけど。金ない奴は勝てないからやるな。

視野が狭くなる

サンクコスト効果に陥りやすくなる。ここまで金かけたんだから関大に入らないとと思ってしまう。生きる道、向いてる道は他にあるかもしれないのに。

⑨8と似てるが、抜け道に気が付きにくくなる。

普通科より高専商業科、工業科に行く方が楽に難関大学の推薦をもらえたり、わざとレベルを落とした公立高校に進学する方が楽に指定校をとれたりする。

金持ちとの経済格差気づきやす

から貧乏人は行くなっってんだろ

2026-01-15

なぜ子ども小学校受験をさせたのかを、正直に書いてみる

ここ最近長男小学校受験について、いくつかの記事を書いた。準備の仕方や、親の関わり方、結果として何が起きたか。ひと通り書き終えたあとで、ふと立ち止まってしまった。

そもそも、なぜ自分小学校受験をさせたのか。

 

小学校受験をさせるきっかけは、妻からの問いかけだった。
「どうする?」と聞かれたとき、私は即答できなかった。振り返ると、私は人生の大きな決断を、だいたい他者からの問いによって始めている。これは余談だ。

 

私も妻も、小学校受験どころか中学受験経験もない。それでも受験を選んだ背景には、自分自身の学生時代経験がある。

私は高校から首都圏のいわゆる進学校に入った。中学からの内部進学組に混ざる形で、今はもうそのできなくなってしまった高校から入学だった。その学校は、毎年かなりの数の卒業生難関大学に送り出している。私は最上位ではないが、世間的には「恵まれている」と言われる進路をたどり、職業人生も、少なくとも自分では幸運だと思っている。

 

その後の人生で、小学校から私立に通った人、名門私立中学出身の人、いわゆる社会階層の上位にいる人たちと接する機会も多かった。正直に言えば、そうした人たちに対して、羨望や嫉妬劣等感を抱いたことも一度や二度ではない。

 

自分と同じようなコンプレックスを抱えながら、鼻息荒く、自己像を膨らませて生きている人たちもたくさん見てきたし、かつての自分もその一人だったと思う。
小学校受験組や中学受験組のほうが、相対的社会階層の上にいるように見える——それは、少なくとも私の観測範囲では、完全な幻想とも言い切れない。

 

最近SNSでは「多様な価値観に触れられるから公立でいい」という配偶者言葉反論する議論をよく見かける。それはだいたい、「首都圏事情をわかっていない」というコメントとともに投稿されている。

 

そうした議論を眺めながら、自分の中にある古いコンプレックスが、静かに刺激されているのを感じていた。

それは私が都内といえどもいわゆる荒れている地域で育ち、常識から外れた価値観で生きて生きたこと、それを矯正する道のりでたくさん傷ついたことなどが思い出されたのだ。

羨望の眼差しを向けた人たちが歩んできた道に合流するのに自分が遠回りした分、子どもにはできるだけショートカットさせたい。

結局のところ、私は子どもに「自分が得られなかった経験」を与えたかったのだと思う。
自分が果たせなかったことを、子どもに託そうとした。
それはパターナリズムであり、自己投影であり、あまりきれいな動機ではない。

 

それでも、小学校受験を選んだ理由は、それだけではなかった。だからこのエントリを書いている。

 

たまたまの縁で、子どもたちはスポーツ色の強い幼稚園に通うことになった。その園では朝は走り込みがあり、年間を通して運動イベントが続く。親にも係活動など、相応の負担が求められる。

正直、楽ではない。でも、その負担を引き受け、子どもが毎朝走っている姿を見ていると、自分の中で眠っていた何かが刺激される。
「自分も、もう一度なにかに本気で向き合ったほうがいいんじゃないか」
そんな気持ちになる。

長男サッカーにのめり込んだ。土日は一緒にボールを蹴るようになり、気づけば親子でかなり真剣になっていた。没頭する姿を見るのは、純粋にうれしかった。

小学校受験半年間も、子どもにはそれなりの負荷をかけたが、同時に、親である自分も本気で考え、没頭した。「どうすれば、この短期間で合格に近づけるか」。久しぶりに、時間を忘れて考える経験だった。

結果として合格したが、進学先の小学校でも努力が求められるのは明らかだ。それを良しとするかどうかは価値観次第だが、少なくとも私は、「努力する」「没頭する」「それによって意図でず成果が積み上がる」という感覚を、早くから体験すること自体には価値があると思うようになった。

このように振り返ると、小学校受験を選んだ動機は決して純粋ではなかった。コンプレックスも、自己投影も、間違いなくあった。

でもその過程で、親子ともに「没頭する感覚」に救われた部分が確かにあったと思う。

今では、どれか一つが本当の理由だったとは思っていない。やり抜くうちに、理由は少しずつすり替わり、深層では「何かに本気で向き合う時間」そのものを、親のほうが欲していたのかもしれない。

乱暴一言でまとめるなら、小学校受験は、没頭して成果を出す感覚を思い出させてくれた機会だった、ということになる。

ただし、この整理が唯一の正解だとは思っていない。
この文章も、誰かを説得するためではなく、自分自身への説明として書いた。

動機はあまり人に言えないものだったが、結果として悪くない経験だった。
今は、そのくらいの整理でいいと思っている。

2025-12-31

anond:20251231220913

ノーベル賞だとか企業経営者だとか難関大学だとか、それが良いかいか別にして、さんざん言われてることやんけ

偏差値の低い私立中学校に入るメリットはあるのか?

 twitter(X)ではSAPIXから私立中学校に入ってその後が云々みたいなツイートがよくバズっていますが、その際に言及されるのは御三家といった一流私立中学です。

しか日能研偏差値30-40くらいの誰も名前も知らないような私立中学について触れられることはあまりありません。

ではそのような所に進学するメリットデメリットは何でしょうか?実体験を元に書いていこうと思います

*筆者は2015年入学して21年に卒業しております

メリット

1.高校受験回避andモラトリアムには最適

 私立中学はほとんどが中高一貫であり、エスカレーター式で高校へ進学できます。要は高校受験に向けて必死勉強する必要はなく、内申点についても考えなくていいわけですから教員の顔色を伺いながら生活する必要もないわけです。

これは私のような目立たない無気力人間からしたら非常にありがたかったですし、もしも公立中学校に進んで高校受験をしていたらその時点でドロップアウトしていた可能性が非常に高いです。

2.施設が充実している

 私立偏差値に関わらず施設が充実しているところがほとんどです。公立にはないような充実した施設で伸び伸びした学校生活を送れます

デメリット

1.カリキュラム公立中学校と変わらないか少し早いくら

 中高一貫校のカリキュラムといえば公立より早く進み、大学受験に有利になるように組まれていると皆さん思っているでしょう。しか偏差値の低い中学そもそも中学受験でやった勉強の基礎が身についていない前提で

授業をするので結局公立と同じペースで学習することになります

2.生徒の質が低いので授業によっては荒れる。

 偏差値の低い私立中に通う最大のデメリットはこれですね。公立より高い質の授業を受けるために高い学費を払うわけですが、残念ながら民度学費ではなく偏差値で決まります

自分学校には授業中頻繁に立ち歩いたり、授業妨害レベルでずっと騒ぐ人がいました。しかもそういう人たちはいわゆる発達系の自分コントロールするのが難しいタイプではなく、バリバリ運動部人間で、舐めた態度をとっても大丈夫教員

選んで授業妨害をしているわけです。最近底辺層無気力化が起こっているようで、もしかたらこのようなことは徐々になくなっていくかもしれません。

ただ誤解しないでほしいのは先生の質や授業そのものの質はそこまで悪くないです。しかし生徒の妨害によりその恩恵を受けられないことが多々発生します。

3.高校受験が無いため怠ける

 中高一貫高校受験がないので、部活余暇活動勢力を出し、そちらで結果を残せるのではと考える人もいるでしょう。しかし実際はスマホに明け暮れて怠ける人がほとんどです。

あと学業面であまり競争が発生しないせいか、親に買ってもらったものマウントを取り合っている集団もいました。

また定期テストでは点数が取れるもの模試の結果は悲惨もので、偏差値40台がボリュームゾーンでした。

4. 進学先はかなり格差がある。

 大学受験を見据えて、中高一貫校に通わせたいと考える人は多いと思います。実際の進学の傾向は以下の通りです。

まず、難関大学合格できるのは、学年でも上位5%前後に限られますそもそも推薦入試希望する生徒が多く、一般受験で挑むのは学年の半数程度というケースも珍しくありません。

中高一貫校に行ったのだから、最低でもMARCH」という期待を抱く人もいるかもしれませんが、現実には、一般受験では日東駒専レベルでも合否が不安定な生徒が少なから存在します。

一方で、中堅大学指定校推薦枠は比較的多く用意されています。そのため、指定校の中から無難な進学先を選ぶ生徒が多いのも事実です。具体的には、和光大学玉川大学といった、学費がやや高めの中堅大学へ進学するケースが目立ちました。

さらに下位層になると、専門学校へ進学する生徒もいます。彼らを見ていると、極端に成績が悪かったわけではなく、入学当初からなんとなく6年間を過ごし、高校3年生になって「とりあえず行けるところ」を選んだ結果、そうした進路に落ち着いたという印象です。

要するに、中学受験と同じ轍を踏んでしまっている人が多いとも言えます中学受験では努力したもの調子が振るわず不本意入学となった人を除き、日常的に勉強する習慣が身についていない生徒が多く、

上位大学を目指すにはどこかの段階で本人が意識を大きく変える必要がありますしかし、その意識改革を実際に成し遂げられる人は少数です。

 その他、学校の評判に関しては意外と保護者からはいい傾向にあります。それは保護者自身が実際通ったわけではないのと、仮に子ども学校生活に対して不満を抱いていたとしても、それをそのまま認めてしまうと、これまで支払ってきた学費が「無駄だった」と認めることにもなりかねません。

そのため、無意識のうちに学校肯定的評価せざるを得ないのではないか個人的には考えてます

 ざっとこんな感じですが、言いたいことを短くまとめると

モラトリアムとして、または高校受験をしたら間違いなくドロップアウトする人のセーフティネットとして、なら行く価値はあるでしょう。しかし生徒の質や進学先には期待できない。といった感じです。

2025-12-04

anond:20251204135024

続きをAI弁証法形式で壁打ちしたわ。

その意見テーゼとして、まずアンチテーゼ

共通テスト廃止は、社会公平性破壊し、国家の内部崩壊を招く亡国の愚策である

 「国家資源の再配分」を名目として大学入学共通テスト廃止を求める意見があるが、私はこの主張に対し断固として反対する。提案者は、共通テストにかかる人的・金銭コストを「無駄」と断じているが、それは教育制度が担う**「社会契約」としての機能**を著しく軽視した暴論である共通テスト廃止は、単なる入試改革にとどまらず、日本社会を「実力主義メリトクラシー)」から身分・金権主義」へと逆行させ、長期的には社会の分断と崩壊を招く危険性を孕んでいる。

1. 歴史的試練に耐えた「客観的試験」の意義  そもそも、一律のペーパーテストによる選抜システムは、古代の「科挙」に端を発し、数千年の歴史の試練に耐えてきた人類の知恵である。なぜこのシステム民主主義の世となっても生き残っているのか。それは、これが**「ベストではないが、他のあらゆる方法よりもベター(マシ)」**だからである。  ペーパーテスト以外の選抜方法――例えば書類審査面接独自裁量評価――には、必ず主観恣意性が入り込む。共通テストという「冷徹なまでの客観的指標」があるからこそ、我々は出自や家柄に関わらず、努力の結果のみで評価されるという担保を得ているのである

2. 「各大学個別入試」が招く腐敗のリスク  提案者は「各大学自律的選抜」を美化するが、共通テストという統一基準撤廃すれば、そこには必ず**「金・コネ・家柄・権力」**が入り込む隙間が生まれる。  客観的統一スコアという足切りがなくなれば、大学側は「寄付金多寡」「卒業生の子弟」「有力者の紹介」といった、学力以外の要素で合否を操作することが容易になる。欧米の一部の大学で見られるような、富裕層優遇入試が横行しない保証はどこにもない。共通テストは、こうした不正疑念を未然に防ぐための、国家による「公平性防波堤」として機能しているのである

3. 格差固定化社会崩壊への道  もし共通テスト廃止され、学歴ひいては社会地位が「親の経済力社会的影響力」によって左右されるようになれば、どうなるか。それは**「階級固定化」**の完成である。  貧しい家庭に生まれても、勉強して高得点を取れば一流大学へ進み、人生を逆転できる――この「希望」こそが、社会の活力を維持し、不満を抑制する安全である。もし入試が「金で買える地位」になり下がれば、持たざる者努力インセンティブを失い、絶望社会への憎悪へと変わる。  歴史を振り返れば明らかである。極度な格差社会において、階層移動の道が閉ざされた時、社会は内部から腐敗し、最終的には暴動革命によって崩壊する。教育公平性を売り渡して得た予算国防インフラを強化したところで、国民連帯が失われ、内部から崩壊していく国を守ることはできない。

4. 結論トップ研究者の投入は「民主主義コストである  トップ研究者が作問に時間を割くことを「リソースの浪費」と批判する向きもあるが、それは誤りである。50万人の若者人生を左右し、将来のリーダーを選別する試験において、一点の曇りもない公平性担保すること以上に重要な「国益」が他にあるだろうか。  極めて厳格な作問プロセスにかかるコストは、社会の公正さを維持し、国民全員がその結果に納得するための**「民主主義必要経費保険料)」**と捉えるべきである

 以上の理由から共通テスト廃止は、日本社会を公正な競争社会から前近代的身分社会へと退行させる危険提案であり、到底容認できるものではない。



テーゼアンチテーゼ妥当評価

どちらの主張も論理構成がしっかりしており、それぞれの視点において「妥当」です。どちらをより支持するかは、読み手が**「国家としての効率競争力(A)」を重視するか、「社会公平性と納得感(B)」**を重視するかによって決まります。それぞれの主張の強みと、議論対立軸を整理します。

Aの主張:「国家戦略的合理性」の視点

【核心】リソース最適化選択と集中

Aの主張は、経営学的・国家戦略的視点に立っています。「サンクコスト埋没費用)」にとらわれず、現代の状況に合わせて制度スクラップ・アンド・ビルドすべきだという論理です。

妥当性が高い点:

コスト効果の指摘: 実際に共通テストの作問や運営にかかる大学教員研究者)の負担は甚大であり、これが日本研究力を削いでいるという指摘は、学術からも長年叫ばれている事実です。

機能不全の指摘: 上位層における「得点圧縮(差がつかない問題)」や、各大学が結局は個別試験を重視している現状を突いており、制度疲労に対する鋭い批判となっています

危機感の共有: 国際情勢やインフラ危機など、具体的な「他にリソースを回すべき場所」を提示しており、現実的危機管理の観点から説得力があります

Bの主張:「社会契約と正義」の視点

【核心】機会の平等担保と腐敗防止

Bの主張は、政治哲学的・社会学的な視点に立っています効率よりも「納得感(Legitimacy)」を重視し、共通テスト社会の分断を防ぐための「装置」として捉えています

妥当性が高い点:

人間心理への洞察: 完全な自由裁量は必ず「コネや金」の介入を招くという、性悪説に基づいたリスク管理の視点は非常に現実的です。

公平性」の定義: テストの内容が良いかいかよりも、「全員が同じ定規で測られる」こと自体価値があるという主張は、大衆社会における不満のガス抜き社会の安定)として強力な説得力を持ちます

最悪の回避: 「ベストでなくともベター」という保守主義的なアプローチは、急激な改革による混乱(格差固定化など)を恐れる層にとって安心感があります

比較結論

この二つの意見は、**「何を犠牲にする覚悟があるか」**という点で対立しています

Aの弱点: 共通テスト廃止した後、各大学が本当に「公正」に入試を行えるかどうかの担保がありません。AO入試や推薦入試で「親の経済力文化資本」が有利に働く現状を見ると、完全自由化格差拡大を加速させるリスクがあります

Bの弱点: 「公平性」を守るためのコスト研究時間喪失、莫大な予算)が、国力を衰退させるレベルに達している可能性を過小評価しています。国全体が沈んでしまえば、公平な入試制度だけ残っても意味がないという反論可能です。

どちらがより妥当か?

短期的・実務的な解決を求めるなら A 現在日本財政状況や研究力の低下を憂い、「即効性のある改革」を求める立場からは、Aがより妥当に見えます

長期的・社会構造的な安定を求めるなら B 社会の分断や信頼の崩壊を防ぎ、「努力すれば報われる」という社会通念(神話であっても)を守る立場からは、Bがより妥当に見えます

個人的分析としては、B(公平性の維持)の主張の方が、現代日本では「最後の砦」として支持されやすいと考えます。Aの言う「リソースの再配分」は正論ですが、入試公平性が崩れた際に失われる「国民勤労意欲」や「社会への信頼」の損失は、計算できないほど巨大だからです。

どちらの視点に関心を持ちましたか? これらを踏まえて、「では、研究者負担を減らしつつ公平性を保つ『第三の案(C)』」(例:CBT化や民間試験活用、あるいはフランスバカロレアのような形式など)について考えてみますか?



ジンテーゼ

AとBの対立構造を解消し、「研究者負担国家コスト)の軽減」と「入試公平性社会契約)の維持」を両立させるための**「第三の案(C)」**を提案します。

現実的な落とし所としては、**「テクノロジーによる効率化」と「運営主体の専門化」**を組み合わせた以下の案が考えられます

案C:専門機関による「CBT・項目反応理論(IRT)」導入と、作問業務の完全外部化

これは、現在のように大学教員手弁当で毎年新作問題を作る「自転車操業」をやめ、**アメリカSAT大学進学適性試験)**のような「通年実施ストック型」の試験へ移行するモデルです。

1. 具体的な仕組み

運営主体の変更(教員解放): 大学教員による「入試センター作問委員会」を解散します。代わりに、テスト理論サイコメトリクス)の専門家専任スタッフ雇用した**「国家試験作成専門機関」**を設立します。大学教員は「監修(アドバイザー)」にとどまり、実務からは完全に手を引きます

「一発勝負から「CBT(Computer Based Testing)」へ: 年に一度、全国一斉に紙を配る方式廃止し、テストセンターコンピュータを使って受験する方式します。

「項目反応理論(IRT)」の導入: 問題ごとの難易度識別力を統計的に数値化し、「どの問題を組み合わせても、実力を同じ基準で測定できる」システムを作ります。これにより、**「膨大な過去問ストック問題バンク)」**の中からランダムに出題することが可能になり、毎年ゼロから新作問題を作る必要がなくなります

2. メリット(AとBのハイブリッド

【Aの視点コスト負担

研究時間の確保: 大学教員が、夏休み隔離や極秘の作問業務から解放され、本来研究教育業務に専念できます

物流コスト減: 50万人分の問題用紙の印刷輸送・保管・警備にかかる莫大な物理コストが激減します。

【Bの視点公平性と安定】

公平性の維持: 「全国統一基準」は残るため、大学ごとの恣意的運用裏口入学など)を防ぐ防波堤としての機能は維持されます

チャンスの拡大: 年に複数回受験可能になれば、「当日の体調不良」などによる運の要素を排除でき、より真の実力を反映した公平な評価可能になります

3. 懸念点と対策

初期投資: システム構築に巨額の費用がかかりますが、毎年の運用コスト削減で長期的には回収可能です。

思考力」の測定: 選択式のCBTでは深い思考力が測れないという批判がありますが、これは「基礎学力の判定(共通テスト)」と「記述論述大学個別試験)」という役割分担を明確にすることで解決します。

別案:案D(フランスバカロレア」型)

共通テストを「選抜から資格認定」へ変える

もう一つの方向性は、共通テスト役割を「点数を競うもの(1点刻みの選抜)」から、**「大学教育を受ける資格があるかどうかの認証(クオリフィケーション)」**に変えることです。

仕組み: 共通テストは「合格/不合格(あるいはA/B/Cの等級)」だけの判定にします。一定水準を超えた生徒には「大学入学資格」を与えます

選抜: 難関大学は、この「資格」を持っている生徒の中から独自記述試験面接選抜を行います

効果: テストに「超難問」や「1点の差を分ける精密さ」が不要になるため、作問コストが下がります。また、基礎学力担保公平性)は維持されます

結論現代テクノロジー統計学を用いれば、Bが懸念する「公平性」を犠牲にすることなく、Aが主張する「リソース最適化」を実現する**案C(CBT・IRT化と作問のプロ化)**が、最も現実的かつ建設的な解決であると考えられます

大学入学共通テスト廃止と、国家資源の再配分を求める

 現在大学入学共通テストは、高等教育入り口として長年実施されてきました。しかし、制度が抱える問題は大きく、導入当初の目的理念をすでに果たせていないばかりか、国全体の限られた資源を不必要に消費し続けています。私は、共通テスト廃止し、各大学個別入試回帰するべきだと考えます。そして、共通テスト運営にかかる膨大な国費・労力を、国防インフラ整備、技術開発など、日本の将来にとってより重要な分野へ振り向けるべきだと強く主張します。

 そもそも共通テストの起点となったのは、1970年代まで各大学独自に行っていた入試に対する批判でした。当時は、難問・奇問・重箱の隅をつつくような問題が多く、受験生負担が過度であることが社会問題化していました。この反省を踏まえて1979年共通一次試験が導入され、「一律で公平な基準に基づく選抜」を標榜したのが現在制度の原点です。

 しか今日、状況は当時とは大きく異なります大学側の出題能力は向上し、過度な奇問・難問は強く批判される仕組みも整いました。情報公開も進み、各大学独自に適切な学力を測定する環境が整っています。つまり共通テスト導入の前提だった「大学個別試験では公平性が確保できない」という時代では、もはやありません。

 それにもかかわらず共通テストが続けられている最大の問題は、その運営国家的規模のコストがかかり過ぎている点です。作問委員会の設置、全国規模の事務システム試験監督者の確保、会場運営輸送・警備など、膨大な人員予算が毎年投入されています大学教員研究教育に充てるべき時間共通テスト関連業務に奪われ、アカデミックリソースが大きく消費されています。これらの労力と費用は、すでに制度維持のために制度存在するような倒錯した構造を生んでいます

 さらに、共通テスト難関大学選抜機能を十分に果たしていません。高得点層では得点が集中し、いわゆる「得点圧縮」が起こり、学力差を識別できなくなっていますわずかな得点差が合否を左右しているように見えますが、その差は統計的には誤差の範囲であり、選抜試験としての精度は極めて低いと言わざるを得ません。そのため最終的には各大学個別試験学生評価し直しており、共通テストが果たす役割形骸化しています

 こうした状況にもかかわらず共通テストが存続している背景には、模試産業予備校、教材関連企業などの利害構造存在します。共通テストは巨大な市場形成し、制度自体経済圏となっていますしか教育制度国益観点から最適化されるべきであり、既得権的な構造を守るために国費が費やされ続ける現状は、本末転倒と言えます

 私は、共通テスト廃止によって浮く膨大な財政人材リソースを、国としてより重要領域へ再配分するべきだと考えます。激化する国際情勢を踏まえれば国防力の強化は不可欠であり、老朽化が進むインフラへの投資世界的な競争の中心となっている技術革新への研究開発費も緊急に必要です。共通テスト国民の多大な負担を伴う巨大事業であり、その縮小・廃止国家戦略上も合理的判断となるはずです。

 大学入試は、各大学独自実施し、自らの教育理念に基づいて学生選抜する時代へ戻るべきです。これこそが大学自治多様性保障し、教育の質を高める方向性とも合致します。

 以上の理由から共通テスト廃止し、国家資源をより重要な分野へ振り向けることを強く要望する。

2025-11-21

anond:20251121110729

スポーツで結果を出すのが難関大学合格するのより難易度いからでしょう

難関大学合格者は日本には毎年数万人いますけど

スポーツもっと枠が少ない

それに比べれば難関大学合格などイージー

勉強出来ないやつはただの努力不足

anond:20251121105600

私立中に行ったことないからわかんないんだと思うんだけど、開成中学に行くような子は開成中学に行くような子とお友達になってほしいお家の子なんだよね

難関大学さえいければOKという話ではないのよ

2025-11-17

結局ADHD勝ち組

集中力いか難関大学入れる

集中力いから一念発起でダイエットで細マッチョにもモデル体型にもなれる

結果結婚しないにも美男美女と付き合える

学歴と瞬間火力凄いか大手有名企業に余裕で入れる

結果大して努力しないでも金稼げる人生歩める。結婚出産はほぼ無理なので独身で楽しむ。田舎古民家リノベしてフルリモートしがち

中流まれ定型が結局負け組ADHD経営者搾取され、定型か非定型かも問題にならない相続した物件収入で遊ぶ地主息子に家賃払って一生終わる

2025-11-12

自然文章を書けない

段落1

センター試験の本番の現代文で満点をとったこともあるのに、「お前の日本語は不自然だ」といつも言われてしまう。

段落2

センター試験現代文は「文章に書いてあることを、書いてあるとおりに理解しているか」を問う試験だ。

例えば次のような問題があったとする。

この問題の正解はAだ。

「本をよく食べる」なんて表現一般的ものではないが、本文にそう書いてあるならそれが正解になる。

想像力が豊かな人は「『本をよく食べる』というのはきっと『本をよく読む』の比喩なんだろう」と考えてBを選択してしまうかもしれない。

しかすると素材文の筆者も、そのつもりで書いたのかもしれない。

しか入試現代文においては、Bは不正解である。なぜなら「本をよく読む」という記述はないからだ。

段落3

入試現代文世界では「書いてあることがすべて」であり、「書かれていないことを勝手想像してはいけない」というのが正義だ(と予備校講師が言っていた)。

予備校講師によれば、この考え方はテクスト論というものに基づいているらしい。

この講師は次のようにも言っていた:入試問題の題材になった文章の筆者が模範解答に文句を言うことがあるが、これはお門違いである――問題作成者文章から読み取れることだけをもとに設問と模範解答を作っており、それが筆者の意図と異なるのであれば、それは筆者の書き方に落ち度がある。

段落4

受験生だった私は、この考え方に感銘を受けた。

自分は、誰が読んでも正しく意図が伝わるような文章を書けるようになりたいと思った。

予備校で正しく文章を読解するテクニックを学んだ。

センター試験現代文で満点を取れる程度にはこのテクニック習得できた。(難関大学にも合格した。東大は無理だったが……)

受験が終わってからも、このテクニックから逆算して、正しく読解できる文章を書くように心がけてきた。

理科系の作文技術』を繰り返し読んだ。

ゼミ教授卒論添削もしてもらった。

段落5

文章を正しく読解する能力と、正しく意図が伝わる文章を書ける能力。 この2つを身につけられたと思っていた。

段落6

就活面接官や職場上司などに言われたことを以下に列挙してみる。

段落7

ご覧の通り、私の書く文章ダメダメらしい。

さらに言うと、私は前述の言葉を投げかけてきた人たちの書く文章をうまく読解することもできなかった。

自分は正しく文章を書いているつもりだ。

それに、彼らの書く文章にこそ問題がある――曖昧であったり、そもそも必要情報記述されていなかったり――と、自分認識している。

でも自認なんて関係ない。 なぜなら正しさを決めるのは立場が上の人間なのだから

段落8

私は自然文章を書けない。

一般的自然とされるような文章を正しく読解することもできない。

リーディングライティングすらできないやつが、当然リスニングスピーキングができるわけもなく。(そもそも口下手だったからこそライティング挽回しようと思っていた)

インプットアウトプットも壊れた本物のコミュ障。 化け物。

誰か早く俺を殺してくれ。

2025-10-11

最低賃金事務バイトで高度な資格や経歴が求められるのは普通にある

これ、時給1300円のバイトに高度な資格学歴を求めるのはあり得ねえとか嘘くせえとか言ってる人がいるけれど、

正直理解できない。

あるバイト応募者の履歴書を見た上司が「薄っぺらいなあ」「難関大学じゃない、資格がない」などと言ってたが週3日時給1300円のバイトに求めたいのは人柄だ

https://togetter.com/li/2614025

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2614025

コンビニスーパーと変わらないとか言ってる人がいるけれど、コンビニスーパーは立ち仕事でしょう?それに比べて事務職には基本的に座ってできるという大きなメリットがある。これは時給にして500円分くらいの価値はあると思うよ。

特に女性生理があるから、その期間は特に辛かったりするし。立ち仕事の辛さを軽く見過ぎじゃないか

仕事価値は単に賃金だけで決めるものではないじゃん。同じ賃金で楽な仕事ときつい仕事があるとして、普通は楽な仕事を選ぶだろう?

たかだか時給1300円で高度な資格経験が求められるなんて有り得ないっていうのなら、コンビニスーパー仕事にも同じ事を言ってやれよ。たかだか時給1300円で立ち仕事という苦行を強いられるなんて有り得ないとはどうして言わないのか。それってコンビニスーパー仕事無自覚に下に見ているからだよね。


それに低賃金事務バイトハイレベルが求められるのって普通にあるからな。

何故って、仕事に実際必要なのと、応募者多数の場合に選別する基準として。

例えば事務なら大抵仕事簿記パソコン知識必要だし。英語だって海外とのやり取りをするならば必須必要から求めてるんじゃないの?

人柄と簡単に言うけれど、人柄で原価計算ができるか?人柄でマクロが組めるか?

あと、よく言われるように事務職は人気で応募多数だよね。座ってできるので身体的な負担が少ないのと、休みやすかったりするのと、それに社会的イメージ低賃金でも応募があるなら賃金を上げる理由がない。

応募者が複数いるなら何らかの基準を設けるのは普通で、人柄なんて曖昧ものよりは学歴職歴を見るのは無理もなくない?人柄なんて履歴書からは分からない以上、顔の雰囲気とかで選ばれる可能性が高い訳で……その方がよっぽど嫌じゃないか


しかイメージが良くて社会的ステータスが高い業種だと、低賃金でも扶養パートとして凄い経歴の主婦が応募してくる率は高いんだよね。例を挙げると学術系とか国際関係とか。入ってくるお金が同じならば妻がコンビニスーパーで働いてますよりも、美術館博物館で働いてますの方が対外的イメージは良いじゃん。

実体験として、自分が前にいた職場もそりゃあもう凄かった。ニューヨーク大卒業とか薬剤師免許持ちとか理系修士号持ちとか藝大音楽卒業とかTOEIC990とか日本人男性結婚して日本に住む非英語圏の外国人女性で3カ国語ペラペラとか。

みんな旦那に十分な収入があって、服装もお洒落美人揃いだった。

資格といえば簿記2級くらいしかない自分は浮いていた。

なんでこういう現象が生まれるかっていうと、一番は扶養控除のせいだろうね。

結婚していて、扶養控除という制度があるから扶養の枠内で働くという選択肢生まれる。

でもこういう制度がなければ自分みたいな人間そもそも採用されなかったんだろうなと思うと複雑な気持ちである

自分にあってその人達になかったものはと言えば、「子供の都合で休まない」、ただその一点だけ。低賃金で便利に使われていたし屈辱的ではあったが、普通じゃできないような経験ができて楽しかった面もあるんだよな……。

あるバイト応募者の履歴書を見た上司が「薄っぺらいなあ」「難関大学じゃない、資格がない」などと言ってたが週3日時給1300円のバイトに求めたいのは人柄だ - Togetter

https://togetter.com/li/2614025

正社員と同じ能力を、いつでも首を切れるアルバイト待遇の安時給でこき使いたいってやつだ。

2025-09-12

はいつも「ゲームなんかしなきゃ、もっといい大学に入れたのに」と

追記】おい、まて、今日の、任天堂ダイレクト、おい、ありがとう子供の頃の自分が聞いたら喜ぶよ。生きていてよかった。人生バイブルでよかった。


ーーーー追記終わり

父が新しいもの好きの機械好きだったかゲームは小さいころから遊んでいた。でも母は気に入らなかった。だって勉強時間ゲームに奪われてるからテレビ漫画も嫌な顔されていたのを覚えている。

でもゲームがなければ小学生の頃、楽しく友だちと遊んだ思い出はない。いじめられていた中でも、ゲームを持ってる人が遊んでくれた。無かったらどうだったろう。きっと不登校になっていただろう。

今もゲームが好きで好きすぎて自分で作るのが楽しいって思えるのはゲームをしていたからだと思う。イベント出展して、新しい友人ができ、大事存在になったというころにようやく母は「ゲームもまぁ、するのは構わないとは思う」と歯切れの悪い事を言う。「でもゲームがなければもっと頭がよくなって、大企業に入れたのよ」と続く。


母は私(やきょうだい)がハイレベル校に入れなかったのがどうしても嫌みたいだ。

じゃあ私らは底辺学校に入ったのか?と街中の人に聞いたら2000人中1990人は「十分な学歴・良い学歴」と答えるはずの学歴である。母的には中堅未満らしいが。

会社だって大満足なのだが、母は「そんな名の知れない中小企業に入るなんて」と就活時期に言っていた。母の中ではしょぼい経歴らしい。


母は娯楽になんか興じず、難関校に入ったことをいつも自慢する。「本を読め」と言ってた。

から小学生の頃にギネスブックが欲しいと言ったら「そんな遊びの本を読むな」と返された。小6でも絵本が好きだったのだが「ぷwこれ?w幼稚園児ねw」って馬鹿にされ、本を読むのが嫌になった。じゃあゲームしまぁ~す。何を読めばいいかと聞けば「どれでもいい」「自分で選びなさい」と言う。


よく思い出す。母が行かせたい学校へ私を連れて見学に行きまくっていたこと。

それに対して私が滑り止めにしかからなかった時の「はぁ、ここしかからなかったか」という顔。合格発表の時の「当然でしょ。こんなとこ落ちたら終わりよ」という喜びの無さ。(受験が悪ではない。むしろ受験はしてよかった。それは別の話)

でもその学校は私にあっていた。今でも仲のいいマブダチはできるし、最高の青春を送った。

学生ん時は成績が悪く反抗期が長かったため「こんな学校にいれたから…」とずっと言われていたのを私は覚えている。犯罪非行もしていないのに。

父がゲームを勧めたのは「きょうだいで楽しく遊べると思って」という理由

今思えば、きょうだい仲はそこまでよくなかった。母がこれなので勉強関係は互いに馬鹿にし合って喧嘩ばっかりなので。ゲームで遊び始めたこから仲良く会話していたと思う。「一緒に遊ぼう」とか「ここ苦手だからお願い」とか。母はゲームを買ってくる父によく怒っていた。でも父は「楽しい方がいいだろ?」と父とも一緒に遊んでいた。

「~しなきゃもっと頭がよくなったのに」と母は大人になった今も何度でも続ける。いい加減しつこいので「抑圧され過ぎて事件を起こす人がいるし、学歴ばかり見るのも…」と言ってしまった。(逆も然りなので、勉強が悪とは思っていない。勉強大事だ。ただ20何年もずっと言われ続けていからもう嫌だった)

だってしつこいから。まぁまぁ仲いいから遊びに来た我が子に毎回毎回そんなことをいう母がムカつくから

「そんなのは弁護士無罪にさせたいからの方便。そんなの信じているの?騙されてるね、頭使いなさい」と返されて面倒くさくなった。

母の中でゲーム漫画はいまだに悪であり、その存在が私らの頭脳を愚かにさせたものしか思っていない。

トップ大学に入った友人が小学生のころゲームを持っていなかったと言えば「なんて教育熱心なお母さま!」と喜ぶ。「でも中学時代からゲーム三昧で徹夜、授業・受験期もゲームで一緒にゲーセンによく行っていたけど」と言えば「その人は地頭がいいだけ」。逆にゲーム禁止されてた友人は難関大学に受かってないし。それを話したら「その人がただ馬鹿なだけ」と言って友人を馬鹿にしたので喧嘩になったことはある。

地頭がいい=その両親も高学歴と言うのを信じて疑わない。でも上記地頭がいいと言われた人の両親は高卒である。そういうと「レアなケース」と認めない。


ゲーム禁止した勉強時間が延びると本当に思っている。何度かゲーム機を没収されたが、私は児童館卓球工作ばかりしていた。勉強時間は延びていない。


ずっと心に残り、いつも不思議気持ちにさせてくれるゲームがある。

人生感を一気に変え、エンディングで涙を流し、無限感覚を浴びたWiiとあるゲームが今でもバイブルだ。今見ても泣いてしまエンディング何度でも見たい。あの絵本BGMで泣いてしまう。天文学を学ぼうとしたきっかけ。これは愚かなのか?悪なのか?

大人になってやったゲームで「姫様覚悟まりすぎだろ…」ってボロボロ泣いたのは駄目か?「誉…この選択肢…」ってボロボロ泣いたのも駄目か?


母はそれでも私らをもっといい大学に入らせて、もっと上の大企業に勤めさせたかった(そもそも上って何だよ)。ゲームで感動?笑止な人。

今になって過去を責めてくる。自分が悪いのではなく、勉強しなかった我らが悪いとしたいらしい。

謝罪して「私が悪ぅございました。やっぱりゲームはクソです!今からたくさん勉強して、高難易度資格を取ります大手企業に入ります世界に羽ばたくエリートになります()」って言えば満足か?

どーせもっと要求してくるわ、目に見えている。だってすでに「~さん(私と同い年)はアメリカ博士していて(チラッ」とかぬかしている。

2025-09-11

dorawii@執筆依頼募集中

暗号めいてても読めるのがしんのどっかいりょく

難関大学入試国語って暗号めいてるけどあれ読めないと読解力ないってなっちゃうだろか同じ

-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE-----
Hash: SHA512

https://anond.hatelabo.jp/20250911001802# 
-----BEGIN PGP SIGNATURE-----

iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaMJdBwAKCRBwMdsubs4+
SPRLAP4whwFveZWrQjDF+VI+uAu7fOk1Y63GLwPMqAE3eGFE7wEA9oBW/76tDwpM
5wLQCil7mi+1U2fdQzeibO5qTaidkA0=
=Fmv3
-----END PGP SIGNATURE-----

2025-09-08

dorawii@執筆依頼募集中

わかってないやつなんて日本大人でもごまんといるはずなんだから笑われる筋合いない。

中高一貫から難関大学エリート職場と来てきて周りをずっと優秀なれんちゅうで固めてきたか認知歪んじゃないのか?

もっと下々がどのレベルなのか世間を見てこい。あいりん地区でも行っとけ。

-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE-----
Hash: SHA512

https://anond.hatelabo.jp/20250908204318# 
-----BEGIN PGP SIGNATURE-----

iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaL7BVgAKCRBwMdsubs4+
SO8LAQDTxtDOe876RYwiwMV0jDM0C5jQB/IbXOVucyQjbvEi5gD/Z+fWOk+XgJuc
tljyPceo8chi+5W3QHmAUELtn3s/CQQ=
=KNfW
-----END PGP SIGNATURE-----

2025-07-19

中国人ファーストの国ニッポン

まず初めに断っておくと私は参政党支持者ではないし、排外主義者でもない。

中国人の友人もいるし、お付き合いしていた方もいる。

どちらかといえばリベラルに近い考えを持っていたし、世代ではないけれどブルーハーツ青空のような歌詞共鳴してよく聞いていたこともある。

それでも、はっきりと言える。

日本は決して“日本ファーストの国”ではない。それどころか「中国人ファースト」の国になっている。

なりつつあるのではなく、既にもうなっている。

つい先日都内住宅街を歩いていると前から酔っ払い外国人女性が突然殴りかかってきた。

女性であることはわかるが力士のような巨漢で、支離滅裂言動で何語かも不明だが叫んでいる。

私は逃げようとしたが殴られると同時に押し倒され、そのまま髪の毛を捕まれ、何度も頭を地面に叩きつけられた。

手に持っていたスマホは投げ飛ばされ、バリバリ割れスマホの画面から必死110番を押して、近くのコンビニに助けを求めた。

しかし、店員外国人は私を無視して押し返し、酔っ払いの仲間がコンビニまで迫ってきた。

警察が到着するまでの10分ほどは本当に殺されるかと思い、恐怖で手足が震えていた。

警察に後から聞くと、どうやら相手中国人泥酔状態だったらしい。

警察特にその加害者を遠ざけることもなく、血まみれの私を見ながら「こんなことで110番しないでよ」と冷静に言った。

そして、警察官はまだ何か叫んでいる女性を拘束することなく、血まみれの私に対してこう言ったのだ。

「向こうはあなた猥褻行為をしたから殴ったって言ってるよ」

ありえない。

私はただ路上で歩いていただけで、女性に触れることもなければ会話すらしていない。

しかし、中国人女性がそう言っているということで逮捕もせず、双方取り調べになった。

警察官はしきりに「中国人から仕方ない、中国人はこの辺多いからよくあるんだよ」と取り調べ中にめんどくさそうに言い、

中国人から意味ないと思うよ。あなたが何も被害を訴えなければ、このまま収めるからどうする?」

中国人から意味がないってなんだ?

しかし、警察署の中ではじめての取調室で警察官に反論できるわけもなく、血まみれの私が加害者扱い。

取調を数時間受けたのち、被害届すら出せなかった。

そして中国人女性は拘束を受けることもなく、そのまま釈放して帰宅したとのこと。

後日、何度も警察被害届を提出したい旨を訴えるも一向に動かなかったため、弁護士から訴えたところ、ようやく半年経って防犯カメラの解析が始まった。

もちろん防犯カメラには一方的暴行を受け頭を叩きつけられる私、猥褻行為などあるわけはないどころか、私は一切手すら触れてない状況がそのまま映っていた。

ちなみにその後はというと相手からは私が中国人差別たからやったなどとまた虚偽の弁明があり、示談交渉をお願いされた。

拒否するつもりだったのだが警察女性を不自然なまでに擁護し、担当外国人犯罪専門の女性警察から相手反省してると私に連絡があった。

そして弁護士も、検察官ですら示談を進めてきたのだ。

私は身内に警察法曹関係者もいるのだが、通常警察検察官示談を勧めることなどは絶対にありえないと聞いていた。

ありえないはずのことが身に起きていた。

しかしたら、たとえば警察書類送検した際の書類などを検察官が見て、不起訴になる可能性が高いと判断したのかもしれない。

検察官がそのような姿勢であれば不起訴可能性が高いということで、弁護士にも強く勧められたため弁護士費用のこともあり、泣く泣く示談することとなった。

これは東京繁華街が近くにはあるものの、普通住宅街での出来事である

中国人がただのなんの落ち度もない一般市民暴行し、中国人の出鱈目な嘘で逆に冤罪加害者にされそうになり、警察検察官も、味方である弁護士ですら事件をまともに扱わない。

中国人に殴られ

差別冤罪を着せられ

警察にも相手にされず

・正当な被害者でも、泣き寝入りしかない

これが2025年日本という国の現実だ。

そんなの一部だけ、たまたまだと思われるかもしれない。

外国人犯罪は減っているというデータを持ち出して反論する人もいるかもしれない。

外国人犯罪は“統計上”は減っている。

だが、それは不起訴放置されるからカウントされないだけではないか

実際、私の事件未遂扱いになり、記録にすら残らなかった。

警察官は「中国人は面倒」と本音をこぼし、事案そのものを畳もうとする。

から警察捜査しても無駄事件中国人絡みの事案は重大事件でもない限り、できるだけ穏便に済ませたい。

中国人優遇というわけではなくとも、中国人ということが判明してからはずっとめんどくさそうな態度が続いていた。

めんどうだからと言ってこんな対応をし続けるなら、日本は「中国人には逆らうな」という無言の圧力を受けているのと同義である

決して中国人だけの問題ではないという人もいるだろう。

もちろん韓国人や他のインバウンド客、在日外国人にも問題を起こす人間はいるし、日本だってそうだろう。

しかし、単なる住宅街で酔っ払っただけで普通市民暴力を振るい、酔いが覚めて示談交渉の段階になってもなお差別だなんだと叫び徹底的に自己弁護に走る人間がいる。

それが犯罪としてデータに残ることもないし、そういう人間共存していかなければならない。

そういうデータに残らない無数の犯罪の多くは外国籍人物によるものであり、その大部分が中国人であるというのは現場警察官はよく理解している。

中国人は確実に日本侵食し、特に近年は日本大学企業生活に取り入り、文化構造自体を徐々に壊し始めている。

少し前の話であるが、私が当時在籍していた大学にいつ頃からか目に見えて中国人留学生が増えていった。

そんなに簡単に入れる大学ではなく、入試も難しく日本では指折りのブランドのある大学ではあると思う。

同じ入試を受けて入っているはずなのにどういうルートなのか留学生の中でもダントツ中国人が増えてきたのだ。

そしてある教授優遇している可能性が浮上した。

しかし、何故か一切大学側は調査を進めることはなく、学生融資団体調査をしたところ、

その大学教授の経歴がデタラメであったという出来事があった。

海外名大出身であることも、日本の難関大出身であることすら全て虚偽であったのだ。

しかし、そのことは公表されることもなく、その教授によって招聘された多数の教員学生もそのまま在籍を続けている。

これは無名大の話ではなく、日本国家予算がふんだんに入った国会議員総理大臣を多数輩出する伝統ある日本の有名大学での話である

また転職して中途入社した某外資系企業にいたときは同期入社の半分が中国人で、プロジェクトチームの同僚10人中8人が中国人であった。

彼らは日本の有名私大卒業し、日本にある外資系大手企業新卒や中途で入ってくる。

理由日本で入るのが最も入りやすいから。

当時のプロジェクトでは日本政府システム業務支援を扱っていたが、こんな国家の中枢に関わる事業外資系企業

しかも中身はほぼ中国人構成されたチームで行っていいのかと疑問に思ったが、

少しでも中国人外国人に対して口を出すことはリベラル外資系大手企業では、重罪であった。

ちなみに日本人の上司の目の前で中国人の同僚同士が中国語上司悪口日本バカにする会話を普通にしていたこともある。

お付き合いしていた中国人女性いわく中国人中国大好きだし、本気で習近平を崇拝しているし、日本を敵視しているのが普通らしい。

中国にずっといる中国人旅行客特にそうで、在日中国人のことをバカにしているし、日本人には考えつかないぐらい日本に対して偏見に満ちた憎悪を抱いている。

から日本で生まれ育った彼女のような客観的中国を見れる人間にとっては、日本のほうがよほど居心地が良いのだという。

しかし、そんな日本人を対等に見る中国人は極めて稀だ。

多くの中国人はhypothetical enemyである国の構成員に他ならない。

そんな人たちが日本にわんさか訪れて、移住を進めているのが現在日本だ。

しかもそんな日本を敵視して習近平を崇拝している中国人わず来日して5年経てば帰化して晴れて法律上正真正銘日本人となる。

国会議員になることも、公務員になることも自由だ。

こんなに帰化申請が緩い国は他に存在しない。

ある大手マスコミ関係企業にいた頃は何故かだいたい部署に必ず一人ぐらいの割合で金さんや李さんがいた。

マスコミ関係は昔からだが韓国中国出身者が謎に多い。

どちらかといえばリベラル価値観を当時は抱いていたのでたいして疑問には感じてなかったが、よくよく考えると、

取引先の出版社TV局にもやたら中国韓国に偏った考えを持った人間が多かったように思う。

ネットのよくある陰謀論の類かと信じてなかったが、実際に自分入社するとあまりの左寄りの姿勢在日中国人の多さに驚いたぐらいだ。

差別偏見はよくないと教育され、グローバル化迎合することが是とされる社会においては、

高学歴大手企業に入るような恵まれ環境に属するようになればなるほどリベラルな考え方が多くなるように、大学でも会社でも外国人共存し、リベラル価値観に囲まれてきた。

特に知的でありたいとする人間コミュニティであるほどに保守的思想価値観ダサい危険というやんわりとしたレッテルを貼られ、口に出すことすら日常タブー視される。

LGBTへの容認グローバリズムに対する賛同などリベラル思想はどんどん口に出すし、そのような姿勢に対する同調圧力蔓延している。

固有名詞はあまり出したくないが東大早慶のようなブランド大学になればなるほど、特に内部にいると中国人留学生に対して驚くほど寛容なシーン、

アファーマティブ・アクションという名の優遇を目にすることとなるし、現在一昔前に比べて異常なほどこれらの大学中国人は多い。

大学でも企業でも今日本にいる中国人ははっきりいって逆差別と言えるぐらい優遇を受けている。

しかし、やはり日本人をバカにし、日本文化破壊し、日本人を見下し暴力を振るうような連中と共存なんてできるわけがないだろう。

まだ手遅れではないという政治家もいるが、私はもう手遅れではないかと思う。

もう日本にやってくる中国人は心底日本バカにし、見下していている。

インバウンド景気などという政治家もいるが、実態として今来ている中国から旅行客の大半は安いから来ているだけだ。

実際に高級ホテルには中国人客は皆無と言っていいほどおらず、ドンキドラックストアに溜まり、安いビジネスホテルに大量に押し寄せている。

彼らの一人は日本人でいっぱいの満員電車を見て中国語差別的な言葉でこう言っていた。

「どこを見てもジャップだらけで本当に気持ちが悪いね

中には日本に対して友好的な考えを持っている一部の人間もいるが彼らがどれだけ日本人を嫌い、敵対しているか

これは中国人と日頃から仕事プライベートで接していればよくわかることだ。

上野浅草には中国人専用のクラブ飲食店が多数あり、日本なのに日本人が入れない 禁足地が都内には激増している。

札幌路上ではもはや日本語より中国語しか聞こえない。

電車中国人家族叫び散らかそうとも、スーツケース座席に山積みしようとも、めんどくさがって駅員も注意はしない。

日本国家システムを扱う重要プロジェクトの多くが外資系企業業務委託され、プロジェクトメンバーの大半が中国人であっても政府は気にも留めない。

日本民法キー局や三大出版社に多数の中国人がいて重要ポジションについていても、誰も問題視はしない(既に数十年と続いた文化なので、本来注意する側も同族だったりする)

日本人が路上暴力を振るわれても警察検察もまともに扱わないし、不起訴になるので結果として外国人犯罪は激減している。(数字上)

リベラルがどうとかもはや関係なく、中国人に対する規制必要だと思う。

けれど、もう手遅れだ。

日本ファーストという普通のことを言っただけで、過剰なまでに叩かれる。(アメリカでもフランスでも海外自国ファーストを唱える政党与党であるし、極めて普通のことだ)

我々はもう中国ファーストのこの国で生きるしかない。

中国語を覚え、中国人とともに難関大学受験を潜り抜け、中国人と共に学び、中国人と共に日本国家機密を扱い、中国人と共に日本悪口を言いながら仲良くなり、中国人とともに日本貶めるために働き、

中国属国として生きるのだ。

私はこれからも生きていくために同僚の中国人日本から金を搾取するゲーム日本の根幹に関わる国家システムを扱うだろう。

中国人差別なんて絶対に許さないという顔をして、たとえ路上で突然殴ら顔面を打ち付けられて殺されそうになっても、中国人店員に助けを求めて無視されても、にこやかに示談に応じるだろう。

それがこの中国人ファーストの国ニッポンで生き抜くための処世術である

2025-07-01

anond:20250701124647

都会の難関大学なのに順位田舎九州大学北海道大学より低い文系大学一橋…… 一橋出身の俺が言うのもあれだけどやっぱり文系って馬鹿なのでは?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん