夏の記憶

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数日続いた爽やかな気候は終わりらしい。今日は夏らしい気候が戻ってきた。それでも午後に吹く風はねっとりと肌に纏わりつくようなものではなく、さらさらと剥き出しになった腕や肩を撫でて通り過ぎていく。有り難いことだ。少し前のあの息もできないような熱風が戻ってきたらどうしようかと思っていたから。いつの間にか暑さに弱くなった。それから汗を掻くと湿疹に悩まされるようにもなった。昔にはなかったこと。私の身体が年齢とともに変化している証拠。

7月ももうすぐ終わり。近所はとても静かで、多くの人が既に休暇に出掛けているのが分かる。休暇が始まっていない人も週末は海や山に出掛けているのだろう。私は猫は家に居て、窓から飛び込んでくる蝉の声に耳を傾けている。静かな土曜日が必要だった。来週の今頃は休暇先に到着している筈で毎日歩き放題だから、今週末はのんびりと深呼吸をしながら過ごしたいと思っている。先週末植え替えた茗荷は枯れることなく元気にしている。微風で茗荷の葉が揺れるたびに思い出すのは、32年前の夏のことだ。
アメリカで生活したいと4年間願い続けていた。母が反対しても行くと決めていたから準備は密かに始めていた。でも、反対を押し切っていくのは寂しいと思っていた。だから、母が其れもいいと思うと言ってくれた時の喜びは大きかった。そうして見せた私の渡航準備に母は驚いたものだった。母にとってひとりでは何もできない娘の私が、こんな風に色んな手続きをひとりで進めていたのだから。8月の渡航日を控えて7月は家に居た。少しでも家族と一緒の時間を過ごそうと思って。私が思春期を過ごした家。2階には姉と私の部屋があり、そしてミシンの部屋があった。縫物が好きな母が存分に服を縫うことが出来るようにと作った部屋だったが、一番使ったのは私だった。裁縫の知識がない私だった。すべてが自己流で、店先や誰かの服を見て気に入ると、型紙を作り、生地を手に入れて縫った。そんな私の姿を母は眺めながら、案外どんなこともこんな風に自己流に生きていく娘なのかもしれないと思ったそうだ。あれほど好きだった裁縫を辞めたのはどうしてだっただろう。その代わり昔母がそうしたように、知り合いのご婦人に服を縫って貰うようになった。布団屋を営むご婦人。布団屋なんてのは時間が沢山あってね、と仕事の合間に知り合いから頼まれる服を縫っていた。ご婦人に縫って貰った夏のドレス、どちらも膝小僧が出る丈で、生地は母と一緒に選んだ。小さな薔薇の模様の紺色の生地は華やかでエレガントだった。それから橙色の格子模様は若々しくて若い私にぴったりだった。仕上がりは上等で、縫って貰った私は勿論、縫ってくれたご婦人も大喜びだった。それをアメリカに持っていくと話すとご婦人はますます喜んだ。田舎町の一軒家。広い居間はキッチンに続いていて、風通しを良くするために開け放ったキッチンの扉の先で茗荷の葉が揺れていた。父と母が其処に植えた茗荷。夏の午後はこの光景を思い出す。私が思春期を過ごしたあの家は20年ほど前に売られてしまった。広い庭に生える夏の草をひとりで綺麗にするのが大変で、との母の言葉に反対することはできなかった。姉は結婚して家を出ていたし、父は他界したし、私は飛び出したきりだし。それでよかったのだと今は思う。私は残った記憶を大切にすればいい。

今日はゆっくり。ひとつづつ考える習慣を最近身に着けた。平日はあれもこれもが同時進行で頭の中の整理が難しいから、週末くらいはひとつづつ。ばたばたして折角の夏の休暇でダウンしてしまわぬように。外に出ずっぱり、社交が大好きで活動的だった頃の自分が見たら、今の私は静。でも動いていないわけではない。ただ深呼吸しながらゆっくり動いているだけだ。




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