はてなキーワード: 底辺層とは
ならおまえが真っ先に底辺層で増えてろ
「精神障碍者&知的障碍者は、日本に300万人以上、それに近い状態の方が、さらに500万人もいます。
ですので気にする必要はありません。」
厚生労働省の最新の推計によると、2022年12月時点で日本には障害児・者が1164万6000人いるらしい。これは日本の全人口の約9.3%に相当する。
(https://fukushishimbun.com/series06/35530)
内訳:
身体障害者: 423万人
(https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/r04hakusho/zenbun/siryo_01.)
これらの数字を合計すると、精神障害者と知的障害者の総数は約724万2000人となり、知恵袋の書き込みの300万人を大きく上回っていることがわかる。衝撃。
あと障害者数は増加傾向にあるらしい。特に精神障害者数が大きく増加していて、5年前の調査と比べて56.6%も増加しているらしい。
知的障害者数も増加傾向にあって、2011年と比較して約34万人も増加しているとのこと。
実際の知的・精神的障害者数だけでもこれほど多いのだから、それに近い層(=境界知能)の数はもう目も当てられないほど多いと思う。
そういった底辺層がSNSで発狂している。と思ったから、境界知能の数も調べてみた。
「境界知能*」は、日本の全人口の約14%を占めているらしい。これは統計学的に見て、およそ7人に1人が該当する割合とのこと。
(https://cocreco.kodansha.co.jp/cocreco/general/childcare/fOZ1P)
(https://mainichi.jp/articles/20230929/k00/00m/100/149000c)
具体的な数値で表すと、境界知能に該当する人は日本全体で約1700万人いるらしい。
前述の数と合わせたら約2400万人だね。
(https://www.nhk.or.jp/shutoken/articles/101/013/68/)
注※「境界知能」の定義としては、知能指数(IQ)が70以上85未満の範囲に該当する人々のこと。この範囲は、平均的な知能(IQ 85〜115)と知的障害(IQ 70未満)の間に位置する「グレーゾーン」とも呼ばれる。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%9F%A5%E8%83%BD)
……沈黙。および合掌。
子供の頃、両親が不仲だった。
毎日の言い争い、俺への八つ当たり(罵声、皮肉etc.)が日常だった。
それが苦しくてね。
最初は理不尽なことには言い返したりしていたが、怒りに怒りで返せばヒートアップするだけ。
そのうち感情を無にして、その場に存在しない空気になることで日々をやり過ごすようになった。
早く大人になって、誰にも八つ当たりされない安全な生活をするのが夢だった。
社会に出て一人暮らしをしてみると、初めて安息を得た気がした。
いきなり怒鳴られることがないって素晴らしい。
ホームシック?なにそれおいしいの?
周囲の友人から寂しくないの?彼女作らないの?と頻繁に言われた。
俺は子供の頃に家の中で空気になることに徹した結果、寂しいという感情が無くなっていた。
が、知り合いの伝手で彼女ができた。
彼女は一人暮らしで、よく寂しいと言っていたが、その気持ちは正直よくわからなかった。
それでも何とか合わせていたが、自分の家族の幸せな話をする彼女と一緒にいることに段々違和感というか罪悪感のようなものを覚えて結局別れた。
また一人に戻ったが、やはり一人の空間は安心で、それ以上を積極的に求める気にならなかった。
時が経ち、心身の異常でサラリーマン生活からドロップアウトしてしまった。
彼女の家は裕福で、義両親は心にも余裕がある良い人たちだった。
何度も食事に誘われ、色々な話を交わすうち、ああこれが家庭なのかな?と微かな嬉しさを感じた。
周囲に子育ての話が多くなった。
一人のときは赤ん坊を見ても何も感じなかったが、とてもかわいいと思えるようになった。
街を歩けば小さい子が目につく。自然と笑みが溢れる。
そして、寂しいという感情が復活した。
同時に色々なことが苦しくなった。
昔は罵声を浴びない一人暮らしができただけで幸せを感じたが、今はそのような環境など当たり前になってなにも感じない。
それより子供のいない寂しさ、サラリーマン生活からドロップアウトしてしまった虚しさ、過去に付き合った人やそのような関係になる直前だった人たちの気持ちを汲んであげられなかったことへの申し訳なさ、若い頃にもっとこうすればよかった、ああすればよかった、と一挙に後悔が湧き出てきた。
昔は一人暮らしできただけで心底満足だったんだけどな。
俺は今のインターネット社会において、40代でインターネットにアクセスできないのはごく一部の教育的または経済的底辺層であるため、彼らだけがインターネットの言説に振り回されがちなB層からは外れる(そもそもインターネットにアクセスできないから)、それより上の世代に行くほどインターネットへのアクセシビリティのハードルは上がり、70代後半の団塊世代以降だと、インターネットにアクセスできる(情報収集の手段として使いこなせる)のは経済的・教育的上位層(インテリと表現した。具体的には大卒以上ぐらいのイメージ)中心で、彼らのような経済的・教育的上位層ですらネットリテラシーを見に着けないまま高齢化していったため新B層に含まれる。一方それ以下の層はそもそもウェブにアクセスすらできないので、逆に新B層になりようがない、という話をしていたんだよ。
俺は今のインターネット社会において、40代でインターネットにアクセスできないのはごく一部の教育的または経済的底辺層であるため、彼らだけがインターネットの言説に振り回されがちなB層からは外れる(そもそもインターネットにアクセスできないから)、それより上の世代に行くほどインターネットへのアクセシビリティのハードルは上がり、70代後半の団塊世代以降だと、インターネットにアクセスできる(情報収集の手段として使いこなせる)のは経済的・教育的上位層(インテリと表現した。具体的には大卒以上ぐらいのイメージ)中心で、彼らのような経済的・教育的上位層ですらネットリテラシーを見に着けないまま高齢化していったため新B層に含まれる。一方それ以下の層はそもそもウェブにアクセスすらできないので、逆に新B層になりようがない、という話をしていたんだよ。
昔からさ
だから、昔は家とか親の都合で決めてた結婚を、AIとかマッチングによって決めちゃえばいいだけだよな
先進的でかっこいいじゃん
嫌なら別れてまたすぐ次の相手見つければいい
※追記
おもろいな
そして、子供が減ってもっと弱者の海外の底辺層輸入してきて、バンバン国内で犯罪されてるんだから
子供を育てることの責任が国や社会、地域そしてあらゆる大人にある事を無視して、弱者は自己責任と嘯く優生主義者
強者からだってどうしょうもないやつなんていくらでも生まれてるし、お前らみたいな優生主義者もその一人だろうが
生まれてくる権利がないって言うなら、まずお前らが死んでみせろよって話
頭が悪いから自分が自滅の理屈を話してること分からないんだろうな
おもろー
はてな界隈では大学進学、東京で正社員就職、が人生の既定路線として語られています。
しかし現実には大学進学率は60%、東京の昼間人口は日本全人口の13%に過ぎません。
社会の底辺を占める人々をはてな民が認識していないのは社会の階層化が進んだ結果でしょうか。
底辺層も日々普通に暮らし、納税し、選挙では一票を持っています。人生の夢や目標があります。家族がいて子供を育てています。
と、大上段で書きましたが、本音は奨学金をめぐる小泉進次郎氏や河野太郎氏の発言を聞いて底辺層が理解されていない現状・軽んじられている現状に苛立ち、一旦吐き出したい気持ちで書いておきます。
他の党首候補の皆さんも同じですが、奨学金を借りる層を最底辺と思われている節がありますが、その下には借りることを諦める層もいるという話です。
先祖は父方母方共に学がありません。
明治から大正にかけては博打打ち、物乞い、自転車修理などをしており、ホームレスもいたそうです。
昭和に入ると建設作業員、工場労働、トラックドライバーといった職業に就いていました。
戦災や仕事のために西日本を転々とする中で、1991年(平成3年)に中国地方の片田舎でわたしが生まれました。
通っていた公立小学校は治安が悪く、男子生徒が徒党を組んで女性教諭に暴行を働いていました。いじめも多く、暴行や、習字の墨を顔にかける、アルコールランプで服を燃やすといった事件が頻発しており、小3から小6は学級崩壊状態でした。
わたしはイジメが怖いのでなるべく不良に関わらないように逃げ回っていました。昼休みは校舎の裏の木陰に隠れていました。
小6の算数は教科書が半分くらいしか終わりませんでした。この傾向は中学まで続きました。
地域には公営団地が多く所得の低い世帯が多かったため、半袖半ズボンがトレードマークとなっている生徒はわたしの他にも数名いました。
学級崩壊が継続していました。不登校が学年の一割ほどにのぼっていました。
中2の頃に母が体を壊して働けなくなり、経済状況が一気に悪化しました。
1日3食食べられなくなったので、給食のパンを持ち帰り夕食にしていました。土日やパンがない日は近所のミスタードーナツのゴミ箱から廃棄のドーナツを拾って食べていました。
栄養不足のためか、朝礼や体育の授業で倒れることが頻繁でした。
父が電気部品組み立ての内職を持って帰ってくるので、毎晩手伝っていました。ノルマは1日500個で、2時間ほどかけて作ります。家電メーカーに納入されていたとのことなので、皆さんのご自宅のエアコン、冷蔵庫などにわたしが組み立てた部品が入っていたかもしれません。
同級生のあいだではワンピースやハンターハンターといった少年漫画、マリオカートやポケットモンスターといったテレビゲームが人気でしたが、わたしは33歳の現在に至るまで一度も触れたことがありません。
給食がなくなったためミスタードーナツのゴミ箱あさりが毎日のルーティンになりました。なぜミスタードーナツなのかというと、家が近いことと、完成状態で捨てられていたためすぐに食べられたからです。たまに廃棄を入手できなかった日は別の飲食店をあたるか夕食抜きです。
「大学」という施設があることを高校1年生のときに知りました。当時知っていた大学は東京大学、慶應大学の2校です。なぜ慶應かというと当時「学校へ行こう!」というテレビ番組でco-慶應という学生ラッパーが活躍していたためです。
わたし自身が大学に行くかは分かりませんでしたが、文系・理系の選択で文系コースを選びました。
高校2年に上がると学校で全国模試を受けることになりました。毎回全国で2500番〜3000番くらいにランクインし、成績優秀者の冊子に名前が載りました。
模試を受ける際には志望校を記載することになっています。そのときに初めて知ったのですが、大学というものは全国各地に数百校あるらしいと分かってきました。
担任の先生は大学進学を熱心に勧めてくれました。「もしかしたら東京大学や京都大学にさえ進めるかもしれない」…と。大学進学すべきかわたしは迷いました。
担任や、数学の先生、英語の先生が私を放課後に呼び出して、食べ物や飲み物をくれながら、大学進学するように勧めてくれました。
しかしわたしは大学進学しないことに決めました。理由は一点です。
ましてや、実はわたしは既に借金を背負っていました。貧乏で公立高校の学費を支払えないことから、親が銀行から毎月1万円借りており、計36万円を私が将来返済することになっていました。
加えて、担任が試算してくれたプランでは学費(減免の可能性あり)、実家を離れて暮らす生活費が合計毎月10万円ちかくにのぼり、本当にわたしが想像できない金額でした。
学費は減免の可能性がある、最低でも半額は狙えるだろうとか、大学進学により生涯所得がうんと大きくなるといったことを教えてくれました。しかし中学生の頃からミスタードーナツのゴミ箱をあさったり電気部品の内職をしているわたしにとっては現実感のない話です。
想像できないほどの金額を返済できるのか。大学進学したとして就職でつまづいたらどうなるのか。この展望を全く持てないために大学進学しないと決めたのでした。
大学進学しないことを決めると、担任の先生が表計算ソフトの教本を無料で与えてくれました。放課後に情報室のパソコンで練習しました。
高卒の就職活動はなぜか一社しか志望できないというルールが当時あり(現在も「一人一社制」という名前でルールが残っているようです)、わたしは地元の和菓子屋に接客・兼・事務として就職しました。1学年440名中就職は2名で、他438名は大学等への進学という比率の高さに驚いたことを覚えています。
その後父母が鬼籍に入ると、わたしは実家を離れていくつもの会社を転々としています。今では全く別の職業で生活しています。
身軽になった今、あのとき大学進学していれば違う人生があったのだろうかと想像することがあります。
わたしに借金を背負う覚悟がなかったといえばそれまでですが、やはり当時のわたしには覚悟は不可能だったと思います。未成年ができる決断ではない。
河野太郎氏は大学教育費を親負担ではなく本人負担に変えよと述べましたが、貧しい世帯は既に生活費も含めて全額本人負担です。むしろ本人が負担しきれないことが問題なのです。
小泉進次郎氏は必ずしも大学進学の必要はなく手に職を付けよと述べました。しかし転職の多いわたしが言うことでないかもしれませんが、手に職系の仕事も簡単ではありません。
大抵のひとは5年〜10年も同じ仕事を続ければ成長が止まります。しかも年齢を重ねると体に無理が出てきます。かといって独立して料理人が自分の店を経営するとか、建設作業員がひとり親方として営業していくには「手に職」と別種のスキルが必要となり、現場の人間のうちそれができる者は一握りです。
残された道は若手・外国人材・機械化との低賃金チキンレースです。
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「日本の注目論文数が世界13位であった」というニュースが今更ながら読売新聞に載っていたので、日ごろ思っていることを書いてみる
出勤前のただのガス抜き
日本「質の高い」論文数はイランに次ぐ世界13位、過去最低でも文科省研究所「下げ止まりの傾向」…自然科学分野 : 読売新聞 https://www.yomiuri.co.jp/science/20240903-OYT1T50055/
国立大学が法人化されてから20年、日本の大学における研究力の低下は歯止めがかからない。
研究力低下に対する危機感は、すでに10年以上前から言われていたが、文部科学省は長いことそれを認めなかった。
この記事のような明確なデータがようやく一般に見られるようになって、今になってあれこれ施策を出してきているが、どれもこれも遅きに失している。
大学の研究力がここまで低下した理由は、個々の教員の能力とかやる気問題ではなくて、完全に政策の問題。
個々の教員の努力でどうにかなるものではないということをはじめに書いておく。
国の研究力は(国内の研究者の数)×(研究時間)。あと金さえあれば向上する。
それがこの20年間、研究時間と金の両方が著しく減少している。
大学には金が無い、という話がネット上には溢れているのでここでは、教員の研究時間が無いことについて書く。
現状、ほんとうに時間がない。まったくない。
(わたしだって、ゆとりのある時間が確保できるのであれば、こんなところで愚痴を書かずに、ゆっくり腰を据えた研究をしている)
その原因の1つは明らかに「教育改革(笑)」に時間を投入しすぎているから。
この20年間、大学は教育改革w、教育改革w、教育改革w、そんなことばかり繰り返してきた。
これは、教育改革しないと文部科学省から予算が降りてこないからだ。
しかし、この教育改革(笑)と言うのは、ひたすらに教員の時間を奪う。それによって研究時間は大幅に減った。
学生はおおよそ4年間大学に在籍するだけで卒業していくから、その変化は感じにくいだろうし、すでに卒業後の社会人には今の大学の実情が見えていないだろう。
この教育改革には、学部改組、新規学科開設、ディプロマポリシーの明確化、カリキュラムマップ整備(笑)、シラバスの整備(笑)、成績評価の厳格化、学生からの不服申し立てへの対処法の整備、成績不振者のサポート、リメディアル教育(高校の内容の再教育)、海外留学支援、インターンシップ支援、情報リテラシー科目、データサイエンス科目の整備などなどがある。
反転授業、アクティブラーニング、グループ活動といった準備負荷の多い科目も増えた。
一般入試で入ってくる学生はひたすらに減少し、推薦、AC入試、各種特別枠で入学してくる学生が大半を占めるような大学もある。
一般入試を乗り越えていない学生は、基礎学力が怪しく学習習慣が身についていないケースも多い。おのずとサポートの負担は増加し(成績の悪い学生は呼び出して面談をしないといけない)、講義のレベルも下げざるを得ない。
アカハラ、パワハラは厳禁である。それようの講習も受けないといけない。学生に寄り添った学生の日常生活の支援、メンタルサポートも必要となってくる。
入試の多様化は入試業務の負荷増大に加え、オープンキャンパス、高校訪問、パンフレット整備、Webページ整備などの負荷も増やす(これらを教員がやっている)。
では、こういった教育改革によって大学を卒業する人材の質は向上したか。
おそらく底辺層、落ちこぼれ層の救済には一定程度貢献したに違いない。まさに我が国が得意とする、足並みをそろえて仲良く卒業しよう。という理想の実現に近づいているわけである。
(それでも、大学の教育は手抜きであって学生は遊んでいる、といつになっても非難される)
全体的に講義のレベルは下がった。授業への出席が求められるようになった。
初年次には、分野横断総合的な学習が重視され、専門を深く学ぶ機会が先送りされた。
その一方で、早くからインターンに参加し就職活動に取り組むことがあたりまえになった。総じて、深い学びの機会は失われている。
では、大学院はどうか。
大学院の重点化、大学院教育の実質化(笑)も、大学教員の負荷を確実に増やした。
修士の学生は増加傾向にあるが、残念ながら修士程度の学生は即戦力にはならない。
博士の学生や専任の研究員が減少し、修士の学生にも教員が手取足取り指導しなければならない。研究成果と言う面においては完全にマイナスの生産性だ。
こうやって育てた修士の学生が博士へ進学してくれればありがたいが、そうはならずに多くは就職してしまう。
ここ数年の博士進学実績は低下基調だ。日本のアカデミアは学生にも見限られている。
こういうった状況をスポーツ界に喩えるならば
国内トップクラスのスポーツ選手に対して、地元の中学高校の部活の面倒をみるのと同時にオリンピック出場を目指せと言うようなものだ。
さて、今後の展望。
これから少子化によって18歳人口が減少するため、ますます大学間の競争が激しくなる。一般入試を経ずに入学する学生が増えて学力は低下する。
活路を留学生に求めることになるため、ますます入試システムが複雑になり、学内には英語コースの設立が求められる。これは、新しく学科を1つ開設するのと同等の労力(つまり時間)が奪われることになる。
文部科学省(財務省)もようやく現状打破の施策を立ち上げ始めた。
博士の学生を増やすための支援を増やし、若手教員比率を高め、若手教員の研究時間確保のための取り組みを大学に求め始めた。
新しいツールのネットを使えるのはリベラルだけで右翼は存在しない左翼の楽園だった
政府が底辺層にもネットを利用させるようになってからどんどんネットの治安が悪くなって次第にリベラルよりも右翼が幅を利かせるようになってきた
例えば子どもを産むだけで生活できるくらいの社会保障を作るとして、多くの家庭がその制度にぶら下がると原資がなくなり成り立たなくなる
だいたい、子どもを生み育てるだけで生きていける社会で親が子どもに十分な教育をし、将来の労働者として活躍できるように育てるかは微妙なところ
なので支援はするけど、子どもを産んだくらいで生活まで保障されるとは思うなよ、という姿勢が必要になる
でも生活が保障されないのに子どもなんて産めない!って言ってる層が生まなくて困っている
あくまで子育ての責任を親に持たせつつ、親が潰れない程度の支援を提供しなければならないが、その塩梅はとても難しい
SNSの普及によって「子どもを底辺にしたくない」と考える親が増え、中間層の出生率も芳しくない
いま子どもを生んでいるのは、子どもを底辺にしない自信のあるハイクラス層と、将来のことなんて考えられない底辺層がほとんどだろう
底辺層は最悪、福祉の世話になって生きればいいやというくらい将来性がないので、増えてもあんまり嬉しくない