親切な女性

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気温は低くも快晴。空が明るいのが肝心要の私の冬の休暇。イタリアは今日も祝日だけど、人々は活動を始めたようだ。近所のバールは何時も通りの営業で賑わっている。常連客ばかりでなく車で偶然通り掛った人達も多いようだ。あ、店が開いているね、なんて風に中に吸い込まれていくのかもしれない。兎に角天気が良いから、皆外に出たくなるというものだ。そういう私は家に籠っている。昨晩から扁桃腺が宜しくない。理由は何だろう、こんなに気をつけているというのに。有り難いのは寝込むほどでないこと。それで朝から小さな色々に時間を費やす。例えば相棒のニット帽。以前は私のものだったが相棒に譲った。黒とグレーのリバーシブル。素材がカシミヤとあって温かく、相棒は大そう気に入って着用していたのだが、何処かに引っ掛けて穴をあけた。多分ジャケットのファスナー付きポケットに突っ込んだりしたに違いない。それで明るい窓辺で繕い物をした。此のくらいのことなら上手くできる、セーターの繕い物はごめんだけれど。穴を繕って手洗いして外に干した。今までは近所のクリーニング屋さんに任せきりだったが、昨年の冬の初めに廃業してしまったのだから仕方がない。ニット帽くらい自分で洗えなくててどうすると叱咤激励した朝だった。

先日旧市街のポルティコの下を歩いていたら、旅行会社の中で働く女性が目に入った。最近眼鏡を掛けて歩くようになったこともあり、今まで見えなかったことが見えるようになったのである。その女性に見覚えがあり、思い出して、あっと思った。
8年ほど前の夏、友人夫婦がボローニャに来た時のことだ。オスロからミラノまで飛行機出来て、其処からボローニャに列車を使ってやって来た。うちに少し泊まってから、月曜日の朝に情緒溢れるチンクエテッレへ、そしてその後ミラノへ行って飛行機に乗るという計画だった。そんな細かい計画を立てているくらいだから全て手配済みと思っていたら、そうではなかった。ボローニャからチンクエテッレへの足、チンクエテッレからミラノへの足は決まっていないという。列車かレンタカーか。それを知ったのは土曜日の午前中で、私達は急いで旧市街へ行った。取敢えず目についた旅行会社に飛び込んだ。初めて入る小奇麗な街の真ん中の旅行会社。ここで手配が出来るかどうかは分からないが、訊いてみようと思って。旅行会社の女性は辛抱強く友人夫婦の話に耳を傾けてくれた。結局列車は乗り換えやら何やらで時間が掛りすぎるからレンタカーが良いことになったが、レンタカーの手配はしていないとのことだった。そうは言いながらも、色々調べて何処へ行けばいいかを提案してくれた。駅の向こう側にある小さなレンタカー会社。あそこなら土曜日の午後も開いているからと。この女性、面倒臭い話に一時間も付き合ってくれた。彼女の親切に僅かながらも礼金を渡そうとする友人夫婦だったが、女性はにこやかにそれを断って私達を店の外に送り出した。私も長らくイタリアに暮らしているが、こんな親切な人は見た事がなく、全く感心したものだった。
その彼女がポルティコの下の旅行会社の中に居た。そうだ、此処だった、すっかり忘れていたけれど、あの日私達が飛び込んだのは此処だった。近年旅行会社は景気が宜しくない。コロナも大きな理由だけれど、それ以前から個人で旅行を計画して自分で航空券やホテルを手配する時代になったから、昔ほど旅行会社は好景気ではないのだ。私も過去に大手旅行会社の一員だった。旅行会社好景気の真っ最中の時代のことだ。私が辞めて数年経った頃から急激に縮小してしまったのは、経営難ではなく、そうした時代の流れが背後にあった。時代の流れ、変化と言えばそうだけど、自分が関わっていた旅行会社が縮小していくのは心苦しく思っていた。あの彼女、時代の波を乗り越えて今もここで働いているのか。そう思ったら嬉しくなった。
数日前に旅行会社に立ち寄った。土曜日の昼間のことだ。別に単に挨拶に行ったわけじゃない。航空券を手配して貰おうと思って。航空券なんてもう15年以上インターネットで購入しているけれど、私は彼女に頼みたくなったのだ。多少の手数料がかかるけど、ひとりでも客が多ければ彼女の仕事は継続するだろうと思ったからだ。事前にネットで調べて行ったから、彼女が如何に良い航空券を探してくれたかが分かって嬉しくなった。彼女は親切なばかりでなく、腕のよい社員なのだ。代金を払って店を出る前に、以前こんな事があったから、是非あなたに航空券を手配して貰いたいと思っていたと話をしたら、彼女はびっくりして、目を丸くして、そしてとても嬉しそうに笑みを浮かべた。人への親切は何時か必ず帰って来るのだ。それが異なる形であっても。

クリスマスの祝日は今日でひとまずお終いだけど、私の休暇はまだまだ続く。明日から私はアクティブ。相棒の小さな贈り物を使って博物館へ行くのだ。そのためには扁桃腺を治さなくては。健康でなかったら折角の贈り物も長い休暇も台無しだから。




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ひとり

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冬至を過ぎて、此れから少しづつ日が長くなる。それに気づくのはもう少し経ってからのことで、ある日突然、あ、日が長くなったね、なんて周囲の人達と言葉を交わすのだ。それは大抵1月の中旬を過ぎた頃。まだ先のことである。それでも冬至を過ぎたという事実が私を勇気づける。冬は嫌いではない。冬の装いは好きだし、冷えた空気の中を早足で歩くのも案外好きだ。ただ、暗いのは頂けない。16時を回ると外の様子が急に暗くなるのだけは何時まで経っても好きになれない。もし冬が遅くまで明るいならば、私は冬が大好きに違いないのだ。

33年前の今日、私は独りだった。あれはアメリカに暮らし始めた年で、ひとり暮らしを辞めて友人と坂道に面した日当たりの良いアパートメントに暮らし始めた12月だった。手持ちの荷物は少なくて、だから引っ越しは簡単だった。家具は小さな机と椅子、そして卓上ランプと小さな箪笥だけ。だけ、と言いながらも自分ひとりでは運べず、色んな人の手を借りなければならなかった。私は若くて世間知らずだったのに、色んな人が良くしてくれたのを今頃になって思い出して感謝している。契約よりも少し早く入居させてくれた管理人。行き場に困っていることを相談したら、自分が上手く話しておくからと言ってアパートメントの鍵をくれた。愛想のない人だったから、その親切な言葉には感動したものだった。そうして私と友人は共同生活を始めた。友人は友人知人を多く持っていて、だから彼女の部屋には色んな人が集っていた。彼女の部屋は壁一面にクローゼットのある南向きの小さな部屋だったから、友人達が来るとぎゅうぎゅう詰めという言葉がピタリときた。隣の私の部屋はクローゼットのない南向きの大きな部屋。でも私の部屋に友人が来ることはあまりなかった。私はひとりの空間を大切にしていたからで、そしてひとりの時間を愛していたからでもあった。勿論人との交流は好きだったけど、部屋にいるときは静かな空間と時間が欲しかったのだ。それで12月も20日を過ぎると同居人は家に居ることが少なくなった。今日はあそこに、明日はあそこにと言った具合。私には家族が居なかったし、知人や友人も旅に出たしで、独りだった12月25日。それが家族を離れて外国に暮らすことなのだなんて思いながら街を歩いた。それで街に出てみたら店は閉まっているし、車も通らない始末。通行人もあまり居なくて、地球にひとり残されてしまったような気分だった。その上重苦しい鼠色の雲が覆いかぶさって、喜び溢れる日とは全くかけ離れていた。大通りのドラッグストアが開いていたので、中に吸い込まれたのは、何となく店の中の明かりが温かそうだったからだ。欲しいものなどなかったけれど、あっ、と思い出して小麦粉と胡桃と干葡萄とラム酒を買った。クリスマスの菓子を焼こうと思ったのだ。だけどベーキングパウダーが見つからなくて、困った気分で店を出た。家に帰る途中で友人のアパートメントのベルを鳴らしたのは、彼女ならベーキングパウダーを持っているに違いないと思ったからだった。突然立ち寄った私に驚きながらも、友人はキッチンの棚からベーキングパウダーを取り出して少し分けてくれた。有難う。そう言ってすぐに帰宅してクリスマスのケーキを焼いた。これは私の得意の菓子で数年前からクリスマスになると焼いていたから、何も見なくても材料も分量も直感でわかり、上手に焼くことが出来るのだ。ヨーロッパの何処かの菓子。しかも日持ちがする優れモノ。焼き上がったところで、電話が鳴った。今朝電話をしたときには留守だった友人だった。その頃には空が晴れたので、海まで歩こうという話になった。海からの北風が冷たかったけれど、よい散歩だった。歩いている人なんていないし車も通らない一日。散歩のあと友人がアパートメントに立ち寄ることになったのは、焼いた菓子を振舞おうと思ったからだ。丁度帰ってきた同居人を交えて頂いた焼き菓子は好評で、あっという間にお終いになった。嬉しい。好評であっという間になくなるのは、作り手としては嬉しいことだった。嬉しくなかったのは北風で身体が冷えたのか熱がぐんぐん上がったこと。それがアメリカで初めてのクリスマスだった。

あの日から33年も経ったのかと驚く。その間、私に成長があったかと言えばそうでもない。でも、幸せだと思う。温かい家があり、家族が居て。33年前に独りを経験したのは案外良いことだったと思う。今の細やかな此の幸せを感じ取ることが出来るのならば。




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小さな願い

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街はクリスマス一色。とは言え、近年に比べて今年はクリスマスのイルミネーションが少ないように感じるのは、単なる気のせいなのだろうか。クリスマスは厳かな感じが良い気もするし、華やかであって欲しくもある。そういうことで私達の気持ちがパッと明るくなるから。

ボローニャ旧市街にあるエルメス。其の筋向いの角地にアルマーニの店があった。もう随分と昔のこと。20年くらい前までのことだと思う。あの店の前を歩くたびにアメリカ時代の友人がアルマーニのカシミアコートを欲しいと言っていたことを思い出した。彼はそれなりの収入を得ていたけれど、それだって其のコートはあまりに高価で手が出なかった。艶のある上質な其のコートを傍らで眺めているだけで私は充分だったものだ。さて、角地にあったアルマーニの店が閉まると、他の店が入ったけれど続かず、何度も店が替わった。一等地の良い場所なのに何故か客入りが悪く、どの店も長続きがしなかった。そういう場所ってあるものだ。もしかしたら一等地過ぎるのかもしれない。その角の店の横に小さな広場がある。秋は銀杏の木の葉が黄色く色づいて美しく、そして12月になるとクリスマスの飾りが施される。今年は大きなトナカイが二頭。赤いそりを背後に控えて、とても好ましい。童心に引き戻されるのは私ばかりでないらしく、多くの大人が足を止めて眺めた。こういうのが必要だった。テレビを付ければ悪いニュースばかりが耳に入ってくる世の中だから、こんな気持ちが温かくなるようなものが私達には必要だった。

それにしてもクリスマス。妙なことに実感はあまりないけれど、多分温暖な気候のせいだろう。ご近所さんは留守。どの家も郊外や国外にある山の家に出掛けているらしい。だからとても静かなクリスマス。相棒と私にはそんなクリスマスが良く似合う。
私の小さな願いが叶うなら。世界中の人に、喜び溢れるクリスマスがありますように。助けが必要な人には優しい手が差し伸べられますように。




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小さな贈り物

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今日はいつもの土曜日とはちょっと違う、冬の休暇の土曜日。週末はいつも駆け足で過ぎてしまいがちだけど、焦る必要はない、何しろ16日間もあるのだから。そんな気持ちの余裕が私を深く眠らせてくれた。そして目覚ましアラームが鳴る前に目を覚ました。充分睡眠をとった感じだった。窓の外は既に明るく、しかも零れる光。昨日から吹いている風は未だ収まっていないようだけど、少しも寒くない、12月らしからぬ朝。ゆっくり朝食をとり、家の中を片付けて、猫と遊んで。急ぐ必要がない朝は快適だ。これから暫くこんな生活が出来るのが嬉しくてたまらない朝。

軽装で外に出た。軽装と言っても勿論コートを着ているが、薄手の、11月頃に来ていたコートを引っ張り出した。何しろ20度にもなると予報が出ているのだ。襟巻はいらない。シルクのスカーフを首に巻くだけで充分だった。
多くの人が冬の休暇を迎えて帰省したり旅行に出掛けているかと思えば案外街に人が残っていて、だから旧市街へ向かうバスは大変な混雑だった。最近バスに乗る時はマスクをするようになった。理由は風邪引きさんが多いからだ。昔はマスクなどする人は居なかったが、コロナの経験を通じてマスクの存在が生活に浸透したらしく、以来、バスに乗るとマスクをしている人を見掛けるようになった。酷い咳をしている人に限ってマスクをしていない。だから病気になりたくない人がマスクをすると言った具合である。他の街は知らないけれど、少なくともボローニャにはそんな習慣が出来たようだ。悪くない習慣だと思う。
旧市街へ行くと更に多くの人が待っていた。特に明日最終日を迎えるフランスのクリスマス市。場所が狭い上に人が多いので、通り抜けることもできない。でも、これでいいと思う。折角のクリスマス市に人が集まらなかったら寂しすぎるから。ところで毎年ここでクロワッサンを購入するのを愉しみにしているのだが、今年は購入していない。幾度か足を運んでみたが、今までとクロワッサンの様子が違うのだ。いつもの美味しいクロワッサンに見えなかったのである。そしてほかの物は飛ぶように売れていくのに、クロワッサンだけは売れ残っているのが、いつもと違う証拠のような気がして。そして決めたのだ、クロワッサンは購入しない。その代わりに来年はフランスに足を運んで美味しいのを頂こうと。クロワッサンを求めてフランスに行こうと思う。
マッジョーレ広場へ行った。私には欲しいものがあったのである。カード・クルトゥーラ。一年間有効のパスで、此れで美術館や博物館の入場料が無料になったり割引になる。25ユーロで手に入るこのパスのことを教えてくれたのは、こともあろうに相棒だった。こともあろうにというのは、相棒はこういうことに疎いし、ボローニャで美術館や博物館に行くことがないからだ。君なんてこういう場所によく行くから、持っていたら便利なんじゃないかなあ。昨晩夕食中に相棒が零した言葉が記憶に残り、それを販売しているマッジョーレ広場に面して存在するポデスタ宮殿のオフィスに出向いたという訳である。観光局を兼ねているらしく、旅行者が出入りしていた。私は此処でカードについて丁寧に説明を受け、25ユーロでカードを購入した。冬の休暇の初日にこれを手に入れることが出来たのは運が良かった。何しろ行きたい美術館、博物館が幾つもあるのだから。特にアルキジンナージオ通りにある博物館。ここには数回通うことになるだろうと思っていたから。
家に帰ってカードを購入したことを相棒に話をしたところ、相棒はとても喜び、代金を出してくれることになった。相棒からの小さな贈り物だそうだ。一年間、沢山利用しようと思う。そういう訳でこれから文化的になる予定。週末になると美術館に通っていた十代の頃に戻ったような気分。久し振りに胸がときめいている。

それにしても暖房が不要の12月23日。それは其れで大変奇妙。こういう時は気をつけねば。体調を崩すのは何時だってこんな時なのだから。




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休暇の始まり

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今日は仕事納めの金曜日。職場の仲間の多くは昨日仕事をお終いにして休暇に入ってしまったけれど、私を含める残り数人は、今日が仕事納め。昼まで仕事をして、きちんと終わったことを確認して、仲間に挨拶をして外に出た。外は風が強くて地面に落ちた枯葉がカサカサと音を立てていたが、奇妙なほど温暖。街角のデジタル温度計が19度を記していたのには驚いた。全く12月らしからぬ気候。気温が上がるとは聞いていたけれど、まさかこれほどとは。ニット帽を脱いだ。そしてコートの襟もとを開けて。すれ違うどの人も真冬の装いだけど、いつもと違うのは襟巻をしていないこと、ニット帽を脱いでいること、そして10代の若者について言えば、ジャケットを脱いでコットンシャツ一枚という軽装だった。若い人とはそういうものだ。自分が10代だった頃のことを思い出せば理解できるというものだ。あの世代は薄着が格好いいのだ。もこもこ厚着をしているのが格好悪いと思う世代なのだ。しかし12月にこの薄着は危険。温暖だけどジャケットは着ていて欲しいと思った。それにしても16日間の冬の休暇の始まり。嬉しい嬉しいと幾度言葉にしても足らないほど嬉しい、そんな金曜日の午後。

旧市街を歩いていたら、時計屋のウィンドウに美しいものを発見。マッジョーレ広場から一分と掛からない此の時計屋はなかなか良いものを置いているので多くの人が足を止める。新しい、美しい時計が並ぶ傍ら古いものもあり、私が気になるのはいつもそちらの方である。時計、金製品、宝石が散りばめられたもの。どのようにしてこの店のショーウィンドウに置かれるようになったのか知らない。店主がそういう趣味を持っていて集めたものかもしれないし、誰かが必要に迫られてこの店に引き取って貰ったのかもしれない。結構な値がつけられているそれらは、見るからに価値のあるものばかりだ。先日は古い型のオメガの腕時計があった。丸い、大振りだが薄型で、革ベルトが好印象だった。こういうのが好きだ。昔は四角い時計が好きだったけど、近年は丸い時計が好きだ。恐らく1960年代半ばのもの。父に印象が良く似ていると思いながら、自分に良く似合いそうだと思った。その時計がショーウィンドウから姿を消したのは、誰かの手に渡ったからかもしれないし、店の中に置かれているのかもしれない。その代わりに目に飛び込んできたのは様々な色の小さな宝石を嵌めこんだ金のブローチ。何が素晴らしいって、孔雀をかたどってあることだった。しかも羽を広げていない、大変素朴な孔雀。ブローチは銀製が好みだけれど、そして宝石にはあまり興味はないけれど、何しろ孔雀。私の心を射止めた。近年私の周囲に居た孔雀たちは姿を消してしまったけれど、私の心の中に存在する。黒い冬のコートの襟もとにつけた様子を想像してみたら、素晴らしかった。この小さなブローチの代金は日本への航空券と同じで、かなり思い切りが居る。私の手の中に納まることはまずなくて、何時だってこんな風に眺めて満足するのである。今回も同様。誰か大切にしてくれる人の手に渡ればいいと思う。

とても眠い。休暇に入って緊張の糸が切れたらしい。今夜は安眠できるだろう。




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