落ち着きを取り戻す

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夜中のうちに少し雨が降ったらしい。今朝窓の外を覗いてみたら、地面が黒く光っていた。今日は太陽が出ないらしい。曇り空に霧。実に12月らしい一日。明日の大晦日を前に、どうしてもしておきたいことがあった。休暇前に撮って貰ったレントゲン写真の引き取りを、どうしても今年中にしておきたかった。私には小さな拘りがあって、小さな色々を新しい年に持ち越したくないのである。勿論、時には時間的に無理なことも存在するけれど、出来ることはなるべく先延ばしにしたくない。という訳で、今朝は早起きしてレントゲン写真を引き取りに行った。土曜日で年末。道は案外空いていて、とてもスムースに事が運んだ。受付の人も、建物の前に居た物売りの青年も、一様に機嫌がよく、よい一日をと言葉を交わして。運が良かったのは、相棒が其処まで車で連れて行ってくれたことだ。車なら10分ほどの距離だが、バスを乗り継いで行くなら1時間半程掛る私にとっては不便な場所なのだ。もっとも連れて行って貰っただけで、私を路上に残して相棒は自分の用事を済ませるためにあっという間に去ってしまったけれど。

レントゲン写真を引き取って、歩き慣れぬ界隈を直感で歩き、バスで旧市街へ行くために大通りりの停留所へ向かった。昔相棒の両親が長く住んでいたボローニャ郊外の住宅地。今でこそ住宅地なんて呼ぶけれど、1980年に相棒の両親が其処に家を購入した頃は、野原ばかりの田舎だったそうだ。私が初めて彼らの家を訪れた1993年もまだまだ空き地が多くて、居間の窓から遠くの方まで見渡せることが出来る程、何もなかった。だから子供たちは野原を走り回り、全く長閑なものだった。それが僅か数年でこの街に住宅ブームがやって来て、高級住宅地なんて呼ばれるようになったのだからおかしな話だ。あまりに家が建ち過ぎたのと、売り手市場だったことから舅が家を売ったのが、今となってはよかったのか悪かったのかは分からない。舅は購入した時の倍以上の値段で売れたことを喜んではいたけれど、あの家は便利だったから手放さないほうが良かったのではないかと私も相棒も思っていたのに。

バスに乗って旧市街へ行った。数日前とは様子が違った。人が疎らで、食料品市場界隈でさえも混雑していなかった。やっとボローニャが落ち着きを取り戻したと嬉しく思った。兎に角毎日が休日の私だ。感覚が狂って忘れていたが、今日は土曜日で交通規制がある日だった。だから二本の塔の前から延びる大通りは車両止めで、大腕を振って道の真ん中を歩くことが出来るのだ。先週の土曜日はごった返していたけれど、今日は違う。空いた大通りを元気よく歩いた。まずはカフェへ。久し振りにガンベリーニ菓子店に入った。この店は週末ともなると混みあっていて、中に入ることもままならぬ。が、今日は中に入っておいでよと言わんばかりに空いていて、私は小さな菓子をふたつとカップチーノを注文した。この店の菓子は美味しい。小さなシューの中にカスタードクリームがいっぱい入っているものと、小さなシューをふたつに割った間にたっぷと生クリームを絞り込んだものが私の気に入りで、いつの頃からか此ればかり注文するようになった。だから店の女性がくすりと笑う。このシニョーラはいつも同じ菓子を注文すると思っているに違いない。美味しい菓子を頬張っていたら急に店が混み始めた。私は運が良かったらしい。温かいカップチーノを飲み干して、さっさと店を出た。
もうひとつ立ち寄りたい場所があった。それはMUJI。イタリアではそういう名で親しまれている。無印良品の誕生はよく覚えている。1980年頃だったのではなかろうか。当時はまだ規模が小さくて、シンプルはいいけれど地味で、私は少しも関心がなかった。記憶にあるのはわら半紙色のノートや鉛筆。いつかこの店に関心を持ってはいることになるとは夢にも思っていなかった。ボローニャに店が出来ると知った時も、それほど心が躍らなかったのはそんなことが理由だろうか。それに私はその国や街で手に入るもので生活することに慣れていたのである。日本の食料品ですら購入していなかった。でもそれは手に入らない時代が長かったからだ。無いものは無い。あるもので工夫するのに慣れていたからだ。しかし一旦日本製を手に入れて美味しい生活や便利な生活の味を占めると、後には戻れなくなるものだ。そういう訳で今は日本の食料品も購入すれば、MUJIの良品も購入する。それでMUJIだけど案外混んでいた。地元の人に好まれている店。その理由は分かるような気がする。まさに無印の良品が並んでいる店。小さな生活用品にしても、シンプルなシャツにしても。それに店の人の感じが良い。自分の店でもないけれど、MUJIが皆に好まれていることが何となく嬉しい私である。兎に角、簡単に買い物をして、店員さんと簡単に愉しい会話を交わして、MUJIを後にした。小雨が降っていた。いや、霧雨と呼んだほうが良いかもしれなかった。もう帰ろう。雨に濡れて風邪を引くのだけはごめんだった。それに私は疲れていたのだ、あまりに早起きをしたものだから。

ずっと続いていた好天気にピリオドを打ったかのように冴えない空の一日だった。家に居られる幸せ。温かい家の中に居られる幸せを噛みしめたいと思う。雨が降らなければいいと思う。明日の大晦日の為にマッジョーレ広場は準備に追われていたから。多くの人が新年のお祝いをするために駆け付けるに違いないマッジョーレ広場。作業している人達の苦労やイベントを準備している人達の労が雨で台無しにならなければいいと思う。それに遠くで打ち上げられる花火を愉しみにしているから。空よ、雨だけは勘弁して頂戴。




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