はてなキーワード: 文教とは
特別会計が巨大に見えるのは国債償還の大部分を特別会計でやってるから
これは本当ですか?
はい、その指摘は概ね正しいです。
日本の特別会計が巨大に見える主な理由のひとつは、国債の償還や利払いが特別会計の中で行われているためです。
一般会計:政府の基本的な歳入歳出を扱う(例:文教、社会保障、防衛)
特別会計:特定の目的のために設けられた会計(例:年金、道路、財政投融資)
その中でも、
✅ 国債費の扱い:
かつては国債費(償還・利払い)は一般会計に計上されていましたが、現在では:
国債整理基金特別会計(正式名称:「国債整理基金特別会計」)で
国債の償還
国債の利払い
を主に処理しています。
この国債整理基金特別会計の歳出規模が巨大であるため、特別会計全体の規模が膨れ上がって見えるのです。
一般会計:約114兆円
特別会計:約427兆円(うち、国債整理基金特会が300兆円以上)
ただしこの300兆円以上の特別会計の大部分は、「借り換え」(満期になった国債を新たな国債で償還)であり、いわゆる歳出としての純粋な支出ではない点に注意が必要です。
つまり、
その多くが単なる資金繰り(借り換え)にすぎないので、
特別会計の巨額さ=政府の財政出動の大きさというわけではない。
✅ 結論
特別会計が巨大に見えるのは、国債償還(特に借換)の大部分がそこに計上されているからである。
「特別会計の数字=純粋な政府支出」と誤認しないようにする必要があります。
まじじゃん
結構前に、文教系のIT技術職から民間企業のIT技術職への転職をしたときにかなり苦戦したので増田のキツさは大変良くわかる気がする。
性別とか年齢とか分野とか違うけど何かの参考になれば…。
自分自身がやってみた感触として、いわゆる普通の企業から見たとき、公務員とか教育機関とかで働いている人の仕事内容ってどうしてもわかりにくいんだよね。実際のところやってることは殆ど変わらないとしても。
僕もそれこそ「◯◯さんがいてくれるから現場が回ってるよ」と言われるような働き方だったけど、◯◯さん(増田とか当時の僕とか)が、例えばIT系で言えば体制図の中にバイネームで記載されてるようなポジションでなかった場合、あくまでも「一緒に働いている人から見て、チームの中でめっちゃ使える人」という位置づけなんだよね。
で、特に「公務員的な性格のある職場から、いわゆる普通の企業に転職しようとする」場合に、採用する企業側から見ると、増田の良さってのはかなりわかりにくい。
転職の受け入れ側企業の担当者さんは、多分その担当者さんの判断一発で採用を決めることは出来ないので、上長に「複数ある選択肢の中から、何故増田を採用候補者として良いと思ったのか」を伝えて説得する必要がある。
そうすると、面接で話したりしている中で「この人、かなりイケるぞ!」と感じたとしても、その表現のまま上長に伝えるわけにいかないので、もうちょっと具体的な「この人が大丈夫そうな理由」を用意してあげたいところ。
てことなので長々と書いたけど、結論としては「担当者さんが上長に推せるだけの材料」を作るしかないと思う。
・前職の上長(可能な限りハッタリの効く職位の人)からの推薦状
あたりが結局のところ効くんじゃないかなぁ。
特に増田の場合、前職で揉めて退職したわけじゃないから、上長の推薦状を比較的もらいやすいと思うので、手っ取り早くはこっちかな。今時間が取れるなら資格の方も着手したほうが良さそう。
論壇でもいち早く時代の雰囲気を伝えることに成功している田中氏の新作である。話題はやはり今年度の最大の政治事件であった先の小泉政権の衆議院選挙での歴史的勝利をめぐる評価である。田中氏はこの勝利を「二〇〇五年体制」の成立と表現している。その直前までの政治体制は「五五年体制」の継続であり、その特徴は旧田中派支配による族議員(郵政、道路、農水、文教、厚生の「五族協栄」)とその支持母体となる利益集団、そしてそれらを束ねる派閥とその長の複雑な利害関係のネットワークである。それが今回の選挙結果によって、小泉首相への権力の集中という一元的な政党運営の構図ができあがったとする。そして有権者もひとつの「政策、政党、首相候補を選ぶことが可能になり、小選挙区制の特徴を活かした論点の明確な選挙が可能になったと肯定的な評価を下している。
田中氏は「二〇〇五年体制」の実現を直接もたらしたものは、投票率の上昇であり、それを可能にしたのが有権者の消費者としての成熟であるとしている。例えば有権者は現状の「物価の低位安定」すなわちデフレを「明確に評価してきた」、このデフレは一国の金融政策によって大きく左右されるものではなく、「グローバライゼーションと競争と技術によって決まるもので」(35頁)あるという評価を、有権者がもっていたと田中氏は解釈するわけである。田中氏はこのような強い意味での「良いデフレ論」を全面に出し、有権者のこのようなデフレへの支持を「消費者としての成熟」と呼んでいる。そしてこのような消費者の成熟や消費者側の論理を妨害するのが、いままでの政治の仕組みであり、それは「供給者の論理」であったとする。「供給者の論理」とはなにか判然としないが、上述の論旨でいえば、それは一国の金融政策が物価水準に左右し、なおかつデフレが国民生活を悪化させることを認めるような論理なのであろう。
このように田中氏の主張は「良いデフレ」論をバックとして、国民の投票行動をその点から評価することにつきる。ところでこの田中氏の主張には無理がある。小泉政権の主要政策課題には「デフレ脱却」が大きく掲げられており、その実現は選挙前では郵政民営化、三位一体改革などと並んで政権の主要な未達成の課題であった。当然、小泉政権に支持を与えた有権者は、田中氏の説明の枠組みにあえてのれば、「消費者としての成熟」からデフレを悪としてその退治を求めたと考えたほうが素直な解釈である。田中氏の論旨はこの有権者の成熟論について奇妙な歪みをもっており論旨が破綻しているように思われる。なお現在のデフレ=田中氏の表現の「物価の低位安定」(低位安定の利益をすでに有権者は享受しているので、これは低インフレではなくデフレのことであろう)が良いのではなく、「悪い」理由は、「消費者の成熟」が支持したであろう現政権の「構造改革」の一部として以下のHPにその弊害がそれなりに説明されているので参照されたい。
http://www.keizai-shimon.go.jp/explain/progress/deflation/index.html(注)
もちろん田中氏の本から離れれば、小泉政権の実際に行われているという意味でのデフレ対策への批判的評価、そもそもなぜ「構造改革」の中にデフレ対策があるのか、などへの批判を私は抱いているがそれはここではふれない(野口旭・田中秀臣『構造改革論の誤解』(東洋経済新報社)、田中秀臣『経済論戦の読み方』講談社現代新書などを参照されたい)。ここでは田中氏がなぜデフレ対策だけを小泉政権の政策メニューからはずし、政権が公約してもいない『良いデフレ論」への支持として有権者の今回の行動をとらえたのだろうか、という私からみて納得できないところを明確にできればそれでいまのところは十分である。
本書はいままでの「供給者の論理」を打破して、「有権者満足の政治」を目的とすべきである、としているが、日本の経済と有権者の生活を脅かしているデフレの弊害を評価することに失敗しており、著者の抱く有権者の満足と現実の有権者の満足との間には深刻な「構造問題」が控えている気がしてならない。
(注)それにしてもこのサイトの「デフレの何が問題か」はまだしも「デフレの原因は何か」は支持しがたいものがある。デフレの原因は日本銀行・政府の政策の失敗(金融政策の事実上の引き締め継続が主因)であり、他の要因は基本的なものでもなく、複合的なものとするほどの重みさえもない。
この人どんどん病状悪化してきてない?
https://b.hatena.ne.jp/sirotar/
https://b.hatena.ne.jp/entry/4768288878566998817/comment/sirotar
その6人の名前を公表したらいいんじゃない。選考除外されて当然の、例えばよくわからん文系とか中国やロシアに接待漬けされてる人物だったら安倍ちゃんGJとしか言えない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4768309323697886753/comment/sirotar
日本語が読めない人?学術の名に値しない私文教授、または中国やロシアに入り浸りのスパイのような学者なら、弾いた安倍元首相がいい仕事しているって仮定だよ。
横浜というよりほぼ横須賀、逗子・葉山・鎌倉も近い。三浦半島の付け根なので横浜市唯一の海水浴場や漁港もある。シーパラと動物園と海の公園は子育て向きじゃないかな。
車があれば横須賀や三浦にも買い出しに行ける。産直の野菜や魚や海苔がマジ美味い。
明治期辺りは政治家のリゾート地なんだよな。ほぼ房総半島と同じような感じだから、冬も温暖で過ごしやすい。自分は出身地が関東の内陸の山の方だから、暖かくて驚いた。真冬は布団1枚分違う。
あとは大学が2校あるからか意外と文教地区で、塾が多い。保育園も多い(パチンコ屋の居抜きが何軒も保育園になってる)から、共働きで教育熱心な家が多いのかも。ヤンキーも見ないな。鶴見区辺りは学校がマンモス化してるらしいけど、こぢんまりした学校が多そうだから、のどかなのかな。
横浜というよりほぼ横須賀、逗子・葉山・鎌倉も近い。三浦半島の付け根なので横浜市唯一の海水浴場や漁港もある。シーパラと動物園と海の公園は子育て向きじゃないかな。
車があれば横須賀や三浦にも買い出しに行ける。産直の野菜や魚や海苔がマジ美味い。
明治期辺りは政治家のリゾート地なんだよな。ほぼ房総半島と同じような感じだから、冬も温暖で過ごしやすい。自分は出身地が関東の内陸の山の方だから、暖かくて驚いた。真冬は布団1枚分違う。
あとは大学が2校あるからか意外と文教地区で、塾が多い。保育園も多い(パチンコ屋の居抜きが何軒も保育園になってる)から、共働きで教育熱心な家が多いのかも。ヤンキーも見ないな。鶴見区辺りは学校がマンモス化してるらしいけど、こぢんまりした学校が多そうだから、のどかなのかな。
自分は昔からパラグラフ・ライティングを心がけているのだが、最近は特にアホな無教養層からそれを「AIの書いた文章みたい」と言われることが多くなった。馬鹿馬鹿しい話だ。パラグラフがAIみたいなのではなく、AIがパラグラフ・ライティングに則った文章を学んでいるだけだ。それだけ、海外ではパラグラフで文章を書くことがあたりまえに出来ているということだ。これを何故日本人だけができないのか。それは増田に言わせれば、根本的に「文章というものの考え方」に問題があるからだ。
日本人にいつまで経ってもパラグラフ・ライティングが出来ないのは、根本的にその本質を捉え損なっているからだ。それは「主張(トピック)を先に言う」という論述のルールとは実は関係がない。欧米人の書いたものにも結論を先に言わないものなどいくらでも存在するが、それでもパラグラフの構造は保っている。では実際には何がパラグラフのより本質的な性質なのかと言えば、それは「論点の整理」にある。
日本人はほとんどそこに注意していないが、機能的な文章には無駄があってはならない。それは完全なる「伝えたいこと」の羅列でなければならない。ここで注意しておきたいのは、機能的な文章というのはもちろん創造的な文章とはまたルールが違うということである。創造的な文章は、どのような順序で書いても良いし、どのように無駄なことを書いても良い。
しかし機能的な文章は娯楽のためにあるのではないので、読み味や驚きを求める必要はない。機能的な文章の究極は『表』『箇条書き』、つまり、「データや論点を出来るだけピックアップしやすくまとめたもの」だ。パラグラフもまた、『表』や『箇条書き』のように、必要なデータや論点がどこにあるのかを見やすくし、整理して並べるための機能にすぎない。
つまり、そのためにまず必要なことは「何が必要な内容で、何が不要な装飾なのか」をきちんと峻別することだ。日本人は感想文等の作文教育の影響で、「中身のないものをとにかく膨らます、引き延ばす」ことを文章力だと思い込んでいる。骨身にしみ込まされている。だから、文章をセンテンスの単位に切り刻んだときに、まったく要らない、話と話のつなぎでしかないものが大量に紛れ込んでいる。これがまずいけない。パラグラフ・ライティングにまず必要なことは、センテンス単位で箇条書きにしても無駄が出ないほど「伝えたいこと」でないものを排除することだ。(この文章をセンテンスで区切ってみなさい。レトリックのためにあえて複数文に区切ったもの以外、箇条書きで並べても無駄がないから。)
さて、そうやって伝えたいこと以外をオミットすると(というより、最初から読書感想文のような無駄を膨らます習慣なんか身につけないと)文章は小間切れの主張やデータの羅列になり、それを見やすくするために整理するルールのひとつがいわゆる「論理(論述)」の「結論:根拠、根拠、…」となる。
しかし、文章を整理するルールはそれだけではない。そもそも機能的な文章の多くは、特に主張など含んではいない。政府機関や民間のレポート、研究論文、プレスリリース、そのほとんどは誰かを「論理的に説得する」ようなものではなく、ただ必要な事実をまとめただけのものだ。そのデータをもとに何かしらを判断するのは読んだ人である。「説得的な文章」などと言うものは、テストの小論文以外ではほとんど出てこないのが現実である。こんなものから「パラグラフ」の本質を学べると思っている時点でだいたいの教育者はおかしい。
実用的、機能的な文章を整理するルールには、例えば、「大枠から詳細に入るように説明する」「時間軸に沿って整理する」「手順をステップバイステップで指示する」などの形式がある。実用的な面ではこちらの方が圧倒的に「結論から根拠へ」などというものより多く、より意識して学ばねばならない。
ところで増田は、このように『ロジカルな文章』のタイプを細かく気にするよりも、次のような構造を守れば常にパラグラフの構造を守れるという感覚で書いている。
それは『韻文、散文、データ、データ、データ、…』という表現の粒度で構成するということである。
ここで注意しておきたいのは、『韻文』とはあくまで惹句的な、内容の少し曖昧な表現という程度の意味で使っているのであり、もちろん五七五などの決まりきった標語にする必要はない。
パラグラフの「トピック・センテンス」は「結論」でなどある必要はなく、データ(あるいは具体例など)をまとめるためのタイトルくらいに考え、その次にリードのような、トピックを少し詳細にしただけの文を書く。これが出来ていると、後は事実や主張の羅列でも文章が綺麗に整うのだ。実例を見てみよう。
与作の朝は早い。彼の一日は、まだ日も明ける前から寝床を這い出し、いっぱいの水を飲むところから始まる。それから家の前を掃除し、雨戸をしまい、離れの仕事場へ行く。釜に火を入れ、暖をとりながらゆっくりと手をほぐしてまずは一仕事する。郵便物が届くと、配達人に軽く挨拶をして一旦仕事をやめ、朝日を拝みながら裏山を一回りして、散歩がてら見回りをする。「今日は暖かくなりそうだな」などと考えながら、ようやく朝飯をいただくのである。
この例文は完全なパラグラフの構造を持っているが、もちろん結論も何もない。しかしこのような時系列で行動を描写するだけの文章でも、『韻文、散文、データ』のパターンを使うと構造的にまとまるのである。
このパターンに当てはまる例がすべてではないが、ほとんどの場合ノーシンキングでパラグラフをまとめられる手法なので、頭に入れておくと良い。
日本の教育に文句つけるときの定番「日教組ガー」にしても同様。
いや、国の文教政策の問題を論ずるのに、文教予算一手に握って中教審握って何より数十年にわたって文科省をコントロールしてきた政権与党の方針でなく、国の政策にも立法にもほとんど影響を及ぼせず、組織率すら2割程度の組合ごときが問題だと主張するとか、常識で考えておかしくね?
一企業で考えてみてもさ、わけのわからん経営方針で赤字続けてる会社の役員連中が、自分らと方針が対立しているとはいえ組織率2割程度の組合を目の敵にしてわーわー言って組合潰しに精出してたら、いや、あんたらの無能のせいで会社が絶賛傾いてる最中なんやけど?……ってならんか。
自分の出身地域では成人式のあとに中学別の二次会があって、そこで女子は皆ドレスみたいな服着てたんだよね
私はノリがよく分からなかったから適当にネットで「成人式 二次会 ドレス」とかで調べて、無難なドレスを着たんだ
そしたらなんか会場で私だけ浮いちゃって(当時は何も思わなかったけど今写真とか見返すとかなり浮いてる)
来てる子は皆肩が開いた派手なドレス着ててさ
色もなんか、赤とか水色とかのカラフルなやつで髪も巻いてて
派手な子だけが着てるわけじゃなくて、大人しい子もそんな感じの服装でさ
成人式のあと、大学の友達に写真見せたら「服ヤバくない?お前の友達みんな夜職の人みたい」って言われてさ
そこで「え、確かに…」って初めて思ったんだ
その子の成人式の写真見たら私みたいな服着てる人が殆どだったし
研究費がないだの給料が安いだのポストがないだの、研究者周りの愚痴を見ることが多々ある。そして、医療費や保険料を含む社会保障費なら1%削減するだけで、今のアカデミアの人達は十分に潤う。
増税は確実に消費減からの不景気か、設備投資減からの不景気が来る。
国債増発は更なる円安圧力になる。円安で論文が講読できないとか海外の学会への出張がデキないなんて愚痴を聞くが、それが現在よりやりにくくなる。
ただ、もちろん社会保障費の減ってのは今ギリギリのラインで支えられてる人達の生活を直撃する。直接的に言うと生命の維持が難しくなる。
なら何故、
と主張しないのか。
悪役になるのは政治家や行政に任せて学者は倫理的に善の位置に居たいんだろうけどね。悪質だよホント。
まぁ規模の大きい費用(社会保障と比べたら小銭だが)でいうと、
・防衛(8兆円)→今でも自衛官の自腹で賄ってる部分が多いのにどこ削るんだ?
・土木(7兆円)→これだけ災害の多い国で、さらに温暖化で雨の災害が増えてるのに?
となるのは目に見えてるよね。
ちなみに文教学術の予算は5.5兆円だからインパクトのある増やし方するとなると、防衛とか土木から引っ張ってくるなら大鉈を振るう形になる。
という趣旨のことを述べていて、知り合いの官僚が「そんなことも理解せずに批判ばっかりしてたのか」とブチ切れてたけど、今のアカデミアはそれ以下だよね
ブコメで「削ったって学術に回ってくるとは限らない」、「そんなこと主張しても炎上して得がない」って意見が散見された。
なるほど理解できる。
しかし、「私(この文章)が、社会保障費を削減すべき、と考えている」と読む人が人気ブコメを含めて結構いて驚いた。どちらかというと逆なのだが。
言ってそう構文教室に行ってそう
数か月に1度くらい長文を投稿するが、そこそこバズっている(今年は数十から数百だった)著者が、釣りに頼らずはてな匿名ダイアリーでバズるには、次の条件が必要だと示す。
当たり前のことかもしれないが、その一つずつについて具体例を挙げていく。
なお、ここでいう釣りとは、虚偽の出来事を書くことと、他人の神経を意図的に逆なでしてブコメを稼ぐ方法の両方を指す。
筆者はこの方法を取らない。嘘をつくことで、起きなかった出来事で人々を怒らせたり不安にさせたりしても意味がないし、他人を不快にする表現を多用することは、政治的に対立する・相反する利益を持つ相手との対話の窓を閉ざすので有害だからだ。
ヤバい過激派の意見ばかり見てきた著名人が、その反対側の過激派に染まってどんどん視野が狭くなり、どんどん口汚くなっていくのを何度も見てきており、うんざりしている。
暗い話はやめよう。以下が本題だ。
参考資料にも書かれているが、1000を超えるブクマを稼ぐのは、魂の叫びがほとんどだ。
具体的には次の増田がそうだ。
素人童貞の32歳が彼女を作ろうとマッチングアプリを使ってみた結果
この増田は明確に誰かを非難することもしていないし、口汚く罵ることもしていない。つらい中で前向きな結論を出し、行動に向かっている。にもかかわらず、あまりにも深い悲しみが伝わってくるのでバズったのだろう。何百人もが一言書かずにはいられなかった。
個人的経験だが、数百程度のブクマだとツイッターでちょっとバズる、せいぜい数十のRTがされるくらいだが、1000を超えるブクマを稼ぐと、5chやyoutube、個人のブログなどでも言及される。ツイッターでも数千RTされているのを見た。
【22時追記あり】「三体」が好きだった人にオススメしたいSF小説・前編。
ベストセラーであった「三体」を読んだ読者に向けての記事だが、母数が大きいのでかなりのブクマを稼いだ。
とはいえ、これだけ書くにはある程度の読書量が要求される。言い換えるならば、読書習慣が無いとだめで、一朝一夕に書ける内容ではない。少なくとも数か月の準備がいる。
積み重ねが必要であり、簡単にバズることを目指している書き手には向いていない。
フィギュアスケートの見せパン、新体操のレオタード、陸上のブルマー
こちらもそうだ。
多くの人がテレビで触れる女子スポーツ選手の衣装について、「なぜ?」と思ってもネットで調べても細かい経緯はまでは出てこないことについてまとめられている。
また、ブルマ増田がブコメを稼いだのは、上記の共感性も理由だ。
つまり、国民の多くが学校に通っており(学園物の漫画やドラマが途絶えない訳だ)、ジェネレーションギャップに驚いたことがあり、保守であれ革新であれ自分なりのジェンダー規範を持っている。ブルマーというのはすべての条件を満たしている話題だ。
ネット記事なんかでも昔の学校と今の学校の違いなんかが定期的に特集されるのもそれが理由だ。
これらは有益な経験談であり、健康問題ということで共感性も稼いでいる。
もしこうなったら……の対処法は誰もが関心を持っており、ブクマを稼ぎがちだ。
今までに紹介した増田の多くは、「文章がうまい」というコメントがある。
文法の誤りの有無、明確な主語と述語、必要以上に複文重文を多用しないのも大事だが、同じくらい大事なのが起承転結またはIMRADに従った文体だ。
冒頭に何について述べるかを書き、論理的に経緯を書き、結論を示す。
何が起きたかをだらだらと書くのではなく、短くしていいところはどしどし省略する。
そうしないと、よほど引き込まれるような文章を書く才能がない限り、そもそも読む気にならないだろう。
ただし、これは文章力のせいなのか、健康診断あるあるでウケたかは不明だ。
ちなみにこれを書いたのは自分だが、意図的に登場人物の性別をぼやかし、男性とも女性ともとれるようにしている。そのほうが共感されやすいようだ。
参考資料にも投稿数の少ない朝のほうがバズるのではと推測しているものがある。
しかし、本記事はちょっとした実験として、夕方に投稿することにする。
【翌朝追記あり】劉慈欣「三体」の好きなところと微妙なところについて
就寝時には400を超え、翌日は461、昼までに471まで行った。その後は数日かけて481件で止まったようだ。
【22時追記あり】「三体」が好きだった人にオススメしたいSF小説・前編
昼休み前にファーストブクマして(11時半過ぎにくらい)、昼休みを過ぎても伸びなかったが、ある時点で3ブクマを超え、帰宅間際に30に伸び、みるみるうちに40になった。電車の中で80を超えた。帰宅時間とバズるのが重なったか。帰宅間際で100。その後はぐんぐん伸びて行って翌日には700を超えた。
それ以上細かい記録は取っていないが、通勤時間・休み時間・帰宅時間・夜あたりに伸びている。ある程度の内容があり、かつ運が良ければセルクマでバズることも考えられる。
長い文章になると読むのが面倒なので、章や節に分けるといい。
具体的には「*」を使った見出しだ。
また、場合によっては太字を用いるといい。
現に、上の三体の記事は、本のタイトルや著者名で太字を用いている。
多用しすぎると鬱陶しいのでほどほどに。
以上。
昔学校向けのPC導入支援してた時、某国産PCメーカーの文教タブレットが低スペなのにクソ高いとはてブや棘でクッソ叩かれてた。
気持ちはわかるけど、文教向けで据え置きじゃないPCって相当な強度と交換見据えた価格設定が必要なんですよね。
小学生すぐ壊すんよ。タブレットを。精密機器をおもちゃだと思ってる節があるので。
自分が見ただけでも
・タブレットで他のガキを叩く
・アジの開きならぬPCの開きかってくらい開く(クレイドル部分なので安め)
・細かい隙間に砂を詰める
普通の落とす踏む濡らすとかは想定してて頑丈にしてるし、課外学習程度では砂入らないような防塵仕様や端子キャップはあるけど、元気いっぱいのクソガキどもにとってはそれすら乗り越えてめいいっぱ壊しやがる。
いわんや中華タブなんぞですわよ。
コンテンツ自体は残ってるんだけど「当時はそれが主流だった」ってのが、今の人たちには信じられないみたいで 「スクールカースト上位は勉強も運動もできるリア充、あくまで一部の落ちこぼれがヤンキーになり、普通の子はそいつらを冷笑的に見てた」みたいな史観で上書きされてるんだよ。今で言うとこのトー横キッズ的なマイノリティだと思われてる。
「リア充グループ=ヤンキーグループ、普通の子も基本はちょいヤンキー趣味で、ヤンキー文化に馴染めない子は陰キャ、マイノリティだった」って言っても信じてもらえない。
一部の治安のいい地域を除いて公立の中学ってだいたいそういう風潮だった(実際、校内暴力が社会問題になってたわけだから嘘ではない)から、それを嫌って中学受験する人が増えて1980年代半ばから私学の新設ブームが来て中受が一般的になったんだよ。
文教地区で育った子や私学に行った子は、そりゃ身の回りにヤンキーなんていなかったんだろうし、50代なかば以上でネットで発信してる人ってだいたいはそっち側の高偏差値層だから、田舎でヤンキーまみれの社会で育ったその世代の人がそもそもいないというのはありそう。
今なんかより情報は行き渡ってなくて、自分の暮らす地域ではないよその地域の一般人がどういう暮らしをしているかなんて誰も知らなかった時代だし。
ボンタン、短ランとかはヤンキーグループじゃない普通よりの子も着てたし、女子も一部の真面目な子以外はスカート長くしてた(生活指導の検査がある日はウエストを折り曲げてごまかす。ちょっと前のギャルと逆)。
https://anond.hatelabo.jp/20231014043358
についての
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231014043358
のお話です。増田は自称財務省主計局の元中の人だけど、ホントかどうかの判断は自己責任でよろしく。
参考資料の学級規模と教員一人当たりの生徒数のギャップを見る限り先生余っているはずだけど公立の学校見ているとどうも余っている様子は全く見られないのなんでなんだろうなあ
足りないのは事務員なんだよね。自治体予算には限りがあって教育分野でも削らざるを得ない、でも教師の雇用・処遇は相対的に守られてきてそれほど減らせない、となると他の部分にしわ寄せが行って、事務員が足りなくなった分、教師が事務仕事をこなすことになって多忙になると。人件費単価は教師より事務員の方が低いから、教師の枠を事務員に振り替えれば、学校の従業者数を増加させることになって職場環境は改善できるんだろうけど、世の中うまくいかないよね。
とりあえず予算を査定する側とされる側が対等にバトルしているという幻想は捨てよう。実際、他省庁が財務官僚に「査定のお願い」に行く際、財務省側は二ランクか三ランク下の官僚が相手をする程の権力差がある。
よくある財務省ツエー論の根拠の一つとして挙げられる話だけど、実態は全然違います。9月の最初のヒアリングは、要求を網羅的に聞くから各課の課長が主査(課長より2ランク下の課長補佐クラス)に説明するけどーー各担当補佐が説明するとなると、ヒアリング日程の調整やヒアリング現場での説明者入替え等のオーバーヘッドがかさむんですよーー、その後は普通に主査と補佐で議論してるからね。まあ各省庁の文化の違いや課長のキャラで補佐に下ろさず課長が出てきがちな場合もあるけど、少なくとも主計側から「主査は補佐を相手にしない、課長を出せ」なんてことを強いているわけではありません。
ともあれここ数十年財務省の力が強くなり過ぎているのが国力を削ぐ結果に繋がっているので、財務省は分割解体されるべきである
こうした主張、はてブに限らずいろんなところで見るけど、なんで一定の説得力を持っているのかさっぱりわかりません。だって大蔵省・財務省にとっては、ここ数十年、国債残高を減らすことが悲願なわけですよ。で、それを一度たりとも成し遂げていません。バブル末期に赤字国債脱却はできたけど、その間も建設国債は増えていて残高は右肩上がり、バブル崩壊後はご覧のありさまですよ。増田は個人的には国債残高減少を金科玉条として目指すことには批判的ですが、だからこそ、財務省が悲願を実現するだけの力がない弱っちい役所でよかったなあ、としか思えません。
補正予算になると精査もせず30兆ぽんと出し、剰余金を一般会計に繰り入れて好き勝手に使う財務省。文科省にだけは強気だけど、他の省庁にもちゃんと物申したらどうですか。大蔵省の頃はやってたと思うよ。
農水省や国交省の中の人たちからすれば、文科省はうらやましい限りだと思うけどなあ。増田は主計局を離れてそこそこ経つので、例えば最近の防衛費増の受け止めはわかりませんが、増田がいた頃は、文教費は、社会保障や地財と並んで扱いが難しい予算だ、というのが一般的な認識だったと記憶してます。文教族は政治力強いからねえ。